「…あっ、あれ?」
何度まばたきをしても、強く目を擦ってもその景色に間違いはなかった。
何度見ても辺り一面、右も左もどこを見ても見た事のない花。つい先ほどまで咲いていた彼岸花の欠片もない、見た事もない花が咲き乱れている。
「何、え?彼岸花は?なんですかその花…えっえ!?」
『え?どうしましたお嬢さん?』
「あえ、なにそ…その、花は……」
『ああ…この花ですか。この花畑はバラですよ、西洋から仕入れたバラです。確かに見慣れたバラ…ノイバラなどとは形が違いますよね』
彼が手のひらで救い上げるように持ち上げた私に見せてくれた花、それはバラというらしい。
私が知るバラは確かにそんな形ではなかったし花弁も重なるほど多くなかった、西洋の花ならば見た事もないのは納得。彼が着ている服も洋装なのだろうから
納得……納得ではあるが。
いや。しかし。おかしい。納得出来ない部分が多々ある。西洋だろうがなんだろうがここはバラではなかった、はずだ。
「先ほどまでここには彼岸花…曼珠沙華が咲いていました、よね?それがなぜそのバラ…西洋のバラに…!?いっ、一面ですよ!?」
私は思うがままに尋ね寄った。意味がからなかった。理解できる説明を求めた。
『…どういう事でしょうか?この、バラ畑はいつもここにありますよ?』
けれど納得出来る回答はもらえず、彼のいぶかしげな顔で返される。なおかつ。
『あの…大丈夫ですか?』
逆に私の精神の心配をされる。
ああ、目の前がクラクラとする。理解できない現象もその後の対応も目の前の現実も。何もかも訳がわからない。
「え…?いやここはさっき、彼岸花の花畑で…」
『何を言っているのか…ここは前からバラの花畑で、彼岸花畑はあちらの方に』
「………」
自信満々の彼の言葉に、揺らぐ。私はまた間違えたのだろうか?
…花の形も種類も、何もかもわからないほど、ぼんやりとしていたのだろうか?
『…具合が悪いのですか、顔色もよくない。お家に戻った方が良いのでは…』
「…ええ、はい。そうです…よね」
ダメだ、なんだか色々と自信がない。混乱しきり色々考えすぎた為なのか、実は元々そんなに体調が良くなかったのか少し頭が痛くなってきた気がする。
このまま下手をすると帰るまでに動けなくなるほどの体調になりかねない、そもそももっと早く戻ろうとしていたはずなのに。なんだかズルズルとここまで来てしまっていた。
「ああ、すみませんお騒がせしました…あの、失礼いたします」
『はい、よろしければまた時間と体調がの具合が合う時いらしてください。 …あっ、そうですお嬢さん』
「?」
彼はいつの間にか手に持っていた剪定用のハサミで一本の花、西洋のバラを摘んだ。そのままパチン、パチンと上手に枝や棘を落とした一輪の花を作り上げた。
『こちらをどうぞ』
「……えっ?」
『いや深い意味はないですよ、摘み取ったのは必要だと思ったからで』
「…どうも…ありがとうございます…」
『あまり日持ちはしないでしょうが、どうぞ愛でてやってください』
差し出されたその真っ赤な一輪の花を受け取る。
彼は優しく笑い軽く手を上げた挨拶のあと視線を落とし、他の花の手入れを始めた。まるでもう私の事を忘れたかのように。いや本当に忘れたのかもしれないけれど。
振り返って入り口の扉を確認し、歩き始める。石畳が草履と擦れてカツカツと鳴る。
周りの花は手の中の花と同じく何度見ても、やっぱりバラだった。到底彼岸花と間違える形状はしていない。
しかし…本当に美しく咲いている一面のバラ。それらは入り口から見えないほどの遠くまで満開に。
さぁっ
あと少しで入り口の扉にたどり着く、そんな時に風が背中から吹き抜けていった。そんなに強いものではなく羽織の端や髪の毛を少し巻き上げただけ。今回は目を閉じないといけないようなものじゃなかったのだから。
だから何も気にしなくていい。
目下に見えていた赤色の花弁が、白色に変化しているように見えるのも、気にしなくていい。
走ってはダメ、すぐに息が切れてしまう。何も思わず歩き続ければいいだけ。
ほら、扉を通り抜けた。ちゃんと無事に出れた。
そのまままっすぐ前だけ向いて歩き続け、川の音を頼りに来た道を戻っていく。あのまだら模様の岩が……ほら、見えた。
岩の目の前まで歩いて、深く深く息を吐き出した。息を吐きすぎて目の前がチカチカするほど。
手の中の花…バラを見る。うん、バラだ。西洋のバラ。彼岸花でも…去り際に見えたような気がする水仙でもない。
茎は棘がなくなりすべすべと新鮮で、元気にまだ生きている。早く帰って花瓶につけよう、ああなんていい香りなんだろう。鼻先を近づけなくてもわかるなんてスゴい。
…あの中にいた時は花の美しさ、香りに惑わされ、奇妙な現象を見た事ですっかり忘れていた。違和感に気付かなかった。
こんなに大きな川の音が全く聞こえなかった事に。
背中に悪寒が走ったのを無視して歩き始める。大人しく帰ろう。
…奇妙で不思議で、なんとも深く考えてはいけない体験を私はしたんだろう。
これらに関して深く考えるのはよそう。怖くなってしまう。まだまだ明るいとはいえ人気もない影も出来ない曇天の空の下、暗い森の中、結論のでない怖い想像なんかするべきじゃない。
うん、そうだ前向きに考えよう。私はかなり貴重な体験をしたのでは?と。
人気もない森の奥にあったあれは……そう、マヨヒガだったって事にしよう!あの花畑の先には立派なお屋敷があって、そこまで行かなくて帰ってきたものだと。お椀ではないけれど花一輪も同じようなもの。
…本当にそうだったのなら少しは行冥様にかけている迷惑を軽減させれないだろうか。そうであればいいな。
幾分か楽になった気持ちのまま歩いていれば見慣れた、家付近の景色が見えてくる。意外と早くつい…あれ?滝の側通ったっけ?
行きの道でも思った全く同じ事を思ってしまう。今の時間はわからないけどそんなに何時間も前ではないだろうに。
いけないいけない、しっかりしようと思ったのにまたぼんやりしてる。頭の痛みも収まっているのにダメだなぁ…首をかしげ大きく失望の溜め息を吐く。
あ、この道までくれば目的地はもう目と鼻の先だ。伐採をされて作られたゆったりとした曲がり道を進み我が家が見えてくる。
そして徐々に見えてきた玄関の屋根瓦、そしてその下にある大きな大きな影が動いたのが見えた。
「あれ、行冥様!?」
熊のように大きなその背中を確認した途端、予想外に思っていたより大きな声が出てしまい自分でも驚いた。
それでも距離があり、彼に届くほどのものでもなかったらしく私の声に気付かないままそのまま玄関扉を開けて中へと入ろうとしていた。
今すぐに気付いてもらえなくとも家の中に入って話せばいい、それはわかっていたけれどなぜかその時私は先ほどよりも大きな声で名前を呼んで気付いてもらおうとしていた。
「?……まい子?なぜ外に…?」
すると今度はちゃんと聞こえたらしく振り返り、数秒後なんとか聞こえるほどの声で呼び掛けられる。大きな声はあまり出さない人だから。
そのまま後ろ手で玄関扉を閉めてこちらに来ようと足を進め始める。あっ、それは想定外。こちらに呼びたかった訳ではなかったから。
静止の言葉と共に慌てて駆け寄っていれば、突然ずるりと草履が滑った。そしてそのまま勢い良く前のめりに。
あ、まずい倒れ……
「元々走るのが苦手なのだから、こんな足元の時は走るのは止めなさい」
…る事はなく、なぜかあっさりと行冥に片手で抱き止められていた。…
原因はぬかるんだ土に足元をとられての事。これも行く道で注意しないと、と思ったのに……私が情けなく一瞬で転ぶと気配でわかったのだろう。
目に見えないほど素早く、怪我をしないようと来てくれたそれが…優しい注意の言葉が、情けなく恥ずかしいのに、嬉しいなんて失礼なのに。
「す、すみません、ありがとうございます…」
「気を付けなさい……まあ、私が連絡より早めに戻った事で驚かせたのも少しは関係あるだろうが…」
「そうです、お帰りなさいませ行冥様。ご無事で何よりです」
「…うむ、今戻った」
「カァー」
こんな道端で、それもつい先ほど情けない醜態をさらした今言うべき言葉ではないかもしれない。それでも優しく微笑み返してくれる。今度こそ足元に気を付け、残りわずかな帰り道を二人で歩き始める。
上空を滑空していた首筋に数珠をつけた鎹鴉が降下してきて行冥様の肩に着地した。この子から明日に戻ると連絡を受けていたけれど予定が変わったのだろうか?
「早いお帰りですが、予定の変更でも?」
「いや、そうではないのだが…」
「ナンテ事ナイゾ、オ主トノ愛日ヲ思イ、急イダダケダ」
「えっ」
「………」
歯切れの悪い行冥様の言葉を代弁すべくと語ってくれたそれは……行冥様の顔を見上げれば居心地の悪そうな顔と少し頬に主を差していた。つられてしまう、確実に彼よりも赤らんでいるだろうけれど。
「…まぁ私の事はいい。まい子こそなぜあんな所にいたのだ?」
「えっ、あ…はい、付近を少し散歩をしていました。どうです、花のいい香りを感じませんか?」
「む?……ああ、確かによい香りだ」
軽い咳払いと共にかけられた言葉に簡単に答える。詳しく説明するのは夕飯後の空いた時間にしよう、長くなりそうだから。
けれど手に持っていたバラの説明くらいはした方がいいかなと、腕を上げて背の高い彼の鼻先に差し出す。倒れかけて彼に支えられた時の衝撃にも握りしめたであろう力にも無事だったバラを。
「そうでしょう、頂いた花なのですが手のひらより小さく真っ赤で幾重にも重なりあう花びらがとても美し…」
「待て。 ……頂いた?花を?」
「はい。名前は伺っていませんが庭師の男性に……行冥様?」
「………」
どれだけ近くにあってもそのものの形は見えない彼にいつものように説明をしようとすれば、その前に強く止められる。花の形の説明よりも重要な事があるのだろう。
ああ、そうだあの男性の言っていた主人の確認もしないと。行冥様は知っているのだろうか?そう思ったけれど……どうみても訝しげな表情からして知らなそうだ。
というよりむしろ怪しんで、いるような…えっまさか私の虚偽だと疑われている?しかしそんな嘘をつく理由はないと行冥様ならすぐにわかるはず…
「マイ子オ主…マサカ行冥ガイナイ間ニ愛瀬ヲ…」
「そんな気は体力と共に微塵もないですねぇ」
鎹鴉の問いには即座に否定で切り返す。
なぜまたそんな不安そうに…行冥様と私の顔色を伺いながら聞いてきたのだろう。そもそもそんな気持ちが芽生える訳がないし。でもまあ…確かに男性から一輪の花を頂くそれは……怪しげではあるけれど。
万が一億が一そうだとしてここで正直にいうのも、花を頂いた事実を言うのは愚かにもほどがある。そう鴉に言えばそれもそうだと笑いながら返される。
「…まぁ逢い引きでないとは信じるが…何にせよその事については詳しくは聞かせてもらう」
「え?あ、はい…勿論です…?」
そんな私達のやり取りをじっと聞いていた行冥様が口を開く。その口調は妙に重々しく、表情もなんだか強ばっ……軽い冒険の雑談として話そうと考えていた想定を覆さなければと考える。
あれ、まさか…何だかとんでもない事をしでかした?……まさか、ね。
*
すぐにでも話を聞きたかった、しかし彼女にも予定はある。ゆっくり時間がとれたのは腹を満たしじゃれつく猫達が飽きて離れた、夜闇が深まっての時だった。
予定通りならば明日の朝だったが私は今日戻り、彼女の一日を出来事を聞いた。いつものなにも変わらない猫達との穏やかなものではない、それを。
私自身が家に戻るまで、それまでに何を思い、戻ってから何を考え、声を聞き何に心を焦がしたのか。
それは……今さらどうでもいい事だ。別に伝えるような事でもない。
何気なく、まるで和ませるかのようにあの子達の猫団子の姿を付け加えた彼女を思い、涙が流れる。嗚呼、なんと愛らしいのだろうか、私の片手で足りる絶対に守るべき存在達は。
……そう、守らねばならない。
「それで家が見えた時に行冥様の背が見え…」
「まい子」
「まし……はい?」
「こちらに、来なさい」
身を清め隊服を脱ぎ、後は就寝と身に付けた和服。正座を崩し胡座をかいた膝の上を叩き彼女を呼ぶ。
戸惑う声が聞こえ、そのまま狼狽え、口の中でくぐもらせた後…小さな足音と共に近付いてきたか弱い体が謝罪の言葉と共に膝の上に乗ってくる。重さは感じれど重くはないその体。
「あ、の……行冥様?」
私の意図が読めないのだろう。見上げながら尋ねてくるその頬を指先で撫でる。
「ひ、ぅ…!」
驚きびくりと跳ねる体そのまま傷跡を撫で、そのまま傷跡に沿って首筋にうつる。細いそれを手のひらで覆っていれば縮こまり固くなっていた首筋が徐々に熱くなり、脈拍も早まってくる。
…うーむ、これでは調べられないな。
「とりあえず熱は無いようだが」
「ぅ、ッ……は、い?え?何がですか?」
「体調の確認だ。目眩や吐き気、酩酊をした時のような眩みは感じてはいないか?」
「……えっと、はい、大丈夫です。辛くも苦しくも、見にくさもないです…?」
とりあえず質疑応答をすれば、しっかりとした答えをもらえる。質問の意図に関しては疑問に思えど返答は返してくれる。なんと素直で可愛らしいのだろうか。
…とにかく、無事である事は確認出来た。それならば、危惧した事は…杞憂だったと信じたい。
「…とりあえず聞いた限りでの疑問が多々あるのだが、聞いてもいいか」
「?…はい、勿論です」
「…そうだな、雨の日は体調を崩す事が多いと以前聞いたからの確認なのだが」
「はい。しかし今日はこの通り元気です」
意識だけで見た時はどうなのか疑問を覚えるが…そもそもの出掛けようと思う感情は、私が咎めるものではない。どれだけ快適に過ごせる環境があろうと外への憧れは誰しもが持つもの。
そうではない、細かな疑問への追求。
「万全の体調であり滝より向こうに行けたとして……その花畑があった土地は起伏がなかった、と?」
「そうです、緩やかな坂などはありましたが遥か遠くまで見渡せましたね。あの広さは…
「そこには満開の彼岸花が咲いていたと。後々の花の変化だなんだは…さておいてだが」
私の言葉に彼女が頷く。彼岸花のように特徴のある花弁の形と触れさせてもらったあのバラ、という花の形は全く違う。
朦朧とするほどの体調の悪さで滝を見逃し、なおかつ花の形を見間違えたのならまだ許容は出来ないが納得は出来る。
しかしそうではないという、体調はよく付近にはない起伏が無くなるほどの場所までの距離を歩き、その花畑を見たと。
この季節に普通咲く事のない満開の彼岸花畑を。
「まい子。君が行ったという花畑……それなのだが」
「はい」
彼女よりも長くこの土地に住み、付近を見た事なくも知っているだろう私の出した結論。
「……この世のものだったのだろうか」
「…えっ?」
「聞いた事もない管理者と庭師。考えれないほどの広さ一面の花畑、それも、この季節に満開に咲き誇る彼岸花…生きているものなのか、と」
そもそもいつも雨の日は体調を崩しがちだったろう。なぜ歩いていけた?あの整備されてもいない山道を一人で。
考えたくもないが…それは引き寄せられた臨死体験に近いものだったのでは。
あくまでも可能性、そうだと言い切れる自信はない。だが違うと言い切れる根拠もない。
風が吹くだけで移り変わる花々など…推し量れるものではない。早々簡単に近寄っていいものなどではない。
腿の上の体が小さく揺れる。先ほどまでとは理由は違えど狼狽えている。否定の言葉が来ないのは…薄々感じてはいたのかもしれない。
「南無、すまない…怯えさせたかった訳ではないのだが」
「い、いえ私こそ軽率で…妙だと思った時に引き返すべきでした…」
「私が常に傍にいられればよいのだがそうもいかず…行動を制限したい訳でもないが、一人でいる時の第六感は大事にしてほしい…」
「はい、行冥様……」
ほろほろと流れるそれを指先で拭いとり、凭れかかってくる身体を抱き寄せる。
直接伝えるべきではなかったかもしれない、が。放っておく訳にもいかない。もしその怪しげな景色に魅了されていて、再び行きたいなどと考えてしまったら。近くだからと出向いたものの今度は見付からず、一度見つけた為に探しはじめての遭難…その可能性もあり、それもまた恐ろしい。
……実際に明日辺り、有無を確認した方が良いだろう。しかし"それ"が、私が考えている通りのもので、無かったのならともかく、もし在ったのならば……
私では、手に終えないものなもかもしれぬ。嗚呼…南無阿弥陀仏……
SCP-622-JP 枯れ庭
オブジェクトクラス:Euclid(ちょっとヤバい)
滋賀県████に存在する面積約30000平方メートルの庭園。広い。バラが最も多く咲くが、チューリップ、コスモス、カンゾウ、彼岸花なども咲く。風が吹くとランダムに変わる。
SCP-622-JP内の花に触れると、触れた生物の体内にB型の血が作られ血の量が4リットルを超えるか死亡するまで続く。SCP-622-JP内にはSCP-622-JP-Aと呼ばれる中年男性がいる。
二人が再び訪れるのも考えましたがインタビューログ 622-JP-5との解釈違いになりそうなので[編集済み]になりました。
SCP-622-JP http://scp-jp.wikidot.com/scp-622-jp
著者:dr_toraya 様
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