トレセン学園に居たはずの、ウマ娘の話。

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届かない背中

何時も姉の背中を追いかけていた。

 

ウマ娘の宿命か、走る事が何よりも好きだった姉と私は、何時も原っぱを河原を、そしてどこまでも続く故郷の田舎道を共に駆けていたような気がする。

元々そんなに愛想の良く無い姉と、そんな姉にべったりだった「私」は友達もあまり出来ず、自然と何時も姉妹二人で一緒に過ごしていた。

そうなるとウマ娘である私達の遊びと言うと、かけっこくらいしかやる事がない訳で。

 

 

姉は誰よりも足が早かった。年下の私はもとより、運動会などで年上の子と走ることになっても、その誰よりも早く駆けることは何も珍しい事ではなかった。

私はそんな姉が目の前を軽やかに駆けていくのを必死に追いかけながら、風に翻る栗色の長い髪をいつも憧れの目で追い続けたのだった――

 

 

時は過ぎ去り、成長した姉はトレセン学園に入学し、私も程なくしてその後を追った。

姉はどうやら一時期、その考えすぎる性格が災いしたのか成績が低迷していたようだが、信頼のおけるトレーナーに巡り会えてからは「大逃げ」という思い切った戦法を取るようになり、めざましい活躍を見せ始めていた。

 

 

「サイレンススズカ」

 

 

異次元の逃亡者と讃えられ始めたその名は、指折りのエリート達が集うトレセン学園の猛者達の中でも眩いばかりに輝いていた。

 

私もそんな姉の名を辱しめないように入学時からトレーニングに励み、デビューこそは少し遅れたものの、デビュー戦から三連勝を飾り、ウマ娘として順調な滑り出しを見せていた。

 

姉はそんな私にトレセン学園で会うたびに、優しい笑顔で「頑張ってるね」と、私の大好きなあの透き通るような声で褒めてくれた。

しばらく会えなかったけれども、変わらず優しい私の大好きなおねえちゃん。

 

今は二人で走る事もなくなったけれど、いつかそんな姉とまた一緒に走りたい。

出来ればG1のような大舞台で、あの子供の頃の様に姉の背中を追い、またあの栗色の流れる髪を――

 

そんな私の淡い希望に影が差すようになったのは、思えばこの頃からだったかもしれない。

私は気が付くと、何時も姉のそばに一人の少女がいる事に気付き始めた。

 

 

彼女の名前はスペシャルウィーク。

 

 

私より少し先輩で、姉と同じチームに所属している。黄金世代と言われた昨年のダービーウマ娘─

 

 

トレセン学園で過ごす姉を目で追うたびに、いつも一緒にいる彼女も自然と目に入る。

その二人を漠然と眺める内に私はある事に気がついたのだった。

 

 

「その事」に気づいたのは、視線に入る彼女が私と同じような憧れの目で姉を見つめていたからだろう。

 

それはいい。

 

それだけなら私の心に影が差すような事にはならなかっただろう。チクリと胸を刺す嫉妬の様なものが心の内に芽生えたかも知れないが、共に姉に憧れる同志、もしかしたら仲良くもなれたかもしれない。

 

 

だが、違うのだ。

 

 

姉は、彼女にはいつも私に向けるような優しい微笑みだけでなく、本当に楽しそうな心からの笑顔を彼女には向けていた。

 

 

長年共に暮らした血の繋がった姉妹だからこそ分かる。

その決定的なまでの差に気づいてしまったのだ。

 

 

その事実が私には何とも言いようがないほどに辛く、堪え難く、言いようのない劣等感を覚え始めた私は、

自然と彼女とは距離を置いてトレセン学園での生活を続けていた。

 

 

 

そしてさらに時が経ち、私はクラシックレースの菊花賞で三位入着を果たし、国際G1の大舞台、ジャパンカップへ駒を進めることになった。

 

そこで私は距離を置いていた筈の彼女―スペシャルウィークさんと対決する事になったのだ。

 

この年からワールドレーシング・チャンピオンシップに登録したジャパンカップは、何と五カ国4人のダービーウマ娘が揃い、

中にはあの世界最高峰のレース、凱旋門賞を制したブロワイエまで居た。

 

だが私は本バ場入場の中、そんな綺羅星のような外国ウマ娘達には目もくれずに、同じチームの子達と一緒にスペシャルウィークさんに応援の声を掛ける姉と、それに嬉しそうに頷く彼女の背中に、湿度の篭った視線を向けていたのだった。

 

 

絶対に負けられない。

 

母から姉と共に譲り受けた緑を基調とした勝負服に身を包みながらも、私は赤黒い闘志をその胸に燃やしていた。

 

 

レースが始まりゲートが上がる。

 

私は彼女に背を見せつけるかのように前めの先行策にでた。

姉ほどの大逃げの才能は無いものの、私とて子供の頃からその姉の背中を追い続けていたのだ。

負けるものか、そんな思いで心を満たしながら、ただターフを走り続ける。

 

全ては順調、このまま、突き放す!!

軽快にリズムに乗って順調に先頭集団を突き進む。

 

 

いいぞ、このままだ、そしてスピードの向こう側を駆ける、何処までも綺麗な、私が何時迄も見続けたいあの背中を─

 

 

しかし、第三コーナーの大欅が見えて来たその時、私のそんな思いを背中の後ろから斬りつけるような、

ザンッという不気味な音がした。

 

ザンッザンッザンッ!!その耳障りな音は、芝を切り裂くように走るスペシャルウィークさんの力強い差し足だった。

 

ウマ群からぬるりと身体を外に持ち出すと、目の覚めるような鋭い差し足で先頭に向かって駆けていく。

凱旋門賞ウマであるブロワイエを斜め後ろに従えるようにして、鈍く紅く光る虹彩を残し、あっという間に私の視界から消えていこうとする。

 

 

黄金世代の頂点、ダービーウマ娘。かたや世界最高峰凱旋門賞を奪ったウマ娘。

 

 

自分とはあまりに違う、隔絶した実力を見せつけてくる二人に、思わず心が折れそうになる。

何時もの私ならそこで足が止まっていただろう。

 

 

だがその瞬間、レース前に姉の笑顔を向けられて嬉しそうに微笑むスペシャルウィークさんの横顔を思い出した。

 

 

─負けるものか

 

 

歯を食いしばり、内ラチスレスレに身体を寄せると、全力を振り絞り彼女達を追いかける。

 

 

スペシャルウィーク、ブロワイエ、そして目も眩むような経歴を持つ海外のウマ娘達、

そしてその最内を駆ける私――

 

 

絶対に追いついてみせる。私の前を走るのは姉だけだ。絶対に抜き去り実力を示し、またあの背中を――

 

 

その瞬間、確かに私の耳に届いたのだ。

 

 

姉が、私の大好きな、あの透き通る声を、喉が裂けんばかりに張り上げて叫んでいた。

 

 

「スペちゃーーーん!!!!!」

 

 

その声を聞いて私は、私の中で確かに張り詰めていた何かが、萎むように消え去っていくのを感じた。

 

 

 

 

ゴールを真っ先に駆け抜けていたのは、そのスペシャルウィークさんだった。

 

 

私は日本のウマ娘ではその次に続く二番目、凱旋門賞ウマであるブロワイエに続く5着、

という好成績を残したものの、その心は決して晴れやかとは言えなかった。

 

嬉しそうに仲間達の方へ駆け寄る勝者、それを満面の笑顔で迎える仲間達、そしてそこに加わっている私の姉――

 

 

その集団と私の心の距離は、ゴールで着いた着順以上に遠く遠く感じるのだった─

 

 

 

時は流れて――

 

私はあるレースを見に、超満員の観客が見守るこの会場に足を運んでいる。

 

ウィンタードリームトロフィーという選ばれたウマ娘達だけが集うこの大会に、

姉もスペシャルウィークさんも見事に選ばれ、出場しているのだ。

 

 

あのジャパンカップから私は姉と微妙に距離を取っていた。

 

 

勿論、姉は変わらず優しく声を掛けてくれるけれども、その声も今の私には何処か遠く、

薄い紙を間に張った様な微妙な感覚と共に、私に困惑を与えていた。

 

 

一体私は何故姉を避けるのか。

あんなに大好きだったあの姉を─

 

 

実の妹よりチームメイトを応援した事に嫉妬を覚え、怒りを感じてるのだろうか??

 

言葉にしてみると意外と通りそうな理由で、一瞬そうなのかも?と、自分でも思うが、どうもしっくりとこない。

 

私の心の奥に蟠っているのは、そんなストレートな感情ではなく、もっと──

 

 

私はそんな堂々巡りな複雑な感情を抱えながら、ただ、レースがはじまるのをレース場の片隅で一人ポツンと待っていた。

 

 

 

そんな中、私の思索を断ち切る様にレースが始まった。

 

 

先頭に立つ姉、追う彼女、私は二人を羨望の眼差しで眺める。

 

なぜ私はあそこに居ないのか。なぜターフを駆けていないのか─

ウマ娘の性か、そんなことを思いながらも、レースは進み終盤へと差し掛かる。

 

姉が逃げ先頭に立ち、スペシャルウィークさんが追うまさに誰もが望んだ展開。

 

それを見て大歓声を挙げる超満員の大観衆。

 

私はそれを見て、水が染み込む様にじわじわと自分の心に深く沈んだ澱の正体を理解し始めていた。

 

いや、最初からわかっていたのかも知れない。

姉が前を走るのを追いかけながらも、その背中を眺め続けるだけで満足だった私と―

追い続けて更に抜き去り先頭に立とうとする彼女――

 

姉がどちらを強く意識して、その心に思い続けるのか、そんな事は明らかである。

 

そんな彼女だからこそ姉も全身全霊で思いに応え、全力を尽くす。

 

 

─何よりも熱く尊い宿命の好敵手(ライバル)関係─

 

 

血の繋がりよりも濃い、その関係に私は負けたのだ。

 

その事が理解できた瞬間、私の胸に湧いて来たのは僅かな悲しみ大きな悔しさ、それよりも―

目の前で繰り広げられる私が持てなかった覚悟を持った、二人の何処までも熱いデッドヒート。

 

その全てが夢の舞台に相応しい一騎当千のウマ娘達が横一線に揃う中、あくまで逃げる姉、追う彼女。

 

絡まる様にゴール板へと迫る二人の鍔迫り合いに、感極まった私は思わず席から立ち上がり、

喉が張り裂けんばかりの声援を、どちらにともなく張り上げていた。

 

 

 

私の名前はラスカルスズカ

 

 

あの二人の一人の背中を追いかけ、もう一人に追い抜かれた、一人のウマ娘だ。

 



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