艦娘の死 (史実)   作:なおちー

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赤城の死。

「油断と慢心の結果が、これか……」

 

        第一航空戦隊 航空母艦 赤城の死

 

飛行甲板が炎上中の大型空母の赤城は、

最も重要な機関部が無事のため沈むことがない。

 

やがて夜になると、あらゆる可燃物が燃え尽きて漂流を続ける鉄の塊となる。

赤城は自らの力で起き上がることもできず、ただ空を見続けていた。

走馬灯は何度も見た。

 

赤城から救助された多くの乗組員がこう罵った。

 

「大和以下の戦艦部隊は、どうして安全圏で行動しているんだ!!」

 

「あいつらが俺たち前衛部隊と合流していたら、結果は違っていたはずだ!!」

 

実はミッドウェイ海戦は、日本海軍200隻、

米海軍40隻という膨大な戦力差があった。

 

前衛に位置する空母同士の決戦の結果、日本海軍は制空権を

米海軍に握られてしまった。実は日本海軍のほとんどの艦艇は

戦闘に参加せずに日本に逃げ帰ったに等しかった。

 

「もう、いいのよ」

 

作戦は上が決めることだ。赤城はそんなことよりも、

一人でも多くの乗組員が助かることを願っていた。

 

飛行甲板が大炎上しても貴重な一航戦のパイロットの多くが

付近にいた艦船によって救助されていた。南雲司令官も避難を完了していた。

 

航空機部隊の母である、航空母艦の赤城は洋上を漂いながら死を願う。

 

「体中がね、痛いのよ。体を焼き尽くされて、それでもまだ死ねなくて、

 苦しみはいつまでも続く。私はもう助からない。さあ、私を殺してちょうだい」

 

修理不能となった船を、いつまでも戦闘海域に浮かべておくわけにはいかない。

最後は、味方駆逐艦(第四水雷戦隊)の魚雷によって処分されることになる。

彼女らは涙を流しながら魚雷の命中を確認した。

 

「ああ、誇りある一航戦の空母が、沈んでいく……」

 

この海域にいた者たちには、沈みゆく赤城から確かに断末魔の声が聞こえたと言う。

赤城とは、史実の軍艦においても何か人の意志が込められた艦艇だったのだろう。

 

加賀と並んで搭乗員の練度において世界最強を誇った第一航空戦隊、赤城。

その巨体は全長において戦艦長門をも上回り、戦艦大和と同等だった。

 

日本空母の中でも赤城と加賀は特に強かった。

一航戦は日本中から最優秀のパイロットをかき集めて構成されたのだ。

日本の最優秀とは、世界の最優秀であることを太平洋戦争の序盤で証明した。

 

赤城といえば連合国軍からは 『強大な悪』 『侵略の象徴』 『悪魔』 とされているが、

赤城の各種乗組員も、飛行機のパイロットたちも、人間であることに変わりはない。

 

例えば零戦のパイロットには古参兵だけでなく、20歳前後の若い兵もいた。

田舎には彼らの親や兄弟がいた。

 

親にとっては息子が米英兵を殺すことより、

無事な姿で帰ってくれることのほうが大事だった。

 

中には成人したばかりの子供を心配して、「弾避けの腹巻」を

持たせてくれた母もいた。まじないの一種である。

航空服の上にその腹巻を巻いた兵を、上官が殴り飛ばしたエピソードがある。

 

「甘ったれるな!! 貴様は自分に敵の弾が当たると思っているのか!!

 弾に当たるのが怖いと思っているなら、赤城から降りろ!!

 生半可な気持ちでは赤城隊のパイロットは務まらんぞ!!」

 

このエピソードは、某映画に描かれた真珠湾奇襲攻撃の発艦の際のものである。

奇襲攻撃は楽に成功したかのように思われているかもしれないが、大変な誤りである。

 

6隻の正規空母は、艦載機が空爆を終えて母艦に戻るまでの間は、

洋上にとどまる必要がある。その間に敵空母の攻撃か、あるいは

潜水艦の魚雷を食らえば、パイロットたちは帰る場所がなくなり、

海の上か、適当な島に不時着するしかなくなる。

最悪、奇襲に失敗すれば航空隊が全滅する可能性すら考えられていた。

 

訓練の過酷さについても述べておきたい。南雲艦隊のパイロットの技量の高さは

神から与えられたと言うより努力によって磨かれたものだった。特に飛龍の訓練は

過酷を通り越して指揮官の山口多門は「人殺し、キチガイ多門」と呼ばれた。

 

赤城も似たようなものであり、特に辛かったのは夜間の離発着訓練である。

視界の利かぬ中、船のサーチライトを目印に、空母の短い甲板に着陸することは

困難を極める。それを赤城はあえて大嵐の中で行った。雨水のため、

ますます視界が制限され、一航戦のパイロットでさえ死への恐怖で

正常心を失ってしまう。

 

訓練中の一機が、赤城の飛行甲板に突っ込み、翼が折れる。エンジンが燃え上がる。

急いで飛行機から焼けただれた若いパイロットが救助される。

すでに死んでいた。まだ19歳の若さだった。

 

その悲惨さを、艦橋から眺める兵の姿がある。

 

「アメリカとの戦争では、貴様らの分まで、

 俺がやってやる!! やってやるからな!!」

 

古参兵たちは、敵と戦うこともできずに死んでいった仲間のことを

忘れることがなかった。世界最強の航空戦隊とは、このようにして作られたのである。

人命を重視する米英の空母でこのような訓練をすることは不可能であった。

 

上で書いた内容は、戦争開始直前の猛訓練の一部だった。

基礎的な国力で100倍の差がある日米では、

まともに戦争をしても確実に日本が負ける。

だからこそ、敵に数で劣っても戦闘部隊の技量でそれを補おうと努力したのだ。

 

赤城は南雲艦隊の中でも爆撃隊と雷撃隊の死傷率が特に高かった。

敵艦隊を攻撃する際は、赤城隊が先頭で突撃することが多かったためだ。

 

特に雷撃機は、巨大な魚雷を積み、満足な速度も出ない状態で

V字の編隊を組んで突撃する、最も危険な任務である。

 

赤城雷撃隊では「三回雷撃して生き延びてれば、運が良い』と言われていた。

つまり、三度も攻撃に参加すれば、ほとんど全員死ぬと考えられていたのだ。

敵からすれば、雷撃機は自分の船に対し、超低空を直線的に進んでくるのだから、

仰角を計算せずにまっすぐ打てば当たる。

 

赤城隊が先陣を切って敵の火力を一身に受けるため、後続に位置する

他の空母のパイロットが自由に動き回れるから戦果を拡大できた。

赤城雷撃隊は敵の猛射の中、ひるむことなく突撃をした。

 

たとえ機体が爆破、四散しても、その直前に魚雷の発射管を押せれば、

時間差で敵の船底に魚雷をぶち込むことができた。

 

彼らがいかに勇敢だったことか。後輩の五航戦のパイロットたちは、

自らの命と引き換えに敵艦を撃破する彼らの後姿を、確かにその目に焼き付けていた。

 

ミッドウェイの後は、偉大なる先輩たちの意志を引き継いだ五航戦の

若い翔鶴と瑞鶴が日本の空母の代表として、

増強を続ける米海軍の前に立ちはだかるのだ。

 

 

筆者が残念に思うことは、

おそらく日本人のほぼ全員が、第一航空戦隊の赤城の名前すら

聞いたことがないということだ。

 

8月15日の敗戦、原爆投下の事ばかりが世間で知られる中で、

日本の空母艦隊の奮戦の歴史を、学校教育やマスメディアは

今後も永遠に国民に伝えないのだろうか。

戦後の左翼教育もここまでくると、もはや独裁国家の情報操作と大差がない。

 

真実の歴史を若者に広く伝えるきっかけになる意味でも、

「艦隊これくしょん」には単なる美少女ゲーム以上の価値があると信じている。

 

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