「
その名前には録郎も聞き覚えがあった。
初代
最近、極道の世界で評判になっていた刺青師だった。
腕が良いというのもさることながら、その名前を有名にしていたのは女の刺青師だったからだ。
職人の世界というものは基本的に男社会だ。
女の職人というだけで珍しい。
「本当にアンタが?」
録郎は再三確認を取る。
「思ってたのと違う……って思ってますか?」
「あ?」
「噂なんて
「……俺の好みじゃねぇってだけだ。噂に間違いはねぇよ」
録郎の本心であった。
ニンフィットのぱっと見の印象は野暮ったいだとか芋臭いだとかそういったものなのだが、間近で見ると顔の造形はかなり整っている。
一見地味な雰囲気も誘蛾灯のような怪しげな魅力と映るだろう。
噂が立つのも当然といえた。
「お優しいんですね」
「そう言ってもらえのは嬉しいねぇ。とは言っても、アンタの
「なら私の部屋に来ますか? 証拠はありますから」
そこまで言うならと、録郎はニンフィットの首元に
「案内してくれ」
ニンフィットを羽交い締めにしたまま録郎は彼女に道案内をさせる。
彼女の部屋は二階建ての屋敷の一階にあった。
扉を開けた先にあったのは紐が張り巡らされた部屋だった。
その紐には絵が大量に吊るされている。
白い体を持つ鬼、人間の頭蓋骨、虎に変じる男、天に拳を突き上げる蓮華の上に立つ赤子――モチーフは様々であるがそれらは刺青の下絵であった。
また部屋の隅には作業台のようなものが置かれており、そこには刺青やその下絵に使う為の顔料や、下絵に使っていたであろう筆があった。
「ちゃんと針も置いてあるな」
作業台に近寄り録郎は机の上に置かれた一本の針の存在を確認する。
刺青というのは人間の皮膚に染料を滴らせた細い針を刺し、そこから皮膚に染料を流し込むことで色が出る。
「検品用に一本出しておいたヤツですね」
「検品?」
「大量の針を信頼出来る鍛冶屋に依頼して作って貰っていて、曲がりや
「梅毒対策か?」
ニンフィットはその問いに『ええ』と肯定を返す。
梅毒とは体に発疹が出来、進行すると思考や身体機能に様々な異常を来たしやがて死亡するという恐ろしい病である。
一般的に性交渉によって感染することが知られているが、性経験の極道がこの病に
原因はこの極道の刺青を彫った刺青師が他の極道の刺青を彫った時に使用した針と同じ針を使ったことにあった。
刺青師が担当した他の極道というのが梅毒に感染していのだ。
そして刺青師もそれを知らずにいた菌がびっしりとこびりついた針で健康な極道の体を刺してしまい結果として梅毒になったというわけだ。
「二流、三流どこは針を濃い酒で洗うくらいのことしかやってねぇらしいが、その点で行くとアンタは一流だな。客のことをよく考えてる。仕事に一切の妥協がねぇ」
録郎はニンフィットを離した。
「これは……私が刺青師だということを信じて戴けたということでいいのでしょうか?」
「そう受け取ってくれていいぜ」
仮にニンフィットが本当にルザリアに送られた観察役ならば、刺青師などという設定は作らないだろう。
侍女として潜り込むなら田舎から流れてきた貧民でも、町の
わざわざ極道との繋がりが示唆される職業をバックボーンに持ってくる必要性がない。
いたずらに相手を警戒させるだけだ。
また、仮に刺青師を選ぶにしてもここまで仕事に精を出す必要はない。
以上の点からニンフィット・カフカが初代
「だが、アンタが刺青師だとすると解せねぇことが多々ある」
録郎は
「どうしてこんなモン持ち歩いてやがった?」
そもそも録郎がニンフィットを疑ったのは、そう取られるような言動を繰り返していたからだ。
「護身の為に持ち歩いていたんです」
「事務所に出入してたから極道に間違れでもしたか?」
「ええ。それに複数の組織に出入もしてたから敵対組織の内通者だと思われて襲われたりだとか色々あって」
どうやら荒事に関わってしまうのが日常茶飯事だったようだ。
自分の蹴りを
「アンタを監視する極道だと思ったってのも、そういうことか。どこぞの組の情報を別の組に
「実際それではないんですよね?」
録郎は鼻で笑う。
「違う。確かに俺の背中には
「そうですか。ところでロッコ・トールマンというのは明らかに偽名ですよね? もしよければ貴方の所属と名前を教えてはいただけないでしょうか?」
「悪いがそれは出来ない」
怪しまれるかとも思ったがニンフィットの答えは意外なものだった。
「構いませんよ。名前を言わないからといって、貴方が噓を吐いていないことは揺るぎないので」
あっさりと自分の素性を真実として受け入れるニンフィットに録郎は脱力する。
「アンタ、警戒心薄いとか言われねぇ?」
「噓を吐いているようには聞こえなかったので」
拍子抜けし、録郎は作業台の近くに置かれた椅子に腰を落とす。
「……極道と付き合っていくんだからもうちょっと人を疑うってことを覚えなよ。まぁ、いいや続けよう。どうして“
「説明した通りです。騎士学校時代に小遣い稼ぎをする為に独学で覚えました」
「その小遣い稼ぎってのは?」
「春画を描いて売っていました」
二つの因果関係が録郎にはまるで分からなかった。
「“
「何々ちゃんのおっぱいを見たいだとか、誰々さんのアソコを見たいだとか。学生時代そういう下世話なことを言う男が一杯いたんです。それで思ったんですよ。これを商売にすれば儲かるんじゃないかって」
「あ? つまりあれか?
「嚙み砕いて言うとそういうことです」
不法行為に手を染める理由としては、常軌を逸していると言えるのではないだろうか。
「……元々、騎士学校には入りたくて入ったわけではなかったので。美味しい思いをしなきゃやってられなかったんですよ。まぁ、結局学校にはバレて
「そりゃ運が悪かったな」
「いえ、そうでもないです。騎士学校を堂々と辞める大義名分が出来ましたし、何より“
皮肉で同情したつもりが真面目に返されてしまった為、録郎は呆気に取られた。
「なるほどな。んで、アンタはメイドじゃねぇってのはどういうことだ? その癖、ルザリアには仕えてると来てる。用心棒かなんかか?」
「ご冗談を。田舎の金持ちくらいなら私でも事足りるでしょうけど、ご主人様は十三騎士ですよ?」
確かに国の最高戦力の護衛というならばニンフィットは力不足だろう。
その点は録郎も納得した。
「じゃあ、何なんだ?」
「“私”がというか“ご主人様”がという答えになってしまいますが。ルザリア・イシュトバーンは刺青師としての私のパトロンなのです」
「ルザリアに支援を受けてんのか」
「この屋敷を当面の寝床と工房として提供して戴いています。ありがたい話です」
一般的にそれをパトロンとは呼ばないだろう。
だが、ニンフィットは本心からその支援をありがたいと思っているらしく、録郎から見た彼女の顔はほころんでいるように見えた。
「なるほどな。じゃあ、なんでメイド服着てんの?」
「私の趣味です。可愛いじゃないですか」
好みは人それぞれであるが、紛らわしいことこの上ない。
「なんにせよ、こっちの勘違いで刃物まで突き付けちまったワケか。悪いことしたな」
「気にしないで下さい。極道という身の上でありながら十三騎士を頼っているのですから。余程、込み入った事情なのでしょう。警戒しても仕方のないことだと思います」
職業柄なのか、ニンフィットは極道に理解があった為、話がスムーズだった。
「……それよりも貴方は私に聞きたいことがあったのでは? 私の身の上などよりも」
「ああ、そうだった」
話がこじれにこじれた為、録郎は当初の目的を忘れかけていた。
ルザリアの過去を聞こうとしたのだ。
「約束通り貴方は素性を――全てではないですが明かして下さったので答えます。私が聞いたルザリア様の過去を」
ニンフィットは話し始めた。
――イシュトバーン家がいかにして