──こうして。天王寺恒星にとっての第一次侵攻は終わった。
失ったものは、己の左目と左腕。
――左目は完全に失明です。左腕も、リハビリを頑張っても動かせる保証はありません。もう何かを持つ事は出来ないと。そう言われた。
それが、──未来を変える為の、代償だった。
「....恒星」
その姿を見る父親の視界は、その目と腕に集中していて。
そして己が目で見る父親の表情は、ひたすらな失望に満ち満ちていた。
──ああ。
──私はこの目が怖かったのだろうなぁ。
それでも。
それでも後悔はない。
「──何故....あんな事をした!」
「....ごめんなさい。お父さん」
「謝れば済むと思っているのか....! 質問に答えろ! なぜあんな事を....!」
「父さんの質問には答えたいと、本当に思っている。でも.....信じてもらえない事も解っているから」
「何だと....!」
「私が”化物に襲われる”って言った時──父さんは信じてくれなかったでしょ?」
「....」
それと同じ事だよ、と。
そう彼女は父親に告げていた。
「いいの。それでいいの。お父さんにとっては──私が将来柔道なり空手なりで活躍して、オリンピックに出て、皆の喝采を得る事が重要だったんだと思う」
「....」
「それでも──私にとっては、そうじゃなかった。そうじゃなかったんだ.....。あの時に私は、私が『やるべき』と思ったことがあった。それは──父さんの願いよりも、ずっと重要な事だったんだ。だから父さんがどう思おうが――私はこの結果に後悔していないから......!」
──もう、決めた。
──誰かが望む私じゃない。
──私は私がなるべきだと思える私になるんだ。
あの時──逃げ出していたら。
逃げ出した果てにある五体満足の身体の中に。
何が在るというのか。
何もない。
ただ流されるままの、成りたくもない自分がいた。誰かに望まれるままの自分がいた。そして――何に成りたかったのか、何を成し得たかったのか。それら全て見て見ぬふりをし続けるだけの運命が残されていた。
「──父さんは失望したのかもしれない。でも....私は望みを得ることが出来たから」
きっと。
それでも、後悔はない。
失ったもの以上の、何かを得られたから。
だからこそ。
この代償すらも――愛おしい。そう思えるから。
※
「やあ」
そして。
あの男が、現れた。
病院の屋上にて。
あの男がいた。
あの真剣味ある表情はどこへやら。へらへらとでも言おうか、飄々とでも言おうか。そういう笑みを浮かべているものの──こちらに視線は向けないまま。
その意図を理解し、天王寺もまた彼に視線を向ける事無く屋上からの景色を見る。
そこには──ぽっかりと空いた穴の様な荒れ地が見える。
.....あれは。確かな現実だったんだ。そうざまざまと思わせる光景が、ここからでも見える。見えてしまう。
「確か、天王寺ちゃんだったね。どう? ぼんち揚げ食う?」
「いりません」
「ありゃ。つれないな」
「消化に悪いのは入院中に食べない方がいいでしょう。──私の名前は天王寺恒星です。貴方は?」
「迅。迅悠一。よろしく」
「はい。よろしくお願いします。──まずは。私を助けてくれてありがとうございます」
「.....ああ」
「それで。ここに来てくれたという事は──教えてくれるという事ですか。あの時に、何が起きたのか。そもそも貴方は何者なのか」
「勿論。その為に俺はここに来た。──俺は、未来を視る事が出来るんだ」
そう迅がいうと。
やはりか、と天王寺は思った。
「俺は他者を視て、その人の未来を視る事が出来る。──俺はあの時、人が集まるモールを歩きながら皆の未来を見ていた。あの侵攻に備える為に。そうしたら──天王寺ちゃん。君と目が合った」
「....はい。私も覚えています」
「俺は。あの時に大きく未来が動いた事を感じ取った。それは何故なのか全く解らなかったけど。──俺が救う事を諦めていた人が、生きる”目”が出てきたんだ」
「....」
「俺の未来を視る力は完璧じゃない。視える光景は幾つも枝分かれしているし、最悪と最善の未来が隣り合っている事もある。そして行動次第で未来が視える事が状況をより悪化させる事すらあり得る。──俺は。あの時最善を選ぶ為に切り捨てようとしたものの一つが変わる瞬間を見たんだ」
「.....私は。子供のころから不思議な感覚を持っているんです」
「....」
「私が誰かに見られると、その視点が私にも見えるんです。そういう感覚が昔からあるんです」
例えば弱視の人の視点はぼやけていて。
逆に凄まじく目がいい人はとても鮮明で。
──未来が視えている人なら、
「成程ね。──そういう事か」
この瞬間に、迅悠一もまた納得した。
「天王寺ちゃんも──副作用を持っていたのか」
他者の未来を視る事が出来る男と。
自分を視る他者の視点を得ることが出来る女。
二つの副作用が交差した瞬間に生まれた瞬間が、あの時で。
そうして得られた運命こそが、──迅悠一にとっても。天王寺恒星にとっても。未来が変わる一手となりえたのだ。
「.....私は」
ただ一つ。
天王寺にとっての実感。
「──私が特別ではないのだと、そう思っていました」
「....」
「でも違ったんです。私は、特別になる事で何かを背負う事を拒絶していただけだったんです」
自分は、他人に見られている。
その視線の中で──自分が見えている世界の他に、別な世界が幾つもある事を知った。
自分がいなくとも回る世界を知った。
それでも。
いや、だからこそ。
他者がいるからこそ。自分とは異なる視点で生きている人間がいるからこそ。”自分”を持たなければいけなかったのだ。
自分がいなくとも世界は回る。
それでも──自分が刻み付けたものは無にはならない。
自分が踏み出した一歩が運命となり──ちっぽけでも、未来を変える為の何かになれる。
結局。
自分を持ち、他者に影響を与え、──己の運命を変える事を恐れていた。ただそれだけの事だった。
「迅さんは。──他者の未来が視えるんですよね」
「うん」
「迅さんは──怖くないんですか? 貴方こそが、何よりも特別で──何よりも他者に影響を与えてしまう。そういう責を負ってしまっている」
先程。
救う事を諦めていた、と迅悠一は言った。
彼は選定しているのだ。
救う人間。
救えない人間。
最善の未来、と彼は言った。
彼は選定しているのだ。
何が最善で。
何が最悪か。
選定できる力を持ち、選定するべき責を負い、己だけで生み出した結果を、己だけで受け止める。
そういう運命を背負ってしまった人間で。
「.....悪いけど。それは答えられないな」
「そうですか。ならば私の言葉を聞いてください」
天王寺恒星は、真っすぐに迅悠一を見る。
こちらに視線をやらぬよう、迅は視線を下げている。それでも、見る。
「貴方が選定し、取り零すほかなかった未来を。掬い上げられる──そんな存在に私は成りたい」
「.....」
どれだけ限定的であろうとも。
天王寺は、迅に見られる、という状況に限り──迅と同じように未来を視る事が出来る。
彼が必要な時に、彼と同じ光景を見られる。そういう存在で在れるのだ。
だからこそ。
もっと強くありたい。
しかし。たった一つの未来を変える為に、ここまでボロボロにならなければならない己ではどうにもならない。
だから、
「教えて欲しい。私はどうすればそう成れる? どうすれば戦うことが出来る? ──もう、逃げはしない。だから。戦う手段が何処にあるのかを教えて欲しい」
そう聞くと。
俯いた表情から。
口元だけが笑みの形を象って──。
天王寺を、見た。
その時に流れ込む、彼の視点には。
今ここにはない建物や。今ここにはいない誰かがいて。
そして。
今ここにはいない──天王寺恒星の姿もまた、あった。
「──今見えた未来は?」
「必ず。これからすぐに起こる未来だよ」
そうして。
扉は開かれた。
「──ボーダーと言うんだ」
己が望み、戦いに身を投じる。
己が決定した運命への、扉が。
※
こうして。
天王寺恒星はボーダー隊員となった。
己の選択により、望まれた未来を捨てた彼女は。
己が望む未来を、確かに選択したのだ。
・ ・ ・
しかし――
「ほい。これで百本目だな」
春が過ぎた。
太刀川慶は大学生となり、天王寺恒星は高校生になっていた。
決闘の代償である300本勝負は、まだ続いていた。
「勝率、以前よりも上がっているじゃないか」
「.....まだ三割程度です。まだまだ及ばない」
「ん?そうか。――まあでも以前より強くなっているとは思うぞ」
正直な所。
ボーダーという組織を舐めていた。
天王寺恒星は、アスリートの世界においては間違いなく才能の塊であった。
他の人間が丸一日かけて覚える動きを、一目で覚えることが出来た。
同じ動きが出来るまで何日もかかり。そして練習を怠れば忘れてしまう事を。彼女は一瞬で身体に覚え込ませる才能があった。
彼女が持つ、アスリートとしての才能は確かなもので。それはボーダーに入っても大いなる力となった。
ボーダーは、トリオン体という仮初の肉体で戦う。
この仮初の肉体は、トリオンというエネルギーで構成されている。その肉体そのものの強度は誰であっても変わらない。――つまるところ。このトリオン体の操作に関して差がつくのは肉体ではなく。肉体を動かす技術や、センスという事になる。
この部分において、天王寺は間違いなくボーダーでもトップの才覚があった。ボーダーに入るまでに積み上げた技術や、生まれながらに備えた資質は――トリオン体の操作という部分において、大いなる力となった。
それでも。
――どれだけ研鑽を積み重ねようとも、勝てない存在がいた。
弧月を、そして旋空を扱う天才が。
莫大なトリオンを宿した射手の王が。
そして――未来を読みながら戦う傑物が。
彼等は、天王寺とは異なる。
彼等はアスリートとしての才能ではなく。ボーダーの隊員としての才能があった。
天王寺は――異なる分野で生まれ持った才能と、培った技術を転用して戦っている。
彼等は、最初からボーダーで戦うための才覚を持ち、ボーダーで戦うための技術を培い戦っている。
ここに――どうしようもない差があるように思えた。
他の隊員と異なり、部隊を組むこともせず。部隊での連携の訓練もすることも無く。ただひたすら自己鍛錬だけ行ってきたうえで。それでも――勝てない存在がいる。
それが――どうしようもない事実。
「そもそも。――お前、ボーダーで一番強くなることが目的なの?」
「.....一人で、独立して戦える存在になりたいとは思っていましたね」
「あー。だから黒トリガー欲しがっていたのか」
「はい」
天王寺恒星の一般ボーダー隊員の評判はおおよそ真っ二つ。
──常に自己鍛錬を怠らない、ストイックな隊員だと評価する者と。
──隊も組まずに鍛錬ばかりしている奇人変人の類とする者。
ボーダー隊員は、三つのランクに分けられる。
C級、B級、A級。
C級はボーダーに入隊したばかりのランクで、ここから同じC級内での訓練や個人戦を繰り返しポイントを稼ぎ。
そのポイントが4000を超えて、晴れてB級隊員となり──ここからが正規入隊となり、給与が発生する。
そして。
更に上に行こうとするものは──”部隊”でA級に上がる必要がある。
A級部隊に入るか。それともB級部隊からA級に這い上がるか。個人でA級に上がるのは、ボーダーのシステム上不可能である。
彼女はボーダー設立当初から入隊している古参の隊員でありながら、隊を組まず、ひたすら自己鍛錬を行ってきた。
防衛任務は他の隊と連携して行い。後はブースに入り訓練を繰り返す。個人戦も数多く行っており、その戦績も非常にいいときて、個人戦大好き勢からの評判はすこぶるいい。
しかし。今まで誘いが来た隊全ての勧誘を断っており。その中にはA級部隊もあったとの噂も流れ。──いつまでも辺境の支部に居座って個人戦するだけの、実のところ凄まじく協調性がない人間なのではないか? という疑問を持つ隊員も多い。
彼女が──これまで隊を組まなかった理由は、ただ一つだけ。
それは。
──彼女が狙っていたのは。A級ではなく。
S級、と呼ばれる地位であった。
黒トリガー、とよばれるものがある。
それは優れたトリオンを持つ者が己の命を代償に作り上げる、特製のトリガー。
それは通常規格で用いられるノーマルトリガーとは別格の性能を持つ、特殊な代物で。
その中で──天王寺恒星は、風刃と呼ばれる黒トリガーに”適合”した。
黒トリガーは、それを発動できるかどうかの適性も求められる。適合できる人間は、ほんの一握り。そして晴れて黒トリガーを手にした人間はS級という座を手にする。S級はその黒トリガーの性能故に部隊を組むことが出来ず、その一人が一部隊扱いとなる。
されどその風刃は──黒トリガーでありながら多くの適合者を出したため。ある時、争奪戦を行った。
その争奪戦に向け。隊も組まず。一人でただ鍛錬を重ねに重ね。あらゆる対策に奔走し。そして、その果て。
争奪戦の最後に生き残ったのは、迅悠一と天王寺恒星。
互いの刃が交差する中、勝者となったのは──迅悠一であった。
「しかし。負けてしまったものは仕方ありません。あの時間違いなく迅さんは私以上に強かった」
無論。
確実に勝ち抜けることが出来る、などと思いあがっていたわけではない。
あの争奪戦は、太刀川慶こそ参加しなかったものの──多くの上位ランカーが参加していた。自分よりも格上の人間も勿論いた。
だが。あと一歩。本当にあと一つ、という所だったのだ。
天王寺にとって。
S級の座は、心の底から欲しいものであった。
それを手にすれば。
――より、迅悠一に近付けるのだと。そう思っていたから。
されど。結局の所彼女はそれを手にする事も出来ず。
宙ぶらりんな日々を過ごしていた。
「成程なぁ。で、黒トリガーは手に入れられずじまいで」
「はい」
「部隊に誘われても断っていた手前、今更入れてくださいとも言えず」
「.....はい」
「変わらず自己鍛錬と個人戦だけやってここまできてしまった.....と」
「.....はい」
今まで徹底して他の部隊の誘いを断ってきた手前。”風刃が手に入らなかったのでやっぱり入れてください”とは、天王寺の性格的に口が裂けてもいう事が出来なかった。
そしてもう部隊に誘っても無駄だろう、という周囲の評価も固まったところであったので。新たな誘いが来ることも無くなり。
そもそも――そうやって、流されるまま部隊に入る事を天王寺自身が良しとすることが出来ず。
ただただ、同じ時間が過ぎ去っていった。
太刀川慶に決闘を挑んだのも。
黒トリガーを手に入れられなかった自分が、全力のノーマルトリガー最強の男に対してどこまで食い下がれるか試してみたかった思いも無かったと言えば嘘になる。
「まあでも。お前もそこらへん考えて、二宮隊の世話になってんだろ?」
二宮隊。
そのワードが放たれた瞬間、天王寺の表情が”申し訳ない”という文字を全力で張り付けていた。
「.....二宮隊のお世話になっているのは、私の思慮というよりは、単純に鳩原先輩をはじめ部隊の方々によくして頂いているからですね。本当に親切にしていただいています」
「そうなのか?」
「はい」
ふーん、と太刀川は言うと。
「まあいいや。――それじゃあな。また頼む」
そう言って、太刀川は個人戦ブースを立ち去る。
なんだかんだ言って、気にかけてはくれているのだろう。これまで、約束とはいえ百本近く個人戦をしている相手だ。あの男なりに気を遣ってくれているのだろう。あくまで、あの男なりの、であるが。
「私も。そろそろ時間ですね」
天王寺もまた、ブースから離れる。
そして──隊の作戦室があるフロアまで行くと。
「──失礼します」
ある隊の作戦室の前で立ち止まり──ノックをする。
「....」
その中には。
仏頂面で、炭酸飲料──間違いなくジンジャーエール──を飲んでいるスーツ姿の男と、
「....いらっしゃい、恒星ちゃん」
ちょっと、うしろめたさを抱えているような表情がデフォルトでくっ付いている、そばかす面の女性。
「──今日もよろしくお願いします」
「うん。こちらこそ」
真っすぐに視線を向ける天王寺に、女性──鳩原未来もまた頷く。
「辻君と犬飼先輩はもう入っているから。天王寺ちゃんもどうぞ」
「ありがとう氷見ちゃん」
そして。
デスクに座る同級生の氷見にも一つ返事をして──訓練室に入る。
──A級、二宮隊。
部隊員全員が黒スーツを着ている部隊。
どういう意図があるのかは不明だが。全員が黒スーツを着ている。しかも無地。何だこれは。しかも隊長の二宮は常にポケットに両手を突っ込んでいるスタイル。ビジネスライクな空気すらない。重ね重ね何だこれは。そして何だこれはとも言えない空気感に満ち満ちている。重ね重ね重ね何だこれは。
現在、天王寺は――この外面の個性だけで窒息しそうな部隊と少しばかり縁があり、世話になっている。
鳩原未来。
二宮隊狙撃手である彼女は──ひょんなことから、天王寺の師匠になったのであった。
天王寺のトリガーセット(暫定)
メイン スコーピオン アステロイド シールド
サブ スコーピオン アステロイド シールド バッグワーム