ウマ娘に恋をしていた元ウマ娘オタクのトレーナーとデジたんのお話です。
学生時代、ウマ娘オタクをやっていた。
推しが走るとなればどこへでも遠征したし、ライブをするとなれば徹夜でいい席をとった。
現在そんな俺が、アグネスデジタルという生粋のウマ娘オタクの担当トレーナーをしているというのも、何かの縁なのかもしれない。
「それでですね!今はこのウマ娘ちゃんが勢いがあって…」
休憩中や練習終わりには、彼女は熱くウマ娘について語ってくる。俺もそれに相槌をうったりするし、このウマ娘可愛いななどと返事をすることもあるが、その実かつてほどの熱はない。
当時の俺は恋をしていたのだ。届くはずのない存在のウマ娘に。
推しが大事なレースに勝てば、うれしくてその日はケーキを買ってきたし、本気で付き合いたいと思って何度もデートの妄想をしたりもした。
だがいくら思春期の馬鹿でも、次第に自分が推しと結ばれるはずがないということに気付く。その瞬間、自分でも驚くほど急速に熱が冷めていくのを感じた。どんなに理想的な女の子でも、自分のものにならないのなら意味がない。
俺が追っかけをやめるとオタク仲間に言った時、反応は様々だった。まだ続けろよというやつもいた。こっちまで冷めるから近寄らないでくれというやつもいた。この辺は理解できる。だが一人だけどうしても理解できないやつがいた。
「付き合えるとか付き合えないとかそういうことで推しをやってるんじゃない。ただ応援できればそれでいいんだよ。」
…綺麗事だ。究極的にはアイドルだろうとウマ娘だろうと女であって、男の俺たちにとって性の対象でしかない。ずっと推していられたのはいつか自分のものになって、欲望を開放できると思っていたからだ。それができないとわかった以上、好きでなんていられない。こいつはうすうすそれを分かっていながら、気づかないふりをして現実から逃げているのだ。
結局俺はきっぱりとオタクをやめ、受験勉強を頑張った。スポーツ科学科に入り、そこでウマ娘の走りに興味を持った時、自分でも驚くほど邪な気持ちはなかった。
ウマ娘のトレーナーをやっていることに対して、当時のオタク仲間だったやつらはうらやましいだの夢をかなえただのと言ってくるが、別にあの時の気持ちのままこの職業に就いたわけじゃないということだ。まあ中学生や高校生であるウマ娘にガチ恋してる変態が、トレーナーになるよりはよほどましだったと思うが。
「…ってトレーナーさん聞いてますか!?今この子の尊みについて真剣に語ってるというのに!!」
「おっとすまんすまん。ちょっとぼーっとしてた。」
しばらく昔のことを思い出していたが、アグネスデジタルの話はまだ終わってなかったらしい。ていうか…
「ていうか『尊い』ってなんだよ。俺の時代にはなかったぞ」
お、アグネスデジタルが信じられないとばかりに口を開けて固まってる。マルゼンスキーがガラケーを最新機種だといって自慢してきたときの俺もこんな顔してたんだろうか。
「『尊い』は『尊い』です!!他に形容できません!!」
…説明になってない。しかし何度聞いても似たような答えしか返ってこない。
結局「『尊い』は『頭』ではなく『心』で理解するものです!」とかいうどっかで聞いたことのある言葉で今日のウマ娘談義は終わった。やれやれだぜ…
今はウマ娘に対する恋心はなくなったとはいえ、担当ウマ娘に対して師として大事に思う気持ちはあるし、幸い担当であるアグネスデジタルもしっかりと結果を残してくれて(素行で注意を受けることは多々あるが…)やりがいのある日々を送っている。
そんなある日のことたづなさんから呼び出しがかかった
「写真集ですか…?」
またアグネスデジタルが奇声を発して走り回っていたとか授業中に薄い本を読んでいたとかそういうことかと思っていたが違ったらしい。
「はい。この前ウマ娘の人気投票が行われましたよね?そこでデジタルさんが上位に入ったんです!」
そういえばそういうのもあったなと思いつつ、この事実に対しては納得する。アグネスデジタルは黙っていればかわいいし、何より芝、ダート、中央、地方、海外、ありとあらゆる戦場で結果を残す彼女はいまや大人気のウマ娘の一人だった。
「それで、その投票上位のウマ娘たちを集めた写真集を発売したい、ということですか。」
「はい!もちろん強制ではないのですが、ぜひデジタルさんにも参加していただきたくて」
写真集とは言っても、ウマ娘のそれはまったく過激なものではない。水着などは本人が希望しない限りは絶対着ないし、基本的にはかわいい服を着た彼女たちの日常が見れるといったものだ。ファンブックである。まあ当時の俺はそれにすら欲情している猿だったわけだが…
しかし、いつもウマ娘の写真集が出れば爆買いし、なんなら自費出版で推しの写真集を作っていたアグネスデジタルが写真集に載る、というのは何とも不思議な話だ。でもまあ
「わかりました。本人に伝えておきます。」
俺がここで断る話でもないので、とりあえずそう返事をする。
さて、どうなるか。
「えーーっ!?私が写真を!?無理です!無理無理無理!!!」
案の定の反応だ。アグネスデジタルは別に自分に自信がないとかそういうことはないのだが、この手の話になるととたんに自己評価が仁川の下り坂のように急激に低くなる。ひとえに自分以外のウマ娘に対するリスペクトが強すぎるのだろう。
だが俺はヒト男の元オタクとして説得をしようと考えていた。
「なあデジタル。お前の写真集が見たいと言っているのは俺でもなければ、学園でもない。お前を推してるファンの人達だ。そういう人たちの思いを裏切っていいのか。」
俺には写真集を買うようなオタクの気持ちが痛いほどわかる。推しが好きで応援して投票して、写真集が発売させることになったのに、当のウマ娘が拒否したことでそれがなくなる。これは耐え難いことだろう。アグネスデジタルが本気で嫌がっているなら俺は強要する気はない。だがこの子の場合他のウマ娘に遠慮しているだけで、写真を撮られたり目立ったりすることが全く嫌いなわけではないはずだ。
「…わかりました。同じウマ娘ちゃんを愛する同志のために、その話受けましょう!」
アグネスデジタルはしばらく悩んでいたようだが、最終的にはファンの気持ちに応えたいと決心してくれた。
「いいですよーデジタルさん!もっと笑って!」
「こ、こうですか?」
撮影当日、アグネスデジタルはなれない被写体に戸惑いながらも順調に撮影は進んでいた。
「はーいでは一度休憩でーす!」
どうやら休憩時間らしい。アグネスデジタルに水を持って行ってやる。
「おつかれデジタル。どうだ?調子は」
「大変ですよ~今まで私が撮影してきたウマ娘ちゃんたちもこんな大変な思いをしてきたんですね…」
お前の場合半分くらいは盗撮だろ、という言葉を飲み込んで、そうだなと返事をする。
「これだけ頑張ってるんですから、せっかくなので写真集買ってくださいね!トレーナーさん!!」
…これは意外だ。てっきり絶対見ないでくださいって言うかと思っていたのに。
「別にいいけど、嫌じゃないのか?」
アグネスデジタルが大げさなくらい顔を曇らせる。
「これが不特定多数の同志たちに見られるんですよ…その前に知り合いでオタクだったトレーナーさんの感想を聞いて落ち着いておきたいんですよ…」
なるほど。そういうものか。俺はもうオタクではないが、かつての知識を総動員すればそれなりの評価はできるだろう。
「わかった。約束するよ。」
お願いしますよ!とアグネスデジタルがパッと笑ったところで、休憩が終わった。その後もなんとか進んでいき無事撮影は終わったのだった。
さて写真集の発売日となった。アグネスデジタルはあんなことを言っていたのに、いざ写真集の見本が届くと、やっぱり恥ずかしいです!とか言って見せてくれなかった。
それでも一応あの日の約束を果たすべく、書店に向かう。
「…これはすごい」
普段は話題の漫画やら小説やらが置いてあるところに、大量の写真集が平積みされていた。しかもそれが飛ぶように売れている。人気ウマ娘大集合!ということで話題にはなっていたがまさかこれほどとは…
そしてもう一つ驚くことがあった。表紙がアグネスデジタルだったのである。恥ずかしがっていたのはこれかと合点がいく。
とりあえず1冊買って読んでみるか。思えばウマ娘の写真集を買うのは、ウマ娘オタクをやめたあの日以来のことだった。当時は少なくとも2冊は買って何度も何度も読み返したものだった。性欲のはけ口にしたこともある。推しのことだけを考えていればいつか結ばれる日が来ると本気で考えていた。
写真集を開くと、そこにはいろいろなウマ娘の、かわいらしかったリ、美しかったり、彼女たちのチャーミングな姿があった。現実で接するのとは違う、「触れられない」彼女たちを見ると、かつての思いがよみがえってくるようだった。
「…忘れよう」
トレーナーとして彼女たちを女性として見ることは許されない。万が一にも欲情するなどあってはならないことだ。アグネスデジタルのページだけ見てもう捨てよう。
邪念を振り払うようにページを飛ばして、アグネスデジタルを探す。そこにはいつも通りの、そして魅力にあふれた彼女の姿があった。
青空の下で楽しそうに両手を広げる姿、上目づかいでこちらを見つめる姿、いたずらっぽく微笑む姿、推しのウマ娘を見つめる姿…
気づけば彼女に見入っていた。何度も何度も読み返した。本当にかわいくて、夢中にさせる何かがあった。
だが…なぜかあのころのような感情がわいてこない。かつては写真集を読んでいて気持ちが高ぶってくると、すぐに自分で自分を慰めた。しかし今は、ずっと見ていたいとは思うものの、その先の感情がわいてこない。
心が洗われるような、胸の中がじんわりと暖かくなるようなそんな気持ちだった。気づくと俺は泣いていた。泣きながら何度も何度も読み返した。
どうして涙が出てくるのだろう。
いまだかつて写真集を見て泣いたことなどなかった。そもそも推しを追ってた時に泣いた記憶がない。一体…なぜ…
その理由はかつての俺との違いを考えることでわかった。
俺は、俺は彼女を知っている。理解しているのだ。彼女の努力を、挫折を、成長を、勝利を、敗北を。俺は全部理解している。だからそれらを背負いながら、写真集という場でファンのために満面の笑顔を見せる彼女を素晴らしく思うのだ。
これはトレーナーである俺にしかわいてこない感情なのだろうか。それは絶対違う。少なくともあいつは、俺がいたオタクグループのあいつは理解していた。あいつはウマ娘のことを一人の「女の子」として見ようとしていたのだ。
もちろん俺も彼女たちの性格や戦績や歴史を知っていた。だがそれはステータスでしかなく、それを持つ「彼女たち自身」を理解しようとしたことはなかった。だから簡単に推しを変えていたし、簡単に性欲で汚すことができた。
もし本当にウマ娘を一人の「女の子」として推しているのなら、相手のことを考えず自分の好きなようにしたいなどと考えるのはあり得ないのだ。
翌日、俺は写真集をあと2冊買った。1冊は保存用。万が一にも彼女を汚したくなかった。もう1冊は布教用。誰かに彼女の魅力を伝えたかった。
考えてみればこんな気持ちになったのは初めてだ。オタクだったころの俺にとって、写真集は俺によって汚されるものだった。誰かに見せるなんてありえないことだった。自分だけの推しであってほしかった。
そうだ、当時の俺はオタクでもなんでもなかったのだ。ただ独りよがりで自分勝手な欲望をかなえようとするクソガキだった。たまたまその対象がウマ娘だっただけにすぎない。
今ならあいつの言っていたことが理解できる。今の俺は心の底からアグネスデジタルに夢中だ。だがそれは性欲から来るものではない。ただ彼女が大好きで、幸せになってほしい。そこに「俺」は関係ない。応援できればそれでいいのだ。
「あの~トレーナーさん?その、写真集はどうでしたか?」
アグネスデジタル恥ずかしそうに尋ねてくる。
―ずっと見守っていたいと思った。
―汚されてほしくないと思った。
―もっとたくさんの人に、君の魅力を知ってほしいと思った。
―本当に、本当にかわいらしかった。
伝えたいことはたくさんあった。でもふさわしい言葉は1つしかない。彼女がよく使うあの言葉。
「…尊い。」
彼女がほっとしたようにうれしそうに微笑む。
俺は本当の意味でアグネスデジタルを推していこうと思った。
某あ〇ゃらさんのYouTubeチャンネルのやつを膨らませました。
あじ〇らさん…いいよね…