でも見えたのは背中だけだったらしいよ。
それは真っ白い体をしていてね。この季節だっていうのに
背が高くて痩せ細っていて…目に見えない早さでいなくなったそうだ。
きっとそれは妖怪だったんだよ。少なくとも人間とは思えないからね。
君も気を付けた方がいいよ。山の中に向かったらしいから。
*
あら雪が降ってるわ、と先生が小さく呟きつられるように窓の外に目をやれば…確かに。
ヒラヒラといくつも白いものが空から降ってきていて、雪を見た途端ただでさえ凍えていた体の芯が更に冷え込んだ…気がした。
ああこれは良くないな、と少しだけ思う。
「もう春も近いですし、これで最後でしょう」
いつもと同じように処方される薬を受け取り、代金を支払う。お財布と薬を巾着の中に入れて玄関で草履に足先を通す。
外の
「では失礼致しま……え?いえ、今は居ないので、外で待とうかと思っていますが…」
引き戸に手をかけ、挨拶と共に出ていこうとすれば待ち合い室に腰掛けていた老年女性に声をかけられる。
見れば隣には長年連れ添っただろう
女性とは何度か顔を合わせ話した事がある。
私が人里離れた屋敷に住んでおり、一人ではその屋敷に戻る体力が無く送迎をしてもらっている事を。
そしてその相手が見当たらない事を不審に思い声をかけてきてくれたのだろう。
ただでさえ忙しい彼の手を煩わせている、待つ、ではなく待たせて頂くのが当然。
最高位の多忙な立場、職務の合間を縫って来てもらえるだけ感謝というもの。
「…えっ、いやしかし、邪魔になってしまいますので。……確かに今日は冷え込みますが…」
けれど彼女の考えは全く別のもの。
忙しく決まった時間にこれないのなら。
今から寒い外で待ち、風邪を引くような事になればそれこそ良くないだろうと。
正論も正論をぶつけられ、何も返せない。
お世話になっているからと迷惑をかけないようにすれば、最も迷惑をかけたくない人にかけてしまう。
私達の話を聞いていた、私の体を誰よりも知っている先生も彼女と同じ事を紡ぐ。
…ここまで言われて、心配されて。意固地に断るのは逆に失礼になるだろう。礼を良い頭を下げ、邪魔にならないよう待ち合い室に腰掛けた。
すると仏顔をした旦那様から、別な理由で心配されていた事を明かされる。
それは全く予想外な方面からで、街中に住んでいればご近所さんから井戸端会議か子供達の噂話程度で聞いていただろうもの。
けれど文化果つるような所に住んでいる私には全く関わりがなく、初めて耳にするそれを興味深く聞いている内にいつの間にか刻々と時間は過ぎていた。
*
「失礼する…」
「!」
「行冥様!申し訳ありません、表におらずお手数をお掛け致しまして…!」
「構わない。院内で休ませて貰っていたのだろう?その方が…私としても安心だ」
傍に駆け足で行けば大きな手のひらで制される。
診察が終わった夫妻は帰宅しており、他の患者さんは誰もいない。がらんとしたそれは幸運な事だったたろうか。人々が健康な事は喜ばしく、閑古鳥が鳴く診療所は儲からない。
しかしそんな考えは大きなお世話で、私がするべき事は滞在に対するお礼をいう事だ。
行冥様の変わった風貌も職種も知っている先生は私の謝辞に対し謙遜し、彼に労いと怪我の有無をたずねた。
「いえ、平気です…優しき心遣い感謝します。……さあ、家へ帰ろうあの子達が待っている」
「はい、失礼致します」
頭を下げ彼に続き引き戸を通り抜ければ、突き刺すような冷たい風が肌を強く撫であげ羽織を巻き上げる。
強い風に倒れそうになるも行冥様が支えてくれ、そのまま玄関から続く石の階段で滑らないように腕をとったまま待ってくれていた。
「ありがとうございます……行冥様は本当に暖かな手を持っていますねぇ。なぜ外にいたあなたの方が暖かいのでしょう?」
「体躯と全集中呼吸をしている差だろう…しかし、ふむこの調子では家の周りは降り積もっているやもしれぬ」
お礼を言う声が白い息になり空中にとけていく、鼻先や耳が冷たすぎてピリピリと痛む。
待っていた時間も降り続いていた雪は地面の土を白に包み始めていた。山深い家の周りは彼の言う通り白銀に染まっているのではないだろうか。
大きな手と丸太のように太い腕がひょいと軽々私を担ぎ上げ右腕一本で抱き上げる。
幼子を抱くような体勢だけれども、私と行冥様の身長差ならば何も違和感なく…
そもそも成人男性であれど彼とは二尺近くの差があるのだから差など微々たるもので、抱かれ方など何も口を出す事じゃない。
「なるべく早く、負担をかけぬよう戻るが…平気か?」
「はい、大丈夫です。あの子達も寒がってみんなで固まっているかもしれませんし」
「それは……何ともいじらしく愛らしい…南無…」
「ふふ、それではお願いします」
畳まれた布団や毛布の上で集まって団子のようになっている猫達を想像したのか、ポロポロと溢す涙。
いつもでは届かないそれを袖先で拭いとれば彼が跳ねるように一歩を踏み出した。
時間がある時や調子が良い時は共に歩いて家へと戻る…けれどこうして同じ目線まで持ち上げられ踏み出す歩幅の大きさを見ていると彼の優しさが身に染みる。
──敵いませんね、色々と。
そう思わずにはいられず、太い首に強く腕を回した。
*
早く家に戻り囲炉裏や火鉢の傍にこのひ弱な体を置かせてやりたかった。
だが私が走ったその速度の風は更に体を冷やし、最善の方法とは言えない。だから最善の最速で家へと戻っていた。
サクサクと徐々に増えてきた雪を草履で踏みしめて。
「待ち合い室で雑談として聞いたのですが山向こうの村でかなり酷い事件があったと…それも獣とは思えないような…」
「ああ。それだ、近頃私が調査していたのは」
「やはりそうでしたか……それで、その、鬼ですか?」
「………」
「ぁ、いえ機密事項でしたらすみません!ただの雑談ですので」
「…いや、そうではないが…」
まい子の問いにすぐ返答できなかったのは他でもない、伝えるにしろ言うべきではない事が多すぎたからだった。
血生臭いそれを好んで教える趣味はないが、聞かれたからには言うのもまた一つの選択肢。
なによりこんな離れた場所にも届くほどの事件、気になるのだろう。…そんな規模になっているという事実に驚くと同時に当然だとも思う。
あんな、
「…総勢二十八人」
「え?」
「被害者の数だ、■■村の東区域の村民の過半数以上。たった一日での事だ」
正確にはその事件が起きた時、仕事や用事で区域にいなかった村民以外、全員。
その時村にいた全ての人間が事件に巻き込まれ…そして命を落とした。老若男女関係なく。
返答はしばらく来ず、私のギウギウと雪を踏み締める音と風の音だけが聞こえていた。
ぽつりとこぼれた声色は明らかに戸惑っていた。
「…二、十…八ですか?」
「そうだ。私も現場で状況を口頭で聞いて確認しながら歩き回ったが…かなりひどい有り様だった。到底詳細は伝えれないほどに」
「犯人は…鬼、だったのです、か?」
「……事件は日中起き、調査もしたが…鬼と断定出来る要素は一切見付からなかった」
「………」
不安げに揺れる声色。隊服の襟を掴んできた震える手。…会話を中断した方が良いかもしれないと思う。
震える理由は寒さだけではないだろう。
当然、憎き鬼の殺害だとしても許すまじ事なのに何ともまぁ、普通の人間の可能性が高いのだから。
…あれほどの事が出来るものを、普通の人間と呼ぶべきではないのかもしれないが。
「辛いなら話はここで止…」
「雑談をした御老体の息子さんが■■村の東区域外れにある民家を訪ねて行ったそうです」
「…む?」
しかし紡がれた言葉は存外震えていなかった。
…いや気丈に振る舞い抑えてはいるが震えてはいる。しかしそれより伝えたい事があると話を続けているだけだ。
「何でも借りていた仕事用具を返しに伺ったそうですが留守だったそうです。なので置いておけばわかるだろうと勝手口の外に置き自宅に戻ろうとした時…見たそうです」
「…何をだ」
「白い姿をした"なにか"を。御老体は妖怪と言ってましたが」
「…詳しく聞いて良いだろうか」
そして又聞きの又聞きで耳にしたそれは初めて知る情報。
隠や鎹鴉の情報収集不足で抜け落ちていた?…否、当人同士だけの口約束事で片方が永遠に語れる事がなくなってしまった為に起きた
しかしこれでその"見た"ものを捜索できる。顔は見ていないがその目撃した姿は特徴的なのだから。
人間とは思えない風貌。
遠目とはいえ日中確認した事。
山の中へと消え去った事実。
おぞましい事件の詳細を知る前に見た風景、特別な認識を被せて変化をさせてしまう前にその者に聞き込みをするべきだ。
当人の口から詳しく聞き…そしてその情報はすぐに共有した方が良いだろう、正体が何であろうと……それこそ此の世ならずものだったとしても。
鬼ではないとして、人々の暮らしを守る為鬼殺隊の我らに出来る事は…
………。
……。
「行冥様?」
「!…すまない、少々思案していた。情報感謝する、初めて知るものだった為にこれからの振る舞いを考えていてな」
「いえ、お力になれたなら幸いです」
ふっ、と襟を掴んでいた手のひらから力が抜ける。柔らかな気配は笑ったからだろう。
震えていたのは怯えではなく緊張、だったのだろうか。まさか、私に役に立つ事が出来るのではと考えた事での?
……嗚呼…片手に彼女の荷物を持っているばかりに結われた髪を掬い上げる事すら出来ないとは、なんともまぁ…南無…
「見付ケタゾ岩柱ァ、カァーッ」
「む?」
そんな中まるで頃合いを見計らったかのごとく現れたのは間違いなく鎹鴉。その声色は聞いた事ないものだったが。
空高くから滑空してくる鳥の羽音と私を呼ぶ声。
今しがた聞いた情報を伝えるにちょうど良い。
何かしらの伝令があるだろうが、それを受け取る代わりに情報をお館様や他の隊員に渡してくれないだろうか。
「…あれ?あの鎹鴉いつもの子と違いませんか?ちょっと見え辛いですが首筋に数珠がないような…」
「ああ、あの子は今他の鎹鴉の…」
『ギィ゙ァ゙ァ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!』
「「!?」」
突如辺り一面に響いたつんざくような甲高い悲鳴。
私もまい子も反応しようとしたわけではないのに体が跳ねた。彼女の体を支えている腕の力を強めたのは彼女がすがり付いてきたからだろうか。
耳の奥を攻撃するようなあまりに大きな声と共に何かが遠くからかなりの速さで近付いてきているのが聞こえる。
全てを理解する前に首筋の後ろに戦慄が走った。
** SCP-096 **
─ 後編に続く