異世界の極道物語   作:源氏物語・葵尋人・物の怪

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第二十九話 ここに居る理由

 

 録郎は幼い頃、ほんの小さな誤謬(ミス)で左目を潰した際、一緒に涙を失った。

 だから録郎は右目でしか涙を流せない。

 (もっと)も残された涙すら今の録郎にとっては無かった方が良いものだった。

 

「存外に優しいのだな、(けい)は」

 

 頬を緩めたルザリアを見て、録郎は穴があったら入りたい気持ちで顔を覆った。

 

「そんなことはねぇんだよ」

 

 録郎は否定する。

 己の中に優しさが存在することを。

 

「何を言うんだ。今この瞬間だって、(けい)は友の為に此処(ここ)にいるじゃないか」

「それとは違うんだ」

 

 禄郎は首を横に振る。

 身内の為に流す涙はいくらあったって構わない。

 禄郎の持論である。

 極道は人間の(クズ)であり外道ではあるが畜生(ちくしょう)ではない。

 畜生(ちくしょう)でないのならば最低限の良心というものを持つべきである。

 だから身内を慈しみ、彼らの痛みには涙を流す。

 自分がそうではないということの証明の為に。

 だが、知りもしない赤の他人の為に涙を流すというのは違う。

 必要以上の共感性は極道に相応しくない。

 寧ろ恥ずべきことと言って然るべきなのだ。

 

「……そもそも別に、アンタの親父さんのことが悲しいわけじゃねぇ。ただ俺の親父のことを思い出しただけだ」

 

 だから言い訳がましく録郎はそんなことを言った。

 

(けい)の父君?」

「似たようなモンなんだ、俺の親父の墓も」

 

 しかし、自分の父を思い出して感傷を抱いたこともまた事実だった。

 

「非国民だったからな。どこぞの丘の大きな木が墓石代わりだ」

 

 非国民は死んでも安息が許されない。

 だから、国民と同じ墓地を利用することが出来ないのだ。

 生まれの悪さは逆立ちしたとしても変えることは出来ないし、まだ幼かった録郎には無理を通して周りに文句を言わせないだけの力もなかった。

 

「済まない。辛いことを思い出させてしまったな……」

「良いんだ。生まれの悪さはどうしようもねぇし、それを許せねぇと言い張るだけの力も餓鬼(ガキ)の俺にはなかった。仕方なかったんだよ」

 

 ルザリアは鎮痛な表情を浮かべ俯く。

 

「……まぁ、でも生まれが良かったとしても同じだったかもしれねぇと突き付けられちまったわけだからな。結構キツいモンがある」

 

 まともに国民として生まれ、偉大な騎士と称えられた男であっても(むくろ)の扱われ方は変わらない。

 屹度、自分はその事実に愕然としたのだと、録郎は思った。

 子供の頃に感じた己の無力さとは一体何だったのか、己を愛してくれた父親をまともに眠らせてやれた可能性すらもなかったのか、と。

 

「御父様の場合は少し複雑だから。例えば(けい)の父君が国民に生まれていたとして同じようになったかは限らない」

 

 そんな録郎の心情をルザリアは察し、話し始めた。

 何故、こんな薄汚い場所に父親を眠らせなければならなかったのかを。

 

「御父様は非国民と呼ばれている者の子供を守るために財務大臣の子供に傷を負わせた。ニンフィットからその辺りの事情も聞いてはいたのだったな?」

「ああ、それが原因で騎士の職を追われて、家も没落したって」

「……これもその延長上にある話なのだ」

 

 ルザリアが言わんとしていることを理解し、録郎は腹立たしさを覚える。

 

「まさか……人を傷つけようとした糞餓鬼(クソガキ)一人を叱っただけじゃねぇかよ。それでこんな目に遭ったってのか?」

 

 あまりにも信じ難いことであったが、それが事実だった。

 

「……全ての墓場で埋葬を断られたよ」

 

 その時のことを思い出したのか、ルザリアは硬く拳を握りながら、声を震わせた。

 

「家の庭は土が汚されているからそんな場所に埋めるわけにはいかない。それに人の目に触れる場所に埋めたのでは荒らされるのは目に見えていたから、人の目に付かない場所を選ぶしかなかったのだ」

 

 録郎はまた流れそうになる涙をこらえるのがやっとだった。

 人は生きている限り死に向かって行く生き物だ。

 普段はそれを理解していないかのように生きているが、誰しも心のどこかにその真理を置いている。

 だから多くの場合、人はより良い死に方をしたいと思うのだ。

 愛すべき家族や恋人、友に看取られたいとそんな理想を抱く。

そうでなくとも最低限、日の当たるような、綺麗な場所で眠りたいとは思うだろう。

 いや、そうなることが当然だと漠然と考え、願いすらしないのかもしれない。

 だのに、イシュトバーン卿はどうだろう。

 生き抜いた先に待っている終わりはあまりにも惨めと言えたのではないだろうか。

 

「そんな顔をするなよ、ガドー。御父様は屹度(きっと)こうなったことを後悔などしていないのだから」

 

 ルザリアは断言した。

 

「御父様はまだ生きている頃、私にこう語っていた。魔法が使えようとも使えずとも皆同じ人。ただ横たわっているのは人を慈しむ心があるか否かだと、ね」

「地位も名誉も失って、人が離れて、家族が傷ついて……それでも揺るがなかったってのか?」

 

 録郎の問いにルザリアは首を縦に振る。

 

「ああ、どれだけ罵声を浴び、石を投げられ、顔に(つば)を吐き付けられても変わることは無かったよ。人々の迫害の為に御母様が心労で倒れた時でさえね」

 

 それを語るルザリアの顔どこか誇らしげで、

 

「よく、お前だけは優しい人になれと言われたよ」

 

 またイシュトバーン卿との思い出は彼女の中で何より色づいているものなのかとても優し気な顔をしていた。

 

「立派な親父さんだな」

 

 それだけを聞いただけだったのなら録郎は本気でそう思っただろう。

 

「まるで、絵に描いたみてぇに」

 

 だが、この国のあまりに根深い差別事情を前提としているのだから本気では称賛出来なかった。

 

「……絵に描いたような人になりたかったのだ、御父様は」

 

 皮肉めいているように聞こえる言葉に対し、ルザリアは暗に示してみせる。

 録郎が考えている通り、イシュトバーン卿が元から高潔な人物だったわけではなかったと。

 

(けい)も知る所だろう。この国で魔法を使えぬ者達が如何(どう)いう扱いを受けるか。それを人々が如何(いか)に良しとしているかを」

「ああ。嫌になるくらいにな」

 

 録郎の右目の視線が、自身の左目があった場所に向けられる。

 

「御父様も多分に漏れず、良しとされて育った人だった。若い頃は自分達と所謂非国民と言われる人々とが、明確に違うものだと信じ切っていたらしい。思考や感情すらも、全く別の物が詰まっていると考える程に」

 

 魔法を使う人々が使えない人々を虐げる時、泣こうが叫ぼうが良心の呵責(かしゃく)に苦しむことはない。

 それが何故だと言われれば、自分達が見せる涙や笑顔と、非国民達が見せる涙や笑顔が全く違うものであると考えているからだ。

 そうするように幼い頃から教えられている為に。

 

「そんな御父様が変わったのはある事件があったからだ」

「事件?」

 

 まさにそれが心変わりの切っ掛けであろうと録郎は思った。

 

天狼(ライラプス)と呼ばれる魔物の名を聞いたことはあるか?」

「頭だけで人の身の丈くれぇはあるとかいう馬鹿デカい狼だろ」

 

 仕事(シノギ)として商業ギルドに依頼される形で録郎はそれを狩ったことがあった。

 

「ある時、それの突然変異体のようなものが現れて御父様は討伐任務を与えられたのだ。御父様は見事天狼(ライラプス)を討ち取ったが、その時運悪く命に関わるような重傷を負ったそうだ」

 

 ルザリアはこのように続ける。

 イシュトバーン卿は単身、人里離れた山岳地帯に派遣された為助けを呼べる人もいなかった。

 傷を治す魔法こそ使えたが、天狼(ライラプス)の爪には傷を治し難くする病毒素のようなものがある為塞ぐにはあまりにも時間がかかり過ぎる。

 故に命を諦めかけた。

 

「だが、丁度そこに運良く人が通り掛かった」

「その人に助けられたのか」

 

 ああ、とルザリアが肯定した後に続いたのは録郎にとってはあまりに数奇な縁を示すものだった。

 

「それは、肩に海棠(カイドウ)の花の“刺青”を入れた少女だったそうだ」

 

 その“刺青”に録郎は覚えがあった。

 屹度、その少女は成長し立派な女極道となったのだろう。

 そして彼女が刻んだ信念の象徴は二つ。

 まず背中に、腹が突き出た小枝のように細い手足を有する一本角の鬼が妊婦を食らう凄惨な図。

 もう一つは――左肩に“温厚”を意味する海棠(カイドウ)の花。

 

「気付いたか。御父様を助けたのは少女時代、まだ極道になり立てのトモコ・バンノだったのだ」

 

 詰まる所、極々単純な話だったのだ。

 イシュトバーン卿の心変わりの理由は。

 

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