「…壊れましたね」
「南無…まさかこのような…」
まい子から箪笥の引き出しが開かないとの話を受け、私は手を貸した。力が足りないのならばと。
着物がいくつか入っている軽いそれを、何度と引っ張るも微動だにせず。というより奥で何かが詰まっているような。少し力を込め引き出せば鈍い音と共に壊れた金具と詰まる原因の剥き出しの木片が千切れ、床に転がる音が聞こえた。
……これは。いや、そもそも私が引き出さなくとも詰まっていたこれは…
「壊れていた、のだろうな…元々」
「そうですねぇ…いやぁまさかこんな。あ、すみませんありがとうございました。もう大丈夫です、開いたので気を付けて使いますので」
「…ふむ……」
引き出した…というより引っ張り出した引き出しに触れる。千切れた場所から大きくひび割れたそれを指先でなぞり…その大きさに眉を潜める。
この大きさならば、中に入った着物や帯
を巻き込んでしまうだろうと。今は平気でも、その内すぐに。いやそもそも畳に音を立て落ちるほど欠けたそれが衣服を守れるなど有り得るはずが……
うむ。やはりそうすべきだ。
「新たな箪笥を買うべきだな」
「……えっいやそれは勿体無いのでは…」
「大丈夫だ、怪我をする前に買い換えた方が良いだろう」
戸惑う彼女の肩に触れ、そのまま首筋と髪を撫でる。確かに物を大事にすべきだ、しかし。剥き出しになった鋭さに血を見せられる可能性があるのなら。これ以上彼女の柔肌に傷を残さない、それを防げる手段があるのなら。
そうした所で、何も問題ないだろう?
*
壊れた箪笥は一時的にそのまま、私達は麓の街の家具店に来ていた。
「わぁ…凄い、なんて様々な…!あぁ、見てくださいませ行冥様、こちらの箪笥などなんて立派な木材を使っているのでしょう!」
その店は結構な品数の充実を持つ店で、これほどの数多くの家具を初めて見ただろう彼女の声を聞き笑みがこぼれる。私に見ろ、という彼女の声に。
店内に響き渡る彼女の草履の音。どうやら私達の他にお客はおらず、どれだけ騒いだとしても誰にも文句は言われずにすむだろう。店主も奥からゆるりと出てきて声をかけてきた。想定しうる全ての平穏である「どういった品物をお探しで」との言葉を。
「普段使いの箪笥を探しているのだが」
私の言葉に店主は納得の声を上げ、私達を案内するように導かれる。紹介された多数のそれら一つ一つを丁寧に紹介する店主の言葉に頷き、時折気になった事を訊ねる。
まい子の普段使いのもの、聞くのは主に彼女で私は外装や素材を触れて確かめていた。どれもこれも、私の胸元か首元までの高さしかなく上部の埃がたまっている部分を少し撫でて。
「どれもこれも結構大きいですね…あまり高いと手が届かないので…」
「大丈夫だ、私がいるのだから。だが一応上に物は置かないようにすればいいだろう」
「うーん、確かに…しかし値も張りますし」
「……心配など、しなくていい…」
私からの許可がおりても戸惑う彼女の髪を撫で、落ち着かせる。贅沢に胡座をかけとは言わないが、少しくらい甘えてくれても良いというのに。
私達のやり取りを見ていた店主の和やかな笑い声を聞き…そういえばここは我が家でなかったと手を離す。店主は余計な事を言わず、改めて他の商品の紹介をしてくる。さすが年の功…酸いも甘いも噛み分けているのだろう。
「この箪笥は引手や外装が漆塗りですね、なんと高価そうな…。あ、こちらは背が低く私でも上部に届きそうですが、やはり入る量は少なくなりますね……こちらの若草色の箪笥は、西洋のものでしょうか」
「む?あぁ…取っ手が二つ、それだけしかないのか」
まい子の少し驚いた声色につられ、それに触れる。
大きさは
「はい。西洋の着物は折り畳まず、衣紋掛けにそのまま掛けるのだと聞いた事があります」
「ふむ、ならばこの箪笥では駄目だな…」
「はい、今入ってある着物を移し替えるには少々不便ですかね」
そうしてまた一つ、選ばなかった箪笥を過ぎようとしたその時。私達を案内していた店主が不思議そうに呟いた。
「あれ、そんな箪笥ウチにあったかなぁ」と。
……あるのだから、あったのだろう?
「ぁ、いえこの箪笥が駄目と言ってる訳ではないですよ?高さも大きく洋服であれば沢山入りそうですし、多少の傷などはありますがそれでも文明開化を考えれば素敵だと思いま……」
彼女の懸命な取り繕いに聞こえるそれを手助けしようと振り返った、途端。
足元が、意識が、大きく横に揺さぶられた。
「きゃあっ!?」
「むっ…!」
これは、まさか地震か…!?それもまあ、なんと大きな…!
地面が大きく、まるでざるに入れられ研がれている米のようにかき混ぜられているかのように揺れていた。店主の戸惑う声と店内の品物が落ちる音、箪笥の扉や引き出しが開かれ、閉じる大きな音。そして彼女の悲鳴。
「まい子、動かずじっとしていなさ……」
怖がり声をあげる彼女を安心させるため抱き止めようと手を伸ばし……想定していた場所で空を切った。
そこには、誰も、何も、いなかった。
「………ま、い子…?」
徐々に収まってきた揺れは関係なく、彼女が立っていた場所に歩み進め、姿を探すも何も見付けれない。
バタンバタンと。揺れが収まり閉じた箪笥があるだけ。
……え、そんなまさか。…いや、彼女なら有り得る、か?
揺れる前彼女はこの西洋箪笥の引手に手を掛けていた。そして揺れに襲われ、揺れに合わせ開いた扉に飛び込み、揺れに合わせて扉が閉まり……中に閉じ込められたのではないだろうか。箪笥の中に入った事などないが、開かない可能性もある
まさかと言わんばかりの説だが、あの綿毛のようにふわりとした彼女ならなんともまぁ、あり得そうで……嗚呼。なに、確かめて見ればいい事だ。
扉を開く事など容易く、何より姿が無いのだから。
「まい子?そこに居…、……、…えっ…?」
西洋箪笥の扉を開き、声をかける。
そして判明したそれは……私の想定していた全てを覆すものだった。
彼女がいるか、いないか。その二択だったはずのそれは…全く違う回答を出してきた。
箪笥の中にまい子の姿形は一切無く、かといって空の箪笥の木材に当たり反射してくる声も無く。
彼女はいない。声も響かない。なにせ、その箪笥の中は。
遥か遠く、声の響く具合からして
「……何だ、これ…は…?」
箪笥ではない。これは箪笥ではない。
そして……彼女、は?どこに行ったというのだ…?
……まさか、この箪笥の迷宮に不本意に飲み込まれ、迷い込んだとでもいうのか…?
*
「ぃっ、たぁ…」
まだ目の前がチカチカする。
瞳を閉じていて、何も見えない暗闇のはずなのに星が飛んでいるように明暗しているのは地震の衝撃で箪笥の中に思い切り前から倒れ込んで顔面強打をしたせいだろう。
押さえた鼻先や頬に触れれば少しのぬめりが。鼻の奥からの血という意味での鼻血ではなく、鼻先を擦りむいての鼻血が出ている。同じく頬の表面を削ったであろう血が多少。
ああ、ただでさえ傷物の顔だというのに。行冥様に大変申し訳ない。
こんな地震に揺られてふらついて、ざらざらとした箪笥の中に倒れ込んで怪我をするだなんて。
「申し訳ございません、行冥さ……え…?」
座り込んだ体勢のまま謝罪をしながら行冥様のいた方向に向き直り、目を開けた。恐らく困り心配しているだろう彼の顔が見えるはずの向きと角度で。
しかし見えたのは変わらずの暗闇。
目を閉じていた時と何一つ変わらない、真っ暗な景色。
「……えっ…?」
何度と瞬きをしても変わらず、永遠の暗闇。何これ、夜?まさか、私も行冥様のように目が見えなくなってしまったの?それは顔面を強打したから?いや、でも、そんな。
そんな脳内混乱のまま、無意識に手を伸ばした。彼に救いを求めるように。
けれど、その手は誰も取ってくれず…虚しく空をきった。ぽてり、と座っている足の上に手が落ち、床に転がった。
…そしてそれが、逆に冷静になれる行動だと気付く。
……ここが、箪笥の中ではないと気付いたから。
「…なに、ここ……?」
閉じ込められた箪笥の中なら手を伸ばせば何かしらに当たる。扉などの木材のどこかに絶対に当たる、大きいといってもそこまでではない。閉じ込められていればなおさら。空を切るほどの広さなんてない。
** SCP-432 **
─ 中編に続く