「…ぁ、え、行冥様…」
「…南無……どうしたものか…」
「か、帰ります…?」
「……その、恐ろしいか?」
何度も何度も頷いた。相手が近くにいるのに口には出せないから…けれどそれでは見えない彼ではわからないだろうと腕を強く胸元へ強く握り込んだ。
なんとも複雑そうな顔をする行冥様。いや、わかりますよ?特に何をされた訳ではない。言葉からして精一杯の美味しさへの願いに感じはする。けれどこんな……なんとも、なんとも表現出来ない恐怖が…!
そうこうしている間に時間が経ち…
『へい、アジお待たせしやした!…おや、鯛まだ食べてなかったんですかい?』
私が注文した分のお寿司も終わったらしい。出されたそれは…特に見た目では何もおかしい所のない普通の美味しそうなお寿司だった。あんな事をされなければ見なければすぐにぱくりと食べていたろう。
すごく、すごく美味しそうではある。実際先ほどの玉子寿司は美味しかったしこれも美味しいのだろうけれども…どうしよう怖すぎて食べたくない……
それほどまでにあの意味不明な行為が何なのかわからない…何か、例えば呪いだとか、毒かなんか盛るのを誤魔化してい…!!
そういえば何か妙なものをネタとシャリの間にワサビと共に入れていた…!?まさか!?いや、しかしっ!?
「行め…えっ」
心が激しく、勝手な思い込みによって動揺していた。理解出来ないそれに対し、何らかの理由を付けようとすればどうしても不穏なものが思い浮かんでしまう。
だから浮かんだその発想をどうにかしたかった。彼と事実の共有をしあい、大将に訊ねるだけの勇気がほしかった。だから彼の顔を再度見ようと見上げれば。
いつの間にかお寿司をつかみ、今にも食べようとしている行冥様の姿が目に入る。
「えええっ、ちょっと、た、食べるのですか!?」
「?注文したのだから、食べねば。残すなど勿体ないだろう?」
「しかし、あの…」
そうだ行冥様は知らないんだ。ワサビと共に入れられた謎の物体の有無を。大将の錯乱状態にしか見えないあれを聞いていただけでただの、何でもないお寿司だと思っているから食べようと…
けれど駄目だ。もう大将が近くにいるから言えないなんて言ってられない。私が見たもの全て伝えなければ。
「あの、え、得体の知れない練り物みたいものを、ワサビと共に挟んでいたのです…だから、その…」
「……大丈夫だ」
困ったように眉をハの字に変えながら微笑んでくる行冥様。安心なさいとばかりに言おうとしている表情。何に安心しろと言うのだろう。
謎の物体は毒などではないから安心しろという事か。それとも…丈夫な体だからちょっとやそっとの毒では大丈夫だからという事?
「あっ」
そうこうしている内に彼はぱくりと食べてしまった。咀嚼する彼を私はアワアワしながら見る事しか出来ない。止めれなかった、力では止めれないのだから言葉で止めるしか出来なかったのに。
喉仏が動き、飲み込んだ事を確認しても何も言えず、ただ羽織の裾を掴む事しか出来なかった。
「…ふむ、美味い。脂がとろけるようだ」
「………」
『ありがとうございます、湯引きをすると身が引き締まって脂も深く感じれやすから』
「大丈夫だ、美味かったから。何も異変はない」
大慌てだった私を落ち着かせる為か優しく頭を、髪を撫でられる。苦痛の欠片もない穏やかな表情で見下ろしてきて……私の、単なる杞憂だった?
…ッ!だとしたら!そうだったならかなりかなり、恥ずかしく、とてつもなく申し訳ない!うつむいて両手で顔を覆う。ああ、穴があったら入りたい!
一人でバタバタし始めたそれに困惑しただろう行冥様の声が遥か上から聞こえる。ああ、情けない、謝罪しなければ。勝手に疑って悪人と見なした善人に。
「不安なら、私が先に一つ食べるが…?」
「…いえ、すみません頂きます」
アジのお寿司を手に取り、醤油につけて食べる。…うん、爽やかな脂がたっぷりで美味しい。しつこさなんて感じさせないのは、ワサビのピリピリ感が引き締めているからだろう。
こんなに美味しいお寿司を、ただ出しただけなのに。玉子と同じように隠し味を入れていただけだろうに私は…
「…美味しいです、すごくすごく…」
『そうですかい、それは良かった!』
「……あの、すみません私かなり失礼な事を…」
「!…まい子」
黙ってやり過ごす訳にはいかなかった。私達がコソコソと怪しい会話をしていたのは聞こえていただろうし、自己満足にしかならないだろうけれど謝罪をしたかった。
行冥様だけは私が何を考え、何を言おうとしているのかわかっているから止めようと…けれど、彼を何気なく傷付けたと謝罪する優しい人を疑った私はひどい人だから。
「私、何か怪しいものを入れてると思って食べるのを躊躇しました…彼が食べて、毒じゃないと毒味をさせてからじゃないと食べれないと…」
『ええ?……ああ、はいはい。これですかい。なるほど……そんな事わざわざ言って自らを下げなくて黙っとけば良かったのに』
「すみません、貴方にとっても聞きたくなかったですね…」
『良いのにそんな。それに当たらずとも遠からずってやつだしねぇ』
私の下げた頭を何度も上げるように言ってくる大将。信じてないのか、大したことないとばかりに寧ろ笑い飛ばされる。
『こちら。まぁ、詳しい材料は秘密ですが、一つにトラフグの肝が入ってやすからね』
ニコニコと人の良さそうな顔で言ってき……え?……。
……え?
「……えっ、肝?フグの肝?」
「……猛毒では、ないだろうか。それは」
『へぇ。そうでさあ。しかし何度も食べてるあたしは生きてる、お客さん達も生きてる。何より寿司の味はグンッと美味しくなる、良いことずくめじゃあありやせんか』
「………」
……自分の想定外…いや、想定外なのかどうかは怪しいけど。
勝手に毒だと思って、疑って、違ったと思って、でも違っていなくて、でもその毒は食べても死なず美味しくするために入れられてて…
…駄目だぁ、理解の許容範囲を越えすぎてて頭痛い。薬飲まなきゃ、ああ、でもそれならもう少しお腹に入れないと。なら、またあれを見るのかな。
*
その後、数回あの謎の行動を見た。何度見てもあれは怖かった。先に食べ終わり行冥様が食べ摘まむそれを、もらったお冷やと薬と共に飲みながら見ても…うん、怖かった。
その行為が何なのか訊ねて見たけれども美味しくするためのもの、との事で結局よくわからなくて怖い。でも…味はどれを食べても美味しかった。
食事も終え、店から出た後行冥様と顔を見合わせる。多分思ってる事はそう遠くはないはず。
「…美味しかったですね、すごく…」
「そうだな、値段も良心的だった…また食べに来よう」
「はい。あの…あれにも慣れれば気にならなくなるかもしれませんし!…いえ、やはり厳しい、かも、しれませんが」
「……そうだな、南無…」
SCP-571-JP ニギリ・オブ・ザ・デッド
オブジェクトクラス:Euclid(知性があるから)
SCP-571-JPは53歳の日本人男性の西行 ██。寿司屋。ワサビと共にトワフグの肝、カシワの根の煮汁、三酸化二ヒ素を入れて握る。5分ほど叫びながら上下に振る。
そうしてSCP-571-JPの握ったお寿司は命が吹き込まれ、美味しい状態を保つために努力をはじめ、食べられずに美味しくなくなってしまった場合自らゴミ箱に飛び込むか、無理やり口の中に飛び込むようになる。
SCP-571-JP http://scp-jp.wikidot.com/scp-571-jp
著者:tokage-otoko 様
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