「まい子ー…?」
本来いる筈がない者に声をかける。柱稽古の特訓中で来ている隊員含め家の中に誰もいないのは確認済みだが、それでも一応必要な者以外誰にも聞こえないように小さな声で。
家の中をぐるりと回った。いつもならば、彼女を思えばそろそろ出てきてもおかしくないのに、なぜか今は中々現れてくれなかった。
「…行冥様」
「ああ、ここに居たのか」
そうしてやっと見付けた彼女はほぼ何も物が置かれていない部屋、仏間に声の高さ的に座っていた。壁沿いのそこはとある物がある場所…仏壇がある場所に重なるように居た。
ふわり、と線香の香りが鼻を掠めた。今日は焚いていない筈なのだが……日々の積み重ねが部屋に染み着いているのだろうか。
「解ってはいると思うのだが一応言っておかねば、そう思ってな」
「……いよいよなのですね」
「うむ、お館様から告げられた」
彼女の前に座り、向かい合う。
お館様より宣言された「近い内に鬼舞辻が現れるという予感」であるそれ。先見の明を持つ彼の言葉であるそれは決して外れはしないだろう、となればこれは我ら鬼殺隊の悲願である鬼舞辻との決戦他無かった。
腹底に渦巻く厭悪はただの憎悪や憎きという言葉だけでは済ます事の出来ない、相手。私から全てを、隊員の人生を、人々の平穏を易々と奪っていったそれに…大義があるとは到底思えない。例えどのような理由があろうともそのような資格はどこのどのような誰にもない。
「彼は自分を囮に、その隙を持って協力者の鬼と共に私に討てと仰った。その思いに答えるために…私は行かねばならない」
日中は柱稽古。夜間は産屋敷邸にて鬼舞辻の襲来に備えての待機。それは今夜から始まり…数日でどのような形になろうとも終わりを迎えるだろう。無論、失敗など考えていない。そのような考え等……許されない。
「痣を出せば、自分がどうなるか理解しているのでしょう?……勿論出さないで、なんて言うつもりはないですよ」
「当然に。全力で挑まねば、悲願の達成など到底叶わないだろう。そもそも命を懸けぬ戦いなど元々有り得ないのだが」
「そうですね……やっと、やっと終われるやもしれない、のですね…」
彼女が小さく息を吐いた。それは生前良く聞いた、圧し殺した不安を吐き出すものに酷似していた。私の記憶の中ですら彼女は私の安否を心配し、どうにかならないか、そしてどうにもならない事を理解して何も言わずに呼吸だけを飲み込んでいる。
痣の代償寿命をとうに過ぎている私が痣を発現させればどうなるかなど簡単に検討がつく。私一人の命を差し出せばどうにかなるなら、いくらでも。望みを叶える一欠片の為に散れたなら。
「その時は、出迎えてくれるのだろう?」
「……行、冥様ぁ」
生命を終える事に恐怖などない。終えた所で私の思いは誰かに受け継がれ、繋がっていくのだから。それに果てた私を迎えてくれる家族は…彼女の他ない。
その小さな声色は悲痛なる嘆きの声だった。本来のまい子ならば私達の決意を理解しても言葉にして止めただろう。だが私の記憶の彼女はどうしても私の精神に引っ張られ、止める発言がどうにも鈍く出来なくなる。その折り合いなのか…止める事のない、悲しい音だけを発していた。
「そんな、そのような事を仰らないでください……貴方を思っているのは他にもいますよ、きっと。きっと」
「…そうだな、そうなのやもしれぬ。あの子達と私との間に何かしらの…すれ違いがあったならばどれだけ、救われる事か。…事実として、何も変わりはしないというのに、な」
「それでも、そうであるのを望みます。行冥様は決して一人ではない事を」
「……?」
何年もの前の、思い返すにも傷をえぐり鬼への憎悪が増す記憶へと彼女は踏み込んできた。生前の彼女はどうだったろうか?……あれ、思い出せない。なぜ?彼女の事で私思い出せないなど……いや、それはどうでも良いだろう。……この世に、あの世や極楽というものが確かに存在しているならば、彼女の言う通りの可能性はなくはない。
だがしかしそれは何だか妙な言葉だった。私は孤独ではないと…一人ではないと言うそれを言う彼女、まい子の存在そのものが矛盾しているというのに。彼女が迎えてくれれば良いだけなのに。
「どういう事だ?」
私の問いに彼女はすぐに答えてくれず、数分の沈黙がその場を支配した。まい子が喋ってくれなければ存在の確認がどうにも鈍く出来やしない、再度訊ねようとした時に彼女は口を開いた。
「…お墓に、喜ばしい報告をするとは言ってくれないのは何故ですか」
「!」
発せられたその言葉は、なんとも弄らしく愛らしいものだった。私の記憶から生まれているとは到底思えない……彼女のその言葉に驚き、心中を震わせ、涙が反射的に流れる。
彼女の墓に訪れる……つまり、生きていて欲しいとの、言葉を。彼女ではなく…私が、それを考えているのか?私が?まるで本当に彼女が私を心配して……いや、そんな事、有り得ないというのに。
「そう、だな。君の…まい子の元を訊ねれるならば、訊ねようか。何か甘いものを…そう、キャラメルなど食べさせる事の出来なかったものを持参して」
彼女の生前に存在のしなかった、彼女の好きだった甘いものを持って……本当の彼女の元へと向かおう。そうするのが本当に望ましい事なのかもしれない。
……あれ、そういえばまい子の眠る場所に行ったのは、いつ、だったろうか…?思い出せない。
「それはそれは。ありがとうございます」
なぜ彼女が眠る元に私は行っていないのだろう。こうして話しているからだろうか?しかしこのまい子は本物ではないと自覚している、それならば会話が出来なくとも、眠っていたとしても彼女の元へと訊ねるのが正しいのではないだろうか。
「…喜んで貰えるならばいくらでも。そうだ、その後にお義父様やお義母様お義姉様や
「ん?あれ……んん…?」
こんな考えは彼女の喜ぶ声に一時的に押し出されてしまう。そう、彼女が喜んでくれるならそれで良い。訊ねるのは…そうだ、終わった後に訊ねよう。それに生前会う事が叶わなかった、彼女と共に訊ねた事のある義理の家族の元へと向かうのも良いやもしれぬ。勿論それら全ては私が決戦全てを終えて無事だった場合だが。
私のその提案をまい子は喜び受け入れてくれると思った。いつものようににこりと微笑み、頷いてくれると思った。しかし…予想外にまい子はなぜか歯切れの悪い返答をしてきた。
唸るような否定の言葉。…何故、どうして?それはまるで会いにいくのは駄目な、そんな望ましくない理由でもあるのだろうか。
「まい子?」
「理解していますよね?あれ?理解していて話して…?………行冥様はわかっていますよね?私がこの場にいない事を」
「…うむ?」
疑問として彼女の名を呼べば、彼女は小さく言葉を呟いた後何度か頷きながらまっすぐ私の顔を見ながら言葉を告げてきた。声色に言い知れぬ強さがある。
「私は…こうして今話している私は記憶から作られた存在です。幽霊としてふわふわ漂い、存在している訳ではありません」
「大丈夫だ、わかっている」
彼女は遥か昔に亡くなっている、冷たい体も墓石も触れた私はわかっている。彼女の存在と行方を。今こうして話しているまい子は本物ではないという事を仕方なく理解している。どう足掻いて近くに寄る事が出来たとしても、触る事が出来たとしても、本当の意味で触れ合う事が出来ない存在だという事は。
それは理解している。理解しているという事を…私が作り出した彼女ならわかっているのではないだろうか。
「いいえ、そうでは……。私は、私は行冥様の記憶から作られた存在です。なので私が今から言う言葉は、本来の行冥様はわかっている筈の言葉であり認識なのです」
それなのに目の前のまい子は私の脳内の言葉を。否定し、尚且つ深く深く追及してきた。今目の前にいるだろうまい子の存在そのものを、その存在そのものが。
私がまい子を認識しているから彼女は存在し、会話を続け、こうして否定や抵抗に似た意見を言えるようになった。そうではないのか?
そうでは、ないのか?
「こうして私が言う言葉は行冥様が……貴方自身が気付いてはいれども、見えていなかった事実他ないのです。私が今こうして伝えるという事は、貴方自身気付いていたという事なのです。だから私が今から言う言葉は、貴方は気付いていた事なのです」
彼女は紡いでいく。私の記憶と想像の織り成す展開…以上の言葉を。
私自身を突き放すような、本来の彼女が言いそうで言わなそうな、言葉を。
「……行冥様。……いえ、悲鳴嶼行冥、さん」
その声色は、氷点下に落ち込んだ気温に冷まされ続けた氷よりも冷たく。私の名をいかなる愛やら何ならの情が湧く程見知った、されども
「この、今の貴方の傍に。私はいましたか?」
理解の範疇外の言葉を、言い放った。
*
「 」
私を呼ぶ声がする。名前を呼ばれている。
なぜ、どうしてこんな場所で?
……いや、それでも構わない。
こぽこぽ。ごぽり。
身動ぎをし、声の方へと手を伸ばす。
届く。
あと、少し。
こぽ。こぽり。
ゴポポポポポポッ
*
「………は…?」
たっぷり数十秒。更に長くて数分。発せられた言葉を理解しようにもどうに出来ず、端的に返せた言葉はたったの一文字だった。
何の意味にもならない言葉をただ返し、更なる言葉を待った。
けれども、どれだけ待とうとも彼女から言葉は帰ってこなかった。
「まい子…?」
まい子の名前を呼び、腕を伸ばす。彼女のいる場所へ、頭へ、髪へと触れるだろう場所へ。
けれど、手のひらは空を切った。
「……え……」
頭も髪にも触れず……更に本来、彼女が重なってはいたもののあるだろう仏壇の欠片も触れる事もなく、手のひらは何にも触れず空を舞った。
…あれほど香った線香の香りが微塵もしない。
声をかけても、変事はない。触れようにも、何にも触れない。
まるで、最初から一人きりだったかのように。
「ッ!?」
一気に全身に鳥肌と共に震えと痺れが走る。それは意味がわからずどうにも理解不能で、とにかく納得出来るように行動を起こす他なかった。
彼女を探した。声も手も耳も感覚も全てを使って。だがまい子は見付からない。目が見えない私では、姿形を探す事は出来ない。それに妙だ、記憶の彼女はいなくとも、物量がある筈の仏壇すらも見当たらないなんて。
まるで、まるで。
- 私が貴方の傍にいなくてもこの世界を、人々を…愛してください -
いつしか彼女が発した言葉が、妙に頭に反響する。
「カァー、行冥何ヲシテイル。ソロソロ出掛ケナイト不味イダロウ」
その私の行動も露知らず、天高くから羽ばたきの音と共に私の相棒の鎹鴉である絶佳が現れる。そろそろ出発せねばならない時間帯なのだろう、その直前に呼びに来てくれる頼もしい頼りになる鴉だ。
彼は私が鬼殺隊に入った当初からの付き合いの鴉だ。だから、私の事ならば全てとは言わないが良く知っている。
「絶佳、訊ねたい事がある」
「?何ダ?」
今から訊ねるべき事は。良く、良く知っている。彼は彼女と何度となく話し、触れ、関わり合っている、のだから。
だから。だから、頼む。どうか。
「……私、は。妻帯を、誰かを受け入れ家族を持った事が、ある、か?」
肯定を、してくれ。
そんな藁にすがるにも似た私の言葉を彼は、訝しげな声色で。
「……意味ガ、ワカラナイ。行冥オ主ハ…」
- ずっと、独り身、だろう?
彼はそう言い放った。
「………」
絶佳のその言葉に、何も返せず黙ってしまう。いつの間にか寄ってきていた猫が、撫でろとばかりに頭を足元に擦り付けていた。
…毛並みでわかる、この子はぶち猫だ。彼女がいた時にはいなかっ……
いや。え?
彼女はいない?最初から、初めから?
ならば彼女の記憶と共にいる、虎猫は?白猫は?小さな茶白猫や黒猫は?
私の見えぬ目では、いるかどうかもわからない。
自身の記憶が怪しいのなら、何を信じれば良い?
……なら、ば。これは。
彼女の楽しげな声色も。柔らかな冷たい髪の毛の滑らかさも。ふわりと漂う香りも。
私が記憶する全ては。
"誰"の記憶だ?
*
掴める。そう、思った。
途端。
………。
橙色の衣服を身に付けた人物が海中から消え、代わりとばかりに辺りに溢れる…
暗い灰色の粘性の膜が、ふわりと舞った。
** SCP-3000 **
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