鬼と世界とSCP   作:アルビノ鮫

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参拾話 忘れ去られる世界のようです(前編)

 

 

 明かりの付いていない部屋の中、一つのノートパソコンが開かれ置かれている。

 その画面には淡々と文章が書かれている。

 

 その一部に目を通す。

 

 

 

 《とある箇所や人物に関連するSCiP報告書一覧をここに記す。

 また発見者に対する記憶処置は追及なしであればクラスAの記憶処理である》

 

 

 《SCP-529 … 確保収容保護完了。記憶処理完了。

 SCP-096 … 確保収容保護完了。███村に関しカバーストーリーの流布と、広範囲の記憶処理を行う。

 SCP-194 … データ削除済。

 SCP-622-JP … 確保収容保護完了。記憶処理完了。

 SCP-151 … 確保収容保護完了。記憶処理完了。

 SCP-173 … 確保収容保護完了。記憶処理完了。

 SCP-500 ………   》

 

 

 

 つらつらと書かれている文章を下へ下へと眺めていく。

 完了、削除、不可能、あらゆる単語が並ぶ中一つの目を引く、終わりとも区切りとも読み取れる箇所を見付ける。

 

 

 《Y-909の出現、そして消費を確認》

 

 

 

 耳元で水中に潜った時と同じ音が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こぽり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 柱の緊急招集。何があったのかと少々肝を冷やしながらお館様のお屋敷へと向かった私を出迎えたそれは到底信じられないものだった。

 

 

 隊律違反を犯し、鬼となった妹を連れた隊士。

 人を喰わない鬼の存在。

 更にその子供は鬼舞辻無惨との遭遇経験があるという。

 

 

 全てが理解の範疇を軽々と越えんとばかりの事実。なぜ、どうして。そして目の前に迫らんとばかりの戦いが、私の見えぬ目でも見えそうな気がしていた。

 

 

 「それではその隊士は冨岡様と関係していたのですか」

 「うむ。深い経緯は冨岡が何も語ろうとしない為に把握が出来ていないのだがな……決して悪い男ではないのだが…」

 

 いくらなんでも口下手が過ぎる。そう言葉を繋げれば口元を押さえながら声をあげて彼女は笑った。ふわりとした香りが着物の衣擦れと共に舞う。

 

 「不思議な方ですね冨岡様は。それでその隊士さんと鬼の妹さんはどうなったのです?」

 「一応しのぶの所での預かりになったようだ。怪我もしていたようだし…当人が決めたのなら、そう悪くはないだろう」

 

 冨岡曰く、十二鬼月の下弦の鬼の伍がいたという。それと戦い生き残った竈門隊士は……運が良かったとの言葉だけで片付けて良いものなのだろうか。

 鬼舞辻と接触する事になる隊士に対して鬼殺隊への道を示し鬼となった娘を庇い、自身の命をかけるその命運はまるで導かれる天命のようだ。

 お館様がいくら()()()()としても納得の出来ない者も当然にいる。人を喰わない鬼……その存在事態は罪ではない、永年……鬼殺隊創立以来の願いだろう。それでも、これは決定事項だ。竈門隊士とその鬼の妹は生かし、鬼舞辻をおびき寄せる為の可能性に賭ける。

 

 「あっ蝶屋敷に今いるのですか。それはそれは……大丈夫なのですよね?」

 「…それは誰を指しての言葉だ?竈門隊士か鬼の妹か、それともしのぶか」

 「……内緒です、今日の私は意地悪ですから」

 

 彼女は少し笑った後立ち上がり、畳の上を移動し日の当たる場所へと移動する。その後に私もついていく。

 縁側に音もなく座ったその横に音もなく腰掛ける。触れる事もなく、ただ座っている。

 

 

 しばらくの沈黙の後に、彼女が口を開く。

 

 「そりゃあ私は蚊帳の外ですよ。しのぶちゃんのように血反吐を吐いて隊士になる決意を固める段階にも進めない体を持っていた人ですよ。しかしだからといって……鬼と隊士の決意に、運命に嘆く事が許されないのでしょうか」

 「………」

 「なぜ人を喰わない鬼が存在するのです。そんな鬼がいるのなら、世界に許されたのならもっと……もっと、救われた人がいたでしょうに…!」

 

 微妙に揺れていたその声が、徐々に濡れて涙混じりになっていく。誰か個人を…それこそ鬼の娘を糾弾したくて出した声ではないが、言わずにはいられなかったとばかりの声そのままに私の膝の上に上半身ごと倒れ、乗られる。震えるその背に手を伸ばそうとして……止める。

 …鬼殺隊に入り九年経つ私ですら見た事のない、害のない鬼の存在。そんな存在が許されるのならば、人を助ける鬼が民衆を、家族を苦しめず鬼殺隊の助けとしていたのならば……どれだけの人々が絶望を味わわずにすんだろうか。家族に裏切られ、襲われ、苦しめられる出来事が。

 ……それでも。

 

 「それでも、今こうして何十、何百年といなかった人を喰わない鬼が存在している事が何らかの影響を及ぼすだろう。我らの願いだった鬼舞辻討伐が目下に迫らんとばかりになったのは……彼らの存在が関係あるかもしれぬ」

 「…行冥様」

 

 私の膝の上に寝転んでいた彼女がころりと転がり、腹を枕に私を見上げる体勢となっているのだろう。視線を、感じる筈がないのに穴が空きそうなほど見られているのを感じる。

 

 

 「…私の事を嫌いになりましたか?嫌な事を言ったから…」

 「……そんな事言っただろうか?」

 

 なのに紡がれた言葉はずいぶん弱りきった…というより何だか落ち込みきって呟き、こぼれ落ちたような言葉だった。膝先に彼女の小さな指先がつついているような感覚を感じる。責めてはいないのに、どうやら自己嫌悪に陥っているらしい。

 

 「言いましたよぉ…妬み嫉みのような情けない言葉を……彼女が憎い訳でもないのに。憎める立場でも、ないというのに……鬼となったとしても…キョウダイが生きているのなら、幸せだろうに、なのに。なのに……酷い人です…」

 「……」

 「そもそもそんな鬼が無事に自由には…鬼舞辻から狙われない訳がない。大事なキョウダイならば強くなって守らないと駄目だろうに……そんな人達の事を、人でなしな事を言う私の事……嫌いになりました?」

 

 彼女のぐずぐずとした嘆きの言葉が止まってしまえば、私が彼女を感じる事が出来なくなる。確かにどれだけ後悔しようとも苦しもうとも、哀しき世界に叩き落とされようとも生きてさえいれば……幸せだっただろう。

 第三者が手にしたその世界を。妬む心を、鬼に壊された我らの誰が責めれようか。

 

 

 言葉を返さず……私が持つ心の全てを手に乗せ、膝の上の彼女に触れる。さらりとした細い髪の毛が、滑らかで冷たく心地よく指の間を抜けて行く。

 

 

 「まい子」

 

 彼女の名前を呼べば身動ぎしていた彼女の動きが止まる。呼ばれた意図はわかるだろうに、意味がわからないのか微動だにしない彼女…まい子に対し笑いかける。

 如何にも出来ない真実に苦しみもがき、それでも嫉妬の最中にも慈しみと慈愛の心配を呼び掛ける。嗚呼…なんて愛らしいのだろう。

 

 「嫌いになる筈がない。今後どれだけの時間が経とうとも、どれだけの人々が救われ…私に熱いお礼を言おうとも」

 「…さっきはああ言いましたが、嫌いになっても良いですからね」

 

 ガバリと彼女が膝の上から起き上がる。その決死な表情がある顔は私の胸元辺りだろう。どれだけ背伸びをしようとも、根本的な身長差は縮まらない。まい子が小さい訳ではない。そうして距離が離されるのは自然界の摂理、仕方のない事なのだから。

 

 

 「この四季折々の世界で、それに伴う人間一人一人ですら繊細でとても美しいです。私を嫌いになっても、私が貴方の傍にいなくてもこの世界を、人々を…愛してください」

 

 ずい、と。触れ合いそうな程顔近くまでまい子の顔が迫る。鼻先と鼻先が触れ合いそうな距離にも関わらず、それ以上近寄らず絶妙な近さで止まったまい子に何か言おうとして…口を噤んだ。

 一度何か間違ってしまえば触れ合いそうなそれに……私は言いようがなく、怖じ気付いた。……それでも、私の心はずっと昔から変わらない。

 

 

 「……大丈夫だ、私はこの脆く崩れやすい硝子細工のような世界を思っている…弱気者を守り、遥か遠くの平和な尊い未来を夢見て手繰り寄せる為に戦う事を決意している」

 

 どれだけ打ちのめされようとも、裏切られようとも、見捨てられようとも……守って見せる。この世界を、人々を、願いを。

 私と言う存在が、この世にいる限り。

 

 

 「……傲慢ですか?世界や人々ではなく、貴方…行冥様が幸せになって欲しいのです」

 「…私の幸せは、遥か前からそうだと決まっている。わかって欲しい……だがありがとう」

 

 どうも納得の言ってなさそうなまい子の声と身動ぎに、反射的に笑い声が漏れる。

 嗚呼……声をあげて大笑いをする事は、どれくらいしていないのだろう。元々するような性格ではないが…それでも遠い記憶に想いを馳せる程近くに思い付かなかった。

 

 

 「行冥様の幸せには…猫達も含まれていますよね?」

 「うむ…勿論だ」

 

 だからこそ彼女の発言する私では思い付かない予想外な事が。

 なんとも、愛おしかった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 こぽり。こぽり。

 

 

 

 深く、深く。

 

 

 

 

 闇をも吸い込む暗闇に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈んでゆく。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 炎柱、煉獄杏寿郎の殉職の訃報が届いたのは山中での修行時だった。同行していた弟子である不死川玄弥は乱暴ながらも故人を偲ぶ言葉を紡いでいた。

 

 

 彼の詳細を鴉から聞けたのは、任務へ向かう道中だった。

 共に居た同行者。鬼から受けた被害規模に犠牲者。そして今際の姿を。

 

 

 …上弦の鬼。上弦の参。その情報は最初の訃報時に聞いていた。だがその相手にして、誰一人犠牲を出さなかったというのか。

 ……己一人だけを除いて。

 

 その事実を受け止め、称える事も嘆く事も出来た。その手腕の見事さも、力や繋がりの消失を惜しむ事も。

 だが…その隙を、鬼は許しはしない。私は、私達はただ、煉獄の抜けた穴を埋め…鬼の頸を斬っていくしかない。

 

 

 任務を終え私は家へと辿り着いた。もはや朝と呼んでも差し障りないような時間帯に。

 空は徐々に白んできているのだろう。生き物の声もこれから聞こえてくるのだろう。澄んだ空気が抜けそうに遠くの音を拾って……

 

 「…~♪」

 

 玄関扉を開けようとしていた私の耳に、微かな鼻歌を届けてきた。その声色に体が固まり扉を開けようとしていた手を止め、声に導かれるように庭先へと向かう。

 こちらは縁側へと繋がっている道。その庭先を一望出来るその場所がまい子はお気に入りだった。しかし……いや、まさか。

 

 最後の一歩を、踏み出す。縁側も、庭先も一望出来るだろう場所に私は辿り着いた。どこから見ても、例え暗がりでも私の姿は確認出来ただろう。足音をわざと立て音でも姿の強調をしたのだから。

 

 

 「あ、お帰りなさいませ行冥様。ご無事で…お怪我などはしていませんか」

 「……まい子」

 

 そんな訳がない、だがけれどもしかしたら。そう悩み思っていた思考が……ある意味予想通りというかなんというか、当たっていた。庭先へ続く縁側から、まい子の無事帰宅した事へと歓喜の挨拶をかけられる。

 

 「なぜこのような時間帯に……いやそもそも昔に言ったろう、出迎える為に起きるような真似は…」

 「シッ。駄目ですよ騒いではいけません行冥様、玄弥くんが起きてしまいます。不死川様に怒られてしまいますよ?」

 「………」

 

 理解出来ないそれに問い詰めようとせんばかりな声色と声量で詰め寄ろうとする私を彼女は指一本を唇へと持っていき、静止してきた。

 その足元を掬うような言葉に、言おうとしていた言葉が出てこず……黙ってしまう。なぜこうなってしまうのか。彼女は私の……いや、良い。構わない。

 

 「…そうだなすまなかった。ならば大声を出さないよう、近くに座っても?」

 「勿論です。そもそもここは貴方のお屋敷ですから」

 「………」

 

 縁側に座る。触れそうなほど近くの、決して触れない場所に。まい子は座布団を持ってきてその上へと座っているのだろう、良くそうしていたのだから。

 

 

 「それで、なぜ起きていたのか訊ねても良いのだろうか?」

 「ぁ、ちょっと…くすぐったいです行冥様。低音と吐息が…」

 「…む?確かにまい子は耳が……いや、平気だろう?」

 「むう、意地悪です。いけない人……それで、起きていた理由、ですよね」

 

 体を少し屈ませ、彼女の耳元があるであろう場所で大声に決してならないよう小さく囁く。この声の大きさならば人も、猫も音を聞き付け起きてくる事はないだろう。

 決して掛け替えの効かない、この時間を壊さないように。

 

 

 「…煉獄様が亡くなられた事が、関係しているのですかね」

 「……そう、か。…いや、そうだな。そうなのだろう…」

 

 まい子の言った言葉に納得の出来ないような納得の心が歩いてくる。鬼と対峙する隊士が亡くなる事は…悲しくはあるが、珍しい事ではない。だが柱となったものが……それも、上弦の鬼を相手にする事など早々ある事ではない。

 特に煉獄……杏寿郎は良く知っていた。長年柱を勤められ私とも同僚であった父親である槇寿郎殿の御子息であり、信頼を寄せるに値する熱き心を持った人物だった。だからこそ……亡くなった事が、どうにも腑に落ちないというか…信じられず胸にわだかまりが残っているような、そんな気がしていた。

 

 「煉獄の事は信頼していた。上弦相手にただ一人の一般の犠牲者を出さなかった事は大変素晴らしい事なのだろう。…だが親より、大切にしていた相手より先に死んで、しまう…のは……」

 

 自分でも、整理しきれていなかった心中を口にした事で心が乱れる。わかっていた、心では理解していた。だが…心は一枚岩ではない。私自身ですら、許容出来てすらいない。

 残された相手、槇寿郎殿や弟は理解はしていただろう。代々由緒正しき炎柱の家計だ、こうなり残される立場になる事も想定していただろう。少なくとも…表向きは。

 しかし、それでも。だからといって……

 

 「残された者が、仕方がなかったと……割り切れるものではないだろうに…」

 

 つい半日前まで無事に生きていた存在が。ごく当たり前に戻ってくると信じるほかなかった存在が……そうでなくなるなんて。

 訃報を聞き、その遺体の氷よりも冷たく冷えきってしまったその肌に触れ…悲しみも怒りも怯えも何もかもわからない震えに揺れる歯を味わう事も。涙の一筋もこぼれない事も。

 当事者、その時におかれないと本当の意味で理解をして仕方がなかった、人を守っての名誉なものだったと割り切れるものではない。

 

 床の上に置いていた手を拳になるほど握り締める。ギリギリと何かを磨り潰しそうな音が鳴った事に少し経って気付き、ゆっくりと手のひらを開く。この音もまた…静かな空に響いてしまう。

 

 

 大きく息を吐く。全てを吐き出すかのように。なのに隣にいるはずの存在、まい子はそれを見逃さず更に深くの深くまで追求するかのように。

 

 「……怒って、いるのですか?」

 「………」

 「鬼に…人に……多くの命を奪う世界に……怒っていますか?」

 「……ああ、きっと…そうなのだろう」

 

 彼女の問い掛けに、うつむいたまま返事を返す。そのまま上を向き空を見上げても景色の色は何一つ変わらない。変わらずの暗い色のままだ。

 煉獄…彼を奪った鬼に、この世界の全ての人が大切に思う大事な誰かを理不尽に奪っていく世界に。私はきっと怒っている。そして言い様のない怒りと共に嘆いている。

 

 

 どうして。もっと。ああしていれば。

 

 ……後悔しても、変わりがない事を後悔し続けている。きっとそれは誰もがせざるにはいられない事。

 

 

 「……この理不尽な世界から解放される時はくるのだろうか。否、手繰り寄せよう。少なくとも…私達の未来を奪っていった鬼がいる世界は私達が屠ってみせる」

 

 私のその言葉に、まい子からは何の言葉もなかった。…いなく、なってしまったのではないかとつい手を伸ばしてしまう。私から触れるその行為はあまり良くはないだろうに…

 

 

 だが、予想していたそれから外れ。指先はまい子の髪と頭部に触れる。さらりとしたそれの滑らかさと冷たさに指先が震え……一寸も動けなくなってしまう。

 彼女は私の心境を理解したかのように頭部に置いた手を頬に導くかのように小さく体温の低い手で動かしていく。

 

 するり、と。頬を擦り付けてくる。傷のある、頬を。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 こぽ。こぽ。こぽこぽこぽ。

 

 

 

 

 沈んでいる。

 

 

 

 

 

 どうして沈んでいるのだろう。

 

 

 もがく事もなく。

 

 

 何かに触れる事もなく。

 

 

 

 

 ただずっと……深く深く、沈んでいる。

 

 

 

 光の届かない、深くまで。ずっと。

 

 

 

 

 

 

 




 ─ 中編に続く
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