気にしないでください。
要するに副詞を抜いて受動態を少々入れた文を作るみたいな感じのものです。
「胸にデッカイお山が二つ~! 二つあるから幸せよ~!」と、山田太郎実秋は言った。
そして言った事を歌った。
みんなに聞こえるように……。
そんな彼を嫌そうに、それも恥ずかしそうに見ていた。
そう、中村静香だ。静香は太郎実秋の彼女だ。
それ以外の事で何を語ろうと言うのだ?
彼女の胸が大きいだとか、学園一の美少女だとか、そんな情報を語ったところで物語上の進展に関わりが無い。
……嫌、訂正しよう。少なくとも関わりが無いと言った方が正しいのかもしれない。
誰もがそういう風に羨ましく思われるほど清楚で、可憐で、お淑やかで、などと書き連ねることはバカバカしく感じる。
理由は回りくどいからだ。
とまぁこんな感じで副詞を省いて受動態を少々入れて書いたものです。
どうですか、すっきりしたでしょ?
まぁともかく副詞をつけて、「レイヴィル君はバカ丸出しです!」と、彼女はいつまでも叫んだ。とか「来ないでド変態!」と、ミシマスはレイヴィル君を殴って殴って殴ってボコボコにしていつまでも叫んでやった。とかどうでも良いことです。つまらないです。と言うよりスッキリしない。
これを変えるなら「レイヴィル君はバカ丸出しです!」と、彼女は言った。とか
「来ないでド変態!」と、ミシマスは言った。レイヴィル君の顔はボコボコだった。ってすればスッキリする。(人のことは言えないけど)。
『ふーん副詞というものは、厄介なものだね』
これを見たアナタはそう思うかもしれない。
だが、それよりも厄介なのは、延々と続く受動態です。
つけていないと不安でイライラするだとか、精神疾患を起こしてノイローゼになってしまうなどの臆病な作者なら無意識のうちに使ってしまう症状なのです。
しかしそんなものを使われてしまったら、回りくどい文章の鎖で、親愛なる読者が地獄の淵まで引きずり回される羽目になってしまう。
それを作者や親愛なる読者である貴方は想像できますか?
親愛なる読者が、地獄の淵で作者の文章の釜茹にされたり、言葉や文章の針山で苦しめられる様を……。
まぁ一言で言うなら地獄めぐりです。
これを見たアナタには思い当たる節があるのではないですか?(作者自身も使っている節があるので人のことを言えないですが)。
「とまぁ今回はこんなところです」
山本太郎実秋は頭を下げた。
今までの発表の成果は文芸部にある。
そう確信していた部長は完敗だった。
なぜなら部長が部長じゃなくなってしまった。
次の日には、中村静香が部長となった。