「本当に大丈夫か…?やはり日付をずらした方が…」
「大丈夫です。私なんかより、自身の安全を考えてください行冥様」
次の日の夜、行冥様はどうしても外せない用事があって出掛けていった。それがどんなものなのか、柱である彼の任務全てを把握出来る立場ではない私は何もわからない。
せめて彼の継子になれれば…なれるほどの体であれば。せめて鬼殺隊に入れれば。
……入りたくとも入れる技術も体力もない私では見送るしか出来ない。こんな、すぐに折れそうな体では安心させる事なんて出来やしない。
彼を不安にさせなく出来るほどの強ささえあればいいのに。危害を加えてくる訳でもない、謎の声だけを発する鴉を追い払えるほどの、不安を感じさせないほどの強ささえ私は持てていない…
夜闇も深まり、チリリと鳴く虫の声だけが辺りに響いていた。猫達も昼間遊びすぎたからか一匹、また一匹と眠りにつこうとしていた。
昼間は行冥様と会話をし、猫達とたわむれ……そうしていると何気ないこんな夜が少しだけ心細く感じてしまう。そう感じる間もないように出来る事の全ての用事を行っている内はともかく、こうして、全て終わらせてしまった時は。
縁側に腰掛け、夜空を見上げる。雲が多く月も星も何も見えず…心休まる景色が石油ランプの届く範囲外は何も見えない。辺りに明かりがないここでは一寸先も何も見えない。
まるで世界に一人みたいだ。
なんとも言えない…胸にぽっかりと隙間を覚えてしまう。これは私の弱さ他ならない。彼は人々の為に動いている。人々の安全と安心と平穏を考えている。
「はぁ……寂しい、です…行冥様」
それを止める権利も嘆く権利も私には何もない…というのに。わずかな、夜闇に溶けそうな弱音を吐く事くらいは許されるだろうか。
『そうですねぇ奥さん、人肌恋しい夜もあるでしょう!特に今夜のような旦那さんがいなく慰めてくれるものを探し求め飢えた獣のように嘆く夜も時にはある事でしょう!ああ、大丈夫わかります!わたくしだけはそんな気持ち否定しませんよ!』
「…え?」
いつの間にか側に来ていた鎹鴉。その喉元からは昨日から何度も何度も聞いた謎の男の人の声が。
彼は誰なのか何なのかわからない。そして彼は私の理解できないとばかりの…冷たく発した声に関係なく話を続ける。
『そんな夜、ああ勿論昼間でも構いませんが自信を慰めるための商品がこちら!███製の████!!!』
………はい?
『████のこれは欲求不満、肌寂しい奥さんのような若くて愛らしく████のようで███な方にはピッタリ!何せ███が████で強さは一番の弱ですら████の████で████ですが、しかし████の███が…!』
………。
………。
鴉が話し続けるそれは私の耳から入り、そのまま通り抜けていったといっても過言ではない。
聞けなかった。聞き入れれなかった。理解できなかった。
その時私は何度「大丈夫です」と言ったか覚えていない。
もはや「大丈夫です」を繰り返すだけの機械と成り果てていたといっても過言ではない。けれどそれ以外は何も言えなかった。
理解し、噛み締めれるほどの寛容な心を持ち得ていなく、受け流せるほど大人でもなかった。怒ったり怒鳴ったりなどは…あまり得意ではなくて…
行冥様のように粋で華麗になおざりに差し置く事が出来なくて……半泣きになりながら鎹鴉越しの彼にもう止めてくれと懇願した。
その願いが通じたのかどうなのか、いつの間にか鎹鴉は元の彼に戻っていて…泣きべそをかく私を心配して声をかけてくれていた。
ああ、こんな姿、到底行冥様には見せられない。そう思っていた。
けれど、勿論。
「私がいない間、連絡があったろう?大丈夫だったか」
後日怪我なく戻ってこられた行冥様に、鴉の事を聞かれるのは当然の事だった。そりゃそうだろう、出かける少し前まで電話が来ていたのにいきなり無くなるなんて都合の良いこと考えれないだろう。
…聞かれたくなくても、聞かれるのは当たり前の事。
けれどあったと正直に答えれば…きっとその内容も確認される。それも当然の事。
ならば無かったなんて嘘は極力吐きたくない…けれど上手く誤魔化せれるほど器用ではない。
だから昨日…一昨日と同じようにあったとの事実は伝える。すると「どのような?」と想定通りの事を聞かれ……言葉に詰まる。
「えっと……」
電話の有無は言えても内容を伝えるのは……厳しいというか、困るというか…
「……また、無責任な悪意を吐いてきたのか?」
「えっ、え?…いえそうではなく……」
それらを考え渋っていれば私の態度で行冥様は眉を潜め、瞳が鋭くなり、いぶかしげに口を曲げた。悲しげにも怒りにも憤りにも見える表情で私を見下ろす。
その顔を見て、心の奥がとん、と跳ねる。
そんな顔をさせたい訳ではない。悲しませたくも怒らせたくも困らせたくもない。
ただ、私が言葉を紡ぐのに困るだけ愚かな話。
「えっ、と、ですね……」
けれどどう言えば上手く言えるのだろう。あんな……奇妙で不穏で……その、なんとも言えない発言を繰り返したそれの事を。
上手くなんて言えやしないのだから、そのまま正直に言うしかない。正直に……正直って何を?私が、行冥様に?え?あのような事を?
「………。私の口からは……その…はっきりとは…」
「…そんな深淵に触れるような言葉を…!」
「ああ、いえそうではなく…!…あ、のですね!」
どんどん眉間に深い皺が刻まれていく。こ れ以上誤解をさせてはいけない、暴言は吐かれていないのだから。私は傷つけられたりしていない。だから。
……ああ、徐々に顔が熱くなっていくのがわかる。耳まで熱いのが更に恥ずかしさをかきたてる。
「……いっ、いかがわし、い……のを、ちょっと紹介、されまして…!だからっ、その…」
到底彼には口頭で伝えれなかった。伝える技術を持ち得てなかった。そんなのを伝えるのに私は得意な性格ではないのだから。
だからもういっぱいいっぱいで、自棄になった声で詳しく言えない理由を伝えるだけにする。
これだけできっと理解してくれるだろうと信じて。徐々に声は小さくなっていったけれど聞こえているはず。
ああ恥ずかしくて顔を出していられない。穴があったら入りたい。うずくまって小さくなりたい。
「………ほ、ぅ」
だから、私がそう彼に顔を真っ赤に発火させながら伝えた事で彼の目がこの上なく据わり切る事になるとは、予想もつかず把握も出来ていなかった。
両手で覆っていた顔を上げた際に、今まで見た事もないそれを見て変な声をあげてしまうほどには全く。
*
昼食を用意している後ろ、厨房から廊下へと続く段差に行冥様は腰掛けていた。いつもの作務衣に着替えもせず隊服のまま、砥石で薪割り用の斧の手入れをしながら。
お疲れだろうと用意しようとした布団は断られたから、何か他に用があるのだろうと思ってはいたけれど……急いでやらないとダメなほどだったのだろうか。
「そんなに切れ味が悪かったのですか?」
「いいや。しかし悪くなってからでは遅いからな…いつでも最上の段階にしておくに損はない」
「確かにそうですねぇ」
水に濡れ輝く刃物を持ち上げ指先を切らないように研ぎ具合を確認する行冥様。そもそも斧に関して私が口に出せる事はなにもない、触りもしないそれには特に。
そんな行冥様の横に鎹鴉がちょこんと座っていた。
一昨日からの妙な電話のせいで、日に日に落ち込み具合が増している。彼はなにも悪くないけれど…受け取る存在としてどうしても責任を感じてしまうらしい。ただでさえ怪我をして沈んでいるというのに弱り目に祟り目だなあ。
「ハァ、ナントモ情ケナイ…オ主達ニハ迷惑バカリカケテ…」
「そんなに落ち込まないで。えっと何か……今切ってる油揚げくらいしか」
「ダカラ今日、決着ヲツケルノダ」
「油揚げ食べます?……え、決着?」
深いため息を吐きながら嘆いていた鴉が不憫で仕方なく、どうにか励ませれないかと辺りを見渡す。言葉によるものはほとんど効果がなかったから。
けれど昼食準備中の台所、何もない。あるのはまな板の上で刻まれている油揚げくらいのもの。けれどこれを食べたからと元気になるだろうか。
一応可能性を込めて聞こうとしたけれど、その前に言われた言葉に引っ掛かる。
……決着?何に…って引っ掛かりはないか。電話をしてくる例の人と、って事だろうから。
…決着をつける。それも、今日。
「そうだ。先ほど私達で話したのだが…連絡手段の不明さ等で余計な目移りをし、止めさせようとばかりしていた為に後手に回っていたのが悪かったのだと」
「吾輩越シニ話シテ止メレヌナラ…直接話スシカナイト」
シャリッシャリッ
「物を紹介し、そのあと金額を言う。向こうが取り引きをするつもりならば……会おうではないかと、な」
研ぎ終えた斧を顔先に持ち上げ、厨房へと入り込む光を反射させた。その明かりが行冥様の頬を、目元を光らせ一瞬影を作り出した。
口元は微笑んでいたけど、笑ってはいない。
……え、えっ?それって。
「あ、会うのですか、その、電話の向こうの人と?…大丈夫ですか…?」
「勿論だ。別に何と言う訳ではない。ただ少し、話、をするだけなのだから…」
心配する私に行冥様は優しく安心させるように伝えてくれた……のだけれど、なんだかまるで含みが……いや、気のせいかなぁ。
大丈夫かな?大丈夫かなぁ………大丈夫か!行冥様だもの!鬼でない人間に負けたり怪我をしたりしないだろう。
「しかし気を付けてくださいね、行冥様は優しいですから」
「勿論だ重々気を付けよう。まい子こそ無理をしないよう…」
「平気ですよ、今はどこも悪くないですから」
「と言い過去何度も突然悪くな…」
「ジリリリリンッッッ」
「「!」」
話していたその拍子丁度に割って入るような声が鳴り響く。昨日の朝も同じような事があったと行冥様と顔を見合わせる。
何度も思った、まるで見張られているようだと。
『こんにちは悲鳴嶼さん!おやおやそんな二人に見つめられては照れてしまいますが、ご要望にお答えして、満足していただけるような商品を用意していますよ!』
「…そうだな、話を聞こう」
アハハと鎹鴉の笑い方ではない笑い声が聞こえ、それに行冥様も笑っているような表情で答えた。でもその顔は…先ほども少し感じたけれど。
……気のせいじゃあないなぁ…行冥様うっすら怒っている。
怒鳴ったり暴れたりではなく
優しい彼は誰かを想って怒る。鬼に、不平等な世の中に対し、涙を流す。なら今怒っている理由は…いい加減わずらわしいこれに決着を付けるためにだろうか。怪我が治るまで鴉と共にいるだろう…私のために。
ならば私は邪魔をする訳にはいかない。口を挟むべきではない。
包丁をまな板の上に置き、微かな音もたてないように二人の戦いを見守る事にする。
『わたくし気付いてしまったのです!旦那さん、奥さん二人に共通して必要なものを!それこそ雷に六回ほど連続で打たれたように!ああこれは比喩ですよ、旦那さんのような技を使う人にやられた訳ではありませんのでご心配無用です!』
「それで、物は何だ」
『おっとこれからお二人のあつーい共通点を語ろうとしていたのにどうやらお急ぎのようだ、なら仕方ない急いで紹介と参りましょう!今回の商品は薬です!一粒、五百円でいかがですか!』
「ごひゃっ…!?…あ、すみません!」
どこかピリピリと張りつめたような空気の中、つい声を張り上げてしまいとっさに謝罪する。でも、でも五百円とか…!一粒
昨日の午前中紹介してきた生きているという銃ですら三十円だったのに!
『確かに驚かれるのは仕方ない…しかしこの赤色をした錠剤はただの薬ではないですよ!一粒呑めばあら不思議!煮えたぎるような熱で
「…そうか」
真っ直ぐ鴉を見下ろしていた行冥様がチラリと私を見る。
一昨日から少しだけ思ってた。妙な方法で連絡をとる彼の持つ商品が、彼の言う通りの力がある本物だとしたら……と。
勿論欲しいものなんて無いし、興味も全くない、私は。 ……けれど今の商品紹介で行冥様の心が動いたならば。
…買うとするならそれは私のため……けれどその優しさは受け入れてはダメなやつ!確かに本当ならば世紀の大発明だけど、お試しに買うとしてはいくらなんでも高価過ぎる!
声を出さず思いっきり首を横に振るも見えないから意味がないと気付く。身ぶり手振りもダメだ。
ならばどうやれば私の気持ちを伝えれるだろうかと、あたふたしていれば…どうやら気配で解られたみたい。視線が鴉へと戻っていった。少し眉を下げて。
…ああ、その表情は狡いですよ行冥様…
……それにしても沢山の商品を聞いたなぁ。今まで食料品や装飾品、娯楽品、陶器、金属、家具や武器、分類分けの難しいものと色々あったけれど…医薬品まで取り扱っているとは。
しかし薬は人によって必要な種類がある、それこそ私と行冥様ではまるっきり別物だ。先ほどの通り熱が出て倒れるより鬼から受ける傷の方が圧倒的に多いのだから。
だから熱を下げるとかより痛み止めとか、消毒液とか包帯とかのが…
『おおっと焦ってはいけません、薬なら熱を下げるより血なまぐさい怪我を治す方が…なーんて勘違いすると恥をかきますよ?わたくしは"何でも"とちゃあんと言いました、それこそ何でも治す薬なのですから!
例えば包丁で指先をちょこんと切った傷も、斧でどすんと手首から先を切り落とした傷ですらバッチリ回復する!それがわたくしが紹介している薬なのです!
そして勿論後遺症もなし!大人も子供も、ヤスデとくっついたウチの犬でも安心して飲めますよ!』
「……」
「なるほど、それが本当ならば私達二人にとって必要なものなのだろう」
「ちょっ…!」
まるで思考が読まれたかのようにまたしても丁度重なるような時間に言葉をつむがれ、目を見開く事くらいしか出来ず何も言えなくなってしまう。言葉には元々していないけれど。
そんな私の動揺はいざ知らず、受け入れ態勢かのような言葉を発する行冥様。まさか本当に買う気ですか!?あの金額を!?
「しかし買いはしない、真実かもわからないそれに対しての対価は払えない」
『ああ、そんな!こんなにお買い得な商品はないというのに…ならば二百五十円でいかがです!?もう一声?ええい、百五十だ!うーん、これで最後、百!一粒百円だ!』
けれどその心配は杞憂に終わり行冥様はきっぱりと断った。けれどそこからあれよあれよと言う間に値引き交渉され当初の予定の五分の一の金額まで下がっていた。
元々買う予定がなかったものでも値下げをされおすすめされれば気になってしまうのが人間の心理だというなら……こうして心臓辺りが痛くなってくるのは何の心理だろう。言いようの無い緊張感にただ当てられただけだと思うけれど…
ずくずくと痛み始めた胸元を押さえ込み、まな板の上を避け台に手をつき体重を預ける体勢になる。
「…まい子?どうした…?……話は終わりだ、それどころでは無くなった」
見えなくとも私の動きは彼に伝わっている。少々戸惑った声と共に一瞬で体に触れる位置まで移動してきて、大きな手で肩を支えてくれる。
問題ない、すぐに治るからと伝えようとしたが運悪く喉がつまり、出たのは咳混じりの「大丈夫」の声。どう聞いても、言った本人ですら嘘だろうと思う声に彼は悲しげに眉を下げる。
『ああ大変!こんな時にわたくしが紹介している薬さえあれば!そうか、一粒では頼りないですからね!わかりました薬の数を増やして百円!これで最後ですよ!』
「わかったから黙ってくれ、その声が不調の体に響くだろう」
『これは失礼!それでは悲鳴嶼さんの家から少し先にある三本の松の木の下にご用意しておきましょう!回収しましたら素早く飲ませる事をおすすめしますよ、何せわたくしを追う組織に目をつけられ…おっとこんな事を言ってる場合じゃないな、お買い上げありがとうございました!』
ガチャッ
まるで何かの機械が擦れあったような音を発し、鴉は静かになった。
元々大した事ではなかったのだろう、痛んでいた胸元も徐々に良くなり数分で真っ直ぐ立てるほどまで痛みが引いてきた。
そして迷惑をかけた事と邪魔をした事を謝る。なにか今電話の最後、ごちゃごちゃっとして…
「…購入に、なりましたね」
「…松の木の下、か。悪いが至急に確認しに行ってくる、無理せず休んでいなさい」
「はい。行冥様こそ気を付けてください」
私の言葉に頷いたあと鎹鴉に一言二言伝え大きな背中が勝手口をくぐり抜け出ていくのを見送った。向かった先の松の木が私の今思い浮かべてる場所と同じ所なら一里も離れていない。
そんな近くに、いるのだろうか。いたのだろうか。そして行冥様は……話、に行ったのだろうか。
斧がなくなっていたのは気付いていたけれど、財布がなくなっていた事に気付くのはまだ先の事。
片付けられた斧の存在を見つけたほどに行冥様は戻ってきた。
いぶかしげに浮かない表情で、手の中に一つの小さな箱を持ったまま。
─ 後編に続く