自分は、人に恵まれている。
そう、確かに感じる。
自分の欺瞞じみた在り方を、肯定してくれる。
己が所属する隊も。
自分と関わってくれる、皆も。
人が撃てないが故に作り上げてきた己の戦い方を、否定しなかった。
自分が撃てないから、誰かに撃ってもらう。
そんな欺瞞に満ちた、その在り方を。
「──鳩原先輩」
でも。
その恵まれていて、優しい人たちの中で。
自分は慣れてしまったのかもしれない。
いや。
慣れてしまった、というより──
「遠征の認定.....取り消された、って。本当なんですか.....?」
忘れていた。
自分は、ただ呪われている存在なのだと。
どうしようもない存在なのだと。
きっと、忘れていた。
忘れていたから。
この自分のままで、──何とかできる、なんて幻想を....。
幻想、を。
※
遠征選抜試験を二宮隊は潜り抜けていた。
ボーダー全体でほんの一握りのA級部隊。その中から更に選りすぐりの上位部隊のみが、遠征に帯同する権利を与えられる。
その基準となるのが──”黒トリガーと交戦できるか否か”
近界という未知の領域に足を踏み入れるに辺り。こちら側が持つ最高武装である黒トリガーに対し対応が可能かどうか。そこを基準に選ばれる。
A級4位の座と、それに見合う実力。そして実際に選抜試験を潜り抜けた成果を以て──二宮隊は、遠征の認定を手にした。
が。
その認定も、取り消される事となる。
原因は──
「.....」
ボーダー本部にほど近い場所にある、隊員用の寮。
その一室。
天王寺恒星の部屋がある。
話の内容からして、他の隊員に聞かれるわけにもいかない。
そして何より──他の誰にも、聞かれたくなかった。
だから。天王寺は鳩原を自身の住処に招き、話をする事となった。
「少し待っていてください。お茶、お出ししますから」
「あ....。いいよ、天王寺ちゃん」
ポットに手をかけ、二つ分の茶飲みをお盆に乗せるその姿を見て思わず鳩原はそう言った。
はじめて見る、天王寺の姿。
左目に眼帯をつけ、そして左手は鉛のように動かない。
右手だけで盆を持とうとする姿を見て、鳩原はすぐに駆け寄った。
「あたしが持つから」
「気を遣わずとも大丈夫ですよ」
「いいからいいから」
盆を先に持ち、手早く鳩原は丸テーブルの上に置く。
そうして──改めて、天王寺の部屋を見る。
非常に整理された部屋の中。トレーニングや動作解析、武道関係の書籍でびっしり埋まった本棚があり。それ以外、特段の私物が見当たらない。
これだけで──普段の生活が見て取れる。
「...」
真っすぐだ。
本当に。
「天王寺ちゃん」
「はい」
「さっきの質問の答えを言うね。──認定を取り消されたのは、本当」
「.....!」
天王寺の顔が、苦痛に見舞われたかの如く歪む。
いや。
本当に、苦痛を感じているのだろう。その心根に叩きつけられた事実に対して、強く痛みを感じるだけの精神性を、彼女はきっと持ち合わせているだろうから。
「何でですか....! 鳩原先輩は確かな成果を残したはずなのに.....!」
知っている。
天王寺恒星は知っている。
この鳩原未来という狙撃手が。自身の在り方と真剣に向き合って、折り合いをつけて、そして不断の努力を積み重ねてきたか。全て知っている。知っているからこそ、納得がいかない。出した成果に対して勝ち取った認定を──何故取り消されなければならないのか。
直接本人から聞いた事は無いが。
”人を撃てない”鳩原未来が、それでも戦闘員に執着する理由は──遠征にある事を、何となく天王寺は勘付いていた。
「....これは、私だけが出した成果じゃない。二宮隊が出した成果で──そして、あたしが出した成果の出し方は、遠征には不適格と見なされた。ただ、それだけの話なんだ」
そして。
遠征の認定が取り消された鳩原は──何処か達観した様子であった。
「天王寺ちゃん。あたしはね──弟が、連れ去られたんだ」
「....」
「なのに。それなのに。肉親が連れ去られているのに。あの子をどうしても助けなきゃいけないのに。──人を撃つ事も出来ないの。それさえ出来れば。たったそれだけの事が。出来ない。どうしても」
心のどこかで、理解していた。
こんな呪いに蝕まれた自分に。
呪いを打ち払えない自分に。
──用意された道なんて、無いんだってことを。
「天王寺ちゃんは、──”出来ないを言い訳にしない人”を尊敬するって言っていたと思うけど」
「はい」
そう。
天王寺にとって、鳩原未来という女性はそう言う人だ。
出来ない事を前に、それでもそれを言い訳にしない人だ。
人を撃てない。その事実を前に試行錯誤を繰り返し、武器を撃ち落とすやり方を身に付けた人だ。
「でも。──あたしは、結局の所。突き詰めれば──人を撃てない事を言い訳に、人に撃ってもらっている立場なんだ」
何処までいっても。
常に自分は出来ないを言い訳にしている。
「違う....!」
「違わないよ。──だから。残念ではあるけど、この結果には.....どうしても納得せざるをえないんだ」
「いいや....! やっぱり、違う....!」
今までにないくらい。
天王寺は、必死に言葉を探していた。
──自分の意思は自分のもので、他人の意思は他人のもの。
それが、天王寺にとってのスタンスであった。
だからこそ、彼女は彼女自身に強い信念を持っており。それと同じだけ他者の考えや信念を尊重してきた。
そんな天王寺にとって。
今、こうして──鳩原未来という人間の考えを拒絶せんとする言葉を吐き出そうとする行為そのものが、あまりにもらしくない行いなのだ。
でも。
それでも。
拒絶したい、と心から思った。思ってしまった。
だって。そうでないと。彼女が思い悩み、時には反吐を吐き。尋常ならざる思いで積み重ねてきた行為そのものが──全て”いい訳”の一言で虚無に葬り去られてしまう。無駄であったと断じられてしまう。
駄目だ。
それだけは。それだけは認められない。
例え鳩原の中でそう結論付けている事であったとしても。その様を見続けてきた天王寺にとっては、どうしたって許せない。
「突き詰めて突き詰めて。思い悩んで、試行錯誤して、自分の全てを賭けるほどの真剣さで突き詰めたものが──ただの”言い訳”になるなんてあり得ない!」
適正でないものに、それでも自分に合わせる。
その行為に対して、常に──鳩原は真剣だった。
「真剣だったから、二宮隊の皆は鳩原先輩を仲間だと受け入れたんだ!」
「....」
「出来ないことがあるのも、それを補い合うのも、当たり前の事じゃないですか....! 出来ないと向き合って突き詰めたものが....言い訳の一言で終わっていいわけがない.....!」
二宮隊が。
鳩原が人を撃てない事に対して「言い訳をしている」なんて考えていたわけがない。
真剣に向き合って。そうして編み出した鳩原のやり方を仲間として受け入れて。受け入れた先に確かな成果があって。そこには確かな、部隊の一員としての、戦力としての、仲間としての”鳩原未来”という人物への確かな経緯があったはずで。
そうして。
ぐるぐると駆け巡る言葉を。今までにない程に必死に。纏まりきれないままに吐き出したその言葉を。
ジッと。
黙したまま聞いた鳩原は──静かに、笑った。
それはいつもの張り付けたような笑みとは違う。
純粋な喜色を張り付けた、紛う事なき鳩原自身の笑み。
「やっと」
一つ頷いて。
「それを言ってくれるようになったんだね。──自分が向く方向に、他人に向けって言いたくないって。そう言っていた天王寺ちゃんが」
「あ...」
「その言葉を聞けただけでも。天王寺ちゃんの師匠でよかった、って。そう思うよ」
「....」
どうしようもなく、感情が溢れてくる。
視界がぼやけていく。
この人は──本当に、天王寺恒星と向き合ってくれていたんだ。
「....でも。現実としてあたしは、あたしの在り方で遠征には行けないんだ」
「....ッ!」
「どう思う....? 天王寺ちゃん。あたしは──諦めるべきなのかな.....?」
突き詰めて突き詰めて。
極限まで真剣に突き詰めて。
その果て。
果てまで来て、駄目だと言われた──その絶望。
推して量れるものではない。
突き詰めたからこその。真剣だったからこその。
もうその先が見えない程の絶望なのだ。
ここで──諦めろというのは簡単だ。
でも。
「....私は、私の考えを撤回しなければいけません。それは、本当に.....鳩原先輩。貴女が今この時に教えてくれた事です。心から、感謝しています」
「うん...」
「だから。今度は──二宮隊だけじゃなくて。私も。鳩原先輩の力になります....! こんな、簡単な事も解らなかったちっぽけな弟子ですけど。それでも、必ず。必ず....鳩原先輩が諦めなくてもいい方法を見つけ出します! 絶対に、遠征に行ける方法を.....!」
それは。
天王寺恒星の決意。
──自分だけでなく。自分を取り巻く他者に干渉して力となる。その為の。
「.....うん」
「だから──」
だから。
「諦めないで下さい....!」
諦めてほしくない。
まだ。
まだ方法はあるはずだ。あるはずなんだ。
全てが手詰まりだと、決まったわけではないだろう。
──全てを突き詰めて、それでも目的を果たせなかった。それでも”諦めるな”という事がどれほど残酷な事か。理解している。理解しているからこそ....。
酷故に、ここで諦めてしまった先。
鳩原未来という人間が積み上げてきたものが──それこそ無駄になってしまう。いや、それどころか。積み上げてきたもの全てが呪いに変わってしまう。
それが理解できてしまう。
「うん」
その返答に。
何処か──安心したように、鳩原は笑った。
「あたしは──絶対に諦めない」
そう。
彼女にしては、強い言葉で──言い切った。
※
それから。
ずっと考えている。
──どうすれば、鳩原未来が遠征に行くことが出来るのか。
A級に上がり、実力を示し、選抜の認定を受ける──という。正規のやり方ではそれはもう不可能だ。そのやり方で、認定の取り消しという結果が生まれてしまったのだから。
逆に言えば、彼女を含めた二宮隊は──実力という部分では、一度は上層部に認められているのだ。
ならば。
そもそも上層部が、──二宮隊の何を危惧して認定の取り消しを行ったのか。その部分について知る事が、まず必要だろう。
鳩原は「もう大丈夫だから」と言って。それから幾ばくかの会話をした後に、天王寺の部屋から帰っていった。
──約束したんだ。
必ず方法を見つけ出すのだと。
まだ何も解決策が見つかってもいない癖に。それでもやるのだと。そう約束してしまったのだ。
ならば──自分に出来る事は、全部やらなければいけない。
そうして、向かっていると──
突如として男の叫び声と共に人が倒れ伏す音が響き──怒号が鳴り響く
──カゲさん!
──ちょ、ちょ! カゲ! 何やってるのよ!
──おいカゲ! やめろ!
それは。
メディア対策室の部署が存在する部屋から聞こえてきたその声は──影浦隊の声。
凄まじく、嫌な予感がすると共に──影浦が対策室の職員に両脇を固められ、連れていかれるのを見た。
「影浦先輩....!」
その背後。
そう声をかける天王寺に、影浦は振り向く。
怒りに満ちた目を──少しばつが悪そうに斜めに向けながら。
影浦はそのまま、その姿を消していった。
その後。
──影浦が根付メディア対策室長に暴力行為を働いた事により、影浦隊がB級降格処分になった事が発表された。
その対応に追われ。暫し上層部は天王寺との面会を果たせなかった。
※
そして。
天王寺は、自室で起床すると──己の携帯に、珍しくメールランプがついているのを確認する。
5月3日。
5月2日の日時に、一通のメール。
「え?」
宛名。
鳩原未来。
──天王寺ちゃんへ。このメールが届いているという事は。恐らくあたしはもうボーダーにいないのだと思います。
その文面を見た瞬間。
全身にぷつぷつと、ナメクジが這うような悪寒が襲い来る。
──あたしは外部の協力者の人と一緒に、近界に向かう事にしました。本当にごめんなさい。あたしは、どうしても諦められなかった。
外部の協力者。
その文面の意味が、暫し天王寺には理解できなかった。
──貴女があたしに言ってくれた言葉は、こういう事をさせる為ではない事は、解っています。駄目な師匠で本当にごめんなさい。あたしは、貴女の真っすぐさに本当に救われました。
チャイムが鳴る。
暫し放心した後、フラフラと玄関口へ向かう。
開けると。
「天王寺」
風間隊が、いた。
風間に──眠たげな視線をこちらに向ける菊地原士郎と、渋い表情の歌川遼。
全員──戦闘体に換装した状態で。
「──昨晩。二宮隊の鳩原が失踪した」
メールの内容が。
風間の声で、現実に色づいていく。
「鳩原は──ボーダー内部から複数のトリガーを持ち出し、民間人に横流しした疑いがもたれている」
今。
自分はどんな目をしているのだろう。
その目を見て──風間は何を思っているのだろう。
「失踪前。鳩原がお前の部屋に訪問していたと報告があった。──経緯を聞きたい。本部まで同行願う」
全身の力が、抜ける。
感情の制御や把握に脳の処理が追い付かず。己の身体を制御する機能が、無くなっていく。
「ああ...」
──鳩原先輩。
──仲間という存在の意味を教えてくれた貴女が。全てを一人で賭けなくてもいいと、そう言ってくれた貴女が。
「何故....」
──最終的に。全部かなぐり捨てて、仲間に頼る事を放棄し、そして己の全てを賭ける事を、決めたのですか.....!
「何故だァァァァァァァァァァ‼ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」
両膝から崩れ落ち、倒れ込む。
反射的に出そうとした手は、右手しかまともに動かず。支えきれず左手側から地べたに崩れ落ちた。
もはや平衡感覚すら覚束ない。
──それもこれも。
──諦めるな、という。私の言葉故なのか──
──5月2日。
──鳩原未来、失踪。