鬼と世界とSCP   作:アルビノ鮫

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参拾伍話 たわわに実った腕があるようです(中編)

 「  っ !」

 

 それ、を見たか見なかったか、との瞬間に私は反射的に声にならない悲鳴と共に後ろに駆け出していた。

 思いっきり、出せる限りの全速力の早さで。なにせ()()に捕まってはいけない。それを全身全霊、本能で感じていたのだから。

 

 けれどほんの十間(約18m)すら全速力で録に走れない私が駆け出して逃げ出した所で通常ならばどんな人でも追い付ける。例え、手そのものに見える新種の生き物だとしても動いているその早さなら何の問題もなく追い付かれる筈だった。

 

 

 ……十間どころか、九間間近で私は息切れと異常な脈動で倒れるように近くの大木に倒れ突っ込んだ。そのまま地面に転がるように倒れながらも追い掛けて来ているだろう謎の"腕"を見る為に振り返り……

 

 

 ……同じく八間手前で倒れ込んでいる腕を見付ける。その腕一本を体に見立てるならば胴体どころか末端のどこも微動だにすらしない腕が、そこに倒れていた。

 

 「…は、…ぁッ……?」

 

 何も言えない。目の前に起きている現実に理解が及んでいない事もあるけれど、そもそもいきなり走り出してしまったその運動で脈が異常な程脈打ち、呼吸すらままならない程苦しいから。

 ドクドク打つ鼓動がうるさい。羽織一枚着ていても寒い筈なのに体を震えさせる程の嫌な汗が滲み出てくる。

 

 

 結局その行動によるツケ、が収まったのは倒れ込んでからたっぷりと数分後の事だった。改めて大きく息を吐いて吸って吐いて……目の前に広がる理解しがたい光景を目にいれる事にした。

 

 ……まずどういう事?そもそも追いかけられた事もそうだけど、なぜその追いかけてきた側が途中で倒れているの?

 近付く事は迷った。倒れている事はこけおどしで本当は元気で様子を伺っているだけではないかと。しかし……放っておいて行動するのもまた危険だった。背を向けた途端……なんて、有り得ないとはいえないのだから。

 

 結局私は近くに落ちていた木の枝を手に持ち、恐る恐るそれに近付いた。

 微動だにしないそれを木の枝でつき、身の安全を確かめる。そうして思う……これは、何なのだろう。鬼ではない、まだ日の光は差している。

 

 目の前に倒れているそれはどこからどう見ても……人間の腕。太さや大きさから考えて男性の腕、に見える……動いている所を見ていなければ生物とは思わなかっただろう。

 私の知らない新種の生物なのかな、目も口もあるように見えないけれど……

 

 まさかこれが噂に聞いていたシガミツキ……なのかな?ならばこれに素手で触れるのは宜しくない。触れば祟られる。

 動いて追い掛けてくるとは知らなかった。シガミツキは木に絡み付いている呪いだと聞いていたから。私の血が繋がっているかすら怪しい遠い先祖が犯した罪の証。

 

 けれど……いや、何はともあれさっさと離れるのが吉だろう。

 

 そう思い、倒れ込んでいる腕から後退りをして離れる。しかし参った、向かおうとしていた方角がこの腕がいた方角なのだかこれからどうす……

 

 

 「ッ、いだ!?」

 

 そう考えていた隙間を縫うよう視界が乱暴に入れ替わるように揺れ動いた。それに伴う身体中の、主に背中や腰を強く打ち付けたような激痛が走り……私は空を見上げていた。

 

 

 何が起きたのかと理解する前に、ズリズリと移動する景色と音とそれに伴う痛みで背を打ち付けたのは事実で、そのまま引き摺られている事を理解した。

 抵抗なんて意味がない、掴んで引き摺るくらいの力を持つ相手から逃れれる筋力なんてないのだから。そして偶然に見えたそれは、案の定私の足を掴んでいる二本の腕だった。氷のように、冷たい。

 

 それらが逃げようとしていた方向に私を引き摺っている。逃げても無駄だった、いつの間にか囲まれていた。違う囲まれる場所に棄てられたんだ。

 

 ……ああ、そうか。これへの生け贄が目的…!

 

 

 「ッ、冗談、じゃない!」

 

 引っ張られる事で真っ直ぐに伸びていた膝を曲げ、腕になんとか手が届く距離まで近付く。そしてそのまま思いっきり、力一杯右手を振りかぶり手の甲部分に叩き込む。 

 抵抗せず大人しく引き摺られていた為に油断していたのかそれを想定する頭がないのか、腕は大人しく私の袖口に隠された抵抗を直にくらった痛みの為か離した。一本無くなった事で引き摺るのも止まり、その隙にもう一回残りの腕にも同等の抵抗を。

 

 自由になったのを肌で確認した瞬間に無我夢中に走り出す。またすぐに潰れるだろうけど仕方ない、背に腹は代えられない。

 希望を託してあの腕も私と同じように走ればすぐに潰れると願うしかない。それも私より早く潰れるという憶測込みで。

 

 

 倒れ込みそうになりながら、右腕を体に抱き込んで走り始める。一応袖口で直接触れないようにしたと思うけど、大丈夫だろうか。わからない。

 それにしても……万一に備えて袖口に一本の針を用意していて良かった。刺す事になる相手は……こんなのを想定はしていなかったけど悪意を辿れば同じだ。

 自分に刺さらないよう利き腕じゃない方にしていたし、日常にあるものだからどうとでも言い訳出来ると考えたけど……まさかそれ以上の言い訳が効かない立場に置かれるなんて。

 

 「は、……ぅぐッ!?」

 

 どうすれば逃げれるかなんてわからない。そもそもどこに逃げれば良いのかもわからない。

 けれどまさか二間もいかない間に新たな腕が複数現れ、抱き込むような形で押し倒され拘束されるなんて思う間もなかった。

 ……先程刺した奴なのか別なのかはわからない、けれど四本になっている以上、もうどうしようもなくて……

 

 

 走った事での息切れの苦しさで録な抵抗も出来ず、そのまま先程引き摺られていた方向へ再び引き摺られていく。身体中が傷だらけ、汚れまみれになる。

 鋭い石などで傷付けられ、真新しい傷に泥や土が入ってかなり痛い。早く手当てをしないと傷が残るだろうけど……そんな事を気にかけている暇なんてない。

 どう考えてもこのままでは。関わりの薄い私をわざわざ呼び寄せ、差し出す理由なんて。

 

 

 「!……ぅ…!」

 

 木々を掻き分ける如く、少し開けた場所に獲物を目の前にした生物が大口を開けているかのような威圧感のある大木が見えてきた。

 間違いなくあれが到着地点で、この腕達の本元。なにせその四間二尺(約8m)程度の太さがある黒と灰を混ぜたようなまだらの幹から伸びた黒い葉をつけた枝に混ざって。

 

 

 何本も、何十本もある。人間の、動物の腕が。

 それらが僅かな風に靡くように、意思を持っているように蠢いていたのだから。

 

 

 それらが目視で確認出来た瞬間、激臭が鼻を突いた。なぜここまで気付けなかったのかと思える胃液が逆流する程の腐敗たっぷりの悪臭が辺り一面に漂っている。

 木の根本が見えた瞬間悪臭の納得と私の結末がわかってしまった。

 

 

 

 

 ** SCP-2988 **

 

 

 

 

 引き摺っていた腕に新しく何本も加わった腕が力を合わせ大木へ向かって私を放り投げる。衝撃を和らげる術も受け身の取り方も知らない私では、思い切りぶつかった痛みをただ堪えるしかない。

 漏れた苦痛の声とほぼ同時に木の枝が大きくしなり、私を落ちないように受け取り、しっかり幹に固定するように何本もの腕で押さえ付けられる。

 

 まるで十字のように手足を、胴を、顔すらがっちりと掴まれ幹に押し付けられている。微動だにも出来ず、唯一動かせるのは指先と目線だけ。それすら何も解決にもならない微々なもの。

 そんな僅かな視線の移動ですら見える木の根本に散らばる幹や草土を赤黒く染める悲惨な現場。

 

 

 それは地面の上に無造作にばら蒔かれたように転がる着物の端切れと、恐らく人体であったようなもの。

 

 グズグズに溶けた肉片を白と茶色に蠢く自然物に分解され続けているものから、永い年月の末に白骨化しているものまで……ほんの数秒見ただけでも十を上回る数とわかる。

 人だけでそれだけの数が転がり、更に広い範囲と動物を加えれば数の把握は容易じゃない。

 

 それは今まで見たどんな景色にも劣らない惨劇……に見えるけど、私の目線で見るからそうなのかも知れない。

 それらの生命が終わった物達全て……"腕"が無かったのだから。

 

 

 「ぃ、ぐッ!?」

 

 腕を生やした木がある場所へ、腕そのもの が獲物を連れてきた。そして足元には腕のない遺体が無数。

 私だってここまでお膳立てされて理解出来ない愚か者ではない。

 

 顔を掴んでいた腕が握り潰さんとばかりに指で両頬を締め付けてくる。そのあまりの強さに……あ、ああ。違う。

 潰そうとしてるんじゃなく、口を、勝手に開ける形に無理矢理変えられている!手足も体も締め付けて痛いのに、顎の形を変えんとばかりの手が、何より力強くて。

 

 「…っか、は…!」

 

 幹が大きくしなり黒い葉の隙間から黒色の果実を掴んだ腕が現れ、それを握り潰し滴る橙色の果肉と果汁を砕かれんとばかりの力で強制的に開けられた口に流し込まれた。

 べちゃべちゃと降り注いできた果汁は顔を汚し、その内の何割かがどろりととした感触のまま口の中に入り、喉を伝って口内へと入って行く。

 

 

 飲み込む選択肢もないまま体内に入れられたそれの味なんてわからない、わかる筈もない。だって、こんな状況に置かれるなんて……初めてで、この上ない動揺をするしかないのだから。

 涙が勝手に流れてくる。何で?行冥様でもないのに何でこんなにはらはらと涙を流しているの?悔しいとか怖いとか、何もわかっていないのに。

 体が痙攣しているかのように震えているのは……この果実のせいなの?それとも怯えて、 震えて、凍えて、揺れているからなの?……視界が涙関係なく、滲んでいく。

 

 

 よろしくない、本当にまずい。このままではこの大木の思惑通りに押し潰されてしまう。それだけは、良い筈がない!

 

 

 「……!……ぁ、……ぅぁ……」

 

 声を出そうとした。声が届く距離に誰かがいるとは思えなかったけれど、叫ばずにはいられなかった。憤怒や絶望、内なる言葉にならない叫びを口にしようとして……

 漏れたのは数尺先にも届かない、弱々しい震えた掠れ声だけだった。

 

 その現状に驚き口にしようとした罵声の言葉すら何にもならずに「ぁ」や「ぅ、ぃ」等の小さな単語だけが喉から漏れた。

 喉が……いや、喉だけではなく舌すら録に扱えない程震えている状態で言葉になる筈が無かった。これは、なんだろう。

 

 先程無理矢理口に含まされ飲まされた、この木の果実のせいだろうか。

 腕は強く強く私を押さえ、込んで。手足は当然に、口や喉が痺れて、動かず、頭が……動かさないといけない筈の思考が、ぼんやりして……動かない。

 

 

 ……ぁ、あ。

 

 ああ、酩酊しているかのように、視界が揺らぐ。体に力を入れれない。抵抗が無駄とか、そんな話では、なく、力が入らない……

 遠くの、近くの、木々の赤や黄や緑や茶が、ゆらゆらと動いて……

 笑う?笑っている?誰?何?誰か私を呼んで、引っ張っている?何これ夢?まさか、幻覚?

 

 こ、れは、なに?

 

 

 木が、私の右腕を引っ張りあげて枝にある何本もの腕を押さえ込み、引っ張っている。袖口に触っているのは少し前に刺した針の確認だろうか。記憶の共有って腕同士でも出来てるのかな。それとも大木が判断を?

 

 ん?いや……あれ、少し前って……いつの事だっけ?

 

 

 ギチギチと、ギリガリギリと、聞いた事もないような音が右耳の近くからしている。これ、は。腕が……肩辺りから、ねじきろうとされている、のだろうか。

 でもねじきろうだなんて、これは何の音?物凄く近い……距離、で。

 

 

 ん……ああ、そうか。これは私の肩からしている音。

 

 私の右腕を無理矢理に、力任せに引きちぎろうとねじってねじって引っ張っている音だ。

 あれ腕って千切れるものだっけ?ねじれば取れるものだっけ?でもこれだけの数の腕が必死に取ろうと頑張っているのだからきっと取れるのだろう。

 だって、私の腕を必死に……。……ぁ、れ?

 

 

 何で私は、腕を取られるの?

 

 

 「  ぁ  」

 

 

 ぶちり、と何かが切れた音と共に肉を潰すようなブチュチュと醜い音が耳に響いた。何もわからずとも横を見れば少しはわかる。

 

 頑張ってはいたけど、腕は綺麗にねじきれなかった。筋肉か皮下の筋か知らないけど何本もの繋がった赤黒く時折黄色く浅黒い……それが私の肩から離されそうになっていた腕へ繋がっていたから。

 それらが引っ張られ、引きちぎられた音がした。そして掴んでいる腕は残って繋がっているそれをも再び力を入れて、思い切り引きちぎった。

 どぷんどぷんと腕からせき止めていた水量が決壊したかの如く血が流れ落ちている。そういえば木の幹や根本は赤黒かったような。この色だったのか、ああ納得。

 

 

 今の今さっきまで自分の意思で操っていた腕がねじりきられ、た。

 その腕が私から離れて……この、大木の、枝へと運ばれて、そして何本もの腕の中へと、入れられ、て。

 ……。くたりと羽織の袖口が落ちている。これは?……ああ、残念、なのか、な?

 

 痛みもない、哀れみも同情も何もない。思おうにも何故か思えない。ただただぼんやりと意識が空中を漂っている。

 逆側の左腕を同じように、何本もの腕がねじきらんとばかりに力を込め始めていても……もう、何も思えなかった。

 

 

 もう一本の腕もまた、引きちぎられる。引きちぎられようとされている。そしてまた、この大木の枝に紛れる腕の一本となる。

 そして腕を失った私の末路は、決まっている。

 木の根本にひしめくように重なっている、何体、十何体もの遺体への一つへと。

 

 

 ギチギチと腕が、無いにも等しい薄い筋肉が、皮膚が鳴って……そして、そして。

 

 

 

 

 「南無阿弥陀仏ッ!」

 

 

 聞き覚えのある低音の愛しい声がした。

 




 ─ 後編に続く。
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