DAWN   作:地球の星

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9. 手術室へ

 この日は朝のうちは日差しも差し込んでいた。

 しかし空は次第に曇っていき、午前9時を過ぎたあたりから雨が降り始めた。

 翔はこの雨は一体何を意味するんだろうと思いながら、じっと本を読んでいた。

 午前11時。手術2時間前になった時、病室におば様の貞子が来てくれた。手には細長いビニールの袋に入った状態の雨傘が握られていた。

 おば様は僕を元気付けようと色々な言葉をかけてくれた。

 僕は不安こそ心の中に抱えてはいたが、それでもあえてそれは表に出さず、色々な話に乗った。

 思えばこの病院に来てからあまり他の患者さん達とあまり会うこともせず、あまり話をすることもなく過ごしていた。

 せっかく知り合ってもすぐに会えなくなってしまうかもしれないし、会って話をしても知らず知らずに失礼なことを言って相手を傷つけてしまうかもしれないと思ったからだ。

 ちょうどアリエッティに「君達は滅びゆく種族なんだよ。」と言ったように。

 だからあまり他の人と話をする気にはなれなかった。

 仮に手術が成功し、もう死の恐怖におびえなくてもすむようになれば話は別だろうけれど。

 そんな状況の僕であっても、おば様となら話がはずんだ。

 それが手術を目前に控えた僕のささやかな喜びだった。

 

 手術開始まであと1時間になった時、僕は上半身の服を脱ぎ、ストレッチャーの上に乗って横になった。

 僕を担当している看護師の岡谷さんは点滴の用意をすると

「それではちょっとチクッとしますよ。」

 と言って、針を僕の左腕に刺した。

「翔さん、いよいよですね。」

 おば様は祈るような仕草をしながら心配そうに話しかけてきた。

「大丈夫です。がんばってきますから、心配しないでください。」

 僕はおば様を安心させようと、少し微笑みながら言った。

「それでは翔さん、手術の準備はよろしいですか?」

「はい。いつでもOKです。」

「分かりました。それでは行きますよ。」

 岡谷さんはそう言うとストレッチャーを押し、部屋を出た。

 廊下では手術を担当する初狩(はつかり)医師と、何人かの医療スタッフが待っていた。

 彼らはストレッチャーの四隅を持ち、僕を手術室へと運び始めた。

 おば様は後ろを歩きながらついてきてくれた。

 僕達はエレベーターを降り、手術室のあるフロアへとたどり着いた。

 エレベーターのドアが開くと、さっきまで優しかった医師達の表情が急に引き締まった。

 いよいよ手術ということで緊張しているのだろうか。

 ストレッチャーはガラガラという音を立てながら一直線に進んでいき、やがて「手術室」という表示のある部屋が見えてきた。

「それでは付き添いの方はここまでとなります。よろしいですか?」

 看護師の一人が言った。

「分かりました。どうか翔さんを助けてやってください。よろしくお願いします。」

 貞子はすがるように言った。

「まかせてください。必ず助けてみせます。」

 初狩医師が言った。

「翔さん、がんばってくださいね。」

「はい、おば様。がんばってきます。」

「皆さんどうかお願いします。お願いします…。」

 貞子は手を合わせ、懸命に翔の無事を祈っていた。

 ストレッチャーはどんどん前に進み、手術室の中に入った。そして次の瞬間、入り口の扉が閉められた。

 

 手術室の中にはこれまでテレビでしか見たことのない機械がたくさん並んでいて、「ピッ、ピッ」と音を立てながら動いていた。

 同じ機械であってもテレビ越しに見るのと実際にこの目で直接見るのでは迫力が段違いで、思わずこの光景に圧倒されそうになった。

(この心拍数を表す機械の線は、今は山のような形を描いているけれど、これが一直線になり、表示されている数字が0になったら僕はこの世界からサヨナラをすることになるんだな。)

 翔はそう考えながらストレッチャーから手術用のベッドに移り、またあお向けに横たわった。

 手術の時は刻一刻と迫ってきている。

 彼の心臓はますます高鳴ってきた。

 もしかしたら手術を受ける前に止まってしまうのではないかとさえ思っていた。

 

 手術の準備が整うまでの間、医師は他の人達にあれこれと指示をしながら、積極的に翔とコミュニケーションをとってきた。

 恐らく緊張や不安を少しでも取り除こうとしているのだろう。

 二人は翔の家族のことや、初狩医師がどうして医師を目指したのか等について話し合った。

 色々話をしているうちに、医師は

「君、さっきから右手をずっと握ったままでいるんだね。何を持っているのかちょっと見せてもらっていいかね?」

 と聞いてきた。

「えっ?」

 翔ははっとした。出来ればこれは人に見せたくはなかった。

 一瞬どうしようかまよったが、「ちょっとだけなら。」と言って握っていた右手を開いた。

 そこにはアリエッティからもらった髪飾りがあった。

「君、洗濯ばさみなんか持っているのかい?」

「あ、はい。これは僕にとってのお守りなんです。」

「洗濯ばさみがお守り?君は変わった物をお守りとして持っているんだね。何か理由でもあるのかい?」

 初狩医師は苦笑いを浮かべながらそう言った。顔にはマスクをつけていたが、苦笑しているのは翔にも分かった。

「いえ、そんな大した理由じゃないです。ただこれを手術を受ける時のお守りとして持っておこうと思って。」

「そうか。でも何か理由はあるんだろ?ちょっとだけ教えてもらえないかい?」

「それはちょっと…。」

 翔は何とか話題を切り替えようとした。しかし初狩医師は興味深そうに言ってきた。

「…やっぱり話せないです。話したら魔法が解けてしまいそうだから。」

「魔法?」

「魔法というか、おまじないですね。とにかく話すわけにはいかないんです。」

「そんなこと言わずにちょっとだけでいいから。」

「だめです!」

 翔はしびれを切らしたのか、強い言い方で断った。

 その声を聞いて、周りにいた看護師達が驚いてこちらを見た。

 しかし彼女達はまたすぐに向き直って自分達の作業に取り掛かっていった。

「そうか。…まあ、そこまで言うのならいいだろう。君にかけられたおまじないを解いてしまうわけにはいかんから。」

 翔の強い態度を見て折れたのだろう。医師はそれ以上この髪飾りについて聞いてくることはなかった。

(苦笑するのは無理もないだろうな。普通、洗濯ばさみ…いや髪飾りがお守りになるなんて考えにくいからな。でも、小人のことは他人に話してはいけない。アリエッティ達が人間に見られてはいけないように。)

 彼は何とか秘密を守りぬくことが出来た。

 

 それからしばらくして、いよいよ手術の準備が整った。

 手術室にいる人達はすでに全員各自の配置についていた。

 翔の鼻と口の部分に呼吸器が取り付けられた。

 いよいよだ。いよいよ手術を受ける時がやってきた。

 彼の心はこれまで経験したことのないぐらい高鳴っていた。

 怖い…。でも逃げるわけにはいかない。

 生きるためには立ち向かっていくしかない。

 そう思いながら手術の恐怖と必死に闘っていた。

 それと連動してか、彼は無意識のうちにアリエッティの髪飾りをぎゅっと握っていた。

「それでは今から麻酔を打ちますからね。チクッとしますけれど我慢してくださいね。」

 初狩医師はそう言うと持っていた注射器の針を差し込んできた。

 同時にまるで電気でも走ったかのような痛みが走った。

「うっ…。」

 翔は顔をゆがめながら痛みを我慢した。

 医師はその後も何回か麻酔を打ち込んできた。

 それから間もなく、翔の意識はもうろうとするようになってきた。

 さっきまでは恐怖と闘っていたが、今はもうその気持ちも失せていた。

 次第に目の前の景色はぼやけてきて、暗くなりだした。

 彼の目は少しずつ、ゆっくりと閉じていった。

 これで、意識がなくなるんだ…。

 この目で再びこの世の景色を見ることが出来るのは、手術が成功した時だけ…。

 もしかしたら、もう二度と見ることが出来なくなるのかもしれない…。

 せめて…、もう少しだけ景色を見つめていたかった…。

 そう思いながら、彼は残った最後の意識さえも失っていき、深い眠りへとおちていった…。

 

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