「…ッ、けほっけほっ…」
病院の玄関横、腰掛けれるように置かれた腰掛け椅子に座り空を見上げる。遥か遠くまで晴れ渡る青空は一昨日の夜から暴れまわった台風の気配など一切感ず、ただただ美しかった。
今日は彼と共に町へ。折れた木々や道を埋め尽くすほどの葉をかき分け私は常のように病院へ、彼は台風で被害を受け人手が足りないだろう場所を探しに。
正午を前にして診察が終わり、病院を後にして彼を探す。彼の風貌ならば誰に聞いてもどこにいるかわかるから。
けれど見つけた彼はあちこちで忙しく働いていた。災害の被害が思ったより大きいらしく、彼という成人男性五人以上の働きをする人を引き剥がす訳にはいかない。困る人を彼が放っておける訳がない。
だから私は大人しく、病院の前で待っておく事を伝え…座っていた。女手が必要だと言われれば手助けに行ったものの、大部分は力仕事なのだから。その分野では何を手伝おうにも体力も力も無い私では邪魔にしかならない。
「すまない、待たせた!」
彼、行冥様が必要とされる分を全て終わらせ町の人達に感謝の言葉と共に送り出され私の座る木陰に現れたのは、正午を指していた長い針が一周半ほどした時間だった。
「いえとんでもない…お疲れ様です、行冥様」
立ち上がり彼の元へ小走りで近付き、何も出来ないがせめてもの労いの言葉をかける。多くの人々を助けた大好きな手を取り、握り締めたかったけれど…出掛ける時には持っていなかった大きな荷物に阻まれる。
聞けば助けたお礼にと次々に店の商品や自家製の野菜など、とにかく様々な物を貰い、それも彼の大きな腕でも溢れそうなほど貰い、それらを入れるための籠も貰ったという。
ずいぶんと優しさの溢れた、規模の大きい話につい笑ってしまう。感謝しながらも困っている彼の様子がおかしくてたまらない。
私の笑い声にハの字に眉を下げながらも軽く微笑み、左手で全ての荷物を担いだ後頬を一撫で。
「さて…遅くなったが昼食にせねばな。薬も飲まないといけないだろう?」
「はい、そうですね……沢山頂いたそれらで、昼食を作りますか?」
「いや、今から家に帰ってでは遅くなる…近くで何か軽く摘まむ事にしよう」
そう何気なく言った行冥様の横顔を見上げる。外食する事は…なんだか申し訳ない気もするけれど、あまり拒絶するのもまた申し訳ない。これらに関して誰かの責任とは言えないのだから。
そうして軽く摘まめる食事、軽食を探す為に歩きだす。近くに食事処はあったかな?なんだろう、甘味処とかは駄目だよね。軽いもの…お饅頭とかはもっての他だろうし、他に何が……
「えっ」
「どうした?」
「いえ、あの…お寿司屋の看板が……こんな所に有ったなんて知らなくて驚いてつい声が…」
街中を探し歩いていた。彼の目は不自由で、文字として書かれているそれらはわからないのだから私が見るしかない。私に合わせてゆっくりと歩いてくれる彼の隣でキョロキョロと適当な場所を探していた。
そうして見付けた、道の隅に置かれた小さな看板の存在。宣伝するにはいささか控えめなそれの存在を。
「寿司…そうか、軽く摘まむには丁度良い。こちらにしよう」
「えっ、宜しいですか?他にも何かあると思いますが…」
「構わない。さあ早く食してしまわねば陽が暮れてしまうぞ」
その寿司屋は大きな建物に挟まれた、いわゆる路地裏の中に存在していた。大きな宣伝も評判も聞き入れた事のない、今の今まで存在すら気付いてなかった店。
その店で本当に良かったのか確認をしようにも、時間に追われるように彼は私の背中を支えながら言ってくる。恐らく薬を飲めていない私を心配しての事だろうと思うけれど……ああ、本当に申し訳ない。
そうして彼に軽く背を押されるまま路地裏を進み表通りで確認した、寿司屋の看板を発見する。
外見では到底お寿司屋とは思えない、極々普通の家屋のようで、飾られた暖簾にお寿司屋の名前さえなければ素通りしてもおかしくないほどの……うん、隠れた名店のようだった。
「では失礼し……む?」
行冥様が暖簾を手で押し退け、入り口の扉を開き屈んで入ろうとしたその時、上空から鎹鴉が建物の隙間を縫いながら降りてきて、大声で鳴きながら彼の肩先に留まる。
どうやら急ぎなのか、彼に伝えなければならない事があるらしい。行冥様の肩の上で大きく羽ばたきながら大声で…伝令だと伝えている。もしかしたらそのまま任務へと行ってしまうだろうか。
「嗚呼……そうか、すまない、先に入っていてくれないか。終わったらすぐに後に続くから」
「ぁ、はい。畏まりました…」
その場で待つ事は出来た。お昼の時間はとっくに過ぎてはいるものの激しい空腹などを感じる事はなく、ほんの数分の待機など苦でもなかったから。
しかし柱に対する伝令とやらは第三者、鬼殺隊でもない人が聞いて良いものなのか判断できず…大人しく彼の指示する通りに従うのが正解なのだろうと一も二もなく頷いた。
そしてそのまま、鴉と話を始めた彼に背を向け一軒家に見える店の玄関扉を開いて、中へと入る。
暖簾をくぐり中へと入った私を迎えたのは極々普通の店内だった。
清潔な店内、壁に飾られたお寿司の名前の品々、一人の定員…お寿司屋だから大将だろうか。大将の前に置かれたお寿司のネタとしての品々と様々な商品。
お客は私以外誰もいなかったものの昼食時をとっくに過ぎた時間帯的に仕方ないだろう。もう少し早ければ賑わっていたかもしれないのだから。
『いらっしゃい!こちらへどうぞお嬢さん!』
とりあえず店内を軽く見渡していれば景気のいい声かけに呼ばれ、招かれた、大将の目の前に置かれた一つの椅子に腰掛ける。
屋台ではなく、立ち食いでもない、座れるお寿司屋なんて珍しいと思いつつ…目の前にいるにこやかな大将を見る。
年頃は、五十代だろうか。お寿司屋特有の紙で出来ているような帽子を被ってはいるものの毛根の薄さが垣間見える。それでも優しそうな笑顔で初めて入る店内への緊張感が少しずつほぐれていく。
胸元に飾られた木の板からして名前は
『いらっしゃい、お一人様ですかい?もう一人声が聞こえたようでしたが』
「いえ彼は…外で少しお仕事のお話をしています」
『ああなるほど、ならどうしやしょうお待ちになりますかい?』
「そうですね、そんなに時間はかからないと思いますので…あ、お茶だけいただけますか」
『へい、少々お待ちを!』
鴉と話し終えた行冥様がどう動くのかわからない。何かしらの報告を聞くだけかもしれないし、すぐにどこかへ召集されるかもしれない。だから…考えるだけ無駄。そうなってしまったなら仕方ない、その可能性の為に隊服を着ているのだから。
けれどいくらその可能性が高いとはいえ結果が出る前に食事をするのは流石にはばかられる。だから壁のお品書きの中にあるお茶を一つ注文する。
そして出された熱々のお茶を両手で抱え込み、少し冷ますために息を吹きかける。火傷しないだろう温度まで冷ませたと判断し、飲んだお茶はとても美味しかった。
自覚はなかったけれど随分喉が乾いていたらしい、体の隅々まで行き渡るみたい。
「失礼する…」
『へい、らっしゃ…うぉッ!?…なんて大きさ…!?』
三口目を飲もうと口元に近付けた時、扉が開かれ彼が屈んで入ってきた。
その姿を見ての大将さんが熊か何かを見たかのような驚きの声を上げた事が少し新鮮だった。町の人は行冥様の大きさに慣れているから…あ、となると最近ここらに越してきて店を構えたのかな。
「お疲れ様です、どうでしたか?」
「うむ、大丈夫だ。報告は受けたがひとまず待機との事らしいからな」
「了解しました。あ、椅子がありますのでどうぞこちらへ」
簡単な連絡を受け取り、良くある立ち食いではない事をひとまず先に伝えて椅子を軽く動かして存在を教える。けれど行冥様は…ああ、やはり。
荷物を邪魔にならない位置に置いたあと、床と椅子の高さが身長と…特に足の長さが合わなくて苦労している。しっくりくる置き方が定まらず何度も何度もやり直して…寛大な行冥様にはあらゆるものが少し大きすぎるから仕方ないのだろうけれど。
『いやぁ大きいですね旦那、あたしぁ驚きすぎて腰が抜けてしまうかと思いやした』
「む?そうか、申し訳ない…」
『いやあたしが勝手に…ああ、泣かないでくださいな!』
「……そうですよねぇ」
つい納得の言葉を小さく呟いてしまう。なんだか日常になりすぎてて忘れてた事実を改めて突き付けられた気がする。
彼にもお茶を出しながら言った大将の軽口にほろほろと涙をこぼしていく行冥様。その反応に…熊のように大きな体躯のいい男性が自らの言葉で涙を流し始めたら当然に動揺するだろう。しない方が奇妙だ。
行冥様が大きいのも涙もろいのも…改めて何も知らない第三者から見ると驚くべき事だよなぁ、うん。そんな事を忘れれるくらい共にいれるのはなんと幸せな事なのだろうか。
『ああ、いや、すいやせんあたしが余計な事を言ったばかりに…』
「いやこちらこそ、申し訳ない…」
「私が言うのも奇妙な話ですが、この人少し涙もろいので…そんなにお気になさらず…」
『いーや、あたしの失態に違いない。いつまでも注文させれないのもあたしが悪い。だから始めのネタはお詫びって事で二人分無料で振る舞わせてくだせぇ!』
きっぱりと言い放った大将。私も彼も数秒返す反応が遅れてしまった。えっ、いやそれは…
「そんな、流石にそこまでしてもらうのは…」
『いや男が言った事を下げるわけにはいかねぇ、ここはお詫びと言ったあたしの謝罪の顔を立ててくれやせんかね』
「…そう、か。南無…」
「…??」
そして私が戸惑っている間によくわからないけれど、ちゃんと双方納得の上着地をしたらしい。何があったのか聞きたかったけれど、それをするのはなんだか野暮に思えて何も言えなかった。
その代わりに大将と見合っていた行冥様が私の方を向き、困ったように微笑んでいた。
「では…何か一つ頂こう。まい子の好きなものを頼みなさい、私も同じものを頂くから」
「ぇ…あ、はい。そうですね」
行冥様の目ではお品書きが見えない。適当に何かしらのネタを言えば当たるかもしれないがお詫び…?とやらの上、一か八かは気が引けたのかもしれない。
だから私が頼んだものと……うーん、何が良いだろう?あまり高いのは申し訳ないし……キョロキョロと見渡し、とりあえず目についたそれに決める。
「では、玉子宜しいですか?」
『へいっ、よろこんで!』
色んなお魚、ネタがあれどどれが何なのかわからない。山育ちだし、違いがよく…ああ、なんて頼りにならない人なんだろうか私は。とりあえずその中でも確実にわかるものを頼んでみる。冒険心なんてものはない。
大将がお寿司を握っていく、流石に職人手際が良い。あっという間に一貫握りあげて行冥様の前に置く。それを私にくれようとした行冥様を大将は止め、私の前にもお寿司を置く。けれど、それは。
「あれ?…二つですか?」
『普通の寿司だとお嬢さんは食べ辛いでしょう、半分の大きさにして二つにしてやすんでどうぞ』
「ありがとうございます、確かに食べやすいですね」
普通のお寿司の大きさはおにぎりのような大きさなのに、私の前に置かれたそれは確かに半分に分け二つにしたほどの小さなもの。これなら一口で食べれるし、とてもありがたい。
行冥様は…うん、お寿司を一口で食べてる。すごいなぁ、大きな口だ。大きな口じゃないけど、私も一口で食べよう。
「…ん!……美味しい、何だか玉子とは違う深い味がします!」
『ありがとうございやす、あたし特製の出汁が入ってるんでね』
「南無美味い…」
『そいつぁ良かった。…ところで旦那、気になってたんですがね…数珠といい羽織の文字といい……僧だったりしやすか?』
「…以前、そうだった。今は別の職についている」
『ああ、なるほど!いやね、あたしの実家も寺なんですよ。あたしはこうして生臭職業に就いちまった事で勘当されたまったんですがね』
「なんと、まぁ…」
美味しいお寿司を食べて涙を流し、大将の過去を聞き近しい関係で涙を流し、相容れなかった親子関係で涙を流し…大丈夫かな。私は慣れているけど大将かなり困惑している。楽しい会話として話し始めただろうけど…
もう一つのお寿司を食べている間に行われたその状態をなんとかしようにも口の中は塞がれて何も言えなかった。美味しく頂き飲み込んだ時には何となし、ふわりと会話は終わっていた。乗り遅れた。
『えっと…次は何を握りやすか?あたしのオススメとしてはコハダやアジ、鯛などがありやすが』
「ふむ、では私は鯛を。まい子はどうする?」
「ではアジを一つ」
『へいっ、鯛とアジですね!』
良かった、オススメをしてくれるなら安心してそれを…ほとんど食べた事がない海の魚に挑戦してみよう。魚は玉子とは違ってワサビを入れる、辛いものは少し苦手だけどきっと美味しいお寿司だもの、きっと大丈夫。
…ん?大将が握っているお寿司の中に、ワサビと共に何か細かいものを一緒にいれている?何だろう、隠し味?だとしたらあまり見てはいけないかな…
「薬を飲むのは食後だけで良かったのか…?」
「はい、食前の分は体調の具合を見て再び飲むかどうか決めると言っ…」
『うおおおおおおおおおおおお!!!』
「「!?!!」」
大将から目をそらし隣で窮屈そうに座っている行冥様の横顔を何となく見上げていれば視線を感じたからか、思い付いたからか私を見下ろし聞いてくる。
そして何気なく食前の薬は無くなった事の会話をしていれば、突如として獣のうなり声に似た大きな咆哮が店内に響き渡り、驚きで体が一寸ほど浮いた気がする。
何事かと声の主を見れば…大将、西行さんが声の限りとばかりに張り上げて……寿司を握っていた。
『美味くなれ!!美味しく食われるんだ!!!それがお前ら寿司としての幸せだ!!うおおおお!!!美味く!もっと!!もっとだ!!!!』
「……」
鬼気迫る形相で、寿司を握るその姿が少し……いや、かなり恐ろしくて行冥様の腕を抱え込むように握りしめた。邪魔でしかないだろうその行為を止める事が出来なかった。
彼の方こそ見えない分私より何が起きているのか理解出来なかったろう。突如乱心し始めた店主に私以上に困惑しただろう。
けれど変わりないかのように落ち着いたまま、励ますようにもう片方の手で肩を優しく抱いてくれた。
その妙な…まるで儀式かのようなそれは数分にも渡って続き。
『へい、お待ち!鯛の握りです』
終わった後何事もなかったかのように行冥様の前に鯛のお寿司を一貫、自信満々で差し出してきた。
呆気にとられている私達の様子に気付いていないのかそのままの流れて酢飯をとり、ワサビを塗り、アジを持ち……
『うおおおお!!!美味しく、美味しくなれ!!!!!』
再びお寿司へ闘魂注入をやり始めた。
……えっ、なにこれ。何事?…夢?
** SCP-571-JP **
─ 後編に続く