恐らく。天王寺恒星という女は、善人なのだと思う。
彼女は自分以外の視点がある事を知っている。
だから彼女は、他者を無視できない。
人は一生、自分以外の視点を持つ事はない。
自分を中心とする視点以外を、知ることは無い。
それでも。人は自分以外にも自分と同じように日常を送っている人間がいるのだと。それを想像し。想像から理解へと発展させ。理解が共感を生み出して。そうやって幾つものハードルを越えながら──自分が中心である視点を持つと同時に、同じような視点を持つ幾万幾億もの他者が共有する世界を想像している。
しかし。
天王寺恒星は、知っている。
自分以外の他者がいるという事を。その視点があるという事を。己が副作用によって。
想像という段階を超えた、ただひたすらな事実の提示。
この世界には、自分以外の視点で溢れている。
この事実を前にして。
天王寺恒星は──他者という存在に対して、真摯に向き合ってきた。
人生の積み重ね。
他者の期待に応え続けてきた日々も。
そして自らの意思でボーダーに入隊した後の日々も。
彼女の中には──自分以外の誰かという存在が当たり前のように存在している。
それは。
今も昔も変わらずに。
そして。
──彼女自身の意思により。
──彼女は自身の命の秤を、他者のそれよりも軽く置いている。
天王寺恒星は、善人なのだと思う。
他者の事を考え、他者の為に生きる事を善であるとするのならば。彼女は途方もなく善で、善行を積み重ねてきた人間で、過去も今も変わらぬ善人のままである。
他者から彼女を見た場合であれば。
※
「.....という訳で。申し訳ないけど、ちょっとお前に世話をかけてしまうかもしれない」
「....」
柿崎隊、作戦室。
隊長である柿崎以外出払っているこの部屋の中。
迅悠一が、いた。
「──大規模な戦いがこれから始まる。その時、柿崎隊は多分天王寺と組んで戦う事になると思う」
「.....どうして俺達なんだ?」
「どの未来でも、B級部隊の中で高い確率で生存しているからだな。それは純粋に──柿崎隊の特性で、そしてお前たちの実力だ」
「.....」
柿崎隊は、全部隊の序列の中で高い方とは言えない。
その序列が──言ってしまえば、ランク戦という点取り合戦で決められているから、という側面もある。
柿崎隊は非常に安定している部隊だ。
安定、という言葉における良い側面として。隊員の能力や部隊の方向性にムラがなく、結果の出方が常に一定であるという事であり。
悪い側面としては──実力以上の結果が出にくく、結果の上振れがほとんど存在しない事。
それは点取り合戦が主軸となるランク戦において、結果として出にくい側面がある。
戦闘員三人のうち万能手が二人。残り一人も攻撃手トリガーと銃手トリガーを併用している。三人それぞれが距離を問わず戦える隊員で固められており、距離を問わぬ戦い方が出来る。
だから安定する。だから戦い方の軸がぶれない。
だがそれは戦い方が常に変わらない、という意味でもあり。常に他部隊から研究と対策が行われるランク戦において、変わらない戦術を行使する柿崎隊は、比較的点を取ることが難しい部隊でもあった。
だが対策を講じられて尚”距離を選ばず戦える””合流した後の陣形が安定している”という部分は高い生存率と安定感を生み出している事もあり──合流が果たされた後の生存能力は非常に高い。
「....俺は何をしたらいいんだ?」
「一緒に戦ってくれるだけでいい。本当にそれだけ」
「何に心配しているんだ? 俺も天王寺の事は知っている。──アイツに黒トリガー持たせたら、それこそ鬼に金棒だろ」
「アイツと戦う事になる相手も黒トリガーだからな。──確実に勝てるとは絶対に言えない相手だ」
「.....敵も、黒トリガーを使って来るのか」
「ああ」
つまり。
──自分たちもまた、黒トリガーと戦う事になる。そんな可能性がある訳なのか。
「黒トリガー同士の戦いとなると、天王寺には確実に勝ってもらわなければならない。なので一対一で戦わせるにはいかない」
「そりゃあ、そうだな」
「だが──天王寺自身は、自分に部隊をつける理由を”黒トリガーを回収してもらって、本部に届けてもらう為”だと考えている」
「....」
「勿論、アイツも死にたがっているわけではない。黒トリガーも自分も生き残れることが最善であることは解っているだろうけど。──どちらかを選べと言われたら迷わず黒トリガーを選べる人間というだけだ」
柿崎は、天王寺恒星と特段の面識はない。
非常に真面目な、堅物という印象だけが刻まれている。
が。
話を聞くうち。
その人物像に──別な人物が映り込んでいくのを感じた。
──家族が無事なら何の心配もないので。最後まで思いっきり戦えると思います。
同じだ。
いつか感じた同じ困惑を。同じ恐怖を。恐らく──今、柿崎自身が感じ取っている。
──天王寺恒星の精神構造は、嵐山に似通っている。
「.....」
あの時に、自らが逃げ出してしまったものが。
時を経て──別の形となって、突きつけられる事となる。
※
──あとどれくらいだろう。
確定した未来。
もうじき来訪するという、大規模侵攻。
天王寺恒星は、現在備えている。
その時に向けて。
──時間が許される限り、備えていかなければならない。
事前に備え、訓練を行い、緊張感を保つ。
元々やってきた事と同じ事だ。
自分のパフォーマンスを、最高の状態に保つ。
その為にやるべき事を、粛々と行っていく。
このやり方しか、天王寺は知らない。
現在、天王寺は寮の自室にも戻らず。時間が許す限り支部の作戦室に籠り訓練を繰り返していた。
繰り返す。
繰り返す。繰り返す。
壊れた機械のように。同じ動作を繰り返す。
コンマ一秒の速度。ミリ単位での動きのズレ。動作の度、修正項目を見つける。項目を潰すと、また新たな項目が生まれていく。
──このやり方しか、私は知らない。
最善を尽くせ。
最善を行使しろ。
お前の最善が果たされなかった所為で誰かが死んでしまうかもしれないぞ。黒トリガーが奪われてしまうかもしれないぞ。ボーダーの被害が甚大になるかもしれないぞ。
迅悠一は、未来を見せた。
この未来を背負うと覚悟したのだから。
妥協は許されない。
──この心しか、私は持てない。
未来という天秤が掛けられた今。
己の行動によって誰かの命がかかっている、今。
己の命を懸けない選択は、天王寺恒星には存在しない。
「こんにちは」
支部の作戦室。
本日──至極珍しい客人が来訪していた。
「はい。こんにちは。空閑遊真君。──改めまして。私の名前は天王寺恒星です。よろしくお願いします」
「よろしく、てんのうじさん」
それは。
つい先日──刃を交えた少年の姿であった。
「この前は申し訳ありませんでした」
「いいよいいよ。ウチの師匠はかなり腹立ててたけど。──なんか事情があったんでしょ?」
「事情はありました。ただ、その事情というのは貴方達とは何も関係ありません。完全にこちら側の事情の為であって──貴方たちのためではありませんでした」
あの時。
二宮隊をA級に復帰させる為だけに、状況を利用した。
玉狛支部を襲撃し、実績を作り、二宮隊へのペナルティを消させた。
これが玉狛に対して何らかの利益を与えたかと言えば──答えはノーだ。
「.....あの時。てんのうじさんは、本気でおれ達を潰そうとしていたの?」
「はい。本気でした。全力で備え、全力で挑みかかりました。全力でなければ、私の目的は果たせなかった」
「.....」
空閑遊真は。
言葉を紡ぐ天王寺恒星を、ジッと見ていた。
「その上で──。たとえどれほどの全力を挙げても。きっと、貴方達ならば食い止めてくれる。そういう信頼もしていました」
「......どうして、そんな風に信頼できたんだ?」
「私の副作用が、そう言っていたからです」
その言葉を聞いた瞬間。
空閑遊真は、少しだけ驚いたように表情を変えた。
「──よく、あの男が言っている台詞でしょう」
「.....てんのうじさんの副作用って?」
「私の副作用は、私を観測する誰かの視点を共有する事です。ボーダーでは、”平行視”と呼ばれています。私は──私の事を迅さんに観測してもらう事で、限定的にですが、未来を視る事が出来る」
成程、と。そう遊真は呟いた。
ーー以前の戦いで、動きがかなり読まれていた印象があったが。それも彼女の副作用によるものか、と。その部分も含めて、合点がいった。
「私は、私が視た光景と。そしてその光景を見せてくれた迅さんを信頼しました。この未来を元手に起こした行動を──きっと迅さんは掬い取ってくれるであろうと」
「.....色々と納得できた。じんさんがおれに戦いに向かわせたのも、それが理由か」
「恐らくそうでしょう。──もしあの時、ノーマルトリガーを持った空閑君が向かわなければ。空閑君の黒トリガーを奪う為に、私が単独で支部への襲撃をかけていたでしょう。そうなると、君は黒トリガーを使わざるを得なかった。そこは避けなければならなかった」
最悪。
遊真が黒トリガーを使用すれば、本部が所有する黒トリガーが持ち出され、本気の戦争になる可能性すらあった。
「だから。あの時──玉狛支部ではなく、戦いの中心地に君がいる必要があり。そして黒トリガーではなく、ノーマルトリガーを使う君が必要だった。これで我々と玉狛支部は相打ちとなり──玉狛側は君と君の黒トリガーを守るという目的を果たし。そして我々もまた玉狛を倒しきったという実績を持つことが出来た。この最高の着地点を得る為の舞台を、迅さんは作った」
天王寺という視点の共有者を経て、未来の大筋を変え。
その大筋の更なる最善をもたらすべく、迅が暗躍した。
そういう過程を経て──あの結果はあったのだ。
「.....実は。おれにも副作用があるんだよね」
「そうなのですか」
「おれは、嘘が解るんだ。相手が言っている事が嘘かどうか。それが解る」
「.....」
「てんのうじさんは、嘘を吐かない人だね」
空閑遊真は、かつて刃を交えた相手に対して──確かな好感を持った。
彼女が言う言葉や責任に。そして迅に対する信頼に。全て、揺るがぬ芯が通っている。
「.....ちなみに。そのてんのうじさんの目的、っていうのは言えない?」
「言いたいのはやまやまですが、箝口令に触れる部分ですので。今はまだ」
「そうなんだ。──それは残念だ」
「申し訳ありません」
「いやいや。じんさんが言っていたんだ。──てんのうじさんがやったことは、後々おれ達にも恩恵があるって」
「.....?」
その言葉に、天王寺は首を傾げる。
その様子を面白そうに遊真は眺めて──そして、
「──それじゃあ、本題に入ろうか」
「はい」
そう言った。
本題。
それは──。
「この前の戦いは、てんのうじさんに勝てなかった」
「ノーマルトリガーの扱いに関しては、まだ私の方が一日の長があるでしょうからね」
「だから──こっちの戦いでは、負けるつもりはない」
「はい。──胸を貸して戴けたら」
両者は。
作戦室内の訓練室に入る。
仮想空間の、市街地。
両者は──互いに、互いのトリガーを取り出す。
空閑遊真は、その手に嵌められた黒い指輪を。
天王寺恒星は、黒い柄口を。
「まだまだこれを使い始めて数日ばかりの若輩者ですが──構わず全力でお願いします。空閑君」
「もちろん。──こっちも手を抜くつもりはない」
トリガー・オン。
両者の声が響くと同時。
空閑遊真は、全身を黒色で覆い。
天王寺恒星は光のマフラーを纏いし刃を生み出す。
「いざ」
──黒トリガーVS黒トリガー。
天王寺恒星と空閑遊真。黒トリガーの適応者同士の戦いが開始された──。