君のことは忘れない……
心の持ちようだとか。背負っているものだとか。辛い過去だとか。
そういうもので──何かを変えられるのなら、どれだけよかったのだろう。
そういうものが何かを変えられる力になる訳ではない。
ただ何かを変えたいという執着だけを残していく。
何も変えられないのに何かを変えたいという思いだけを刻み付けるそれは、不都合で、理不尽で、無意味で、自分の心をひたすらに蝕み続けるだけの、
呪いでしか、ない。
肉親が連れ去られた悲しみが。
それを取り戻さんと固く誓った決意が。
その為に積み上げてきた努力全てが。
それら全てを合算してもなお、──”人を撃てない”というあまりにも致命的な己の在り方を変えるには至らなかった。
人に照準を合わせてトリガーを引く。
この行為を行うにあたって、全身が粟立つような恐怖に支配される。
雲の上に切り立った崖。何もない天空へと、己が足を踏み出さんとするかのごとき恐怖。
このまま足を踏み出せば、己が肉体は支えを失い、死へと転がり落ちていくであろう。本能の最も内側の部分からガンガン鳴り響くアラートが全身を硬直させ、末端である指先を底冷えさせ硬直する。
墜落を目の前にしたかのごとき、生理的な恐怖。
このまま足を踏み出せば死ぬぞ。だからその足を止めろ。そう脳が己の意思に反し命令をかける、その感覚。
そういう──内側から這い出る恐怖から成る不可能性が、『人間に照準を向けて引金に指をかける』という行為に存在していて。
理屈では判別できない次元の嫌悪と恐怖にその身を支配され。もしくは蝕まれ。──人を撃つことが出来ない、という結果へと結びついていく。
その恐怖と。その結果と。日々向き合う。
突きつけられる。
己が心と体を蝕む呪いに。
お前の、お前自身の──過去は。悲しみは。決意は。涙は。祈りは。行動は。努力は。その全ては。
所詮──呪い一つ乗り越えられぬ脆弱な代物なのだと。
何一つ変えられない。乗り越えねばそれら全て無意味の沼底に叩き落されるという現実を前にしても変えられぬ。何かを変えたいという執着だけがそこにあって、されど何も変えられぬ己自身だけがそこに存在していて。
だから、呪い。
過去と心と決意があるから、現実と折り合いもつけられない。
でもその過去と心と決意は、己の何物も変えられぬ程度には何ら現実への影響力もなく。
いつしか。
人を撃たんとする事を、止めた。
人が持つ武器を、撃つ事にした。
武器を撃って、倒すべき標的の攻撃手段を奪い。
他の、人間を撃てる味方に倒してもらう。
そういう方法を、取ることにした。
欺瞞。
人の撃てない自分は、人が撃ちやすい状況を作り出し撃てる誰かに撃ってもらっている。
あまりにも、欺瞞。
でもそうするしかないんです。
そうするしか、自分は戦うことが出来ないんです。
そうするしか、肉親を連れ去った何者かと戦う手段がないんです。
ある日の事。
武器を狙っていた照準の中。その射線上に──人間を捉えてしまい。
撃った。
レティクルに映る、自分が放った弾丸が人間に着弾しその肉体が破砕される光景を眼前にした瞬間。
その光景が眼窩を通り脳内へ運び込まれ──その全てが全身を粟立てた。
内臓から底冷えするような感覚と、そして灼熱に満ちるような頭の中。五感がぐちゃぐちゃに混線し、目の前の光景全てを認識できなくなってしまった。
蹴躓いた先に、崖があった。
崖から転げ落ちて、改めて理解できた。
この恐怖を乗り越えられるだけの何かが、己には無く、
──己の在り方は。どう足掻こうと変わることは無いのだと。
この呪いは。
何をもってしても──己を縛り付ける楔なのだと。
生きる限り心臓が脈打つように。
生きる限り己を縛り付ける。
どうにもならない。
──あたしは、ダメな奴なんだ。
※
冬を終え、年を超え。
三月が過ぎゆき、一年が巡る。
始まりの四月が、やってくる。
「ハッピーバースデ~、天王寺ちゃん」
天王寺恒星。
17歳になりました。
本日晴天なり。4月2日でございます。
「ありがとうございます」
改めましてこんにちは。
曰く、ギリギリ早生まれになりそこなった系女子──天王寺恒星。恐らく日本で一番危険な場所の中心地にあるなんか真っ黒で巨大な建造物──ボーダー本部内のとある部隊の作戦室。誕生日パーティーの真っ最中。
自分含め、何人もの人たちが持ち寄った料理の数々の中、二宮隊で予約していたというバースデーケーキであったり、パーティー開けされたポテチだったりが置かれ。実に誕生日パーティーという趣であるのだが──何故に、ここに煙と焦げた醤油の香りが漂っているのか。はなはだ疑問である。──本当にいい加減にしろ誰だよ餅焼いてんの。
「....天王寺さん、もう少しで早生まれだったんだね」
隣に座る絵馬ユズルは、そう呟いていた。
そうなんです、と言葉を返しながら──天王寺は取り分けられた食事を口に運ぶ。
現在天王寺恒星は”本日の主役”と書かれたタスキに、手足がやけに短い二足歩行する謎の猫型生命体の帽子を被り、表情一つ変える事無くテーブルに鎮座していた。
そう。
天王寺恒星は、後一日生まれるのが早ければ。早生まれ系女子であった。
「あ? 早生まれって何だよ」
もりもり飯を食らっている長身リーゼントがそう疑義を投げかけ。
「ハヤウマレ.....? ああ。なんだ馬の話か。競馬の話はよく解らなくてな。すまん」
最早言葉の字面すら把握していないという餅焼き髭馬鹿大学生が更にそこに言葉を投げかける。
──凄い。馬鹿が溢れている。
天王寺は無言のまま切り分けられたケーキを自分の皿に取り分け、ホイップに乗っかった瑞々しいイチゴにフォークを突き立て、食らう。
フレッシュな酸味とホイップの甘みと微かな煙と醤油の味がした。微かというが、完全にノイズである。澄み切った水に少しでも泥水投げれば淀んでしまうのと同じ理屈で、今自らが食しているケーキは多大なる損耗と共にある。誕生日会の作戦室。醤油の香りを運ぶ煙がうようよ。
餅焼き大学生はパタパタ餅を焼いていた。
──そのもっさもさの髪と髭ごと燃やしたろか。
「太刀川さん。──何で餅を焼いているんですか?」
「好物を焼くことに理由がいるか?」
「ここには皆が持ち寄ってくれた美味しいご飯があって。二宮隊の皆さんが買って下さったケーキがあって。その上で煙を焚いて餅食ってる貴方の神経は何製なんだって遠回しに聞いていた訳なのですが。ご理解頂けましたか?」
「ああ。ケーキは旨いよなぁ。俺の分も残しておいてくれよ」
「皆さん聞きましたか? ──遠慮はいりません。あの馬鹿の分も食べてください。ケーキもその方が本望でしょう」
冷たくそう言うと、天王寺は太刀川の分のケーキをそのまま──風間へと渡す。
風間は無言のままそれを平らげていた。
「.....」
その横。
二宮は──無言のまま、太刀川に向け実に冷たい視線を送りつつジンジャーエールを飲んでいた。
「そっかぁ~。もし一日生まれるの早ければ、天王寺、わたしと同級生だったんだ~」
テーブルを挟み、天王寺と向かい合う──俗にいう、ゆるふわ系女子に分類されるであろう女子が、そう呟く。
「ええ。そうですね、国近先輩」
「同級生になりたかった?」
「いえ」
「なんで!?」
「.....多分。私が国近先輩と当真先輩と同級生になったら。きっと勉学の世話をさせられていただろうなぁ、と。想像に難くないので」
「あ~? 俺が何だって?」
当真、という名前に反応して。
肉を食らっていたリーゼントが、天王寺の方へ顔を向ける。
──国近柚宇に、当真勇。
片やA級1位太刀川隊オペレーター。
片やA級2位冬島隊エース狙撃手。
ボーダーという組織において。それぞれの分野で右に出るものがいない、間違いなくエリート隊員であるというのに。学力に関しては非常に残念な仕上がりの両者である。
「特に当真先輩。──本当。よく進級できましたね」
「まあA級2位が留年となりゃあ上の連中も頭抱える事になるだろうからなぁ。色々気を遣ってくれたんだろうよ」
「何で他人事の風なのですか.....!?」
当真勇18歳。高校三年生。ボーダー狙撃手個人ポイント№1。
しかしその中身を問い質せば、恐らくとんでもない享楽主義者。基本的にこの男は自分が愉快だと思うこと以外ロクに食指が動かないのであろう。ボーダーで成績が絶望色に染まっている連中というのは、知識を入れる能力がないというより、興味のない事を覚える行為を一切排除している例がとてつもなく多い。このリーゼントもあの餅焼き髭野郎もその一人。
「まあまあ天王寺ちゃん。お堅いことは今日はなしでいいじゃない。一応祝い事なんだしさ」
「....それもそうですね。すみません」
二宮隊、犬飼の言葉に。素直に天王寺はそう言葉を返す。
──現在開かれている会には、太刀川隊(旧)に二宮隊、風間と当真と絵馬がいた。
この会は──「天王寺恒星17歳の誕生日おめでとうの会」である。
今まで誕生日を祝うという文化を味わったことのない天王寺の身を案じ、師匠たる鳩原が主催し会を催したのであった。まる。
「もう17かぁ~。時間の流れってのははやいもんだなぁ」
「そうですね。──太刀川さんも今年で20歳なのですね」
「そうだぞ」
「.....こんなのでも成人だと思えば。大人になる事にそこまで過剰な不安を抱く事も馬鹿らしくなりますね」
そうかぁ。
もう──この髭も今年で20になるのか。
その言葉を聞いた瞬間──同い年の二宮が実に嫌そうな顔をした。同い年である事すら他者のプライドを傷つける。存在するだけで人の心に弧月を振りかざす。その名は太刀川慶。
「.....あ、氷見先輩。ケーキ取り分けますね」
「あ、あ、ひゃ、ひゃい....。ああ、ありがとう....」
そして。
テーブルの向こう側では──元太刀川隊の鳥丸京介と、二宮隊オペレーター氷見亜季の姿が。
もさっとした髪型によく似合う端正な顔立ちの青年に対し、あからさまに氷見は緊張している。呂律すらまともに回っていない。──普段は非常に冷静でかつ、堂々とした振る舞いの氷見らしからぬ姿であった。
「烏丸君は、今玉狛支部でしたね。あちらではどうですか?」
烏丸京介。
元A級1位太刀川隊所属の隊員で。現在はボーダー最強部隊と名高い玉狛第一の隊員。
ボーダーの中でも至極珍しい程に整った顔立ちをしており、その落ち着いた雰囲気も相まってボーダー内外でファンが多い。恐らく、氷見もその一人なのだろう。凄いねイケメン。
「上手くいっていますよ。からかい甲斐のある先輩もいますし」
「それはよかった。私も一回行ってみたいんですけどね、玉狛支部」
「来ればいいじゃないですか。いつでも歓迎しますよ」
「”副作用”の関係で迅さんと鉢合う訳にはいきませんからね。ただ遊びに行くためだけに迅さんを追い出すのも可哀想ですし」
「ああ....成程。──あ。この鶏肉美味しいですね」
「お口に合って何よりです」
蒸し鶏に酢醤油ベースのソースをかけた料理。
天王寺自身がこれまでかなり多く作ってきた料理であり、今回の誕生日会に合わせまとめて作っていた代物である。
「....天王寺は料理するんだな」
そう風間が尋ねると、
「はい。一人暮らしになってから自炊するようになりました」
──実のところ、一人暮らしするよりも前に料理はしていた。
ただそう言ってしまうと、父母の仲が悪く遂には母親が不倫した為別居云々。父親が全く家事が出来ないので家事一切をやっていた云々。この辺りの余計な情報まで口にしなければならない事が目に見えているため少々嘘を吐く。
折角の会をわざわざ重くさせる必要も無かろう。
「して、──出水君」
「うん?」
「確か、唯我君でしたっけ。鳥丸君の後任」
「ああ」
「どうですか?」
「どうにもならねぇな....」
「あ、そう....」
その声は、楽し気ながらも実感が籠っていた。
「まあ、烏丸君の後任ともなれば相当なプレッシャーでしょうからね。これからの成長に...」
「成長の見込みのせの字もねぇな」
「ええ...」
「多分一目見て天王寺が侮蔑の目を向けて舌打ちするレベル」
「.....私、そこまで性格悪くないですよ?」
「違う違う。性格いい奴ほど”こいつどうしようもねぇな”って見限るタイプの奴だ」
「ええ...」
何というか。そこまでボロクソの評価を頂かざるを得ない人物は逆に興味が湧いてくる。
「──ほうほう」
太刀川は。
この一連の会話を聞いていたのかいないのか。
焼いた餅を一つ摘み上げ、海苔に巻き。
「合いそうだ」
と、言って。
餅の上に──蒸し鶏をつまんで、乗せた。
そして食った。
得に感想も言わなかったが、表情は何処か満足気だった。
「....」
何故だろう。
フ、と吹き抜けるような殺意が頭に巡ったように感じた。
※
その後──。
太刀川隊作戦室は、余った料理やら菓子やらをつみまながらのゲーム大会の場となっていた。
元々この会を太刀川隊の作戦室でやる事にしたのも、ボーダー随一のゲーマーである国近が”皆でゲームの対戦をしたい”という希望によるものであった。
二宮は帰ろうとしたが、太刀川に煽られ一戦のみ対戦。派手に負けた為そのまま続行。無事徹夜ゲーの輪廻に飲み込まれた。
「....鳩原先輩」
「ん?」
ゲーム対戦で盛り上がるその背後。
天王寺は──鳩原に、声をかけた。
「ありがとうございます。──本当に、いい誕生日でした」
この誕生日会が開かれたのは、鳩原の提案によるものであった。
「たまには、あたしも師匠らしいことをしないとね」
「なら、次は絵馬君の番ですね。次は私もお手伝いします」
「....うん。そうだね」
鳩原は....少しだけ、困ったような笑顔を浮かべた。
「....天王寺ちゃんは」
「はい」
「自分の命はなくなってもいいと、今でも思ってる?」
かつて。
天王寺恒星は言った。
──必要ならば、自分の全てを犠牲に出来ると。
「.....はい」
その覚悟というか。信念は。
今でも──天王寺の中にある。
もう一度あの侵攻の場面に投げ出されても、きっと自分はあの行動を取るだろう。
その確信がある。
「あたしは──人を撃てない」
「....」
「でも、ここにいる。ここにいられる。それは、あたしの在り方を否定せずにいてくれる人がいるから。あたしの在り方に──合わせてくれる人がいるから」
「.....はい」
「あたしはどうしようもなく弱いから──この変えられないあたしの性まで捨てられなかった。全てを賭ける事が出来なかった。それでもここにいれる」
「...」
「天王寺ちゃんも。──自分の命なんて、賭けなくていいんだよ。いや。──そんなもの、賭けちゃいけないの。絶対に。だって」
鳩原は。
──何処か、達観したような。そんな表情で。
「そんな事を天王寺ちゃんがしなきゃいけないなら――ボーダーなんて組織が在る意味なんて無いじゃない。ここにいる人たちは皆味方なんだから。命なんて賭けなくても問題を解決できる方策があるはず」
自分が向く方向に他者に向かせるのが嫌だ、と。そう天王寺は言った。
でも。
「天王寺ちゃんが向いている方向は──きっと皆、最初から向いていると思うよ。天王寺ちゃんがどうしても解決したいものは、きっと皆にとってもそうであるはず」
だから。
心配することは無いんだ、と。そう鳩原は言った。
「....」
その言葉を──天王寺恒星は、深く噛み砕いて、咀嚼していた。
そして。
鳩原未来は、
──なに、言っちゃってんだろうなぁ。
己が吐いた言葉を──何処までも達観した様相で、見つめていた。
──本当に。あたしは、駄目な奴だ。
鳩原未来。
──彼女が天王寺に吐いた言葉全てが嘘になる決断を下すまで、残り一月。