迅悠一とは、黒トリガー争奪戦以来会っていない。
基本的に──天王寺恒星と、迅悠一は極力会わないようにしている。
何故かと言えば、二人の副作用がある。
未来視の能力を持つ迅と、平行視の能力を持つ天王寺。
その能力が噛み合った瞬間。未来を視る人間が、限定的に二人となる。
未来を視る人物が一人よりも二人の方がいい、と。そう言い切ることが出来ないのが現状だ。
未来というのは曖昧なもの。
迅が見ている未来は、その曖昧さに幾らかの輪郭を与える事は出来るものの──それでも枝分かれする程度には曖昧なものなのだ。
その曖昧な未来の中で最善を掴もうとする際に。
”自分以外に未来が視える人間”というのは、大いなる不確定要素だ。
その不確定性は、よく言えば迅が見えている未来の動きを大きく変える事が出来るという側面を持つと同時に。
その不確定性ゆえに、未来の動きが安定しなくなる──という側面も持ち合わせている。
それ故に、迅悠一と天王寺恒星は、基本的に会わない。
それは天王寺が迅を信頼しているからであり、──未来を大きく変えなければならない岐路に立たない限り、自分が首を突っ込むことはしない方がよい、と思っているからでもある。
「お久しぶりですね迅さん」
「うん。久しぶり」
天王寺は、本部内の休憩室に入り、通話ボタンをプッシュ。
随分と懐かしい声が、耳元を通っていく。
「黒トリガー争奪戦.....いや。熊谷さんに殴られている姿を私が一方的に見た時以来ですね」
「そういう事は思い出さなくてもいいから」
「女性のお尻を触りたいというなら私にやって頂いても構いませんよ。腐っても貴方は命の恩人でボーダーの生命線ですからね。社会的な抹殺はしないでおきましょう。──まあ指の骨の一、二本は覚悟してもらいますが」
「怖いなぁ」
「それで、何の用ですか?」
ああ、と迅は呟いて。
「割と最近天王寺が悩んでいるんじゃないかって、太刀川さんから聞いてね」
「.....まあ。少々停滞しているな、とは感じていますが。太刀川さんにそう言われるのは心底ムカつきますね」
アイツはせめてもうちょい悩め──と。そう頭の血管が少し膨れ上がる感覚を覚えながら、電話越しの迅の声を聞く。
「停滞、かぁ。──まあ何となくそうなるんじゃないかとは思っていたなぁ」
「そうですか」
「うん。天王寺はどうしようもなく真面目で、そして基本的に自助努力で何とかしてきた人間だから。──誰かに頼る、ってことを自分からできない奴なんだろうなぁって」
「....私は人と協力する事を否定している訳ではないでのですが」
「おれが言っているのは協力じゃなくて、頼る事な。天王寺には、自分が何かをしようとするなら自分の力で達成すべきって考えが多分根底にあるんだと思うんだよ。──それはまあ、正しい考えなんだけどね」
「....」
自分以外の視点を理解して。
その理解故に、流されて生きてきた。
その生き方を変えた結果として、──他者に流されない、確固たる意思というものを尊ぶようになった。
これは正しいのだと、信じている。
だが。
この意思や、信念というものに。他人を巻き込む事にどうしようもない抵抗感がある。
自分には自分の意思や信念があるように。
他人にも間違いなく、それが存在するのであって。
自分の意思を曲げたくないのと同じように。
他人の意思もまた、曲げたくないのだ。
「.....一応、言っておく」
「....何をですか」
「心配しなくても──お前は必ずどこかで、部隊に入る。おれの副作用が、そう言っている」
「.....その必要が生まれる、という事ですか?」
「ああ」
「それはどういう事なのか──というのは。今は伝えられないですか?」
「うん。申し訳ないけど」
そうですか、と天王寺は呟く。
「了解しました。わざわざお電話ありがとうございました」
「ああ。──それじゃあな天王寺。また──何処かで会おう」
「はい」
通話を終えると同時、一つ溜息を吐く。
──そうか。私もいつかは、部隊に入る事になるのか。
迅悠一が言う”必ず”の言葉の重みは、天王寺が一番よく理解していた。
そしてそれが──自分にとって、部隊に所属する必要が生まれるから、であるとも。
ならば。
その時を待とう。
──必要が生まれた時に必要なだけの力を得ている事は、とても重要な事だ。
ならば。未来に、己の力が必要となる時に向けて、備えよう。
そう天王寺は心に決めた。
※
冬が過ぎ。
春が来た。
さて。
太刀川慶。大学一年生最後の試験期間が過ぎ去った後であるが。
その有様──死屍累々、屍山血河の大惨状。天より落とされし単位という名の敗残兵が、その全身から血飛沫上げて屍を晒す。
されどこの男。屍の上を踏み歩きにこやかに笑う。足元に転がる地獄の有様など、上しか向かぬこの男の視界の片隅にも映ることは無い。
「いやー。これで思い切り羽を伸ばせるな」
「羽を閉ざした期間が今までたった一度でもありましたっけ?」
──天王寺と太刀川との戦いは、まだまだ続いている。
「いやぁ。大学生ってのはいいな」
「何がですか?」
十本勝負の七本目。
お互い、会話をしながら刃を交わす。
「仮に。高校みたいに補習という概念があっちまったら、遠征に行けないだろうしなぁ」
「補習という概念がないからこそ、卒業できるかが限りなく不透明な訳なのですが。それはいいのですか?多分大学行けない事よりも大学卒業できない事の方がご両親が泣くことになりそうなのですが」
「そんな事はならねぇさ」
「いいえなるでしょうね。成績というのは全て運すらも関係ない実力で決まるのだと何故理解できないのですか? 馬鹿なんですか? ああそうでした馬鹿でしたすみません」
全く、と天王寺は溜息を吐く。
「次のランク戦が終わってかららしいですね。遠征選抜」
「ああ。──まあ俺は心配してねぇ。何せ一位だ」
「....本当。どうしてこいつが大学に行っているのだろう...」
この惨状を見て太刀川の両親は泣いていないのだろうか。
「──まあ。次のランク戦は、マジになる奴も多いだろうな。楽しみだ」
そう。
次のランク戦が終わった後に、遠征に向かう部隊が決定する。
──遠征を狙っている部隊は、次のランク戦。全力で上位を狙って来るだろう。
「さあて。──どうなるかね」
はっは、と笑い声が上がると同時──天王寺の首が吹き飛ばされた。
天王寺恒星。
未だ──太刀川に対し勝ち越しならず。
※
ボーダーという組織は、近界という別次元に存在する国々から三門市を防衛すべく存在している。
組織の存在価値は、基本的に防衛にある。
次元の彼方から来訪する兵隊共を駆逐し、市民の命と生活を守る。
遠征。
それは、防衛から一歩離れた場所に存在する行為。
こちら側から、あちら側へ向かう。
それは主に情報収集のためであろうが──それでも、こちら側からあちら側へと干渉する手段だ。
──近界民によって被害を受けた人間たち。それも家族が連れ去られたり、殺められたりした者達は特に遠征を希望する者が多い。
「──三輪君も、遠征には行くつもりですか?」
「.....ああ。認定さえ貰えるならな」
現在。
天王寺恒星は、三輪隊と組み防衛任務を行っている。
三輪隊狙撃手、古寺が家庭の事情により防衛任務に出られなくなり、代打で出る形となったためだ。
現在二人一組で分かれ配置がされており。三輪・天王寺と米屋・奈良坂がそれぞれ別区画にいる。
「とはいえ.....そう簡単な話ではないだろうな。A級でも上位に食い込まなければまず認定は貰えない。まだ下位から抜け出せていない状況ではな....」
三輪隊はA級に上がってから、まだその順位を上げることが出来ていない。
B級のトップを駆け抜け、A級昇格試験を乗り越えたその先。──壁は、高い。
「A級.....。解ってはいましたが、本当に魔境ですね」
「....それに。恐らく遠征で長く家を空けるとなると、まず姉さんを説得しなければならない。ここのハードルも高い」
「ああ....。成程...」
三輪秀次はこめかみを抑えながら、一つ溜息を吐く。
彼の姉は、──大規模侵攻以来、弟に対して随分過保護になってしまったのだと聞く。
彼がボーダーに入隊し、近界民相手に戦う決断をした時も、相当に反対したとも。
「だが。.....遠征に行けるようになったら、ちゃんと説得してみせるさ」
それで、と。
三輪は言う。
「お前は──特段、遠征に興味は無いのか」
「無い訳ではないのですが.....。興味はあっても、目的はないという感じですね」
天王寺には、近界という世界についても。近界民という存在に対しても。興味はあれど、それ以外の感情を持ち合わせていなかった。
彼女もまた侵攻による被害を被った側であるが。自分に降りかかった被害は、自らの決断から生まれた結果であるという自覚が大いにある。それ故に、近界民に特段の悪感情も。好感も持ち合わせていなかった。
こちら側の世界を壊そうとするのならば、容赦なく駆逐する対象でしかない。
「今の所──遠征に行くつもりはないですね」
「.....そうか」
そう答える三輪の声音には。
少しばかりの安堵の色が見えた。
──安堵?
その声音の変化に少しばかりの違和感を覚える。
「──『
脳裏をかすめた違和感への試行も、三輪隊オペレーター、月見の声が脳内に響くと同時に掻き消える。
黒い電撃のような光景と共に──空間を削り取ったような穴が開かれる。
『門』の反応は、綺麗に三輪隊が配置された二つの区画に生まれていた。
「.....行きますか」
「ああ」
人間よりも遥かに巨大な体躯の、無機の怪物が眼前に現れる。
──トリオン兵。
「こちら天王寺。バムスター二体にモールモッド一体。交戦に入ります」
極太の胴体と四つ足を持つ蜥蜴の様なフォルムが二体。六本足のクモの様なフォルムが一体。
バムスターと、モールモッド。
天王寺と三輪が、両者とも駆け出す。
天王寺は作成したアステロイドのキューブを背後に作成・分割し、それらを放ちながら──スコーピオンを手にバムスターの足下に入り込む。
巨体を支える前脚をアステロイドで削り取りながら、頭部へと跳躍。頭部に一つだけ浮き出た眼球を、スコーピオンで斬り裂く。
三輪は弧月を手にもう一体のバムスターの懐に入り込み、前脚を斬り裂く。支えを無くし倒れ込むその頭部に、ハンドガンの銃弾を叩き込む。
「天王寺」
「解っていますよ」
跳躍した天王寺目掛け──モールモッドが襲い来る。
その六つ足に付属したブレードが、空中の天王寺に振るわれる。
自らに迫るブレードの側面部位に己が左手の五指を突き立て、そこからスコーピオンを生やす。
指がめり込んだブレードの勢いそのまま地面へと着地した天王寺は、それをバネに更に空中に飛びあがり──アステロイドを生成。
二分割のそれを頭部に叩き込むと同時。
三輪秀次はハンドガンの弾倉を変更し、モールモッドの足に向け放つ。
それは、トリオンの光を纏ったものではなく。黒色の弾丸。
それらが着弾した瞬間。──重石が生え出る。
「──取り敢えずこちら側の『門』のトリオン兵は排除しました。米屋君、奈良坂君。そちらのほうはどうですか?」
「こっち側もオッケーだぜ」
「それは重畳です。──では、そろそろ本部に戻りましょうか三輪君」
「ああ....」
三輪は。
倒れ伏すトリオン兵と、それを見下ろす天王寺のシルエットを──少し目を細めて、見ていた。
重なる。
どうしても、重なる。
己の記憶に張り付く、あのシルエットに──
──三輪秀次は、覚えている。
忘れるべくもない。
己の姉に迫りくる化物の姿を。
終わりを感じ取っていた。
炎と瓦礫に包まれた世界の中。化物が闊歩する光景の中で。
──女のシルエットがあった。
それは姉に迫る化物へ走りながら。
恐らくは、瓦礫を投げ込んでいた。
そして──化物は姉から、そのシルエットへと狙いを変え、消えていった。
炎越しのシルエットでしか見えなかった、その姿。
記憶に強く刻まれたそのシルエットは──不思議な程、天王寺と重なってしまう。
──偶然だとは思う。
天王寺は、左腕と左目の損傷の由来に関して、固く口を閉ざしている。ただ侵攻の際に家屋の崩壊に巻き込まれただけだと。そう言っているだけ。
悲劇だ。
アスリートとして、天性の才能があった天王寺恒星は、近界からの侵攻によってその道を絶たれた。
己が積み上げてきたもの。輝かしい将来。そういうもの全てが破壊されて──なお、天王寺恒星は前を向いていた。
諸々の悲劇の悲哀など、欠片も感じさせない。
夢を潰された怒りも。憎しみも。何一つ宿していないその眼が。
その後姿と重なるかつての記憶が。
──三輪秀次に、どうしようもない程の疑念を生じさせる。
姉が生きていて。心の底から嬉しかった。
姉にあんな思いを二度と味わわせないと心に決め、ボーダーの門戸を叩いた。
もしあの時、姉が死んでしまっていたのならば──きっと今の自分はいないのだろう。その確信がある。
それが。
その喜びが。
──仮に。天王寺恒星の未来を潰した事による対価として在るのならば。
自分は、どうすればいいのだろうか。
──三輪秀次は。
──ただ一つ。天王寺恒星に聞きたい事がある。
ただ。
それを尋ねて肯定されようが否定されようが、自分の中の何かが変わる確信もあって。
聞くことが出来ないだけなのだ。