入院してから2晩が過ぎ、いよいよ今日が手術を受ける日になった。
僕は昨晩からなかなか寝付けず、この日も明け方前に目が覚めてしまった。
時計を見たら午前5時をさしていた。手術開始まであと8時間だ。
すでに東の空は少しずつ明るくなり始めていた。もうすぐ夜明けだ。
耳を澄ますと、どこからかセミの鳴き声が聞こえていた。
それを聞いて、今日も暑くなりそうな気がした。
(いよいよなんだな…。いよいよ僕の運命が決まる日がやってきたんだな…。)
ベッドに横になったまま、僕は一人で不安と闘っていた。
2日前の夜明けにアリエッティと別れた時にはあんなに明るかったのに…。
もちろんこんな風に考えていていいわけはない。心臓にも良くない。
助かる命も助からなくなるかもしれない。
それは分かっていた。すでにこれまで何度も自分自身に言い聞かせてきた。
でもやっぱり不安だった。
僕は上体を起こし、窓を覆っていたカーテンを開けた。
そして近くに置いてあったアリエッティの髪飾りを手にとって、じっと見つめた。
それを両手で持ちながらそっと語りかけた。
アリエッティ。あれから君は今どうしているの?
お父さん、お母さんと一緒に新しい家に着いたのかな?
持っていった荷物はもうきれいに整理したのかな?
今頃はまだぐっすり眠っているのかな?
それとも人間がまだ眠っている時間を利用して「借り」にでも行っているのかな?
僕はそう語りかけた後、今度は口を閉じたまま彼女との間にあったことを思い出した。
庭で初めて見かけた時のこと。
アリエッティがティッシュの所で僕を見てはっとしていた時のこと。
僕が通風孔のところに「わすれもの」というメモと共に、彼女が落としていった角砂糖を置いていった時のこと。
僕が小人の家のキッチンを床下に持っていった時のこと。
それを「気に入ってくれたかい?」と言った時のこと。
「君達は滅びゆく種族なんだよ。」と言ってしまった時のこと。
アリエッティのお母さんが行方不明になって僕に助けを求めに来た時のこと。
道具をたくみに使ってカーテンを登っていった時のこと。
お母さんに会えて、抱き合いながら喜んでいた時のこと。
そして2日前の朝、ニーヤのおかげでもう一度だけ会えたこと。
僕は一通りのことを思い浮かべた後、また語りかけた。
アリエッティ。短い時間ではあったけれど、君に会えたことは僕にとっていい思い出になったよ。
でも、君には申し訳ないこともしてしまった。
僕は小人の掟や気持ちも知らずに、自分だけの都合で君達の家のキッチンを僕の部屋にあった、小人の家のキッチンにすりかえてしまった。
そのせいで僕達人間に小人の存在が分かってしまったんだよね。
その上、さらに僕は君達のことを「滅びゆく種族」だなんて言ってしまった。
そして君を泣かせてしまった。
あげくは君達を本当に引越しさせてしまった。
今考えると、僕は君に何てことをしてしまったんだろうって思っているよ。
本当に後悔しているよ。
本当にごめん…。
…でも君はあの時、僕に会いに来てくれた。
そして泣きながらお母さんを助けてくれたお礼を僕に言ってくれた。
そして君の大事な髪飾りを僕にくれた。
本当にうれしかった。
涙が出るくらいうれしかったよ。
僕、手術がんばるからね。きっと元気になるからね。
だから、僕を守ってくれ、アリエッティ。
失礼なこともした。
怒らせたりもした。
泣かせたりもした。
引越しに追い込んだりもした。
僕だけでなくニーヤにも会えなくしてしまった。
もしかしたら君は心の中ではまだ僕のことを恨んでいるかもしれない。
怒っているかもしれない。
あやまっても許してくれないかもしれない。
でも、それでもいい。
それでもいいから、これだけは聞いてほしい。
どうか僕を守ってくれ!
僕に明日という時間を与えてくれ!
この命が助かるのなら、たとえ君に恨まれたっていい。
許してくれなくてもいい。
嫌われてもいい。
どうか僕を助けてくれ!
お願いだから…。
僕は髪飾りをじっと見つめたまま、すがるような思いで語りかけた。
いつの間にか僕の目には涙があふれ出した。
「アリエッティ…。」
一言そう言うと、涙はますますあふれてきた。
止めようとしても、僕の意思に反して涙はどんどんあふれてきた。
気がついたら、僕はその場にうずくまって泣き崩れていた。
それからどれくらい時間がたったのだろう。僕は泣いて泣いて泣き続けた後、やっと泣き止むことが出来た。
ふと窓の外を見ると、地平線付近に広がっている雲の隙間から一筋の光が差し込んできた。
夜明けだ。
太陽の光はキラキラ輝いていて、とてもきれいだった。
思えば2日前にアリエッティと別れた時にも同じ夜明けを見た。
あの時、僕は明るく希望に満ちた表情を浮かべていた。
彼女のおかげで生きる勇気がわいてきて、新しい始まりに心をときめかせていた。
だったら、もう一度あの時と同じ気持ちになろう。
この夜明けを最後かもしれないと考えるのではなく、新しい始まりだと考えてみよう。
アリエッティだって引越しという重い現実を背負いながらも、それに負けずにきっと明るく生きているはずだから。
だったら僕も…。
僕は夜明けの光の中でアリエッティのことをじっと考え続けた。
死ぬかもしれない不安は決して消えてはいなかった。
それでも彼女のことを考えている間は不安を忘れることが出来た。
きっとアリエッティは僕を守ってくれる。
そう心の中で信じ続けた。
この時、時計は午前5時半をさしていた。
手術開始まで、あと7時間半…。