・山付近の小さな集落の外れに両親、姉、赤子の弟と住んでいた。
・体が生まれつき弱く10歳の時入院をして、家に戻った時両親は殺され姉弟はいなくなっていた。
・16歳になるまで女中としてなんとか働いていたが鬼による、とある事件に巻き込まれる。
・その事件で悲鳴嶼と会い、助けられる。その際顔に傷を負わせられる。
・鬼殺隊に入りたいと願っていたが、人より遥かに弱い体では隊士や隠に入る同じ土俵にすら立てなかった。
小さく細い指が私の右腕の上を滑る。その後も何度も皮膚の表面に触れるような動きを繰り返し、最後に少しだけ引っ張った動きを最後に…うむ、どうやら包帯を巻き終えたようだ。
「これで…どうでしょう、キツい所は無いですか?」
「大丈夫だありがとう」
鬼との交戦中に付いた腕の傷。それはさほど大きなものではなくすぐに塞がるだろうと軽い手当てだけをして、家へと戻る事を私は優先した。
だが彼女の目に映ったそれはかなりのものだったらしい、息を飲むような悲鳴を小さくあげた後救急箱を持ってきて、悲惨な声と共に治療を施される。巻かれたそれには……痛みより、心苦しい優しさを感じる。
嗚呼、申し訳ない。苦しめたかった訳でも哀しませたかった訳でもないというのに。私を気遣う声色の揺らぎも、湿気も、手の震えも……哀れで儚く、なんとも愛おしい。
胸の奥からなんとも言えない感情が噴き出してくる。その恐ろしくも浅ましいそれを心のまま打ち明けたとて…彼女は受け止めてくれるだろうか。私の心を、全て、全て。
だから腕に乗る小さな手を反対の手で掴み。
「すまなかった。私としては傷の手当てより、早く、何よりまい子の元へ戻りた…く……」
私の心のまま、今のまま、思う限り伝えようとしていた。そう、して、いた。
……だから、握っていた手の中のそれが、小さく細く儚げなそれが。
「……は?」
突如として霧のように無くなり、手の中の温度も存在も温度も吐息も、全て消え失せてしまったそれは、何なのだろう。
数秒後どれだけ名前を呼ぼうとも手を伸ばして探そうとも彼女の存在は無く。
まるで瞬間的に移動したかのように、部屋から、家から…いなくなってしまっていた。
*
「……えっ?」
瞬きをするほどのわずかな時間、私は意識を飛ばしていた。何が何だかわからなくなり、ぼんやりと揺らぎ、数秒後シャボン玉の膜が割れたかのごとく気が付いた。
目が覚めたその瞬間から辺りを見渡す。自身の記憶を補う為に、ハッキリしないそれをキチンと埋める為に。
…ここは、どこ?私は家にいたはずなのに…
辺りを見渡しても理解が追い付かなかった。私は家にいたはず。そして、そして彼の治療をして……、あれ、ん?
…違うか。私は…
初めからこの場所に来ていたんだ。家になんておらず、この、場所の上に。
そうだ、そう。何を勘違いしていたのだろう。私は初めからここにいた。
この……"橋の上"に。
** SCP-473-JP **
なぜかボンヤリしていた意識から目覚めれば辺りの景色がハッキリ見えてくる。
そうだ、ここは木製の橋の上。何もおかしな事はない。その感情のまま橋の欄干、下を見下ろせる手すりへと手をかけ見下ろしてみる。下にあるのは揺らめく青だの透明だのの色のみ。
「ひゃあ…高ぁ…!」
とんでもない高さについ声が漏れる。遥か下にある水面までの距離は
と、いうか…これって海だよね。海かぁ……初めて見た…海って本当にこんなに大きいんだ、端が見えない。水平線なんて初めて見た…大きな生物とかいるんだろうなぁ。行冥様より大きな生き物はどれくらいいるだろう?
それに香るこれが潮の匂いとやらかな。海は青いって聞いてたけど色んな色が反射して白かったり緑だったりと……うん、すごく綺麗。
橋の端が片方は見えるけど、片方は見えない。見える方…大体
うーん、魚とか見えないかな?でも八間も距離があればよほど大きくないと見えないか…それか魚以外の生き物とかが…
『そんなに身を乗り出すと危ないよ?』
「!」
突如聞こえたその声に驚いた今が一番危なかったかもしれない。つい今しがた見渡した時には橋の上に私以外の人影なんて無かったのに、その声はすぐ後ろから聞こえてきたから。
声色からして女、聞いた事ないはずなのにどこか知ってるようなその声の主を見る為に私は振り向いた。
その人は五尺ほど離れた場所に立っていた。
花柄の着物と羽織。
深い赤茶の、焦げた煉瓦色の髪の毛と瞳の色。
唇にさす紅の色は紅く、両頬にある傷は一つにまとめられた髪の毛で少し隠れている。
どこかで見た事のある顔。それも、いつも見ている。いつ?
……あっ、そっか。鏡越しにいつもいる人だ。
つまり私と同じ顔をしている、人。
『はじめまして、まい子。会えて嬉しい』
彼女はニコニコと笑いながら挨拶をして来た。うわぁ、動作も似ているかもしれない。口元や胸の前に手を持っていくのは自分でもわかっている癖だもの。
声はそんなに似てないけど、もしかしたら自分の声だからわからないだけで実はそっくりなのかもしれない。
「はじめまして、私に良く似た人。驚いたなぁこんなに似ている人がいるなんて」
『そうだよね、何も知らない人が見たら双子と思っちゃうかも』
「あっ、そうかもしれない。ふふ」
私も笑えばまさに鏡写しかのようになっているだろう事が想像できた。初対面の人間なのに気安く話せるのはやっぱり姿形が似ているからだろう。何せ身長も体型もそっくりなのだから。
『ねぇ、まい子…これだけ私達似ているんだもん、色んな話をしてみようよ』
「色んな話?」
『そう……例えば、そうだな。何か"悩み"とかある?あるなら聞くよ?』
彼女は私の隣に歩いてきて、首を傾けながら訊ねてきた。悩み事?
うーん、悩み事なんて…無い事は無い。生きていれば大小関わらずどんな悩みでも出来るのだから。けれど、私の悩みなんて……
……言う、言えるような……悩みなんて……
『…うん、そうだよね。まずは何でもない話をしよう。悩みはその後で良い。まず今誰と住んでるの?どんな家族がいる?』
「えっ?ぁ……。…私、は…」
彼女のにこやかな笑顔とは反対に私は黙り込んでしまった。どんな言葉だろうと彼女は恐らく受け止めてくれただろうけれど…私は何も言えなかった。それは、ただ…
それを理解したのかもしれない、違う話を聞いてくれた。家族……そう、だ。家族の話は、何も隠す事もなく、言えない事もない。
「町外れの…山深い所に私は住んでます、行冥様……私をあらゆる意味で迎え入れてくれた行冥様と、四匹の可愛い猫達と共に…幸せに生きれて…」
『山奥かぁ、こことは違って虫の声とか凄そうだね。周りには誰もいないの?』
「うん…日中でも音が少なくて、夜になると世界に生きているのは私達家族だけかと思うくらい静かなんだ。時間になると猫達がご飯をちょうだいとねだってくる姿も、行冥様が任務や修行から戻ってくる姿を見れるのも、本当に…」
『それが…幸せなの?』
「……うん、幸せ。彼が、あの子達が…動いて、熱を感じれるその瞬間が何より幸せなんだ…」
誰よりも高い背、頼りがいのある大きな体が…小さなあの子達に振り回される姿を見ると言葉に出来ない暖かみを感じれる。幸せだと心から言える。それを見れるのが…
…それを、見る、のが……見る、だけ、なのが……
「………」
『まい子?大丈夫?』
「……うん、大丈夫……」
『…ねぇ、まい子。橋の向こうまで競争しようか!』
「えっ…?」
黙ってしまった私の肩を彼女は抱いてきた。続けようにも言葉が詰まってしまって、何も言えなくなってしまった私を彼女は横で見ていた…後に良い事を思い付いたとばかりに少し大きな声で提案してくる。
その言葉が理解出来なくて彼女を見る。彼女は私を安心させるかのように満々の笑みでニッコリと笑って。
『橋の向こうの、陸まで競争しようよ。言いたくない事も、まい子を悩ませてる悩みも、全部ぜーんぶ走るときっとスッキリするよ!』
「走、る?」
彼女のいう、競争というものは良くわからなかった。そもそも、競争なんて事やった事なかったから。
だから興味が湧いた。やった事のないそれを、やってみたくなった。
「……うん、そうだね。やってみようかな」
『よし、決まり!じゃあこっちに走って行っての勝負だからね!準備は良い?よーい…ドンッ!』
彼女の合図と共に私は走り出した。草履も履いていないは足は走り辛く、また着物では足を大きく動かす事は出来ず到底早い速度で動く事は出来なかった。
同じ格好をしている彼女も似たようなもの、二人で全く素早くないちょこちょことした早さでの競争は始まった。
身長も体格も何も変わらない私と彼女。色んな事を競ったとしてもさほど違いはなかっただろう。
私と似た彼女なら毎日の料理も出来るだろう、掃除も苦にせず、猫達も可愛がれるはず。行冥様の傍にも…
「…ひゅ、ぅっ……!」
呼吸の為に吸い込んだ息は、予想外なほど大きく息を吸い込んだ。あれ、なんだろう。これ、は。
彼女の背を追いかける。精一杯追いかけた、けども……あれ?なんだこれ、苦し…!
その後も走り続けた。けれど時間が経つその度に呼吸はどんどん乱れて、満足に息が出来なくなってきていた。
口の中がカラカラに乾いて、喉が大きく痙攣をしたかと思えば脇腹の痛みと心臓の痛みと肺の痛み、目の前が明暗に揺らめくそれが同時に襲ってきた。
……あ、ああ。そう、そう…だ。
私、私は…ろくに走れるような、体力も身体も、何も持っていない。
なのにどうして走っているのだろう。何の為に走っているのだろう。何を目指して走っているのだろう。
ポツポツと、空から雨が降り注いでき始めているのを肌で、着物で、髪の毛で感じていた。
「はぁっ、ぁ…!…はっ……!……ッ…!」
ザアザアと激しく降り注いでくるのを肌で感じる頃には、私の足はほとんど動かず、走るどころか歩く事すらろくに出来ず立ち止まり地面に倒れるようにしゃがみこんだ。
体が痙攣する。苦しくて苦しくて座る事も出来ず倒れ込み、激しく咳き込み揺れる景色をうすれる視界の中にぼんやり映す事しか出来なかった。
彼女はどこまで行ったのだろう。前を向く事も出来ず、下の木の板を、何度も何度も激しく咳き込みながら見下ろす事しか出来なかった。髪の毛を伝って顔を濡らす雨が頬をたどる。まるで、涙のように。
ああ。ああ…!!
そうだ、私は…私はこん、な……こんな、体、だから…!
『まい子!大丈夫?』
聞こえたその声の主を見る事は、今の私の体では出来なかった。それでもその声の主は私の体を支えるように抱え、背中を大きく撫でてくれた。
そうしている内に苦しかった呼吸は徐々に治まり、廻るような景色はまともになり……見えてきたそれは、心配するように眉を下げながら安心させるかのように微笑む彼女の姿だった。
「…ぁ…どうし……ッ、ゲホッゲボッ…!」
『大丈夫ゆっくり息をして。苦しいよね、ごめん、ごめんね…』
競争なのに、先に行っていた彼女がなぜここにいるのか訊ねようにも言葉が紡げない。激しく絡み合うような咳をする私の体を彼女はゆっくり撫でて、額を私の額にくっ付けながら……謝ってくれていた。
なぜ、彼女が謝るのだろう……何も、彼女は悪くない。私の気が晴れるだろうと提案してくれて、私はそれを受けただけで。悪いのは……ああ、そうだ。
悪いのは、こんな体を持つ、私だ。
─ 中編に続く