DAWN   作:地球の星

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23. いつか

 ニーヤがアリエッティの家に向かっていった後、翔は一階のテラスで本を読み、昆虫の鳴き声や風の音を聞きながらゆっくりと過ごしていた。

 彼はニーヤの帰りをじっと待ち続けていたため、実家に行こうとも、友達に会いに行こうともしなかった。

 それを知らない貞子は彼のことを少し心配そうに見ていた。

「翔さん、せっかくの一時外出なのに、夕方までここで過ごすのですか?」

「はい。個人的にはここが気に入っているので、今日一日ここで過ごさせてください。それにニーヤも僕になついているようなので。」

「そうですか。でもニーヤは今日も出かけてしまいましたね。直接会えるのは一日だけなのに。」

「大丈夫です。帰ってくるまで僕はここで待っています。」

「分かりました。それでは私はしばらくの間出かけますので、留守番お願いしますね。お昼ご飯は台所の冷蔵庫に入れておきましたから、好きな時に食べてください。」

「はい。」

 貞子はすっかり元気になった翔を優しい目で見つめた後、奥の部屋に行った。

 そして5分後、彼女は車を発進させ、外出していった。

 

 一人になった翔は、相変わらずテラスで本を読みながら過ごしていた。

 一冊読み終えると、彼はその本をかばんの中にしまい、その後は外の景色をじっと見つめていた。

 庭にはアリエッティを初めて見た場所でもあるシソをはじめ、様々な種類の草花が風に揺られていた。

 そのそばにはチョウやミツバチなどの昆虫が飛び交っていた。

 その向こうに生えている木の枝にはカラスが一羽、こちらを向いたまま止まっていた。

「あのカラス、あの時アリエッティを狙って飛んできたカラスなのかな?」

 翔は興味深そうに見つめた。

 それが本当にアリエッティを襲ったカラスなのかを確認する術はどこにもなかったが、心の中ではその本人(本鳥?)であることを期待していた。

「でも残念だけれど、アリエッティはもういないんだ。だからいくら待っても彼女は現れないよ。」

 翔がそう言うとカラスは羽を広げ、バサバサと音を立てながら飛び立っていった。

 それはまるで彼の言ったことが伝わったかのようだった。

 カラスの姿が見えなくなった後、翔は何気なく時計に目をやった。

 時刻はすでに1時をまわっていた。

「あっ。もうこんな時間か。」

 彼ははっとして、急ぐように台所に向かっていった。

 

 台所には電源プラグがつながった状態になっている一台の扇風機が置かれていた。

「これ、ちょうどいいな。今日も暑いし。」

 翔は早速そのスイッチを入れ、風に当たりながら昼ご飯を食べた。

 食事が終わると彼は自分で食器を洗った。

 それが終わると、今度はその扇風機を持ってテラスに向かっていった。

 そして早速プラグをつなき、スイッチを入れた。

 この日も気温は30℃を超え、外は真夏日になっていた。そんな状況だったため、扇風機の風はとても心地良く感じられた。

 彼は風に当たりながら横になった。

 そして外の景色を見ながら、ゆっくりと目を閉じていった。

 

 それから20分後、用事を済ませた貞子が車に乗って戻ってきた。

 彼女は車を降りて庭に足を踏み入れると、窓を開けたまま眠っている翔を見つけた。

「翔さん、ただいま。」

 貞子が声をかけた。すると翔ははっとして上体を起こした。

「おっ…お帰りなさい。おば様!」

「ただいま。気持ちよさそうに眠っていましたね。」

「えっ?は、はい。いつの間にか寝ていました。」

「いいですよ。私こそ起こしてよかったのかと思いましたが。」

「大丈夫です。それより、ニーヤは戻ってきましたか?」

「それは私にも分かりません。今帰ってきたばかりですから。」

「あっ、そうですね…。」

 翔はそう言うと、扇風機をつけたまま急ぐように玄関に向かった。

 そして急いでくつを履くと、庭に出てニーヤを探しに行った。

「やれやれ…。」

 貞子はくつを脱いでそれを手に持ち、テラスに上がった。

 そして扇風機のスイッチを切ると奥に入っていった。

 

 翔は小走りで庭を探し回った。しかしニーヤは見つからなかった。

 すると今度は門を出て、外の通りを見渡した。

 しかしそれでもニーヤは見つからなかった。

 すでに太陽は西に傾き始めていた。恐らくこの屋敷にいられるのはあと2時間くらいだろう。

 まだ時間はある。しかし出来れば早く戻ってきてほしい。

 彼はそう考えながら通りに出てニーヤを探しに行こうとした。

 しかし体力が戻りきっていない上に、探しに行っている間にニーヤが戻ってきてしまったら本末転倒だ。

 彼はそう考えると結局探しに行くことをあきらめ、屋敷に戻ることにした。

 

 屋敷に戻ってきた翔はテラスで再び読書をしていた。

 しかしさっきまでとは打って変わり、そわそわしながら過ごしていた。

(ニーヤ、今どこにいるのかな?アリエッティに会えたのかな?彼女と一緒にいるのかな?それはそれでいいけれど、出来ることなら早く戻ってきてくれ。僕、日没の頃までには僕は病院に戻らなければならないんだ。)

 翔は少し本を読んでは庭に目をやった。

 彼の心には焦りの色が浮かんできた。

 無理もない。この屋敷にいられるのは今日一日だけだ。

 この後病院に戻り、そして退院したら今度は自宅に戻ることになってしまう。

 そうなったら当分の間ニーヤに会うことは出来ない。

 そんなことにはなってほしくない。

 翔はタイムリミットが刻一刻と迫ってくる中でニーヤの帰りを待ち続けた。

 

 時間は止まることなく過ぎていき、病院に向けて出発する時間まであと1時間を切った。

 すでに太陽は大きく西に傾き、遠くに見える入道雲に吸い込まれていった。

 気温は30℃を下回り、次第に過ごしやすくなってきた。

 そんな中で翔の焦りは段々深くなってきた。

(ニーヤ…。早く帰ってきてくれ!)

 彼は心の中で懸命に願い続けた。もはや読書をしていられる余裕はなかった。

 貞子はテラスを通りかかる度に、そんな翔の姿を心配そうに見ていた。

「翔さん、そんなに心配していては心臓に良くないですよ。」

「はい…。」

「もうすぐ病院に戻る時間ですよ。そろそろ準備をした方がいいのでは?」

「分かってます…。」

 翔は庭を向いたまま問いかけに答えた。

 貞子はため息を一つつくと、お茶を飲みに台所に向かっていった。

 それとほぼ同時に、庭に何やら動く物体が現れた。

(まさか、ニーヤ?)

 翔はそれに気付くと即座に立ち上がった。そしてその物体をじっと見つめた。

(…間違いない。ニーヤだ!)

 彼はそう確信すると、急いで玄関に向かっていき、くつを履いて外に飛び出した。

 庭ではニーヤがクタクタに疲れた状態で立ちながら、「ただいま。」とでも言いたげに翔を見つめていた。

「ニーヤ、お帰り。無事でよかった。暑い中ご苦労様。」

 翔はそう言ってニーヤに近づいていき、彼をねぎらった。

「ニャー。」

 ニーヤは自分の役目を果たすことが出来たことで、うれしそうに返事をした。

 

 しばらくして、翔はニーヤの首に巻かれたままになっている手ぬぐいをほどいた。

 すると中からは一枚の紙と、一枚のティッシュが折りたたまれた状態で出てきた。

「何だろう?」

 翔は不思議に思いながら紙を取り出し、それを開いた。

 そこにはとても小さな字で次のように書かれていた。

 

 しょう。かみかざり、ありがとう。あなたがげんきになってくれてうれしかった。

 ひっこしたことは、もうきにしないで。わたしはだいじょうぶよ。

 わたし、いつかうみをみにいきたい。

 

 その手紙を読んだ翔は、アリエッティ本人からの返事であることを確信した。

 そして、彼の顔からは満面の笑みがこぼれた。

(アリエッティ、君は僕の書いたことに対してこうやって返事をしてくれたんだね。そして僕が元気になってくれたことを喜んでくれたんだね。引っ越しをさせたことについても、許してくれるんだね。本当にありがとう…。)

 翔は涙が出るほどうれしくなった。

 そして何度も何度も彼女に感謝をし続けた。

 

 翔はアリエッティからの手紙に気をとられたまま、一緒に同封されていたティッシュのことをすっかり忘れていた。

 そのため、ニーヤはしばらく後に翔を見つめながら「ニャー。」と鳴いた。そして手ぬぐいから3分の1ほどはみ出しているティッシュをくわえて出そうとした。

(ただ、本当にくわえることは出来なかった。)

 どうやら「これを忘れるなよ。」と言ったようだった。

「あっ、それもあったね。」

 ティッシュのことをすっかり忘れていた翔は右手を伸ばした。

 そしてそれを取り出すと、大事そうに開いた。

 中からは押し花のような状態になっている四つ葉のクローバーが一枚出てきた。

 翔は、アリエッティが髪飾りの代わりに、新しいお守りとしてこれをプレゼントしてくれたものだということを確信した。

(アリエッティ、君は新しいお守りとして、僕にこれをくれたんだね。ありがとう。これと君の書き残してくれた手紙、大事にするよ。そして髪飾りを君に返すことが出来て本当に良かった。いつまでも大切にしてね。)

 翔はクローバーをじっと見つめながらそう思った。そして心の中でそっと彼女の幸せを願った。

 すると、背後から不意に「あらニーヤ。お帰り。」という声がした。貞子の声だった。

 ニーヤは大きな声で「ニャー!!」と鳴きながら彼女の元に駆け寄っていった。

「あら、どうやらお腹が空いたようね。分かりました。今から食事の用意をするわね。ちょっと待ってて。」

 貞子はそう言うと、すぐに台所に向かっていった。

 思えばニーヤは翔がここに来る前に朝ごはんを食べたきり、食事を取っていない状態だったため、すでにお腹ペコペコの状態だった。

「ニーヤ。そんな大変な思いをしてまで僕とアリエッティの役に立ってくれて、本当にありがとう。」

 翔はそう言ってニーヤの頭をなでた。

 間もなく貞子がキャットフードとミルク、そしてそれらを乗せる容器を持って持って戻ってきた。

 翔は「早くえさくれ!!」と言わんばかりのニーヤを見ながら、手ぬぐいとアリエッティからもらったクローバーと手紙を持って屋敷に戻っていった。

 

 ニーヤが食事にありついている間、翔は病院に戻る準備をしていた。

 それが終わると、彼は荷物を持って再び庭に戻ってきた。

 そこにはちょうど食事が終わったばかりのニーヤと容器を片付けようとしている貞子の姿があった。

「翔さん、もう病院に戻る支度が出来たんですね?」

「はい。でも、もう少しここでニーヤと一緒にいたいのですが、いいですか?」

「分かりました。それなら30分後に出発することにしましょう。いいですか?」

「いいですよ。」

「それでは私も今から出かける準備をしに行きますね。」

 貞子はそう言うと、容器を持って屋敷の中に入っていった。

 

 それから出発までの間、翔はテラスの前の石段に座っていた。

 ニーヤは彼のひざの上に座り、気持ちよさそうに過ごしていた。

 翔はニーヤを優しくなでながら、入道雲の浮かんだ空を見上げていた。

(アリエッティ。君のような優しい小人に会えてよかったよ。思えば僕はこれまで病気のせいで他の人に心を開くことが出来ずにいた。そのせいで君にもひどいことを言ってしまった。でも、君は僕のことを許してくれた。本当にありがとう。これからは他人想いの優しい人間になるよ。約束する。それから、あの手紙に書いてあったけれど、君はいつか海を見たいんだね。だったらいつか一緒に行こう。ニーヤも連れて、一緒に見にいこう。)

 翔はまるでテレパシーを送るように、アリエッティに向かって語りかけた。

 するとひざの上にいるニーヤが顔を上げて「ニャー。」と鳴いてきた。

 まるで「ぜひ一緒に行こう。」と言っているかのようだった。

「うん。」

 翔はニーヤを見つめながらそうつぶやいた。

 彼ら一人と一匹は夏の夕方の風を浴びながら、とても幸せな時間を満喫していた。

 

 それから約束の30分が過ぎ、貞子が荷物を持って玄関までやってきた。

「翔さん、お待たせしました。それでは病院に戻りましょう。」

「はい。」

 翔は返事をするとニーヤを持ち上げてかたわらに降ろした。

 そして、「ニーヤ、時間だよ。僕、いよいよおば様の車で病院に戻るんだ。もっと一緒にいたかったけれど、ごめんね。」

 と、名残惜しそうに語りかけた。

「ニャー!」

「そりゃ僕だってつらいさ。でも仕方がないよ。」

「……。」

「でもね、きっとまた会えるよ。今度会ったら一緒に海に行こう。」

「ニャー?」

「うん。約束する。」

 翔はそう言うと、ニーヤの頭を優しくなでた。

 そして荷物を持って立ち上がり、貞子と一緒に車のところまで歩き始めた。

 ニーヤも気持ちに整理がついたのだろう。追いかけることはせず、その場に立ったまま、大きな声で「ニャー!」と鳴いてきた。

 翔はそれを聞いて立ち止まり、振り返った。

「ありがとう。元気でね。君と一緒にいられてうれしかったよ。」

 彼は右手を大きく振った。

(それから、アリエッティと僕の橋渡しをしてくれてありがとう。この恩は絶対に忘れないよ。)

 翔は心の中でニーヤに感謝をした。

 彼は伝えたかったことを言い終わると再び振り返り、車庫の前で待っている貞子のところに向かっていった。そして彼女と一緒に車庫の中に入っていった。

 間もなく、一台の車が出てくると門を通過し、病院へと出発していった。

 その光景を、ニーヤは名残惜しそうな表情でじっと見つめていた。

 

 この古い屋敷で出会った人間の少年と、小人の少女、そして一匹のネコは、これからひとまず別々の道を歩んでいくことになった。

 それは、それぞれの道が再び出会うまでの新たな始まりでもあった。

 いつかその時が来るまで、今はさようなら。

 

(終わり)

 

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