パツネタ
「いっぺん刺されてみればいいんとちゃう?」
喫茶店のカウンター席。従業員の犬耳オッドアイメイドさんに毒を吐きかけられた。店は混み合ってはいないはずなのに、抹茶ラテはまだ出てこない。
「でもなぁー気持ちはわからんこともないねん。私がいうのもなんだけれど、どっちも魅力的やん? リゼはん誠実に迫られたら断れなさそうやし、アンジュはんちょろいし。でも二股はあかんわぁ〜」
コポコポと紙フィルターに円を描くようにお湯を注ぎ、ピチョンピチョンと滴り落ちるカップを眺めてから、こちらに向き直った。
「だからいっぺん刺されてみればいいんとちゃう?」
にっこり笑みを浮かべて。両方に手を出したはいいものの、途中でバレてしまう恐怖が膨れ上がってきたから今こうやって相談しているわけで。彼女の出した解決法は答えになってない。痛いのは嫌だ。最悪死ぬ。
「そないこといわれてもなぁー」
頼む。やってることが人として最低なことだってのはわかりきってる。もう取り返しのつかないことをしている自覚もある。でも、もしかしたらなにか丸く収まる方法があるんじゃないかって、またみんなで笑って過ごせるようになりたくて、最悪の事態を免れる仲介人になって欲しくて戌亥に相談を持ちかけたんだ。
「いやや私、そんな地獄の釜に首突っ込んでいくような真似」
そこをなんとか。
「あんさんが自分で話つければいいだけの話しちゃう?」
それはごもっとも……でも後が怖い。
「それだけのことしてきた報いとちゃうの?」
過去の自分が隣で抹茶ラテ飲んでたら、今頃ぶん殴ってる。
「私あんたの正体知ってんねんで?」
ギク。
「リゼはんに告白する前、この喫茶店でぎょうさん愛かたってくれはったなぁー」
記憶にございません。
「しばらくしてからリゼはんに告白して、私このこと言おうかどうか迷っとったんだけど、初めての恋人やって喜んどったリゼはん前にしたら何も言えんくなったわ」
お気遣い感謝します。
「あんたのためやないで? 無垢なリゼはんに余計な心配してほしくなかったからや」
友達想いなんですね。
「いっぺん刺されてこいて」
話戻ってませんか?
「すぐ切り替えてリゼはんに告白した時は頭どついたろ思うとったけど」
もしかして脈アリだった!?
「こんな奴でもリゼはんの彼氏や。今後リゼはんを悲しませることしたら許さへんぞって、ウチ確かに誓わせたんやけどなぁー」
腕引かれて裏連れ込まれた時ですね。あの時は好きだってキモチに気付いた戌亥に犯されると思って興奮しました。
「キモ」
ストレートキモいは破壊力が……そういうプレイなのかなってことにして乗り切りますね。
「キッモ」
戌亥が助けてくれるのなら、いくらでも言ってもらってかまわないから。
「ほんまいっかい死んどけや」
ガチトーンの低い声色が響いた。ほんといい声。軽蔑の眼差しじゃなかったら間違いなく求婚していた、まあそのあと殺されるんだけど。
「でも騙し通そうとせずに白状したのはまだ救いようがあると思うんよ」
え? じゃあ協力してくれる?
「あんたも男なんやから正面から向き合い? 止めはちゃんと刺したるし、なんなら骨も拾ってあげる」
やだやだやだやだ! あの二人に話を切り出すの想像するだけで吐きそうになるよ! リゼ様好きなの事実だし、アンジュも好きなの事実だし? なんなら戌亥だって愛してる。だから俺は悪くない。悪いのは一夫多妻制を容認しない社会が悪い。
「ほんまキモいなあんた、何であの時の自分はこんな奴との交際を許したんやろ。ほんま信じられへんわ」
なあなあ戌亥頼むよー。常連のよしみでさぁー? 援護射撃してくれたら毎日お店通うよ?
「触んなや気色悪い。ここはキャバクラやないねんで」
払われた手をめげずに寄せる。白くてすべすべのお手手に一瞬だけでも触れられるだけでぼくは幸せです。
「ちょっとまっとき」
あまりのしつこさに耐えきれなくなったのか、戌亥はプリプリ怒りながらバックヤードに逃げてしまった。待望の抹茶ラテに取り掛かってくれるのかと、叩かれすぎて赤く腫れた手を擦りながら、溜まりつつある黒い液体を眺めて暇を潰す。
「んで、どこまで話したんだっけ」
戌亥が修羅場になるのを回避するのに力を貸すまでだよ。
「あんさんがリゼはんアンジュはんウチの三人に手を出したってところまでやな」
前半は事実だけれど戌亥とはそんな関係じゃないでしょ!?
「え〜なんでぇ? 私たちぃもう将来を誓い合ったなかなのにぃ〜」
!? やっと俺の魅力に気が付いたのか。戌亥、今夜空いてる?
「お給仕の仕事が夕方終わるからぁ〜その後ならぁ〜いいよぉ〜」
OK戌亥、二人で特別な夜を過ごそう。今夜は寝かさないぜ?
「も〜ほんと女の扱いがうまいんだからぁ〜」
……戌亥さん? これ注文した抹茶ラテじゃないんですけど。
「お店からのサービスやで。あんたにつけとくわ」
いやそれはもうサービスじゃないんよ。いやいや伝票渡されても。あれ戌亥さん? 抹茶ラテ注文しましたよね? 戌亥さん? スマホいじらないでくださいよ? いま勤務中ですよね? 戌亥さん?
客がいることなど目もくれず、彼女はさっきの甘えたような声が嘘みたいな無表情でスマホをいじり倒す。飲めないと知ってるはずのブラックコーヒーを目前に、だが金を払った以上残すのはもったいないと貧乏性がカップに手を伸ばす。
「ほんまは悩んでないとちゃうの? 二股かけて悩んでたはずなのに、隙あらば三股て」
男は子種を撒き散らすのが本能。女は愛した男の子供を守り通すのが本能。どっちも生物の摂理に則った、まさにWIN-WINの関係じゃね?
「キッッッショ。あんたそれリゼはんやアンジュはんの前で……ああやってへんから騙されてんか」
そうそう、こういうことするのは戌亥だけだぜ。
「こんな心動かされない決め台詞初めてやわー」
頭を抱えて唸り出してしまった。う〜ん可愛い。自分のせいで困ってるとなると三割り増しに尊く見える。気になる子にちょっかいかける小学生の気持ちがわかりみ深し。ところで戌亥さん、ミルクかガムシロップない? これゲロニガでまったく飲める気しないんだけど。
「いいかげん堪忍したらどうなん? もうこれぽっちも擁護の余地すらないわ。一人一本、三本刺されてしまいにしよや」
俺のこと黒髭か何かと勘違いしてない? 三箇所も刺されたら飛び上がる間も無くショック死すると思うんですけど。てか戌亥さんも参加してない? それ。
「往生際が悪いねん。さっさと首括らんかい」
嫌だね、誰がリゼ様の悲しむ顔が見たくてこんなことするかよ。アンジュにも寂しい思いして欲しくないし……。
「ゲスの極みやな、でももう時間切れや」
?
カランコロンカランラン
来店を告げるベル音の方向を流れで見てみると……あ。
「いらっしゃい二人とも。席空いてるとこ自由に座りや」
カウンターの両脇に座る青と赤。やべ、コーヒー吐きそう。
「今日はあんさんの奢りやから」
「え、あたし!?」
「ちゃうちゃう、こいつやこいつ。お昼まだやろ? つけとくから何でも自由に選んだりや」
「じゃあ、私はナポリタン……で」
「……」
「リゼはんのためにな? ちょうど今コーヒー入れたところやねん。オムライス好物やったやろ? デザートに甘さ控えめの新作スイーツなんてどや? これ量あってウチめっちゃ気になってたんよ、やから二人で半分こしよな」
俯いたまま何も語らないリゼ様の両手をとって、聖母の微笑みで励まそうとする戌亥。その優しさを半分俺にも向けてくれと念を送ったが最後、材料を取りに行くために振り返る一瞬、永久凍土の眼差しを向けられる。彼女が去った後には、ただ地獄が残されていた。
気まずッ!! え、何なんこの状況、タイミング良すぎない? リゼ様なんで俯いたまま一切喋らないの? アンジュはさっきからソワソワしてるけど、え? なにこれ? 今日って俺の命日だったりする?
「戌亥から連絡あってきたんよ。状況はまあ、だいたい二人とも把握してる……から」
え? 筒抜け? 今までのやり取り全部丸聞こえ? 嘘だよね?
「リゼとはお店の前であったんだけど、ちゃんとあやまれてない、から……だから、いっしょにちゃんと謝ろな」
手を握ってくるアンジュに思わずこちらも握り返す。細い指は確かに血が通っていて、まだ味方してくれる人がいるのかと少しだけ嘔吐感は薄れた。顔を見れば無理をした笑顔を浮かべており、そうかアンジュは流れがあるとはいえ親友を裏切ったことになるのかと、眠っていたはずの罪悪感が込み上げてきてまた吐きたくなってきた。
「おったせしやっしゃー」
重い空気を吹き飛ばすようにコーヒーとお冷が両者に配られ、流れるようにコーヒーのおかわりが注ぎ込まれる。こぼれてるこぼれてるから戌亥さんこぼれてる。また新しい伝票が、伝票でアンジュと触れ合ってる俺の手を刻みにかかる。怒ってますよね戌亥さん? ちょ、痛いからやめてくださいよ。
「アンジュはんはなんにも悪いことしてないねんで? こいつさっきなんて言ってたかわかる? 男は種を撒き散らすのが本能やて」
言いがかりはやめてください戌亥さん。そんな下品な物言い、リゼ様やアンジュの前ではやめていただきたい。
「うん……確かに、ゆうてたな」
アンジュさん!? 何で知ってッ……。
「グループ通話や。さっきまで垂れ流しやったでぇ〜」
オイ犬畜生コラ戌亥。
「アハー↑」
ピクピクとひときわ大きく付け耳が跳ねた、クッソ可愛い、どんな仕組みだ。でも可愛ければ何でも許されると思うなよこの犬コロが。ナポリタンとオムライスの材料を持って厨房へ向かう戌亥の背後を睨み、もういつ刺されてもおかしくないと緊張で体を硬直させた。
「騙してたの?」
発言元は沈黙を守り続けていたすぐそばから。もう言い逃れのしようがないため、ゆっくりとほんのちょっぴり頷いて、うつむいた。
「とこちゃんとも、遊んでたんだ」
いやそれは違うって、それは戌亥の悪ふざけで。
「じゃあ、アンジュとは、違うっていうの?」
絞り出すような、何かの拍子に崩れ落ちてしまいそうに儚い存在に、そっと肩を抱き寄せてなぐさめる。
「なにか、いってよ」
ごめん。つい魔が差したんだ。
「じゃあ、とこちゃんもその気だったら、魔が刺しちゃうんだ」
違うんです、えっと……。
「ずっと私のこと騙してッたんだ!!」
それきり顔を両手で覆って泣き出してしまった。呆気に取られて固まる俺の背後を通り過ぎ、隣に座っていたはずのアンジュはそばに寄り添って肩をさする。"ごめんな、ごめんな"と繰り返し謝り続ける様は、俺だけ地獄から追い出されて除け者にされた気分。
さて、と。百合の間に挟まるのは非常識。ここは一つ、二人の友情に水を差さないように、この場をクールに立ち去るのがベスト。現在は精神が大変乱れた状態である故、今後の方針等につきましては、後日また日を改めてご検討の程を……。
「まだ話は終わっとらんやろが」
いや、違うんですよ戌亥さん。
「何が違うねん」
流れ的にもう解散してもいいのかなぁと……思ったりしてぇ……。
「どこが終われる雰囲気やねんこれからやろがい」
そーいわれましても。
「逃げるんなら罰金5,000兆円おいてきや」
えっと、ハイパーインフレ?
「安心せい、あんたの価値がゴミクズと化してるだけやで」
首根っこを掴まれたが最後、力関係を無視するようにズルズルと連れ戻されていく。これから俺は、必死に謝罪して許しを乞わなければならないのだろう。リゼ様とアンジュの傷が癒えるまで、戌亥の気が済むまで。その後に残されているのは屍か、あるいは。