鬼と世界とSCP   作:アルビノ鮫

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拾伍話 同じ姿の人間のようです(中編)

 どれくらい時間が経ったのか、まともに動けるようになった時…私も彼女も、激しい雨に打たれ続けた結果頭の先から爪先まで濡れ鼠になっていた。

 それでも走れるほどに回復する事はなく、動けるのはゆっくりと歩く事だけ。それでも彼女は構わないと私のすぐ隣で肩を貸してくれながら傍にいてくれていた。

 

 ああ、なんて情けないのだろう。恥ずかしいのだろう。嘆かわしく哀れなのだろう。

 

 

 ……そう、だ。この競争を、始める前に言えなかった感情は、これだ。

 

 

 「……私、私は…情け、ない…!」

 

 

 それは今まで誰にも、猫にも、彼…行冥様にも言えなかった言葉…悩みだった。

 

 「私の、この体…弱く、何も出来ないこの体が……本当に、駄目なんだ!…ろくに走るのも、動くのも……全集中どころか呼吸も出来ない、意味のない、体が!」

 

 雨が降り続く。髪を濡らし、顔を濡らす。頬を伝う熱い水滴は何?雨なのだろうか?目がこぼれ落ちる、雨?

 

 「家族の仇をとる事も出来ない!両親も!姉も!幼い弟も無惨に殺されたのに!一人おめおめと生き残った私も、顔や首に大きく残る傷を負わされたのに!!なのに!!」

 

 大声で叫んでいる気がしたのに、まともな呼吸器を持たない私では遠くまで届けれるような大きな声は出せない。それに声は揺らぎ、涙声はすぐ傍で落ちていた。

 

 「鬼を倒せない!斬れない!この体では隊員になる事さえ出来ない!……彼、は…行冥様はそれで、いいと…言うけれど……私、は……」

 

 頬を熱いものが伝う。声が…揺れる。

 

 

 「…行冥様が傷付けられたそれが、許せな、かった…!彼の強さを知っているのに…私が何も貢献出来ていないそれが……私が……私、自身が許せなかった…!」

 

 私の悩み、それは。

 何も出来ない、私、そのものだった。

 

 

 彼を守れない、守るにいけなくとも力になれない、家族の敵討ちすら出来ないこの弱く儚いこの体そのもの。

 家の管理を任され、猫達を相手にしている間は忘れていれた。忘れていた。

 

 けれど鬼と対峙した彼の傷を、私の"せい"で傷付いた彼の傷を見てしまえばどうしても思ってしまう。

 駄目だ、私は駄目だ。何も出来ない、何も貢献しない、何も役に立たない。

 

 隊員になって敵討ちをとる事すら出来ない。

 それどころか隊員になる出発地点に立つ事すら許されていない。

 愛しき彼の家を守ろうにもこのひ弱な体は彼を満たせず邪魔をし、足手まといになっている。

 

 

 せめて。そう、せめて。

 

 隊員になれなくとも、鬼殺隊に入れなくても…ひ弱な体さえなかったならば。

 

 

 「こんな、少し走ったくらいで倒れるような体じゃなければ…!」

 

 そんな体でなければ彼の役に立てたかもしれない。家族の敵をとれたかもしれない。誰か、失わなくとも良かった命を救えたかもしれない。こんな、私なんかの命と引き換えに。

 

 私はそう、そうだ。そうなりたかった。薬なんて必要としない、少しの距離走ったくらいで倒れる体でない、誰かを気遣えて、誰かを支えれるような人になりたかった!

 

 

 「…そ、う。そう!貴方みたいに…!」

 

 

 私を支える彼女を見る。雨に打たれ濡れ鼠になっているというのに、彼女は何も感じていかのようだった。私は雨によって体温を奪われ震え凍え、どんどん体力を無くしているというのに。

 すがり付くような私の叫びを彼女は受け止めてくれた。競争なんてもう何も出来ておらず、足は止まっている。それどころか彼女に抱きつくかのようにもたれていた。

 

 

 『…そんなに、嫌、なの?』

 「嫌…だ。彼の邪魔になる私は、本当に駄目…だから……私…」

 『……大丈夫だよ、まい子。大丈夫……。……ぁっ…』

 

 彼女は私を抱きしめて、背中をずっと撫でてくれていた。そのまま彼女の首筋に顔を埋めていれば彼女が何かを思い付いたのか、小さな声を漏らす。

 顔を上げ、彼女の顔に触れそうなほどの至近距離で見ればその近さに少し驚かれ…それでも困ったように眉を下げ、ゆっくりと微笑んでくれた。

 

 

 

 『ねぇ、まい子…そんなに辛い、なら。私が……まい子の"代わり"に…"入れ替わろう"…か?』

 

 

 そう言った彼女の顔は、とても穏やかで…優しかった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 「…入れ、替わる…?」

 『うん、そう。私とまい子は見た目そっくりだよね?違いと言えばその体の健康具合くらいかな、これなら入れ替わっても…その、行冥さん…行冥様だっけ、わからないんじゃない?』

 「…そう、か。そっか…そんな事が出来るんだ…」

 

 双子かと見間違えそうなほどそっくりの私と彼女。こうして同じ場所にいなければ二人いるなんて誰も思いもしないだろう。

 目の不自由な行冥様だけど、勿論私の造形は知っている。髪色や肌の色が例え青でも黄色でも彼はわからないだろうけれど、特徴的な傷は誤魔化せない。その分彼女なら問題ない。

 いきなり治った等と言っても信じられないだろうけれど…それは、徐々に…?彼女がどう考えているのかわからないけれど…

 

 「うん…うん、そうだね。そう……しても、いいかなぁ…」

 『でしょう!?良いアイデアでしょう?』

 「…あいでぃあ?」

 『あっ、そうか。そこら辺から合わせないとね』

 「……そうだよね、別人だもの…」

 

 彼女が何者であれ、私とは違う別人。見た目は同じでも考える事や経験してきたものが違うのなら知らない言葉を喋っても不思議ではない。

 つまり問題としては…記憶、だろうか。彼や猫達や町の人々の事を彼女は何も……あ、健康ならばもう病院に行かなくて良くなるし、町の人についてはそんなに必要ないか。

 それより何より、行冥様だ。

 

 「私としての一番の望みは彼を、あの子達を大事にして…助けてほしい。私では出来なかった事を…それだけ」

 『そう?…なら彼らの事を教えて?何でも良いから。好き嫌いの食べ物や、趣味なんかを』

 「そうだね……えっと、行冥様は炊き込みご飯が好きで、特に何も言わないけどお焦げの部分を…」

 

 競争は豪雨と吹き荒れる風の中、ゆっくりとした散歩のまま続いていた。彼女は横で私の話す普通なら他愛もない内容を一つ一つ噛み締めるように聞いていた。

 虎猫は魚よりお肉の方が好きだとか、白猫は狭い場所が好きでよく探さないと閉じ込めてしまう事とか、茶白猫は食いしん坊で他の子のを力ずくで奪い取るとか、黒猫は一度抱き上げると下ろす際に爪を立てて抗議してくるとか、彼の趣味の尺八で猫達が散り散りに逃げていく事とか…本当に他愛もない事を。

 

 話しても話しても話が尽きない。彼らの事ならばどれくらいでも語れる、思い出す度に雨で冷えていく体の奥が暖かくなる。

 

 

 「そうだ、行冥様の鎹鴉は生真面目だから……。あれ。そういえば…」

 

 空を見上げても黒い雲しか見えず、正面を見ても豪雨のせいかほんの三間先でもろくに見えないほど視界が悪かった。それでも…あれ?

 

 「時間…もうかなり経ってるよね?短くても三十分以上…なのに、もうとっくに橋の端っこにたどり着いてもおかしくないほど歩いて…」

 『いや、そんなに経ってないんじゃない?雨で見えないし時間感覚もずれているんだよきっと』

 「そう…かなぁ……でもあまり遅くなると行冥様が心配すると思うし…」

 『……でも私が上手く誤魔化せば大丈夫でしょ?』

 「えっ?……ああ、うん、そっか…」

 

 以前家から見える木の上に茶白い塊が見えて猫が登って降りれなくなったと思い込み、必死に木登りをしたらただの葉っぱの塊で……何も言わず数十分消息不明になった事と危険な事をした事を懇々と説教されたなぁ。

 考えてみれば今の状況も近しいものがある。行冥様どうしてるだろうか…そう考えを巡らせ始めれば彼女から首をかしげられ、不思議そうに訊ねられる。

 

 ……そうだ。そっか。私はもう……そう、決め……いや、でも……

 

 

 『…ねぇ、じゃあその行冥様に何て言えば良いか一緒に考えて?ね?』

 「!…う、うん。勿論…」

 

 胸の奥の奥、先ほどまでポカポカ暖かかった部分がゆらゆら動いている。それを上手く捕まえる事が出来なくてつい黙り込んでしまったのだろう。

 彼女は私の顔を覗き込んできたあと、考えなければいけない事を言ってくる。そうだ、行冥様の為に、私はまだ出来る事がある。

 

 「そうだね、私なら素直に橋の上で競争してたって言うよ。何で、って聞かれるかもしれないけどそれが事実なんだしそのまま…」

 『えー、でもそれって混乱させちゃうんじゃ?』

 「確かに混乱はするだろうなぁ…まず走った事に対して色々言われそう…でも私は常にそうしてきたから…」

 『んー、私としては嘘でも何でも付いて適当に流した方が円滑じゃない?』

 「そっ、それだけは駄目!」

 

 私の急な大声に彼女は驚いたように目を見開いた。確かに突然、それも責め立てるような大声だったからそんな反応をされても何も不思議ではない。

 けれどもそれだけは、駄目なんだ。それだけは絶対にやってはいけない。

 

 

 行冥様から聞いた以前の話……それは仏が修羅になるには当然のもの。共に暮らした家族と呼べる人達が…どうしてそうしてしまったのか、その立場の詳しい事情も心情ももうわからないし、これから知る事も出来ないだろう。

 

 けれど。

 優しい彼を傷付けたそれは純粋なもの。それが恨みなのか怯えなのか裏切りなのかたまたまなのか不幸なのかわからない。彼に守られ出会った私ではその傷を和らげる事が出来ても塞ぐ事は出来ない。それを出来るのは…近しい者、当事者だけでしかない。

 

 

 だから。

 

 「勝手だけど…無茶な我が儘を言っているのはわかっているけれど……彼に対して嘘をつかないで」

 

 彼の見えない目は、その嘘を見破る。声色か、動作か、小さなほころびからか、いずれにせよきっとわかってしまう。そうして嘘に気付いた彼の痛みに気付かず、つく側は大したことない小さなものだからと続ければ…いずれこの上なく苦しめる事になる。

 私の見栄や意地なんかで、彼を…!

 

 「自分を偽る為の嘘なんかでこれ以上彼を傷付、け……」

 

 ………。

 

 ……あぁ。

 

 

 「なんって私は、愚かしい事を……!」

 

 感じた衝動のまま顔を両手で覆い膝をつき座り込む。どうして私は、ここまでやらないと気付けないのか…ああ、もう愚か!馬鹿!あんぽんたん…!

 

 『どうしたの?』

 

 私の前に立ち止まったであろう彼女から何事かと訊ねられる。当然、馬鹿な事を言ったという自覚は私にしかない。けれど、もう駄目だ。そう、このまま……いけない。駄目だ。

 

 

  「ごめんなさい…入れ替わると言った、それを……無かった事に出来ないかな…?」

 

 

 私の声は雨にかき消されそうなほど小さくしか出なかった。夢中になっている時は気付いていなかった体の冷たさがまざまざと突き付けられる、こんなに冷えきっているのに歩くのになぜ支障がなかったのだろう。

 雨が勢いを増した気がする。頭に、皮膚に打ち付ける粒が音を立てるほど大きく激しい。私の勝手を、責め立てるかのような天気だけど……ああ、本当に申し訳ない、こめん、ごめんなさい。

 

 

 『…どうして?私が嘘をつくと言ったから?それなら嘘はつかずに正直に言えば…』

 「違うの、もう前提からして間違ってた……入れ替わってしまったら私は、彼に対してひどい、ひどい裏切りをしてしまう事に…」

 

 彼女がどれだけ見た目が私にそっくりでも、どれだけ綿密に私を真似ようとも……彼女は私ではない。私と彼女が入れ替わったその瞬間、彼に守られ助けられた…生きて欲しいと言われた私…"まい子"が死ぬ。

 入れ替わった"まい子"は私ではない。彼から守られた事を理解はしても経験のない…彼に対し、私を偽るそのものが裏切りの嘘だ。そしてそれは、彼女の存在の揺らぎだ。

 

 「ごめんなさい…なんて、ひどい事を言わせて、思わせた…」

 『…まい子が悩んでた事、それは丈夫な体が欲しかった、じゃなかったの?』

 「そう、欲しかった。彼の役に立てる私を望んだ、夢を見た……でも、彼は弱い私を、責めなかった」

 

 一度たりとも厄介だなんて責めなかった、怒らなかった。個性だと、それが私だと。

 保護する存在な私がするべき事は、悩むべき事は…丈夫な体を欲するではなく、代わりを用意するのではなく……役に立てる、私が役立つ望みを、話し合うべきだった。

 彼が個性だと言った私の存在を嘘付いて殺すより、本音をぶつけるべきだった。傷付く体を見たくないなら守れるような強い無い体を求めるより、傷付いた後の手厚い治療をして欲しいと要求するべきだった。

 

 

 「一人で考え込んだから、何も相談しなかったから…愚かな考えを作った、過ちを犯した……ごめん、ごめんね、私の感情にあなたを振り回し…」

 『そっか、そういう結論になったんだね』 

 「えっ」

 

 うつむいていた顔を上げ、彼女の顔を見て謝罪をしようとした。その彼女の顔は想像していたものとは全く違うもの。私を責めるでも怒るでも軽蔑するでもない、満面の笑み。

 そして私の手を引き、腕一本で力強く立ち上がるように起こせるそれは…やはり私と同一人物とは到底思えない頼りがいがある姿。そのまま私の肩を掴み、横に立ったかと思えば…!?

 

 「いッ!?」

 『ほらまだ競争は終わってないよ、走らなきゃ!』

 

 思い切り、何もない橋の上にすら響き渡るような力強さで背中を叩いて、押してきた。

 その衝撃でバタバタと足が前に出て、走るような形で進みだした。そうだった、私達は競争をしていたんだった。でも私が走れなくなったから彼女が…なら私が走れば彼女も走って、きちんとした競争になるかな。

 

 私はどれくらい振りかに再び走り始めた。相変わらず遅く、走れば走るほど体が重く苦しくなる。けれどせめて、後ろから聞こえてきた早い足音と競い合うような形に、競争と呼べるだけのほんの少しだけでも……

 

 

 『おめでとう、あなたの勝ちだね』

 「  」

 

 後ろから聞こえた声に、体が固まり、全く早く動かない足は五、六歩動いた後…すぐに止まれた。その地面は今まで走っていた木の板ではなく、土を固められて出来た…陸。地面。

 振り替える。後ろには橋の端と、そこに立っている彼女。到着地点と決めた場所を…私が先に過ぎたから私の勝ち、だって…

 

 

 




 ─ 後編に続く
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