冬の名物猫団子。寒い気温に体を寄せ合い集まっているその姿はなんとも愛らしい。
しかし春を迎え夏が近付いてきた今の季節になればその姿を見る事は厳しくなる。
だからこうして雨が降った事で気温が下がれば再び作られる。今回は床の間の床畳の上で。
白猫と虎猫がまるで抱き合うように固まり、彼らの背中やお尻を枕にでもしているかのような茶白猫と黒猫。
その視界の暴力に声を上げずにいるのが精一杯。
(行冥様が見たら…見なくとも伝えただけでまた泣いてしまうでしょうねぇ)
猫達の重なりあう音を聞いただけで、気配を感じただけで涙を溢す姿がありありと思い浮かぶ。
鎹鴉の連絡通りなら明日の朝か昼頃には戻ってくるだろう、その時に忘れずに伝えようと決意する。
「…あら?陽が射してる…」
お昼寝を邪魔しないよう襖を音をたてないよう閉め、廊下を歩いていれば格子窓から柔らかな光が射し込んできていた。
外の様子を伺えば雨も止み、時折青空すら覗いている。
いつの間に止んだのだろう。一日雨かと考えていたのに。
「…よし!」
散歩日和だ。出掛けてみよう。
そんなに遠くに行かなければ大丈夫だ、多分。
*
気分がとても弾んでいる。
理由は単純、森の緑がいつもより美しく見えるから。虫や鳥の合唱を聞いている内に益々楽しくなってきた。
雨上がり特有の澄んだ空気を嗅ぎ、雨粒で光を反射させ輝いている葉っぱや木の枝を眺めてのんびりと歩いていた。
景色をゆっくり楽しみたいという理由もあるけど、土が少しぬかるんでいるから滑る可能性は高いし…川は少しだけ水嵩が増えているからそちらにも足を取られないようにしなければ。
うーん、森で迷子にならないようにと、家近くの川に沿って上流に向かう選択をしたけれど…どうだったのかな。
いきなり鉄砲水が来て流される、なんて事にはならないだろうけど。
魚がいないかと川を離れた場所から覗き込んでも強い水流で白く波打ち少々濁ったそれでは姿の確認は出来なかった。
それでも何か見えないかと川を見ながら歩いていて…ふと気付く。
あれ?滝……通り過ぎましたっけ?
今日だけでなく常にかなりの降水量がある川から作られる滝。私なら打たれるどころか近付く事も出来ずに潰されそうな滝。
そんな滝を…さほど距離が離れていない道を歩いていて気付かなかったなんてあるだろうか?
音も中々の音量だし気付かずに通り抜ける事なんてあるだろうか?
…いやまぁ、なくはないか。現に今こうして気付かずに通り抜けているのだから。
他に夢中になっていたらこんな事もあるさ、と意識を切り替えて歩く。
けれどそうだとしたらそろそろ戻った方が良いだろう。時間はまだまだ夕焼けには遠いけど私の体力のなさを甘く見てはいけないのだから。
そうして岩にたどり着きまだ少し濡れている表面を指一本でつつき、戻ろうと踵を返した時だった。
…ん?何か今視界の隅に見えたような…?
何かが見えた方向によくよく目を凝らしてみれば森の中に一般的に似つかわしくない色があった。
植物や獣や自然ではない、鮮やかな、人工的な赤色。
あれは……
「…柵?」
森の中にあったのは木で作られた立て板。それを鮮やかな赤色に塗ってある柵がある。
…え、こんな所に?知らなかった。こっちはあんまり歩いてきた事がなかったから気づかなかったんだ。
ちょっとだけ、見てみよう。
そんなに離れていないし、川の音が聞こえなくなるくらい遠くに行かなければ大丈夫だろう。
近付き、少し眺めたあと均等に立てられている柵に沿って歩き始める。
これは何のための柵だろう?
柵の中は周りの森とさほどの違いはなく、あえて言うならば少し木が少なくなっている事くらい。
土と小さな石の上を歩いていれば、間もなく簡易な門が見えてきた。
柵と同じく木の板を継ぎ合わせて出来ている門が、まるで私を招くかのように開いていた。
…招かれている、なんて自意識過剰だ。しかし招かれたからには入らなければ失礼。
門をくぐれば先に続くように、土の地面から石畳の道に変わる。
落ちた葉がまばらに落ちてあるものの石畳は苔むした部分すらなく綺麗に整えられていて、頻繁に人が出入りしているのがわかる。
カツカツと草履の底と石畳のが当たる音を聞きながら歩いていれば再び柵と門が目の前に現れる。
同じようなそれは入ってきた場所と同じく全開に開いていて、その中身は遠くからでも中が見えた。
「わぁ…!」
見えたそれは一面の花畑。
赤、黄、白、様々な色で彩られ広大に広がる一面の彼岸花の花畑。それは視界のどこまでも続き、まるで私を歓迎するかのように咲き誇っていた。
「なんて、なんて綺麗な…!」
目の前に広がった輝かしい景色に近付くために小走りで近づけば急激に喉元、胸元が苦しくなり立ち止まる。
その咳き込み、激しいそれに意識が朦朧としてくる。何度も何度も咳き込むそれを地面にしゃがみこんでこらえる。
咳き込む度に目の前が白か黒か赤に染まる。咳き込んでいる間、綺麗な景色なんて何もわかりはしない。
ゲホゲホゲホ。
その行動と苦しみのせいか沸いていた心は落ち着き、収まる頃には幾分か冷静な目で辺りを見回す事が出来ていた。
ここは、なんだろう。
咳き込みが終わり落ち着いた体を動かし、そのまま石畳を歩き始める。
視界の全て、景色の全てが美しく咲き誇っている花で埋まる。ゆるやかな坂はあるものの広い広い…平坦な土地はどこまで広がっているかわからないほど広い。山の中のはずなのに木も何もない。
足元に咲いてある彼岸花を見ながら歩く。
ふぅわりと、甘い蜜のような匂いがする。花の蜜かな。とてもいい匂い。
こんな広くて綺麗な場所があるなら町で噂の一つや二つ聞いたことがありそうなものだけど…大きな花畑の噂なんて欠片も聞いた事ない。住んでる場所にこれほど近いのに。
自然の景色にも見えるけどもそれだけは絶対違う、自然は石畳をこんなきっちり敷き詰めない。
しかしなんて綺麗な場所なんだろう。
こんな場所ならずっといたとしても飽きずに過ごせそうだ。
行冥様にも見せてあげたい、見れないけれど。行冥様も知ればきっと癒されるはず。
……あ。ああ、そうだ。帰らないと。なんだかんだ入ってそのまま歩いてきてしまっていた。
振り替えれば扉がかなり遠くに見えた。周りが花しかなく、指針となるものがなにもないからぼんやりとこんなに歩いてしまったのだろう。
今日はそんな事ばかりしているな、しっかりしないといけないのに。
そういえばこんなに近いのに行冥様が知らないのは奇妙な気がする。戻ったら聞いてみないと、こんな素敵なところを知らないならばもったいないから。
踵を返して入り口に向かって歩きだして…止まる。足元に咲く赤色の花を見る。
……一輪持ち帰ってはダメかな?
現物があった方が行冥様に説明をしやすいし、こんなに沢山あるなら。
けれど美しく咲く花をたおるのはダメだろう。誰かが一生懸命に育てた花だろうし…何より摘み取る権利なんて私にはない。
ゆっくりとしゃがみこんで手を伸ばす。触れるだけなら許されるだろうか?
『お嬢さん待って、花に触れないで!』
「!」
しかし触れる直前に聞こえた大声に驚き、とっさに手を引っ込めた事で花には触れれなかった。
顔をあげ声の方向を見れば花畑の中から見た事のない服装の年配の男性がこちらに向かって走ってくる姿が見えた。
少し慌てた様子に不法侵入した事を咎められると覚悟を決める。しかし近付いてくる足をゆっくりと止め、走った事で少し荒くなった呼吸を整える間もなく。
『ごめんなさいね大声をあげて。だが花には触れないでくれれば助かります、主人に叱られてしまうので』
笑顔で優しい注意をされただけだった。もっと怒鳴られてもおかしくないというのに、彼は困り眉で笑うだけだった。
人の良さそうな顔に見慣れない服装。少し土汚れがある所を見る限り庭仕事をする際に着る西洋の服…だろうか?
「こっ、こちらこそ勝手に入っての行動、大変申し訳ありません!証明は出来ませんが花は傷付けも触れもしていません…えっと、あのすぐに出ていきますので!」
『ああ、大丈夫わかっていますよ。むしろ鑑賞だけならいくらでもしてください、花を愛でる心を持つ者は、どなたであろうと嬉しいものですから』
私が全面的に悪いというのに更ににこにこと微笑みながら花を手のひらで指し導いた。…勝手に侵入した私を咎めるより、花を大事にする人を歓迎しているような。
こんな素晴らしい花畑だからお客さんが来てくれて嬉しい、楽しんでもらいたいとばかりに、ここにはどんな花があるのか、どこに咲いているのか話してくれる彼。
その言葉端にかすめる主人、の存在。彼を庭師として雇い管理を任せている主人とは…
「あの、貴方の雇用主は…」
『はい?』
「……いえ、何でもないです。すみません…」
岩柱の住まいの付近、担当区域、その山の中の管理を任せる雇用主は……産屋敷様なのだろうか。そう尋ねようとして、止める。
違った場合、私が口に出した事であの方達に何らかの迷惑が及んだ場合何をしたとこで責任をとれる事はない。例えそうであったとして私に何を口挟む権利もない。
それらの確認は無意味で不必要で危険な問いだ、確認ならばまず行冥様に相談をした方がいい。
「ぁ、えっと。この曼珠沙華綺麗ですね、この季節に咲く彼岸花なんて初めて見ました」
だから誤魔化した。もちろん花の美しさは間違いなく思っていた事だし、嘘はついていない。
夏間際に咲く彼岸花の存在なんて聞いた事もなかったけどれど、どこかの山には一年中藤の花が咲いていると以前行冥様に聞いていたしそのような感じだろうか。
そして彼は私の誉める言葉に深く深く頷いて自慢げに話し出す。
『そうでしょう、そうでしょう。この季節にこうして綺麗に維持するのは中々大変なのですよ。それに彼岸花は代表的な赤や白だけでなく様々な色もあって美しいですよね』
「色…?どんな色があるんですか、桃の彼岸花?…まさか"青い彼岸花"があったりとか?」
私自身は赤、よくて色の薄い白くらいしか道端で見た事はなかった。彼岸花の色はそれくらいしか思い付かない。けれどここにきて当たり前に咲く黄色を見て…彼の言葉に想像を巡らせる。
桃色の彼岸花は愛らしいだろう。桜や果実のような柔らかな色なのだから。けれど青色の彼岸花なんて存在有り得ないんじゃないだろうか、見た事もないし、聞いた事もない。
笑い声混じりにからかうように彼に尋ねれば彼は満面の笑みでにっこりと笑い。
座り込んだ足元の花の茎に触れ、花弁を揺らしていた。咲き誇る花達がまるで彼の誇りとでも言わんばかりに堂々と触るその姿を。
「青?青色ですか。青色なら……」
ざあっ
彼の言葉と同時に、強い風が私達の体を撫で去っていった。その強さは一面に咲き誇る花びらを引きちぎり舞い上がらせるほどのもの。
その強い風に髪の毛が羽織が着物が煽られ、まばたきの間目をつぶった。
私がしたのは、ただそれだけ。
「まだ作られていないですね、青色のバラは。自然界にもありませんので」
「……えっ…?」
なのに、年配の彼が触れている花は、先程まで咲き乱れていた赤色の彼岸花ではなく見た事もない花弁の多い花に変化していた。
辺り一面、彼岸花ではない、とても綺麗な別の花に音もなく変わっていた。
** SCP-662-JP **
──後編へ続く