ヤカンに乗って川を下る途中、アリエッティは色々な種類の植物が生い茂った景色や、川の中を泳ぐ魚達を見て楽しんでいた。
近くに立っている木々からはツクツクボウシをはじめとするセミ達の鳴き声が絶えず聞こえていた。
川岸に生えている草にはいくつか花が咲いているものがあった。そこには黄色や黒い色をしたチョウが飛び交い、蜜を吸っていた。
空では何羽かのツバメ達がチュンチュンと鳴き声をあげながら上空を通過していった。
彼女は時々スピラーをチラッと見ることがあった。
しかし彼はすぐに目をそらしてしまうため、二人はお互い会話らしい会話をすることもないままだった。
中ではアリエッティの母親、ホミリーがぐったりと横になっていた。
父親のポッドは荷物を積み出す準備をしながら、ホミリーの面倒を見ていた。
それから15分くらい経った頃だった。
それまでずっと黙っていたスピラーが急に「もうすぐだぞ。」と言ってきた。
それを聞いてアリエッティは「えっ?」と言いながら振り向いた。
「もうすぐ引越し先に着くの?」
「あ…、ああ。」
彼はまた顔をそらし、どこかニヤニヤした表情をしながら答えた。
アリエッティはヤカンの口のところに行き、中にいる両親にそのことを伝えた。
「ああ。すでにいつでも運び出す準備は出来ているから大丈夫だ。」
「…そう…。もうすぐ着くのね…。」
元気なポッドとは対照的に、ホミリーは相変わらずぐったりと横になったままだった。
「お母さん、大丈夫?顔色があまり良くないけれど。」
「ちょっと船酔いしたようだ。だが、どうにかなるだろう。」
「あなた…、それを言うならヤカン酔いよ…。」
「ヤカン酔い…?」
「このヤカンが揺れることで、気分が一時的に悪くなることだ。降りれば治るから心配するな。」
「はい。」
アリエッティは意味がよく分からないままだったが、とりあえず返事をしてまた前方を向いた。
それから間もなく、一行を乗せたヤカンは目的地に到着した。
「さあ、着いたぞ。」
スピラーはそう言うと、川の流れのゆるやかなところにヤカンを誘導してくれた。
そして長いロープを取り出し、一端をヤカンの取っ手に結びつけた。
「お前、危ないからどいてろ。」
「何よ、『お前』って!私はアリエッティよ!」
「それじゃ、アリエッティ。危ないからどいてろ。」
「はあい。」
アリエッティはヤカンの口の中に入ってはしごを途中まで降りていった。
そして頭だけ出して様子を見ることにした。
スピラーはそれを確認すると、端の部分にかぎつめのついた長いロープをビュンビュン振り回し始めた。
ロープの回転スピードはみるみるうちに速くなっていった。
「やあっ!」
スピラーは叫び声をあげながら岸をめがけてロープを投げた。
ロープは放物線を描いて飛んでいき、近くに生えていた小枝に引っかかった。
「よし!」
彼は勝ち誇ったように叫ぶと、ロープにぶら下がって岸に向かっていき、かぎつめが外れないようにしっかりと木の枝に結んで固定した。
岸にたどり着いた一行はみんなで協力しながら新しい家に向かって荷物を運んでいった。
しかし、ホミリーはハルという名の人間にさらわれたショックに、引越しの疲れに、ヤカン酔いという三重苦のため、少ししか荷物を持てなかった。
彼女が背負えなかった分はスピラーが代わりに運ぶことになった。
アリエッティ達4人は川辺の土手(彼らからすれば崖に相当する高さだった。)をのぼり、若いススキやムラサキツユクサ、チドメグサ、ヨモギなどたくさんの種類の草が生えているところを歩いた。
しばらく歩くと今度は未舗装の道路を歩くことになった。
道路の中央にはたくさんのオオバコが生えていて、右端にはオミナエシやクローバー、ヒメジョオン、ハコベなどがたくさん生えていた。
道路の右側にはとても小さな小川を挟んで、未熟な稲穂が出ている稲がびっしりと生えた田んぼや、雑草がたくさん生えている空き地があった。
空き地といっても去年までは畑だったらしく、所々にほうれん草やダイコン、にんじんなどが野生化したように伸びていた。
一方、道路の左側は高い崖(人間の感覚では土手)になっていて、そこから先にはたくさんの種類の木がびっしりと生えていた。もちろんセミ達の鳴き声も大きく響き渡っていた。
この辺りにはアリエッティが以前住んでいた古い屋敷の庭に負けないくらい、たくさんの植物であふれていたので、見たこともないにも関わらず、どこか親近感を感じるような景色だった。
アリエッティがすっかり景色に見入っていると、突然ホミリーが
「そう言えばアリエッティ、ずっと気になっていたんだけれど…。」
と問いかけてきた。
アリエッティはビクッと反応し、振り返った。
「何?お母さん。」
「あなた、髪飾りはどうしたの?」
「そう言えばそうだな。今朝まではつけていたのに、いつの間にかなくなっているからな。」
ポッドも続いた。
「あの…、それは…。」
アリエッティは突然指摘され、返答に困ってしまった。
「お前、今朝あの時に渡したんじゃないのか?」
前方を歩いていたスピラーが振り返って言った。
「だから『お前』って何よ!それにあの時って何よ!」
「今朝、人間の男に会った時。俺、見てた。」
スピラーにそう言われ、アリエッティははっとした。
(そうだった。すっかり忘れていたけれど、あの時、確かにスピラーは私達を見ていたわ!)
彼女は思わず立ち止まり、動揺してしまった。
「お前まさか、また人間の少年に会ったのか!?」
立ち止まったポッドは厳しい口調で問いただしてきた。
それを聞いて、アリエッティは正直に言う覚悟を決めた。
「…はい。…今朝、翔という人間の男の子に…会いました。」
「またあの人間の少年に会ったのか!関わるなと言ったのに…!」
「ひえぇっ!あなたそれでよく無事に戻って来られたわね!!」
ポッドは怒りたいのを我慢しながら、ホミリーは腰を抜かすように驚きながら言った。
スピラーは無言のまま「ほら見ろ。」とでも言いたげな雰囲気を漂わせていた。
「翔は怖い人なんかじゃないわ。彼がいたおかげで私はお母さんを助けることが出来たの。」
「それはどういうことだ!?」
事情を知らないポッドがまた厳しい口調で問いかけてきた。
アリエッティは一体この後どうなるのかしらという不安を抱えながらも、正直に話すことにした。
引越しの前日にお母さんが行方不明になり、翔に助けを求めに行ったこと。
泣き出してしまった私に「一緒に探そう。」と言って、優しく手を差し伸べてくれたこと。
翔が苦しそうな表情の中で必死に走り、救出に向かっていったこと。
お母さんが閉じ込められている場所を指差して教えてくれたこと。
そして今朝、私に角砂糖を手渡してくれたこと。
そのお礼に、翔に髪飾りを手渡したこと。
歩きながら、アリエッティは全てを話した。
「そういうわけなの。その角砂糖は私のかばんの中に入っているわ。」
彼女は最後まで言い終わるとかばんの口を開け、それを見せた。
ポッドとスピラーは何か言いたげな表情をしたが、結局黙っていた。
「それはワナよ!また私達をおびき出そうとしているんだわ!」
「翔はそんな目的で渡したんじゃないわ!きっと私達の幸せを願ってくれたからよ。少なくとも私はそう信じているわ。」
「だまされてはダメ!私は人間にきれいなキッチンをプレゼントされたと思ったら、結局発見され、捕まる羽目になってしまったんだもの!」
「キッチンをプレゼントした翔という名の人間と、お母さんを捕まえた人間は別人よ。」
「それでも同じ人間じゃないの!」
「人間という言葉だけでひとくくりにしないで!人間は人間でも、翔は優しい人間よ。彼は私達の幸せを願っていたし、私を守ってあげたいと言っていたわ。」
「でも私達が引っ越す羽目になったじゃないの!」
「それは翔も反省していたわ。だけどお母さんを助けてくれて、今朝こうやって角砂糖を渡してくれたの。私はその優しさがうれしかったから、お返しに髪飾りを渡したの。」
アリエッティは必死に翔のことを母親に言って聞かせた。
それに押されたのだろうか、ホミリーはそれ以上反論をしようとはせず、黙ってしまった。
「…まあ、確かにその人間にもそういう気持ちもあったかもしれん。それは理解しよう。だからと言って人間を信用したり、安易に近づいたりしてはいかんぞ!」
かたわらで話をじっと聞いていたポッドはまとめ役を引き受けるような形で二人に言った。
「はい。分かっています。私だって翔が優しい人間だということは分かったけれど、人間そのものを信用したわけではないから。」
「信用なんて絶対にしてはだめよ!私のようにさらわれるのがオチだから!」
「はい。」
「それにしても、小人と人間が会話をし、協力までするなんて!一度その人間の顔を見てみたいわね!」
ホミリーはそう言いながらふてくされていた。
「あら、お母さんはすでに翔に一度会っているわよ。」
「えっ?いつ?」
「私がビンに閉じ込められたお母さんを救出して抱き合って喜んでいた時よ。その時お母さんは振り返って一瞬だけ翔の顔を見ているわ。お母さんはすごく驚いてパニックになっていたけれど。」
「あ、あの時…!?」
ホミリーは顔を真っ赤にして恥ずかしがった。その姿はいかにもオッチョコチョイの性格を表していた。
「アリエッティ。色々あったようだが、勇気を出して正直に話してくれてありがとう。人間と関わったのはもう済んだことにして、今からはまた小人としての掟を守りながら過ごしていくことにしよう。」
「はいっ!」
「では、また歩き出すとしよう。」
お父さんは私達に号令をかけると、今度は先頭に立って歩き出した。
しかしこの後、一行を待ち受けていたものは…。