貴人が多く住む王都の中央には雲を舐めるように背の高い城が存在していた。
名前を“モスコヴィネス城”。
この国を統治する万世一系の皇族が住む城である。
そして、その城の周囲には騎士達を育成する学校や各種省庁の本部や国の
貴人の中の貴人、
麻薬に
「やい貴様、止まれ!」
壁の外側と比べて数百年は時代が進んでいるかのような知的でシステマティックな街並みに似つかわしくない粗野な怒鳴り声が響く。
簡素な
不審者という言葉が似つかわしい人物だった。
豚を模した黒い
「ここを何処だと心得ている!?」
門番の片割れの問いに、
「法務大臣サマのご自宅でしょう?」
と答えた声からやっと男だということが示された。
「なら理解出来るだろう!? お前のような
黒豚
「いやいやいや。勘違いしてくれるなよ。
門番の男達はその名前を聞くと、
「ウチの料理長を出せだと!? 馬鹿も休み休み言いやがれ!」
「テメェみてぇな馬の骨が、トスカーニさんと知り合いなワケあるかってんだ!」
憤慨を見せる。
この国にあって門番たちの振る舞いは珍しいものであると言えた。
料理人という職業の社会的な地位は低く、受ける扱いは農耕用の馬や牛と同じ程度だ。
何故ならば料理は魔法が使えなくても出来る仕事だからである。
使い切れない金を稼ぐギルドの運営者や大商人ならばいざ知らず、魔法の
料理人もその例外ではなく、どんな立派な貴人の家で勤め、幾人もの徒弟を育て上げようとその働きは認められず、誰かから信頼を勝ち取るということもないのだ。
だのに、この門番たちは――少なくとも魔法の腕に覚えがあるから門の前に立っているであろう者達はトスカーニなる料理人に敬意を表している。
ヒューと男は覆面の中で口笛を鳴らした。
よく知った顔が、意外な評価を受けていることに感心して。
「君らが
せせら笑いつつ覆面の男は肩を竦めた。
門番の男達は怒り顔で、目の前の不審者の喉元に槍の穂先を突き付ける。
「残念ながら、お慕いしていらっしゃる、そのトスカーニと
表情こそ見えないが、門番達から見て不審な男は生殺与奪を握られているというのに落ち着き、それどころか逆に門番達を小馬鹿にしているような雰囲気すら見て取れる。
「くどい! 帰れ! 帰らないというなら……」
死ねと、門番の一人は叫び覆面の男を刺し殺そうとした。
だが、その時――
「待て!」
門の向こう側からの一喝が響き、門番は手を止めた。
「トスカーニさん!」
門番達は振り返って声の主の名を呼ぶ。
その人こそ、
――彼の
着ているコックコートがはち切れそうなほど隆々とした岩肌を思わせる屈強な肉体。
巨漢という
雪よりも遥かに白い髪は腰のあたりまで伸ばされ、どうあがこうと調理にとっては邪魔になるだろう。
何より面構えが、調理というどこか牧歌的にすら思える概念からはあまりにも遠い
この男の黒白が逆転した異様な瞳に
「すいません! 不審な男が
門番の男たちは門の方に向かってやって来るトスカーニに対して腰を低くし弁明を図る。
しかし、返ってきたのは、男達にとって意外な言葉だった。
「それは大変ご苦労だった。しかし、お前たちの働きはただの徒労だ。何せその男が言っていることは本当なのだからな」
途端に門番達の顔が
「も、申し訳ございません、トスカーニさん! この人、いやこのお方が貴方の知り合いだとは知らなかったんです!」
「腹ァ、切ってお
と冷や汗を流しながら謝った。
それを見てトスカーニは短く笑声を漏らす。
「構わん」
トスカーニの言葉に門番達は『へっ?』と驚きながら顔を上げた。
「聞こえなかったか。構わんと言った」
「で、でも……」
「お前たちが気付かなかったのは、珍妙な格好でやって来たコイツに非がある。謝る必要はない」
覆面の男を
「トスカーニさん……」
門番の男達は感激して祈るようにトスカーニ対して手を合わせた。
その一方で非を
その様子に呆れたようにトスカーニは鼻を鳴らし、
「分かったのなら、顔を上げて仕事に戻れ」
と門番達に命じる。
「はい!」
威勢の良い返事と共に門番達は槍を取って立ち上がる。
「それと、この男を通して貰うぞ」
「いや、ですが、それは旦那様の許可が……」
屋敷に人を入れるという手前、家主の伺いを立てなければと門番はその命令に対して
「あの
その言葉を聞き、門番達は再び
「はい!」
と威勢の良い返事をして門を開け、
「どうぞ中へ!」
つい先程まで殺そうとしていた相手に対して
「これこれはご丁寧に」
門番達に向かって皮肉を投げると、覆面の男は屋敷の中へと悠然に向かうトスカーニを追いかける。
「命拾いしたな」
追いついた覆面の男に、トスカーニが声を掛ける。
「いやぁ、マジで死んじゃうかと思った。ありがとよ、
面目ないとでも言わんばかりに覆面男は
その反応に、トスカーニはフンと鼻を鳴らす。
「
ちらりとトスカーニは覆面男の足元を見る。
その正体は刃物の切っ先だった。
“刀”と呼ばれる片刃の剣が存在する。
北の海を隔てたエイジア大陸から伝来した剣類で、覆面の男が頼みにしていた武具だった。
――覆面の男は門番を殺して屋敷に踏み入るつもりだったのだ。
「……お優しいことで」
ちゃきりと、男の
刀を鞘に納めたのだ。
「死んでも無駄に
呆れたような覆面の男に、トスカーニは説明した。
何故、無益な殺生をさせなかったのかを。
「言われてみれば、違いない」
覆面の男は
そうこうしている内に二人は屋敷の中へと足を踏み入れた。
そして、エントランスから一番近くにあった両開きの大きな扉を開く。
ダンスホールと思しき、広い部屋だった。
トスカーニは、その
主であろうインキタトゥス五世の断りもなく、ただの
足を組み、コックコートのポケットから銀で出来たシガーケースを取り出し、そこから一本葉巻を
すると、葉巻の先にオイルライターの火が差し出された。
「貸してやろう」
ライターの持ち主は覆面の男だった。
苦々し気な顔をして、トスカーニは煙を吐いた。
「
一般的に葉巻の火はマッチで点けるものとされている。
オイルライターで火を点けるとどうしても気化した油の臭いが移り葉巻の香りが損なわれてしまうからだ。
「辛いもんだ。親切ってのは、かけてやった分が返って来ねぇ」
「突然押しかけて来て、親切も何もあったものじゃあないがな」
トスカーニは再び煙を吐き出す。
「……それで、一体如何してこんな所までやって来た? “
「
億劫そうにトスカーニは髪を掻いた。
「例の十三騎士殿か」
「そ。あの英雄を裏で色々糸引いてぶっ殺した、ね」
玉座の肘掛けで葉巻の灰を降りつつ、トスカーニは訊ねる。
「今度はどんな頼みごとだ?」
と。
覆面の男は答えた。
「我堂録郎を見つけ次第消せ」
トスカーニはポロリと葉巻を落とした。
「
兄弟と呼ぶ男の疑問に真なる英雄殺しの使いは答える。
「ああ、捕まった。今も臭い飯食ってる最中だろ」
「それを何故、見つけ次第消せと?」
「“極道”は最後の最後まで油断ならねぇんだとよ。要するに
覆面の男は肩を
対するトスカーニは、
「クッハハハハ!」
声を上げて笑った。
「おい、どうした兄弟!?」
急な笑い声に覆面の男は仰天する。
「いやぁ、本当にそうなら愉快だと思ってな。あの花形の秘蔵っ子の一人と殺し合えるのだろう?」
ぞくりと覆面の男は背筋を震わせる。
トスカーニは獲物を前にした、飢えた
これにて『異世界の極道物語』は第一章・完結となります。
第二部以降の投稿は二ヶ月後くらいになります。
それではまた会う日まで。