「.....始まったみたいだな」
事前に報告を受けていた、天王寺の位置。
そこから──激しい戦闘音が響き渡っていく。
銃声とも違う。剣戟とも違う。普段聞きなれているどの音とも重ならない。異形そのものがぶつかり合う、奇妙極まりないそれに、
「.....行くぞ」
「はい!」
柿崎隊隊長、柿崎国治。
彼は一つ息を吐くと──迷いを振り切るように、かぶりを振った。
※
沼底の暗闇が、宙に浮かんでいる。
そんな風に天王寺は思った。
黒いジェル状の液体が空に浮かぶ。
意思を持つように蠢くそれらは、その形態を変えていく。
「.....成程」
眼前に拡がるそれらが、蠢く正体。
変化している。
蠢く泥は、──こちらを斬り裂く刃へ。
放たれた刃よりも。天王寺はジッ、と。エネドラの視線へ着目する。
──私の正面だけでなく。左右と股下。恐らく背後含めた”全身”を見ている。
己の副作用が示す、相手の視線。
それを観測しながら、その意図を読み解く。
この正面の攻撃は陽動に近い。
本命の攻撃が、──自分の見えない範囲に仕込まれている。
正面の攻撃を、身を屈みながら避けると同時。
避ける動作と並行し風刃の剣先を地面になぞる。
「....ああん?」
正面の攻撃は、避けられると同時。
足元より這い出た刃は──同じく足元より生え出た刃により防がれる。
「──」
屈んだ体勢から、ロケットの如く飛び出た天王寺は。
空間上に次々生成されていく刃を避けるように旋回し、
後ろ手に持つ風刃を地面になぞらせ。
敵の足下付近にブレードを仕込み──己は、跳躍。
足元への攻撃に流れる視線を逆手に──己はその死角へ飛び込んでいく。
「....ちょろちょろと! このクソ猿が....!」
すれ違いざまに、腹部への一撃。
手応えなし。
横薙ぎの斬撃から斬り上げ。供給器官位置への一撃。
....手応えなし。
──急所がないのか?
斬撃への曖昧な手応え。
供給器官の存在も感じられない。
──トリオンの液・固体化がこのトリガーの基本的な性質か。
「背後」
ぼそり呟くと同時。
天王寺は己の背後に、風刃を突き立てる。
その軌道上。──生え出てきた刃を砕く。
「....」
この瞬間。
天王寺は悟る。
この勝負──相性で言えば間違いなく、自分は最悪の勝負を挑んでいる。
斬撃が基本線となる黒トリガーに対し、斬撃が効かない相手。
──供給器官は何処かにあるはず。その居所を知ることが出来れば私の勝利。だが、今の私にはそれを探す手段がない。
幸い、あの黒トリガーは射程と機動性はそこまでではない。脅威となるのはトリガーの変幻性。
「一人で片付けられれば良かったのですが」
やはり。
この黒トリガーを持てたところで──まだまだ迅悠一には及ばない。
だが、それでいい。
「すみません。手を借ります」
天王寺の背後より。
二つの銃口が──エネドラに向けられていた。
「柿崎隊、現着! ──これから天王寺の援護に入る!」
銃声と共に響く声に。
天王寺は──僅かに頬を緩めていた。
「これで──少しだけ安心できますね」
これで。
自分が倒されても──風刃を回収してくれる隊員が来てくれた。
これで。──
※
「私が風刃で奴を引き付けます! 射撃中心で、距離を取っての戦いを!」
あの黒トリガーの性質上。破壊力の強さは特段の優位点となりえない。
それよりも、可能な限り距離を取り、目視できない位置取りを取り続ける事が何よりも重要となる。
「──了解!」
照屋が建造物の裏側に入り、真上からハウンドの弾雨を降らせ。柿崎は建造物の上を巡りながらアステロイドを掃射する。
──あの黒トリガーに、威力は然程の意味はない。ならば少しでもあの近界民の視界から逃れる方策を取るべきだ。
そして、理解できた。
現状において──風刃は、あの黒トリガーにとって脅威となりえない。
今やるべきは。
あの黒トリガーの情報を集める事だ。
「おーおー。雑魚が増えやがったな」
敵が増えた状況下においても、あの近界民の余裕の態度はそのまま。
純粋な物量が増えた所で、あの男の黒トリガーの不死身性は崩れない──そういう自信があるのだろう。
「.....宇井さん。あの黒トリガー使いの解析を頼みます」
ならば。
今は、少しでも奴との交戦を続ける。あのトリガーに内包されている謎の一つ一つを、解き明かす。
それまで、ひたすらに耐える。
苦しくとも──今はそうするほかない。
「まずは──」
獲物が増えた事により。
エネドラの意識が、天王寺以外へも向けられる。
現在、柿崎隊は部隊を密集させ、それぞれエネドラの視界から逃れながら弾丸を放っている。
「ノーマルトリガーの雑魚共からだ!」
エネドラはその建物を通じて、彼が持つ黒トリガ──―”泥の王”を放つ。
液状化したトリオンを、壁を通じて送り込み。
そしてそれを固体化させ、ブレードを放つ。
「業腹ながら、私の攻撃はまだお前には届かない」
だが。
「ならば──別の使い方をするだけだ」
柿崎を狙ったトリオンの奔流は──ブレードとして固体化するその寸前。
──別なブレードによって射出地点が潰される。
「.....あ?」
「原理は違えど、──風刃と過程と結果は同じトリガーのようですね」
泥の王も、風刃も。
双方とも、”地続きの物質にトリオンを通す”という過程と、”ブレードを射出する”という結果は同じである。
風刃はただそれだけしか機能がない。
だが。ことこの”過程”を経る機能だけは、泥の王を上回れている。
射程及び、トリオンを通す速度。
液状化させたトリオンを流さなければならない泥の王よりも、ブレード射出位置までトリオンを通す速度は上だ。
ならば。
先回りさせる。
現在柿崎隊は突撃銃の射程がギリギリ届く距離間から、弾丸の掃射を行っている。
部隊を散会させず一つどころに集めているのはこの為だ。
──柿崎隊周辺に風刃の通り道を即座に通す為。
結局エネドラは、距離がある柿崎隊へ攻撃を仕掛けんとする時には。そこにブレードを射出する必要が生じる。
ならば。
先回りさせる。
エネドラの視線がこちらから外れたその瞬間。柿崎隊に向けて攻撃を
「──目を逸らすな。誰が来ようと、お前はまず私を仕留めなければならないんだよ」
仮に。
エネドラが冷静ならば気付けていただろう。
──この方法は幾度となく使える方法ではないのだと。
連続の風刃の射出量には限界がある。トリオンだって限りがある。
一度失敗したとて、泥の王の物量ならば風刃を掻い潜り柿崎隊にダメージを与える事も出来たであろうに。
だが。
分析よりも、感情的な判断が前に出る。
──猿と侮蔑する相手にいいようにやられて。それを見逃すなどあり得ない。
「この.....クソ猿がァァァァァ!」
エネドラはこちらで引き付け。その間にデータの解析を行う。
「──虎太郎。お前は”見る”んだ。天王寺と奴が交戦している様子を、宇井を通してボーダー本部に送る」
柿崎の指示に、虎太郎はこくりと頷く。
現在柿崎隊は、有効射程ギリギリの範囲から、エネドラの視界に入らないよう弾丸を撃ち続けている。
一向に有効打を与えられずにいる状況であるが──それでもその様子は、建造物の上に隠れた巴虎太郎の視界を通じて、映像化されたデータとして本部に送られる。
虎太郎は射程を稼げる武装がない。だが、高い機動力が存在している。
現在エネドラと対峙する天王寺は黒トリガー使い。通信機能はあるが、トリオン体を通じて本部に映像を送り込めるような、互換性のある情報共有機能はない。
だから。その役目を虎太郎が果たす。
「──む」
交戦の最中。
弾雨がエネドラに貫く最中──ばきん、と。確かな音が聞こえた。
「──供給器官か?」
だが。
エネドラは未だ問題なく動けている。
「...」
エネドラの足が止まった。
止まると同時に──
「来いよ.....玄界の猿....!」
エネドラが身に纏う、液状のトリオンが膨張していく。
──大技が来る。
「.....!」
天王寺は、即座に背後へと飛び去る。
密閉した容器が叩き割られるような。膨張した泥の王のトリオンが弾け飛び、爆発のような現象が起こる。
周囲の建造物を破砕し、煙を巻き上げる。
「──しまった!」
大技の予兆を読み取り、背後へと飛び去った。
だが、それによってエネドラとの間に──距離が空いてしまった。
「はん、馬鹿が! ──これであの鬱陶しい雑魚共を殺せる....!」
エネドラは天王寺との距離が空いたと見るや、──柿崎隊の場所へと移動を開始する。
「──退避! だが射撃の手は止めるな!」
「了解!」
柿崎と照屋は、後退しながらもエネドラへの射撃は続ける。
──流石に、位置を動かしてしまうと。風刃の防御は期待できない。
「──もう一発喰らわせてやるよ。猿共」
そして。
「──ぐ!」
接近したエネドラが照屋の足下よりブレードを射出すると共に。更に己の周辺のトリオンを膨張させる。
「──隊長!」
「....ああ!」
爆撃が行使される。
だが、その技は先程見ている。
おおよその効果範囲は、こちらも把握している。
「──思い通りにはさせない」
照屋は、引かず、前進した。
爆発から逃れられんと理解した彼女はエネドラへ向け前進し射撃を続け、
そして。
「──食らえ!」
柿崎国治は。
武装を弧月へと変更し──爆撃の煙に紛れ、旋空を放つ。
放たれたそれは──エネドラの首を両断する。
「....やったか!」
照屋は爆撃により、緊急脱出。
その背後より旋空を放った柿崎は──
「がは....!」
肉体の内部から。
刃により、貫かれる。
「──柿崎さん!」
「....虎太郎」
供給器官を貫かれ、緊急脱出するその寸前。
建造物の上でその様を見た虎太郎に──柿崎は、
「──天王寺を、最後まで助けてやってくれ」
そう言った。
「....」
「.....巴君。聞こえますか」
同時に。
天王寺恒星の声もまた、聞こえる。
「.....私の判断ミスで柿崎さんと照屋さんがやられてしまいました。申し訳ありません」
「そんな──」
「巴君は、下がっていてください。万一でも、君を失う訳にはいかない」
「....」
──柿崎隊の中で、この巴虎太郎だけは。
──エネドラから逃れることが出来るだけの機動力を備えている。そう天王寺は判断していた。
「私が
自分がやられた時。
緊急脱出機能を持たない天王寺にとってそれは──己が死ぬ事と同義である。
それを覚悟して、天王寺はここにいる。
それは理解している。
だが、
──天王寺を、最後まで助けてやってくれ。
「すみません、天王寺先輩」
あの言葉は。
そういう意味ではない。
「おれたちの部隊は──天王寺先輩を死なせない為に、力を尽くすと決めていました」
天王寺を死なせるという前提は、あり得ない。
「おれも──戦います」
「....」
そうか、と天王寺は呟いた。
「.....ままならない。本当に──」
──自分の覚悟と同様に。
──他者の覚悟もまた、等しく尊い。
柿崎隊は──そして、ひとえに巴虎太郎は。
今ここで、自分とは異なる覚悟を抱いている。
──自分が死ねば、などという逃げ道など。許されるわけがなかった。
「....」
反吐が吐きそうなほどの、重圧を感じる。
自分は死んではならない──その事実に直面した瞬間から。
「.....ここまで。見えていたのですね。迅さん」
死ぬ覚悟を持つ事は、
ただ──自分への逃げ道だったのかもしれない。
死んではいけない、という己が義務を前にした。この苦しみから。
本来。自分が死ねば、本部職員が死ぬのだ。
負けてはならない戦いのはずで。
その戦いに──いみじくも、死んでもいい、という逃げ道を自分で用意していた。
なんという。
なんという──臆病者。弱虫。卑怯者。自分の浅ましさが、柿崎隊の姿と対比し、浮き彫りになっていく。
「....巴君」
「はい」
「解りました。ーー一緒に戦いましょう」
──乗り越える。
──この運命を。この場合必要なのは、対峙する覚悟ではない。乗り越える覚悟だ