あらかじめご了承ください。
俺はニーヤ。貞子っていう老人の女性に飼われていて、古い大きな屋敷に住んでいる猫だ。
無愛想な顔をしているが、まあ気にしないでくれ。こんな俺にも感情くらいはあるんだぞ。
デブ猫?それは言うな。失礼だぞ。
さて、俺はある日の朝、アリエッティという名の小人の少女を翔っていう人間の少年に会わせる為に一役買った。
そして俺のおかげで二人は別れの前に無事に再会を果たすことが出来た。
二人はお互い色々と言葉を交わした。
そしてアリエッティはいかにも名残惜しそうに立ち去っていった。
俺は彼女の姿をしっかりとこの目に焼き付けようと、高台の端の部分まで歩いていった。
まだ日が昇り始めたばかりで、辺りが薄暗いせいもあるのだろう。もうアリエッティの姿は見えなかった。
まあ、彼女が小さいからということもあるのだが。
俺がアリエッティの去っていった方角を見ていると急に
「君もこれがアリエッティとの別れだということを分かっているの?」
という声がした。翔の声だった。
俺ははっとして振り返り、翔の顔を見ながら「まあな。」と答えた。
もっとも俺が何かしゃべったところで、人間や小人には「ニャー」としか聞こえないのだがな。
「寂しい?アリエッティがいなくなって。」
「…。」
まあ、本音を言えば寂しいがな。だが、俺はそんな顔を人に見せたくなかった。
だからじっと我慢することにした。
…だが、不思議なことに、我慢しようと思えば思うほど心の中では寂しさがこみ上げてきた。
それを見透かされていたのだろう。翔は俺を見て少しだけクスッと笑った。
(くっ…、分かっていたのか…。)
そう思うと俺の心には恥ずかしさというか、気持ちを見透かされた悔しさというか、とにかくそんなような気持ちがこみ上げてきた。
俺は翔から目をそらし、しばらくの間そっぽを向いていた。
しばらくして気を取り直した後、俺はもう一度翔の顔を見てみた。
彼は一言もしゃべろうとはせず、ただ朝日の方角を見つながら、すっかり夜明けの雰囲気を満喫しているようだった。
一方で俺はこれまでアリエッティにしでかしてきたことを思い出した。
思えばこれまで彼女に色々とちょっかいを出してきた。
何かあるごとに追い掛け回してきた。
その度に彼女には狭い隙間に逃げられてしまい、一方の俺は壁や通気口にぶつかって痛い目にあってきたのだが。
そして彼女には「バイバーイ。」とでも言っているかのような態度を取られていた。
まるで俺とのやりとりを楽しんでいるというか、からかっているというか、俺にはそんな気持ちになった。
今考えても悔しさばかりがこみ上げてくる。
一度でいいから俺は彼女に一泡吹かせてやりたかった。
とはいえ、悪ふざけ程度で、殺す気はなかったんだがな。
俺がすっかりアリエッティとの思い出に浸っていると、いきなり上の方から
「ニーヤ、そろそろ家に帰るかい?」
という声がしてきた。言うまでもなく翔の声だ。
「いや、帰らん。翔一人で帰ってくれ。」
俺はそう答えた。もちろん、翔には「ニャー」としか聞こえていないのだが。
「それじゃ、僕は家に戻るよ。」
翔はそう俺に言い残すと振り返り、ゆっくりと家に向かって歩き始めた。
まるで俺の言ったことがテレパシーか何かで彼に伝わったようだった。
翔の姿が木々の陰に隠れていったのを見届けた後、俺はアリエッティが走り去っていった方角めがけて走り出した。
理由は彼女の姿をもう一度だけこの目に焼き付けておきたかったからだ。
決してちょっかいを出しに行くわけではないぞ。
俺は高台から下に降りられるところまで来ると、そこからジャンプして飛び降りた。
すでにアリエッティが出発してから幾分時間が経っている。
もしかしたらもう遅いかもしれない。
でも、あきらめたくはなかった。
全力で走れ!全力で走れ!
俺は自分にそう言い聞かせながら、大きな体を揺らし、懸命に走り続けた。
やがて俺は小川の近くに差し掛かり、川沿いの道を走り続けた。
すでに息は切れ、体は熱くほてってきた。
出来ることなら早く立ち止まって自分の体をなめたかった。
(注:猫は汗をかかないかわりに自分の体をなめて濡らし、その気化熱を利用して体温を下げます。)
だがそんなことをしているわけにはいかなかった。
早く行かなければ。そして彼女に追いかけなければ。
そう思っていると、ふと前方に生えている草の切れ目から黄色っぽく光る物体が見えてきた。
どうやらそれは川の流れに身を任せながら進んでいた。
何だ、あれは?
俺は疲れた体にむちを打つようにして全力で走り続けた。
光る物体はヤカンだと判明した。
口の部分には小人らしき一人の男の子が立っていて、長い棒でヤカンを操縦していた。
今のところ、外から見えるのはその一人だけで、アリエッティの姿は見えなかった。
恐らく中にいるのだろう。
もう走る気力も限界に達しそうな状況だ。頼む、アリエッティ。せめてもう一度だけ姿を見せてくれ!
俺は祈るような気持ちで彼女に向かって「ニャー!」と声をかけた。
すると、俺の願いが通じたのだろうか、ヤカンの口から赤い服を着た小人の少女が出てきた。
間違いない。アリエッティだ。
彼女は斜め後ろにいる俺には全く気付く様子はなく、口の部分に腰掛けて前だけをじっと眺めていた。
「アリエッティーー!!」
俺は彼女めがけて精一杯叫んだ。
しかし息が切れていたせいだろう。実際にはほとんど声は出ていなかった。
それでも確かに俺は彼女の姿をもう一度だけ見ることが出来た。
するとそれで緊張の糸がきれたのだろうか、途端に体が動かなくなり、これ以上走ることが出来なくなってしまった。
どうしたんだ、俺の体!走れよ!動けよ!アリエッティがあそこにいるんだぞ!
今追いかけなかったらこのまま彼女の姿が見えなくなってしまうんだぞ!
それは必死に自分の体を叱咤した。
しかしいくらそうしたところで、俺の体は言うことを聞いてくれなかった。
それから間もなく、アリエッティを乗せたヤカンは陰に隠れて見えなくなった。
……。
気がついたら俺は彼女のいた方角を見つめたまま立ち尽くしていた。
それでもほんの数秒間だけ、確かにアリエッティの姿を見ることが出来た。
彼女は俺に気付かないままだったが、それはもう良しとしよう。
とにかく今の俺に出来ることは、ここから彼女の幸せを願うことだけだった。
(アリエッティ。今更こんなことを言っても遅いのだが、今までちょっかいを出し続けたことは謝る。すまなかった。どうか恨まないでくれ。恐らく今日はかなり暑くなると思うが、どうか無事に新しい家にたどり着いてくれよ。そしてどうか幸せになってくれよ。遠い所から願っているからな。)
俺は夏の朝日の光を浴びたまま、その場に立ち続けていた。