鬼と世界とSCP   作:アルビノ鮫

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弐拾陸話 性的に襲いたいようです(前編)

 

 

 

 「行冥様、お疲れではありませんか。そろそろ休憩にしてはどうでしょう?」

 「うむ。そうだな、そうしようか…」

 

 庭先に屈み込む行冥様の大きな背中に声をかける。彼は私の声に振り返り優しく微笑み、手に持つ庭先のむしった草をあちこちから集めて立ち上がった後こちらに来て縁側沿いの私の横に腰掛けた。

 お盆に乗せ持ってきた湯呑みを差し出し渡した後、お茶を啜る音を聴きながら綺麗になった庭先を見る。屋敷を囲む塀内にある木々や残された低木の草花を。

 

 一般的に雑草と呼ばれる、名も知らない小さな草木のそれらを引き抜いていた行冥様。雑草なんて名前の草は無いのだけれど、引き抜かれたそれらは悲しき草木でしかない。

 もしかしたら成長しきったそれは、美しい花だったのかもしれない。花は好きだけれど…ううん、管理しきれない上してもらってる立場で何も言えないなぁ。

 

 

 本来ならば敷地内の清掃という事で、私がしなければならない事…すべき事なのだろうけれど。

 

 「いつもありがとうございます、本来ならば私が行うべき作業ですのに」

 「構わない。この程度の事、私がすればすむ事と……いや、違うな、私がせねばならない」

 

 なぜだか、行冥様が行わなければならないと言う。日の下の作業だから?広さの問題?それとも……

 

 「…それはまた、どうして?」

 「………」

 

 私の問い掛けに行冥様は口をつむぐのを止めた。そして誤魔化すかのように茶を啜った。

 …??んー、答え辛い質問をしたのかな。そんな無理に回答してもらわなくても大丈夫だけれど。無理に問い詰めるなんて事はしない。

 だけれど…そんな難しい事を聞いたのかなぁ。役割に関しては曖昧にすべき事ではないと少し思っただけなのに。

 

 「行冥様?」

 「大した事ではない、忘れてくれて構わない。嗚呼…まい子もすべき事が他にあるのならそちらをしても良いが、どうだ?」

 「え?…あっ。はい、それでは厨房の片付けをして来ます」

 

 問い詰めたかった訳ではなかった。ただ反射的に彼の名前を呼んだだけで…。彼は怒るでもなく穏やかに私を見下ろした後いつものように頭を撫でようと手を持ち上げたものの、草木を摘まんだそれは泥に汚れていると思ったのか途中で止めて…胸元に戻した。

 行冥様の穏やかな声色が追及してくれるなと言わんばかりな気がして、跳ね上がるように立ち上がった。お茶を入れた厨房の片付け、ついでに付近の掃除をしようかと。急激に動いたその行動を心配する彼に謝り、縁側沿いの廊下を進もうとして……

 

 「…あれ?」

 

 とある一部分が妙に目に止まり、立ち止まった。不自然に立ち止まった私の行動に違和感を覚え、立ち上がり作業を再開しようとしていた行冥様が訊ねてくる。

 

 「どうした?」

 「いえっあの……ここの壁にある染みって、何の染みでしたかね?」

 「………」

 

 目に入ったそれは、縁側にある壁の一部。襖の横にある小さな小さな染み。赤黒く、微かなそれは普段であれば気にも止めないようなもの。それが…不意に目に入って、心をとらえた。 

 

 

 「赤黒い染みですね。低い…私が座り込んだら丁度頭の位置でしょうか。こんな所に染みなんてありま…」

 

 

 「さて。いつまでも休息を取る訳にはいかない、続きをせねばな」

 「……。……ぁ、は、はい。私も片付けをしてきます!」

 

 その壁の染みを見ていると何かを思い出せそうな気がした。染み。私の頭の位置の……

 そんな巡らす思考を遮るかのように少し大きな声が割り込んできた。行冥様は立ち上がり背伸びをしていた、お茶を飲み干した湯呑みをお盆の上に置いた事で少々響く音を鳴らして。

 

 …ああ。行冥様が再び行動するのならば私も動かないと。こんな所で思い出せも、そもそも記憶にあるかもわからない思考を巡らせているばあいではない。

 

 

 慌てて縁側沿いの廊下をはたはたと進んでいった。

 後ろから走るような無茶な行動をしないようにと、声をかけられながら。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 彼女のか細い軽い足音が遠ざかっていく。縁側沿いの廊下を曲がり、屋敷内へと進んで行ったのだろう。

 私の見えぬ目でも映らぬ、見えない位置にまい子が動いた事を確認し…息を深く吐く。

 

 

 到底黙ってはおけない…しかし、絶対に伝える事など出来ない心覚えを少しでも軽くするために。

 

 

 気にしていたその、廊下の壁にある染みの正体を私は知っている。原因も、経緯も、結果も、なにもかも。鮮明に覚えている。

 

 それは、私がこうして暇を見ては庭先をまんべんなく草抜きする事に関わっているのだから。全てで無くて良い。どんな種類であろうと関係ない。大きくなり花を咲かすようになるまでに排除出来れば良い。

 

 

 そもそも山の中にある我が家では完全に、それも無差別に生える植物の排除など厳しいが……それでもやらずにはいられない。

 

 

 私の勘違いならばそれでも良い。思い込みならそれでも良い。

 

 

 植物に。花に。

 

 胸に秘めた本心を晒され、らしくもない行動をさせられるような事が万一でもあるとするならば。

 

 

 庭先へと足を踏み入れた。さあ、再開しよう。

 

 

 ……私は、この行動を止める訳にはいかない。それが私と彼女の、心からの安穏になる可能性があるのならば。

 

 

 

 

 …思い出すは今から少しばかり前の話。

 

 まだ私達が婚姻を結ぶどころか、不意による慕情が伝わる前の話。

 

 

 そうだ、その日。あの日…。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 血の臭いを感じない柱としての責務を果たし、家へと戻ったのはすでに日が沈み、遥か高い場所に月が登っているだろう時間だった。

 付近に位置するほぼ全てが眠り、動植物の身動ぎすらろくに聞こえない静かな世界。

 

 そんな中。

 

 「お疲れ様でした、無事でなによりです悲鳴嶼様」

 「うむ、無事に戻った藁谷」

 

 出迎えてくれたのは、同居人である藁谷まい子。この屋敷に迎え入れてから半季近くもの期間が流れ、当時より活力溢れる声色に変化したのは体も心も少しずつ癒され健康になった証だろうか。

 そうであるならば、何より。胸に暖かなものが染み渡り瞳から涙がこぼれ落ちる。彼女の戸惑う声が、以前と比べ少しずつ揺らいできたのは慣れてきた証拠なのだろう。

 

 すでに眠っていてもおかしくない時間帯だというのに。私の無事を願い、喜び、出迎えてくれるのは……この、共に過ごした年月で理解した彼女の優しさと慈しみの心だ。

 

 

 …いや。今現在はそれだけではないのかもしれない。

 

 

 私の目は何も映さない。

 だからこそ、理解できるものもある。

 

 

 いつからか。

 当初申し訳ない、恐れ多いとばかりの縮こまっていた彼女の瞳に、手のひらに、吐息に。

 

 「そういえば、悲鳴嶼様。ついに開花したのですよ!」

 

 熱い、ものを感じるようになったのは。

 

 

 私を出迎え、隊服からの着替えや様々な帰宅後の準備を差し出してくれていた彼女が何かを思い出し立ち上がった。そのまま、廊下方面へと向かい襖に手をかけた後、私を呼ぶ。どうやら私をどこぞへ連れていきたいらしい。

 その、健康な人の体より一回り小さな背の後ろを着いて歩く。これでも大分ましになったのだから、きっと恐らくもう半季あれば。

 

 「南無。…開花とは庭先にあった蕾の事か」

 「はい、悲鳴嶼様が出掛けられた時にはまだ蕾でしたが今朝咲いたので悲鳴嶼様にも見ていただきたくて。朝でも良かったのやも知れませんが…しおれてしまう前に、見ていただこうかと」

 

 薄く困ったように。照れたように笑う彼女、藁谷。その声色に微かに混じる…熱い、もの。私の勘違いならばそれでいい。

 彼女の朗らかな声色や態度を私がそう思ってしまうのは私が余計な勘違いをしているだけだと。

 

 だがしかしそれを私が更に勘違いし、良くない方向へ変化させてしまったら。万一だが自惚れ、悪手を打ち傷付けてしまったら。……そんな事は、望んでいない。

 ただでさえ私は結果として…だが。彼女の自由を奪い選択肢をせばめ、不明確なままこの山の中に閉じ込めてしまっているようなものなのだから。

 

 

 「そうか、それはさぞ美しいのだろう。花は……自由であるべきだ」

 「そうですね!……。…??ん?そう、ですかね?……そうなのかな…?」

  

 彼女は自由だ。

 

 例えどれだけの思いを抱えていようとも、どのような手段であろうとも、一方的に思いを勘づき感じた私が。すぐに、一瞬で自由を奪える立場の私が……何かをすべきではない。

 

 ………。ああ。嗚呼。決してそれが。

 無くなってしまう事を恐れるようになってしまった後では遅くとも、だ。

 

 

 

 そうして、私達は廊下を進み、目的の場所へとたどり着いた。

 

 「こちらです。さほど大きくはないのですが綺麗な藤色の花弁を持った花びらが咲いたのです」

 

 彼女に案内されたそこは、縁側の外。塀に囲まれる庭先だった。いくつかの木とその足元に生える低木の草木に混じる中に…それはあった。

 

 この植物がいつから生えていたのかは私にはわからなかった。何せ私が柱となりこの屋敷に来たのも半季と変わらぬ時期なのだから。だから立派なそれを、私達の尺度で雑草だと引き抜く事は出来ずあれよあれよという間にこの状態になっていた。

 それでも、それほど美しい花を咲かせたのならば、引き抜かずにいた事は正解だったのだろう。

 

 藁谷が庭先に降り、その後へと続く。任務に出掛ける前、小さな蕾がある事は聞いていたから場所は大まかに理解していた。それでも蕾の中の一部である咲いたそれらは、案内されなければわからなかった。

 

 「ふむ……。…む?」

 「ぁっ、えっと……もう少し上です」

 「……嗚呼。これらか」

 

 屈みこみ手を伸ばす。目当ての花弁は予想より案外高い位置にあり数回目的の場所を探し、少々さ迷った。

 彼女は戸惑う声が聞こえた。それらの捜索はすぐに済む事だったが、多少手間取ったからだろう。私の目が見えていればすぐに見つけられただろうし、そうでなくとも彼女が私の手をとり導けばすぐだった。

 

 だが私の目は見えないし、特別な関係ですらない私達が手を繋ぐなど許される事ではない。大した理由もないというのに。

 

 

 「なるほど…これは、好いものだな」

 「…はい。小さく儚いそれの美しさを悲鳴嶼様に見ていただきたくて」

 

 触れた花弁は儚く、なめらかなものだった。咲き誇ったそれらからふわりと柔らかな香りを感じる…気がした。隣で彼女が柔らかに微笑んだ。

 見えない私に…"見て"もらいたかったという彼女の尊大な気遣いに心が熱くなる。涙が頬に流れ落ち、それを見た彼女の戸惑いながらの笑い声につられ笑う。

 

 「そうか。それはそれは…さぞ、美しいのだろうな…」

 「…はい。とても、とても。…今日が満月ならばもう少し明るく見易いのでしょうが、下弦の月ですからね…」

 「……そうか、今日は下弦の月なのか」

 

 見上げたであろう藁谷の言葉につられるように、上を見上げた。暗がりの中に微かに明かりが見えた気がした。

 私にとっても、彼女にとっても切り離す事など金輪際出来もしない鬼の存在に関わる言葉と同じそれなのに。彼女が発したそれは……とてもとても、佳麗で尊いものに感じた。

 

 そんな事を思っていた、ほんの数秒間後。

 

 

 

 

 ぬるり

 

 

 「…むっ?」

 「どうしました?」

 「いや…何か手に、水のようなものが…」

 「えっ?水、ですか…?」

 

 不意に草花に触れていた指先に滴り落ちそうなほどの水がこぼれてきた。ぬるりとしたそれは間違いなく水だろうに…理解が出来なかった。

 …そもそも、水など…どこから来た。月が覗く月夜に雨など考えられず、他の原因など。……まさか花弁から?いや、まさか。

  

 「あっ本当に濡れてますね、どこから……あれ?…乾い、て……」

 

 私の手のひらを彼女が覗き込んだ、と思った途端……ふと、時間が止まる。

 見えなくとも指先に感じていた雫の感触がなくなり、乾いた手のひらだけが残ったのを感じる。残されたのは何もない、手のひら。彼女も見て、それを確かに確認したようだった。

 

 ……気のせいだったのだろうか、私の勘違いの可能性は無くはない。こんな天気の良い日に花から滴るような水滴などが出るとは考えれない。ならば私が手を濡らすような焦りや火照りを感じていたと?…まさか。………。

 いや、それよりも。

 

 

 「……藁谷?」

 「………」

 

 会話の途中から一言も発さず、固まったかのように動かなくなった彼女が気になり、声をかける。しかしそれでも微動だにせず……まるで立ったまま意識を飛ばしたかのように。

 一瞬迷いはしたものの、肌に直接触れないよう肩に手を置いて再度彼女の名を呼び訊ねる。小さな細い肩が微かに揺れた…そう思った途端。

 

 

 首筋に、体に、細柔いものが絡み付いてきた。

 

 

 …数秒もかからず理解する。それは、隣にいた彼女が抱き付いてきたからだと。

 

 

 

 

 

 ** SCP-034-KO **

 

 

 

 

 

 「わ、藁谷…!?」

 「悲鳴嶼、様……あ、ぁあ……申し訳、ぁ…う……んっ…」

 「どうしたのだ?藁が……」

 

 たった今の状態すら録に理解出来ず、彼女に声をかけた。なぜ私に抱き付いてきたのか、もしかして具合でも悪くなってしまったのかと。

 しかし、そう訊ねる間もなく何よりも素早く反射的に私は手のひらで顔の前を覆った。やりたかった訳でも、考えての行動でもなく。ただただ反射的に。その手のひらに。

 

 「…何事…!?」

 「ひめじ、ま、さま……」

 「ッ!?!!」

 

 彼女の唇が触れ、柔らかく沈んだ。手のひらに収まりそうな小さな顔とその熱。

 微かに動いたそれは熱い吐息を耐えきれないとばかりに深く深く吐き出し、小さな手で私の手を左右から握りこんだ後、舌をぬるりと這わせてきた。

 レロンと。チロチロと。小さくも生ぬるいそれが手のひらをなぞる度に背中に何とも言えない痺れが走る。

 

 

 




 ─ 後編に続く
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