複数の隊員と共に一人の鬼を倒した。
その鬼はさほどの強さを持ってはいなかったが、ただただ厄介で手を煩わせてきた。
その鬼の血鬼術は時間の感覚を狂わせ、幾分が幾日もの時間を体感させるものだった。感覚のみだが飢餓に苦しみ、睡眠不足に体は揺らぎ空腹に反吐を吐かせた。
それでも、私は他の複数の隊員の命を守れた。その鬼の頸を跳ねれた。
鬼が滅び血鬼術から抜け出せた彼らが、私に声をかける。それらは感謝のもの。かけられた隊員の言葉が…脳内を緩やかになめらかに通過する。
聞き流したい訳ではないのだが…感謝なのか、感嘆なのか…申し訳ないがそれらがほとんど何も頭に残らない。勿論受け取りはする。だがまんべんなくは厳しいやもしれぬ……嬉しさはあるのだが。
嗚呼…南無阿弥陀仏……私もだが、他の隊員は更にそうなのだろう。血鬼術にて疲弊しきっている。
意識がぼんやりし、何度も何度も繰り返し感謝の同じ言葉を紡いでいる。
無事生き残れた命は確かに感謝すべき事かもしれない…が。ただただ満身創痍に近い体は、休める事が大事だ。
それがまた……鬼殺隊の糧になる。
*
** SCP-372 **
藤の花の家にて休み万全の体調に回復するのも可能性として有りだった。実質他の隊員にはそうするように伝え、場所を鴉経由で伝えたのだから。しかし私はその手段より、足を動かし自宅に戻る事を選んだ。
例えそれが、家に着くなり倒れ込みそうになるほどの疲労を覚えるようなものだとしても。それが、体を休めるよりも擦りきれるような日々の心の癒しとなるのだから仕方あるまい…
…ほら、玄関扉を開き声をかければ、屋敷の奥から声と共にハタハタと駆けてくる足音が聞こえてくる。
「お帰りにゃさいませ、行冥さにゃん!……ぁっ」
廊下の奥から出迎えてくれた彼女、まい子。その声に体が言い様のない安らぎを感じ、また不可思議を思う。
その掛けられた言葉は……どうしても聞き流せないもの。…何だと?
私の目では彼女の姿は見えないが、その形をとらえられなくとも解る。まい子は大変慌てて…室内のあちこちを見渡し、最後には手で顔を覆おうとうつむいたのだろう。手は…覆えはしなかったようだが。
「…いやその今のは忘れて……ぁあ、そのような目で見ないでください…!」
「…今、なんと?」
「……うぅ、その……猫達とたくさん会話をしていたから、ですかね……つい言ってしまいまして…決してふざけた訳ではないのです…」
とがめている訳ではないのだが私の声を聞いて、徐々に小さくなりながら紡ぐ声色に…つい笑ってしまう。家に一人でいる彼女の話し相手は猫達なのだから仕方ないのだが。
脳内に見た事もない、これからも見る事も出来ない猫達と彼女の戯れの様子が思い浮かぶ。そのなんとも言えない慈愛と尊さに、感情の涙がこぼれ落ちる。
おそらく…にゃごにゃご、にゃーにゃーと鳴いているのだろう。彼女が。
胸元が熱くなる。涙が落ちる。なんともまぁ、幸せな事だ。
「ええっと、改めまして……お帰りなさいませ、行冥様。この子も挨拶をしたいようです」
「む?……この長毛…抱かれている状況では決して私に顔を向けてこない様子といい、この子は黒猫の…」
上がり框を越えた私に、まい子が差し出すように胸元に抱いた猫を向けてくる。手を伸ばしその背に触れ、撫でども猫はほとんど何の反応もせず……嗚呼、それもまた可愛いものだ。
黒猫で長毛である彼女は抱かれる事を好む。そして抱かれ続ける事を望み、止めようとすれば爪を立て抵抗してくる。だから…挨拶をしたいとは詭弁でただ彼女の腕から動かなかっただけ。それでも…出迎えてくれた事は愛しさを覚える。
「なんとまぁ……南無、ただいま戻った…」
「はい、お帰りなさい。ところで行冥様、目の下に濃いクマが……少しお休みになられますか?」
「ふむ……一時間…いや、一時間半ほどで起こしてもらえるか?」
「はい了解です。すぐにお布団用意しますね」
クマが出来ている、か。出掛けていたのはほんの数日。しかしまるで長期一睡もしていないかのようなそれの理由を訊ねる事もなく、先にただ休ませる選択をくれるのはありがたい。こうなった説明は起きた後にしよう。
私の就寝の用意をするために猫を廊下に下ろそうとするまい子。しかし抵抗され、爪を立てられているのだろう痛みで苦しむ声が聞こえてくる。だから彼女から猫を受け取り後をついていこうと足を動かした。
その時。
……?何だ?
「…行冥様?」
「……いや、気のせいか」
廊下の先に行ったまい子が私のおかしな様子に気付き声をかけてくる。確かに突然立ち止まり、見えない目で辺りの様子を伺う姿はなんとも奇妙だったろう。
それでも確かに……いや、そんな訳がないか。
疲れているから、そう感じただけなのだろう。
「もう少々お待ちくださいね。ぁっ、朝夕はもうすっかり冷え込みますが…今の時間帯ではあまり布団を重ねると暑すぎるかもしれません」
「そうだな、一枚退けておいてくれないか」
厠に行き喉の乾きを潤し、空腹より優先すべき睡眠の為に部屋の中に入れば布地の擦れる音が聞こえる。私用の標準より大きな布団を敷いている音が聞こえる。
今の時間は日中。夜の闇を迎えるには遠い時間帯。
私はその場で下ろされる事を嫌がる猫を片腕に抱いたまま羽織を脱ぎ、片手で半分に折り畳むだけにして畳の上に起きそのまま座る。
本来なら寝間着に着替えるべきなのだろうが……上の隊服を脱ぐだけにとどめる。猫を抱いているから、なんて言い訳は通用しないだろうが。それでも動く事がなんとも言えないほど億劫で…
全集中の呼吸を改めて大きく吐き目を閉じる。ああ、くたびれきった体が少々情けなし…
張り詰めていた緊張と気合いの糸がたわみ切れたのかもしれない。地面に引きずり込まれそうなほど…眠い。一晩だけの徹夜とは思えないほど…
「お待たせしました!…あ、駄目です床に座り込んだまま眠ってはいけません!」
「む…ぅ、そうだな。すまないが二時間後に起こして欲しい…」
「はい、かしこまりました。しかし二時間と言わずもう少し眠られても…」
「いや大丈夫だ……それで、頼む」
意識を飛ばさないよう布団へと移動し、中へと潜り込む。下手な場所で動かなくなれば迷惑この上ない、彼女一人では私を移動させる事は用意ではないのだから。
黒猫の抵抗は布団の上に乗せれば落ち着いた。そのまま私の体沿いで気に入った場所を見つけ、寝転がるのを感じた。その背を一撫でする。
瞼の開閉に関係なく変化のない暗がりの中、彼女が枕元に指と膝で動き近付いてくる音が聞こえた。
「それではごゆっくりお休みください、また二時間後に来ますので」
「うむ、すまな……」
考えるより先に動いていた。
「ひゃあっ」
疲労困憊の体は言葉より早く動き、跳ね起きるままひるがえしまい子を左腕で抱え込み床に押し倒した。痛みの有無を考える間もない反射的な行動だった。怪我はさせていないとは思うが。
そしてその体があった場所の後ろに右腕を突き出し、掴もうと。
……掴もうとした、のだが…。
……しかし。そこに
………。確かに、何かいたと感じたのだが……まさか、先ほどと同じく気のせいだったのか?あのような、気配が?中々の速さで行動したと自負するが、それより素早く動いたとでも。
……いや、まさか。やはり気のせいだったのだろう……疲れているから、有りもしない気配を感じただけだ。鬼との戦いで高ぶった神経が、間違いの選択肢を作り出した。それだけなのだろう。
…早く休むべきだ。睡眠不足は幻覚を作り出す。このような行動をしないように。
「…ぎっ…ぎょめ、さま…?」
「……むっ!」
そんな自己嫌悪の最中、私の胸元より下方。かすかに震える声が私に届く。他でもない、まい子だ。
涙声?いや、これは……私という存在そのものに対しての……嗚呼。そうだ。反射的な行動とはいえ。布団の上に引きずり込み、怪我をさせてはいないとはいえ、無理矢理押し倒すなどなんと乱暴な事をしてしまったのだろう。怖がらせても仕方ない。
それも……このような体勢で見下ろすなど、御天道様が顔を出す日の高い内にするべき事ではない。明確な行動の理由が証明出来ないそれは、悪意も他意もないとは信じさせれない。
彼女を脅かすも怯えさせるも、私の本意ではない。泣かせたくない。離れさせたくない。
「……すまない、乱暴した。まい子の後方に……危険な虫の気配を感じて、咄嗟に離そうとしたのだが」
「……ぁっ、な、なるほど…そうでしたか…」
だから簡潔に行動の理由を説明した。例えどれだけ言い訳を重ねても関係ない、震える声が聞こえる事が事実。当然の事だ、無闇な乱暴を働いたそれを早々簡単には許してもらえるはずがない。
どんな暴言を吐かれようとも、恨みの声を吐かれようとも私に弁解の余地はない。野蛮な行動を行ったのは事実なのだから。
「…しかし、こんなに寒くなったのに虫がいたのですか?」
「…ああ。しかしどうやら勘違いだったようだ」
「いえいえ、そんな。丈夫な虫もいるやもしれません。どこかへ行ってしまったのでしょう」
しかし彼女はその事を責めて来ず、薄く笑った。それが苦笑に聞こえるのは…自己認識のせいだ。どうであれ彼女は身を起こした私の腕の中から移動しようとして……なぜか腕の力のみで這って抜け出していた。
「そ、それではお休みなさ……ぅ…」
「うむ……どうした?」
「いっ、いえ。お、驚いた事で…少々腰が抜けてしまいまして…」
「嗚呼…!私のせいで……常々申し訳ない…!」
「いえ…大丈夫です、すみません……」
*
まい子の声かけと肩を揺する微細な振動で起きたのは約束した通り二時間後の事だった。一度軽い仮眠を取った事で体は随分楽になっており、再度訊ねられた二度寝は丁重に断り体の上や横で眠っていた猫達を退かし起き上がる。
睡眠欲が満たされ、次に体が求めたのは食欲だった。しかし夕飯にはまだ早い時間帯。私がそれを理由に断る事を想定していただろうまい子が差し出してきたのは艶やかな皮を剥かれ、食べやすい大きさに切り分けられた柿だった。
しゃくしゃくと新鮮な甘味を含んだ水分が体に染み渡る。南無甘く美味い…!
「もう一つ有りますが、どうですか?」
「良いだろうか?それでは頼む…」
「はい。おまかせください!…そういえば虫の話なのですが」
「む?」
私の体に合わせ切り分けられれば必然的に数も少なく、すぐに食べ終わってしまう。それでもまだ足りない事を感じ取ったのか二つ目の申し出を有り難く受け取らせてもらう。
包丁が皮を剥く心地の良い音と共にまい子が掛けてきた言葉は、今より二時間前の最後にした会話の事。
「行冥様に言われてから何とはなしに気にしてみました。勿論何も見付けれませんでしたが、けれど思い込みですかね。何かがいるような気がしました」
「嗚呼…余計な事を言ってしまったようだな、申し訳ない」
「あ。いえ、数分で体が飽きたのかなにも感じなくなりましたので。そもそも気のせいだったのでしょう?」
「恐らく。…私も睡眠をとったからだろう、今は何も見付けられない」
私の狼藉を働いた行為をとがめる訳でも、責め立てる訳でもなく純粋に虫を探す事を選んだ事に胸を打たれる。
そして仮眠を取り、意識が多少まともになった今再度気配を探してみてもあの時感じた気配は見付けれなかった。
「まぁこの時期に…吐く息も白くなっている今の時期に宙を飛ぶ虫は少々厳しいですかね」
「うむ、そうだな。……そんな虫など、いなかったのだろう…南無阿弥陀仏……」
やはり幻覚。そうとしか考えれない。そうだろう?
それに何よりあの時私の感じた、虫のような気配の大きさは通常では考えれないほどの大きさだったのだから。
気配や微かに感じた身動ぎや羽音からして……あの虫は私とさほど変わらない大きさだった。そのような虫が……まい子に気付かれず飛べる訳がない。
やはり、ただの思い違いだ。そうである他ない……
SCP-372 視界を飛ぶモノ
オブジェクトクラス:Euclid(ちょっとヤバい)
SCP-372は頭から尾まで約2mある未知の生物。細長い体に8対の短い手足がある。未知の感覚器官を持ち、近くにいる存在の脳内電気信号を感知する事でSCP-372を探す人間の頭の後ろに隠れる。姿は普通の方法では見れない。無理矢理SCP-372を見ようとすれば傷付けられ、場合によっては殺される。
SCP-372はふらりとここに来て、しばらくまい子の周りにいたけれどどこかに行きました。
SCP-372 http://scp-jp.wikidot.com/scp-372
著者:Sylocat 様
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