モブウマ娘ちゃんが凄いサンジェニュインのアンチします。
主人公アンチは見たくない方は閲覧をお控えください。
エアグルーヴさんメインの『その別れはまるで2度目だった』にも出てきたモブウマ娘ちゃんが出てきます。
https://syosetu.org/novel/270791/35.html
悪夢は、白い色をしていた。
『お前ら、なんの為に生きてんだ』
無味無臭の問いかけだった。
返事を必要としないくせに、問いかけの形をした、それは罵倒。
『オレはオレの為に生きている。オレを愛する者の為に生きている。その愛が確からしいこと、その献身が無駄ではないことを証明する為だけに、オレはここで息をして、立っている』
逆光になってその顔は半分も見えない。
けれど双眼は。
神秘を溶かし込んだような青々とした目には熱があった。
その言葉のひとつひとつが偽りでないことを示すように、轟々と燃え、心臓を的確に射貫いていく。
『誰の為にも呼吸する覚悟のないやつが、名前を名乗るな』
憎悪にも近い低声がビリビリと辺りを揺らし。
『
頼む、と言った。
悪魔が、頭を下げずに乞うた。
『お前らの心中に、
名前と魂とも切り離された。
まがい物とでも思うような目線で睨めつけられ、限界を迎えた者から息が出来ずにしゃくり上げていく。
足が棒のように硬くなって動かない。
逃げたいのに。逃げ出してしまいたいのに。
いっそ凍えるほどの
大地に深く深く縛り付けて、ひとつになって溶けることを、望まれているかのようだった。
いっそのこと養分になってしまえよ、と、ありもしない幻聴が聞こえだした頃には、あたしは堪えきれずその場に崩れ落ちた。
ほとんど無意識に携帯を握っていた。
けたたましく鳴り響く予定のアラームを左手が切り、空いた右手がカーテンを滑らせる。
午前3時30分。朝日もまだ眠ったままの、そんな暗闇にゆらりと立っていた。
薄い壁で仕切られたいくつもの部屋の前を通り過ぎる。
木造の床が軋む音は誰の鼓膜を揺らすこと無く、冷ややかな外気へと呑まれていった。
「……3時45分、始めます」
ピッ、とタイマーを起動させる。
誰に言うでもなく呟いた声は白い息だけをくゆらせ、あたしはゆっくりと、でもしっかりと息を吸い込んでから一礼した。
今日1日使うことになるグランドへの敬意。
整備してくれたスタッフへの感謝。
いま、この場に立っていられる事の幸甚。
当り前だと思っていたものが当り前ではないと気づいた、いや、
「おや、マイちゃんおはよう。今日も早いねぇ」
年嵩の、落ち着いた大人の声が響く。
ちらりと視線を上げると、馴染みの女性警備員がにこやかに手を振ってきた。
「……おはようございます、警備員さん。このくらいの時間がいちばん使いやすいですから」
「他の子はまだ寝てるもんねぇ。でも今日はとにかく冷えるし、走り終わった後は早く部屋に戻りなさいね」
「はい、そうします」
にこにこと愛想の良い彼女とは、ここ、浦和トレセン学園に転入してからほぼ毎日顔を合わせている。
気さくで穏やかな物言いはウマ娘たちに評判で、もう少しだけ陽が昇った頃には多くのウマ娘が彼女を取り囲むだろう。
秋から冬に変わろうとする、ほのかに寒い朝の空気を打ち消すような陽気さで、陰気染みていたあたしにも声を掛けてくれた。
あたしはそれに感謝する一方で、彼女のその見返りを必要としない善意に、どことなく馴染めずにいた。
疑っているわけではない。彼女は真に良い人だと思う。
けれどどうしても一歩躊躇う気持ちがあるのは、彼女のせいではなくて、あたしが、あたし自身にそれを受け取る権利が無いと知っているからだ。
あたし、デステニイズマインは、元は中央トレセン学園に在籍していた。
上にいた姉ふたりもかつては中央に所属するウマ娘で、重賞をそれぞれ2勝ずつ。
GⅠこそどちらも取れていなかったが、長女はジャパンカップで3着と好走し、次女はダービーでタイム差無し5着まで善戦した。
群雄割拠で熾烈極まる競走を求められる中央だ。
1勝すれば地元の期待を一身に背負い、オープン入りすればスターで、重賞1勝だけでも一生ものの名誉。
だから姉ふたりは素晴らしいウマ娘と言えたし、実際、胸を張って何度も称えた。
彼女たちの妹であることが誇りだった。
その軌跡をなぞるようにトレセン学園の地を踏んだことが、あたしの胸に火を灯した。
いつか姉たちもたどり着けなかったGⅠ制覇を夢見て、日夜トレーニングに励んで、模擬レースだって懸命に熟して、スカウトだってたくさん来て。
あとはデビューを待つだけの身だったはずのあたしが、まさか中央トレセン学園を去る日が来るなんて。
……いや、いや、勿論わかっている。
いつか、誰にだって学園を去る日が来るなんてそんなのはあたりまえで、当然で、ちゃんとわかってるけど、これは違うんだって。
これは、だってこれは、あたしが想定していた『当然』ではなかった。
去るときは花びらが舞う中だって信じてたんだ。
さようなら、と寂しさを混ぜ込んだ声に背中を押されながら、愛すべき青春に別れを告げて故郷に戻る。
そんなことしか考えていなかったのに。
結果はどうだ。
あたしは故郷に戻るどころか、失意と絶望と、羞恥心を引きずり出される形で去った。
いいや、アレは去ったと言うより追い出されたと言って良い。
だって嫌だった。あんな形で出て行きたくなかった。
けれどあたしに反論の場は無く、権利も無かったから。
だから奥歯を強く噛みしめ、涙が流れないように固く目を瞑って。
デビューすらできず、重賞に挑むことすら叶わず、GⅠなど夢のまた夢に終わる、そんな最後を憎みながら門を出た。
一歩出ればそこにあるのは冷たい空気だ。誰もあたしを知らない空気だ。
振り返りたかった。振り返ったら本当は誰かがあたしに手を伸ばしていて、引き留めてるかも知れないって。
数分間歩き出すのを躊躇って、けれどじっとしていたって現実は変わらないと知っているから、後はひたすらに歩き続けた。
決壊寸前の涙腺ダムを必死に堰き止めながら、ルームメイトが無言で渡してきた数多のパンフレットが右手を埋める。
カサマツトレセン学園、船橋トレセン学園、岩手トレセン学園 ── どれもがローカルレースを開催する地方トレセン学園への編入案内書類。
走りでもって完膚なきまでに叩き潰されたあたしに対して、これはなんていう皮肉なんだろう。
恥に塗れようが走れと言ってるんだろうか、あのルームメイトは。
『デステニイズマイン』
自身の名前を呼ぶ、低い温度を覚えている。
真面目な娘だった。今日は走らないのって、しつこいくらい聞いてくる娘だった。
一緒に走ろうよ、坂路に行こうよ、併走しようよ。
そんな誘いを受けていればこんなことにはならなかったのかな。
いまさらタラレバ言ったって無駄なのは分かっていても、歩き疲れた足の痛みと引き換えるように思いが浮かぶ。
心配してくれていた。
案じていたのだ、あたしのこれからを。
どんな目に遭うんだろうって、どうしてトレセン学園に来たのかを知っている娘だったからこそ、気に掛けてくれていたのに。
ふいにした。無駄にした。無意味な物にした。
あたしの為に用意された善意を、形が無くなるまで。
早く家に帰りたかった。こんな苦しい思いを抱えてひとりではとても立っていられないから。
でもできない。おめおめと、負けて逃げ帰ってきましたなど、とても言えなかった。
気付けばひとつの門の前に立っていた。
浦和トレセン学園の、小さな門。
中央と比べるまでも無く、精彩に欠けた佇まいのそこへと、ゆっくり入った。
そうして数ヶ月の月日が経った。
あれほど当り前に享受していた完璧なトレーニングはここにはないし、あたしは焦がれていたハズの地から追いやられている。
悔しかった。虚しかった。口惜しかった。
けれどすべて、自分が招いた災厄の結果だと自覚しているから、あたしは口を噤んで受け入れるしかない。
すべて、すべて、そうすべて。
あたしの驕りと、怒りと、軽率さが招いた末のことだと、今は痛いほど理解していた。
── 1年前の春。
あたしは新入生としてトレセン学園に来ていた。
姉たちとお揃いの耳カバーをしっかりと付けて、新生活に心躍らせながら向った講堂。
ほとんどの新入生が礼儀正しく着席して、式の開始を今か今かと待ち望んでいたまさにその瞬間、そいつはやってきた。
肩の少し上で揃えられた純白の髪。
空を思わせる青く澄んだ瞳。
ぷっくりとした唇は桃色で、白と青の寒色のなかで唯一温かみがあるように感じられた。
誰もがそのウマ娘に見蕩れていた。
あそこまで見事な白髪を誰も見たことがなかったし、なによりその顔。
美しいという言葉は彼女のためにあったのか、と、そう思うほど寸分の狂い無く配置された各パーツが輝いて見えた。
── サンジェニュイン。
誰かがつぶやいた名前が嫌に耳に残った。
耳だけじゃない、まさしくこのまなこにこびりついて離れない、鮮烈さは何年経とうと思い出せる。
それはテレビで見たことがある顔だった。
雑誌でも、SNSでも、街の広告、新聞、どこでだって見たことがある。
それほど名の知れた相貌は、けれど、このトレセン学園では初めて見た。
沸き立つような、いや冷えるような、どっちともつかない、だとしても立ち消えることのない質量が鎮座する。
── うそ、サンジェってモデルじゃん、コレクションとかどうすんの。
── モデル活動休止するんだって。
── 本気なんだ?
── でも、これまでどの模擬レースでも見たことがないよね。
あたりでは根拠のない囁きが満ちていた。
耳が正常でさえあればサンジェニュイン当人にも聞こえていただろうソレらを、けれどサンジェニュインは咎めなかった。
聞こえていないわけがない。であるにも拘らず、サンジェニュインは背筋を伸ばして前を向いていた。
……今になって思えば、あの時から兆候はあったんだと思う。
どういう兆候かと言えば、それは、サンジェニュインが他人に欠片も興味を持っていないということについて。
大きく主張する彼女の眼前には数多のウマ娘がいるはずなのに、その実、誰も写って等いなかったと知ったから。
大勢からひそやかに、と言うにはあまりにも大きすぎる噂話をされながらも、彼女は、学園の廊下を風を切るように進む。
迷いのないその足取りに、焦がれるような、厭うような視線が付き纏うのにそれほど時間は掛からなかった。
モデル上がりも大変だと思っていた。
だってあたしには関係なかった。
どうせ交わらない
ここにだってモデル仕事の箔付け程度に通ってるだけなんだと思い込んでいたし、1ヶ月も学園に通っていればそれなりに根性があると見なされるだろうから暫くしたら辞めるんだろうと、そんなことを考えていた。
この時までは。
入学してから間もなく。
サンジェニュインがチーム・メテオにスカウトされたと話題になった。
チーム・メテオ ── トレセン学園でも1位2位を争う強豪チーム。
多くの優駿を送り出してきたチーム・リギルと双璧をなすメテオは、国内のみならず海外でも名を知られている。
ドバイSCを制したステイゴールドをはじめとして、幾人ものウマ娘を海外レースで成功させてきた名手が率いているからだ。
メテオに所属することは、将来的に海外進出を意味している。
だから目標が高いウマ娘ほど、このチームに所属することを夢見るワケだ。
あたしももちろん、スカウトされることを期待していた。
だから日夜情報収集をして、チームトレーナーが視察に来る日の模擬レースには欠かさず出走してきたのに。
なのに、
── 何、どういうこと?
── 1回もレース出てないのになんで……。
── ズルイよ。
ずるい。ずるい、確かに。
どうして、なんで、だってあの
実績作りで来ただけでしょ? 適当なチームに所属して、デビューまで行きませんでしたが頑張りました、ってそれでいいじゃん。
客寄せパンダ扱いの、物珍しさだけで見られているウマ娘が所属して良いチームじゃないよ、そこは!
歯噛みしてそんなことを思ったりもしたけど、時間は無情にも過ぎていき、サンジェニュインはチーム・メテオに正式所属することになった。
その所属報道と同時進行で数人のウマ娘も共にメテオ入りした。
スカーレット一族の新星として芝レースでの活躍が見込まれるヴァーミリアン。
公開トレーニングの状態が一際良く、早くもティアラ最有力と噂のラインクラフト。
病弱という話もあるが、バ体の美しさが評判を呼んだシーザリオ。
伸びやかな四肢と公開トレーニングでの力強さが話題となったカネヒキリ。
そして ── ディープインパクト。
トレセン学園に入って早々、トレーナー達の話題を掻っ攫ったウマ娘。
サンジェニュインとはまた別路線で注目を浴びたのは、彼女のその小柄な体躯と、早すぎると言われるほどハイペースな足の回転。
柔軟性も高く、コーナーカーブの上手さは入学直後とは思えないほどトップクラスだったと、多くのトレーナーたちが口にした。
あたしも一度だけ、彼女の模擬レースを観戦したことがある。
芝の2000mで行われたそれは14人立てで、ディープインパクトは出遅れて最後方からレースをスタートさせた。
見るからにゲートが苦手そうではあったけど、驚くのはそれからのレース展開。
最後方に下がったはずのディープインパクトが、他のウマ娘をなぎ倒すような勢いでバ群を上がってきていた。
小柄さを活かしてか、ウマ娘とウマ娘の隙間を綺麗に抜いていく。
あっという間に先頭に躍り出ると、失速することなく走り続けての圧勝ゴールインだった。
これはレベルが違う。
悔しいけど、そうはっきりと分かるほどに違った。
あれは天才の部類だ。
姉たちが何度も辛酸を舐めさせられた類いのウマ娘。
「ああいうのは努力じゃどうにも出来ない位置にいるのよ」
1番人気のレースで3着に終わった上の姉が、勝ったウマ娘を見ながら言ったその一言は、今でもあたしの中に残っていた。
同じレースになったら2番手を目指すしかない相手だと、次女がため息交じりに言っていたことも。
けど、あたしはそうは思わない。
だってレースなんて最後、どうなるか誰も知らないはずだから。
どこかにきっと隙があって、それを突けば出し抜けられるだろう、なんて。
この頃は自分自身の足に自信があった。
だからもっともらしい思想も希望もあったんだろうな。
今は……いや、そうか、だからこそああなったと言ったらいいのかな。
あたしは自分に自信があった。
誰にも負けない気持ちと情熱があった。
あたし以上のやつがいるとはひとかけらも思っていなかった、そう思い込んでいた。
だから、だから道を間違えた。
それはよく晴れた日のことだった。
朝8時。ホームルームまで残り10分の時間。
ワッと沸き立つ歓声にため息を噛み砕いて飲み込んだ。
廊下側を向いている右耳が情報を拾うせいで、そこで何が起きているのか、見なくてもわかるのだ。
サンジェニュインが登校してきたのだろう。
教室に留まるのが嫌なのか、彼女はいつもギリギリになってから登校する。
その際、彼女に熱狂する取り巻きどもも一緒くたに登校してくるせいで、それがうるさくてたまらない。
これが学園内ならまだしも、学園施設内ならどこでもこうなるのだからどうしようもなく最悪だ。
それに加え、サンジェニュインは授業ではまともに走らない。
いつもクラスメイトから少し離れた場所に立って、側に引き寄せるのは同チームのカネヒキリやラインクラフト、シーザリオくらいのもの。
しかも授業の一環で併走することになると、相手がカネヒキリじゃないとてこでも動かなくなるし。
メテオの公開トレーニングはひとりだけ免除で、トレーニングトラックには滅多に現われない。
出てきても施設の周りを取り巻き侍らせたまま一周するだけ。
取り巻いてるやつらのせいで進路妨害まで受けるこちらの身も気にすることなく、最後はしかめっ面で帰って行く。
それはこっちがしたい顔だっての。
取り巻き引き連れてトラックに入ってくるなよ、と新しくできた友達もうんうんと頷いて同意した。
まったく、ろくに練習もしてないようなやつがどうしてチーム・メテオにいられるんだか……。
そうして
それに鬱々としながら、同じように不満を抱き、現実が見えている仲間達と語り合うのが、ここのところの唯一の楽しみだった。
「ねえ、生徒会の目安箱に投書しようよ」
仲間のひとりがぽつりと言った。
「投書って、なにを?」
「あいつのこと。……だってもう限界じゃん、
吐き捨てるような言葉に数人が同意する。
そうだ、その通りだ。
サンジェニュインがトラブルを起こすせいで集中してトレーニングできない。
座学ばかりで、トレーナーにも自主練をするとだけ言ってここ最近は顔を合わせていない。
だってトラックじゃ走ることもままならない。
サンジェニュインの取り巻きどもがうるさく彼女の話をしていて、練習妨害になってるんだから。
トレーナーはもうちょっと我慢できないのか、なんて言ってくるけど、どうしてこっちが我慢しないといけないんだろう。
悪いのは騒ぎを起こしてる向こうなのに。
納得できず言い合いになり、トレーナーとも気まずい仲になっていた。
最近ではルームメイトとも疎遠だ。
あれもこれもサンジェニュインがいけない。
あいつさえ学園に来なければ、あたしは、あたしたちは真っ当に練習できていたはずなのに!
「いいじゃん、出そうよ、投書」
ソファに預けていた上半身を起こして言うと、それまで黙っていた他の仲間も頷いた。
── あたしも気に入らないと思っていた。
── ね、伝統ある生徒会に入り浸ってるって話だしさ。
── だいたい生徒会もサンジェニュインを庇ってるのはおかしいよ!
── その通りだ、役員たちもあいつに誑かされてるんじゃないのか?
口角が上がる。
やっぱり彼女たちとは意見が合う。
それぞれが各模擬レースで1着を獲り、複数人のトレーナーからスカウトされてきた娘たちだ。
意見もはっきりといえるし、行動力だってある。
仰ぐ師は違っても、一緒に世代を盛り上げていくことになるだろう、この仲間達を気に入っていた。
彼女たちと一緒だったら、どんなやつが相手でも強気で立ち向かうことができた。
ひとりじゃない。ひとりでやるんじゃない、みんながいるから、だいじょうぶだから。
そうしてみんなで言葉をひとつひとつ選んだ手紙は無事生徒会に届いた。
「ねえ! 生徒会からの掲示みた!?」
「みたみた! ヤバくない?」
生徒達が口々に話す『生徒会からの提示』の話題に、あたしはにんまりと口角を上げた。
このほど生徒会から全生徒に向けて知らされたのは、2ヶ月後の生徒会主催の模擬レースについて。
出走できるのは生徒会に所属していない未デビューのウマ娘のみ。
すでにサンジェニュインが出走内定しており、なんと彼女に先着したウマ娘には生徒会入りの権利が与えられるという。
でもあたしが一番嬉しかったのはそこじゃない。
その一文の下に書いてあったこと。
『サンジェニュインが1着を逃した場合、自主退学とする』
サンジェニュイン以外の出走者にペナルティーはない。
ただサンジェニュインが負けるか、勝つかだけの非常にシンプルなレース。
それがどんなに嬉しいか……!
これを分かってくれるのは仲間達だけだろうな、とあたしは速歩でいつもの談話室へと向う。
「なあ、あんたもでるでしょ?」
到着早々聞かれた言葉に頷き返した。
もちろん、出る。出ない選択肢はないほどだ。
だってこれは『チーム戦』だ。
あたしの笑みの理由がわかったのか、問いかけてきた当人もにまりと笑った。
「実質15対1だよ ── 生徒会も案外、サンジェニュインが鬱陶しかったのかもね?」
作戦の都合上、全員がサンジェニュインより先着するとは限らない。
先着できた者だけが生徒会に入る権利を得られるから、作戦の犠牲になる
それも織り込み済みで話は進む。
もちろんルール違反の妨害なんてしない。
でもレース中に挟み撃ちになることなんてよくあることだし?
前が壁なんて状況はごまんとある。
別の仲間が掴んだ情報だと、サンジェニュインの作戦は『差し』らしい。
ならなおのこと、やりようはいくらでもあると言うことだ。
トレーナーには出走を取りやめるよう言われたけど、決定権はあたしにある。
だいたいここ最近あたしに指導もしてない立場で、何が今のお前じゃ荷が重い、だよ。
あたしから視線を逸らしたトレーナーの言葉に、耳を傾ける必要なんてない。
あたしは当日が楽しみで仕方が無かった。
それがどんな地獄になるかも知らずに。
そうして、惨劇のレースが幕を開けた。
レースはサンジェニュインの逃げから ── いや、大逃げから始まった。
ゲート入り直後の浮ついた気持ちに水を差す、あまりのも完璧なスタートダッシュ。
ほとんどゲートが開くのと同じタイミングだった。
もはや彼女の鼻先がゲートをこじ開けたのかと思うほどピッタリと飛び出し、大股の1歩がその身体を前へ前へと推し進める。
彼女から2つ離れた枠に入っていたあたしは、瞬きの次には彼女の背中が見えて焦ってしまった。
転がるようにしてゲートを飛び出し、懸命にその背中を追いかける。
けど、おかしかった。
足が重い。重い、どうして。
あたしの足はもっと軽やかに前に行くはずだった。
今日の芝質が悪いのか? 足がすくい取られるような感覚すらある。
そうして戸惑っているうちにサンジェニュインが遠のいていく。
当初予定していた、差しだろう彼女を中団で包み込む作戦はもはや意味を成さない。
あたしたちよりも遙か前を走っているのに、どうやって包めばいいのか。
ただ追いかけるしかなかった。
どこまでも前を、もっとずっと遠くを駆けていく白い背中を、重い足を懸命に回して、どうしてすぐに切れた息をかき集めて。
それなのに届かない。
むしろ走れば走るほど差が出ているような気にすらなる。
じわっと滲んだのは汗か、涙か。
こんなの嘘だ、ありえない、どうして、なんて意味を成さない言葉ばかりが浮かんでは消える。
風切り音すら聞こえないほど集中した末に辿り着いた場所は、たぶん、太陽の表面だった。
は、は、と短く、荒々しく息をする。
肩は上下して、鳩尾が痛くて、頭もろくに回らない。
わかるのはただひとつ。
サンジェニュインがあたしたちの誰よりも早くにゴールした、ただそれだけ。
── こんなことになるなんて、思ってなかった。
だって、練習してなかったじゃん。
併走すら面倒くさがって、トラックなんかただの散歩レベルで、自主練してる様子すら噂にならない。
モデル業の片手間にトレセン学園に来ただけの、そういう女だったはずだ、あんたは!
なのに結果はこれだ。
あたしらより遙か前を走っていた。
影のひとつも踏ませることなく逃げ切って魅せた。
意味が分からない、理解したくない。
欺したのかよ、って、あたしが言ったのか、仲間が言ったのかわからないけど、そんな言葉にあんたが振り返る。
無だ。
そこには何もない。
ただ平坦な目がパチリと開いて、あたしらを、地獄へと突き落とした。
「 ── 出る必要なんて無いでしょ。あんたが負けたってペナルティはない」
ぶっきらぼうにそう言ってきたのはルームメイトだった。
荷物を詰める手が震える。
そうだ、その通り、確かにペナルティはなかった。
それがあったのはサンジェニュインだけだ。
1着が取れなかった時だけ彼女はトレセン学園を退学することになっていた。
挑戦者という立場になるはずのあたしたちには一切不利な条件なく始まった、今思えば彼女に取っては非常に不条理なレース。
このまま学園に留まったって生徒会から何かを言われることはない。
ルール違反でもないから他の生徒にだって特に言われることも無いんだろう。
けれど耐えられなかった。
あまりにも、一切の余地無く、疑惑無く、かんぺきなまでに叩き伏せられて。
それでもなおここに、トレセン学園に留まろうと決心するほどの気力も覚悟も、あたしにはなかった。
「ごめんなさい」
息をするようにまろびでたそれは、これまであたしがルームメイトにとってきた、取り返しの付かない態度への謝罪。
本当に、本当に、ごめんなさい。
あんた、あんなにあたしのこと、注意してくれてた。
やめなよって。間違ってるって。
わかってたんだよね、あんたには。あんたには見えてた。
あたしには見えてなかった、見ようともしなかったサンジェニュインの姿が見えていたから、だからあたしを止めようとしたんでしょう。
ね、本当はサンジェニュイン、練習してたんだってね。
生徒会室で、みんなで退学届を書いてるときにさ、独り言みたいに副会長が言ってた。
サンジェニュイン、すっごい朝に練習してるんだって。
トレーニングトラックが開場する前から門で待機して、開いたと同時に練習、陽が昇って他のウマ娘が来る前に撤収してたから、だから誰も見たことがなかった。
取り巻きだって、サンジェニュイン自身は止めてくれと注意してたのに、周りが勝手に侍ってるだけだった。
「あたし、最初はただ、羨ましかっただけだと思う」
存在はテレビCMとか雑誌で知ってた。
とびきり可愛くて美しい、憧れのモデルでもあった。
浮いた噂一つ無くて、モデルにストイックな姿にも憧れてたんだ。
勝手に、あたしはレースで、彼女はモデルで、舞台は違うけど頑張っていくんだって思ってさ。
だから彼女がトレセン学園に来た時、勝手に、裏切られたような気持ちになってた。
ほら、数年前に売名目的でトレセン学園に入ろうとした女優がいた、みたいな話題があったじゃん、それ覚えてて。
サンジェニュインはずっとモデルしかしてなかったんだから走れっこない、売名目的でトレセン来るなんて見損なったって、思ったんだ。
……全部あたしの妄想で、本人はそんなこと思ってなかったのに。
むしろあたしよりももっともっとストイックに走ってた。
彼女の愚痴を言うばかりで、彼女のせいにしてトレーニングから逃げてたあたしなんかよりもうんと、何倍も真剣。
今になって思うんだよ。
あたし、なんで走るのやめてたのかな? って。
あんたや、トレーナーが言った通り。
そうだよ、いくら彼女の周りが騒がしいからって、別に直接的な被害があったワケでも、練習を中断しなきゃいけないほど鬱陶しかったわけじゃない。
だって我慢して練習してた娘はたくさんいた。……あんたとかね。
それなのにしなかった。
それは誰の指示でもない、サンジェニュインの所為でも勿論ない。
あたしが、あたしたちが勝手に馴れ合って勝手に作り上げた幻想を隠れ蓑に、堕落していっただけなんだ。
それを、本当に今更だけど、自覚した。
「だからここから出なきゃ」
トレセン学園に来る前、長姉に言われた。
どんだけ負けたって良い、びりっけつでも良い。
恥をさらす真似だけはやめろ、って、口酸っぱく言われてきたのを思い出したから。
「あたしの
さよならと、ごめんなさいをもう一度言った。
ルームメイトは何も言わなかったけど、最後にあたしの名前を呼んで、地方トレセン学園のパンフレットだけを握らせて、それが最後の姿だった。
ふっ、と、冷たい風が頬を撫でて意識が覚醒した。
少しベンチで休んでいる間に、1年ちょっと前のあの出来事が夢として現われたらしい。
まだ引きずっている、というよりは、一生忘れることの出来ない、忘れることを許せない出来事だったからだろうか。
「マイちゃ~ん! そろそろ他のウマ娘ちゃんたち来るけど、大丈夫そう?」
「……ああ、いえ、もう引き上げます。教えてくれてありがとうございました」
「どういたしまして! しっかりお風呂入って、暖まってから授業出るんだよ!」
はい、とひとつ頷いて荷物を担ぎ上げた。
この学園のシャワー室は年季が入っていて、温度調節が上手く出来ない。
熱すぎると冷たすぎるの丁度良い真ん中がないせいで、最初からアツアツの熱湯を浴びることになる。
編入当初はずいぶんと苦労したけど、今は肌も慣れたのかそれほど苦にはならなくなってきた。
それに、シャワーとはいえ十分あたたまるので気に入ってすらいる。
しかし長居すると他のウマ娘と会うかも知れないので、あたしは足早に食堂へと向った。
この時間なら食堂にもまだそれほど人は居ないはずだ。
別に人見知りをしているわけじゃない。
話し相手もいるし、一緒にご飯を食べる、所謂ともだちだってできた。
あたしが中央から来たのを、おちこぼれと言わずに受け入れてくれる娘たちだ。
けど、みんながみんなそういうワケじゃない。
トラブルにならないようなるべく他のウマ娘とは関わり合いにならないようにしていた。
……ああ、サンジェニュインがギリギリになって教室に入ってきていたのは室内に居たくなかったから、とかじゃなくて、このためだったのかもな。
離れてから彼女の思いや真意に気付くようになるとは思わなかった。
苦笑いがひとつ落ちて、けれど、次の瞬間には呼吸が止まった。
「みて、サンジェニュインだよ!」
その一言に身体まで凍るように動かなくなる。
サンジェニュイン。いる? こんなところに?
浅く呼吸をして、自然と聴覚が研ぎ澄まされる。
「菊花賞の直前インタビュー? そっか、神戸新聞杯はぶっちぎりの1着だったもんね」
「まさかディープインパクトが負けるなんて……無敗三冠は確実だと思ってたのにさ」
「そう上手く行くかよ、皇帝じゃあるまいに」
── なんだ、テレビの話題か。
ホッとしたのもつかの間、誰かがテレビの音量を上げたらしく、少し離れた位置にいるあたしにもその声が届いた。
「勝った感想? ……よく走り切ったと思いました」
ツン、と澄ました声だった。
あたしが知るより ── と言っても彼女のことはあのレースでの印象しかないが ── どこかお嬢様然とした、高慢な口調にも思える。
こういう話し方だったか? と思う一方、その陰ることない美貌が、画面越しにも確かに伝わってきた。
インタビュアーはサンジェニュインの回答に困ったように言葉を詰まらせる。
大方、無敗だったディープインパクトに土を付けた感想を聞いたつもりだったんだろう。
この1年で何度も衝突したふたりを、URAは全面的にバックアップしてそのライバル関係を盛り上げてきた。
メディアもそれを歓迎するように『衝撃か太陽か』と煽ってきたのだ。
ディープインパクトへのインタビューでは徹頭徹尾、サンジェニュインの話が出てきた。
いちばんのライバルであり、言ってしまえばサンジェニュイン以外に自分の相手は務まらないと思ってすらいるのだろうから。
だからサンジェニュインからもディープインパクトの話を引きずりだそうとしたんだろうが、それが伝わらなかったようだ。
突然の沈黙に何を思ったのか、サンジェニュインはひとつ閃いたような顔でカメラへと視線やって、口を開いた。
「レースは、優勝劣敗です。1着だけが勝者。2着も3着も、敗者に過ぎません。16人、出走者がいれば、敗者は15人もいることになるでしょう。そういう激しく、そして分かりやすい世界」
白い睫に縁取られた瞳が、いま、このインタビューを見ているだろうすべての者たちに向けられていた。
「 ── 勝つこととは、敗者を作ること。わたくしは何度も敗者として空を睨み、悔しさが湧き上がる度に情熱を燃やしてきました。蹲ること無く、走ることを常に選び続けた。それは、わたくしに勝ったウマ娘が強く在ったからです。彼女が、ディープインパクトが傲ることなく、捨てることなく、勝者としてわたくしを迎え撃ってくれるだろうと確信できたからです。彼女が強く在ることで、競い合ってきたわたくしもまた、それに続く強者として在りました」
敗者は、ただ負けるだけでない。
勝者を測る物差しになると同時に、勝者自身もまた、敗者を測る物差し足り得る。
だから強く在るのだと、彼女は、サンジェニュインは言う。
「これから先、わたくしが勝ち続けることで、わたくしと共に走ってきたウマ娘がどれほど努力してきたか、自ずとご理解いただけるでしょう。どれほどの情熱を燃やしたか、どれほどの悔しさの中にいたか。……わたくしはこれからも走り続けるわ。もっと高みへ。そうしてあなたは、あなた方は知るでしょう」
視線が、合う。
画面の向こうの双眼と、ピタリと、ハマり合う。
「『あなたが負けたウマ娘はただのウマ娘ではない。追いかけたウマ娘は、差し切ろうと首を伸ばしたウマ娘は、前にいたウマ娘は。何度挫けようと立ち上がり、その度に駆け、そして勝つウマ娘だ』 ── そういうウマ娘と競ってきたのだと。誰の走りも無駄ではなかった。わたくしが走り続け、勝ち続けることが、わたくしに敗れた者たちの、わたくしが忘れることの出来ない者たちの、強さの証明となりましょう」
は、は、と呼吸が短くなる。
鼓動だけがやかましく鳴り響いて、視界も少し潤んで、だけど。
「ご覧なさい、目の前を。もっともっと前を、その果てを。わたくしはそこにいる。そこにいるのだから、俯いていたら見えなくってよ」
高慢な笑みだ。
心臓を逆撫でするほど、腹立たしく、同時にどうしようもなく美しい笑みが画面に広がった。
ああ、見ただろうか、彼女たちも。
あたしと同じく地を這いつくばり、太陽を激しく憎み、そうして焦がされた彼女のたちも、この壮絶すぎる毒のような笑みを見たのかな。
きっと血を吐くような思いをしてるだろう。
ますます嫌いになっただろう。
わかる、あたしもそう。
けど、もうそれだけじゃない。
「……悪かったね、あんたのこと、勝手なフィルター掛けてまともに見てこなかった」
今更、届きもしない謝罪をする。
あたしを、あたしらを覚えてすらいない、そういう冷徹な女だと思っていた。
輝かしい走者生活の片隅にいた汚点とすら見えていないのだとばかり、思い込んで。
けど違った。
あんた、覚えてるんだね。忘れてないんだね。忘れちゃくれないんだね。
どうしようもない奴らがいたってこと。
あんたに負けて負けて散った、そんな奴らが居たんだってことを、ずっと覚えたまま走るんだね。
「ばかだな」
そのどうしようもなくばかで、レースに一途すぎた女に負けた。
実力で、覚悟で、想いで。
混じる嗚咽の隙間でなんとか呼吸をしようと息を吸い込んだ。
上手くいかない。
それでも必死に息をしようと藻掻いた。
そうして下手くそながらに吸い込んだすべてが、今日からのあたしを支えていく。
それでいい。
きっと、それでいいんだ。
「……負けるなよ」
あんたは屍の上に立っている。
あたしらの、敗者の屍の上で呼吸をして、駆けていく。
憎たらしいほど眩しい、あたしを焼き尽くした太陽が、応えるように笑い、そして。
彼女は満開の菊を背に、また、前を見た。
── この2年後の秋。
デステニイズマインはJBCスプリントに出走。
史上2人目となる、地方ウマ娘による制覇を成し遂げた。
モブ娘ことデステニイズマインちゃん
オリウマ娘です
サンジェへの羨望が悪い方に転がってしまった不運
ミカン箱に腐ったミカンがひとつあったら全部腐っていくの典型例
連んだ相手がダメだったというか、全員が全員、あのタイミングで連まなければこんな未来は回避できた
悪い意味で相性が良すぎた
ボロ雑巾みたいにサンジェに負けたあとに奮起した珍しいパターン
JBCスプリントを勝ってようやく故郷に顔を出した、それまでは帰る覚悟ができなかった
姉ふたりはネットにアップされてた妹のボロ負け模擬レースを見ていたので黙って抱きしめた
ルームメイトちゃんにも勇気出してメールしたらブロックされてなくて普通に返事来て泣いた
サンジェニュイン
数年後にデステニイズマインちゃんがJBCスプリント勝ったニュース見て「デビュー前に模擬レースにいた娘じゃん」となるほどには今まで自分が走ってきた相手を全部覚えているウッマ
なお、台詞に深い意味はなく脳直で喋ってる
ここから怒濤のウマ編を書いていくのでまずは軽い話から。
このあと控えてるのは3万文字とかのやつなので……。
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組