9千文字ちょっとです
記者の話です
『オーナーと厩舎の不思議な絆 〜 ディープインパクトとサンジェニュインから始まった2つの夢 〜 』
2日前の10月5日。
フランスはパリロンシャン競馬場で開催された第104回目の凱旋門賞。
それを制したサントゥナイトは、今年で4歳になる牡馬だ。
真っ白な馬体に鼻先のピンクがほんのりと透ける顔。
黒と青の中間に見えるような色合いの
その父の名は、サンジェニュイン。
今から19年前の2006年10月3日、第85回目の凱旋門賞を日本馬として初めて制した。
所有はサイレンスレーシングクラブ。
管理調教師は本原佳己先生で、担当厩務員は目黒康史さん。
主戦騎手は言わずと知れた洋芝の名手・芝木真白騎手。
ノウハウもコネクションも未成熟だった中堅厩舎を、洋芝と海外競馬の本原組、と呼ばれるまでに引き上げた優駿だ。
サントゥナイトはその父の晩年の産駒であり、彼の競走馬生活を支えるメンバーの多くが父・サンジェニュインと同一である。
違いはといえば、厩務員はサンジェニュインとともに競馬を引退した目黒康史さんに替わり、芝木真白騎手の妻・芝木イサノさんが担当していること。
所有者がクラブ法人ではなく個人であること。
それも、父のデビュー時からのライバルであったディープインパクトで知られる、金城誠オーナーだ。
『あの日のサンジェニュインは、まるでロンシャンに差し込んだ光のようでした。コースの全てが彼のためにあるような錯覚さえ覚えたほどです。そんなサンジェニュインの影を唯一踏めた馬がいた……そう、それが私のディープインパクトでした』
結果は2着だったものの、地元の有力馬レイルリンクから番手を守り切り、ただ1頭、眼前で逃げ続けるサンジェニュインの影を踏む。
そんな馬が弱いわけがない。
負けて強しとは、あの時のディープを指すのに相応しい言葉だった。そう金城オーナーは続けた。
『サンジェニュインと直に初めて会ったのは皐月賞での口取ですかね。ただその時はほんの一瞬顔を合わせてた程度だったんです。じっくりと見る機会があったのは2006年の3月。そう、カネヒキリと揃ってドバイ遠征に向かう時です。その時初めて馬の顔をしっかりと見ました。白い毛並みが注目されてきた馬ですが、私には何よりもその目の形の良さが印象的でした』
まるまると、ツヤツヤとした果物のような、宝石のような。
光を受けて輝く瞳は、その馬の未来を示しているかのようだったと、金城オーナーは振り返っていた。
そして、それこそが名馬だと、優駿たりえる何よりもの証拠だ、とも。
『私が馬を選ぶ基準にもしているんです。瞳の美しい馬というのは、総じて、意志の強い現れですから。もしサンジェニュインがセリに出ていたら、きっと競り落としたでしょうね。そう確信するほどに、私好みの瞳でしたから』
2頭が揃って引退し、そうして種牡馬入りした後も、折を見てはディープインパクトを見に社来スタリオンステーションを訪れ、その隣の放牧地に収まっていたサンジェニュインのこともチラリと見た。
何年、何十年と経っても瞳の輝きは落ちることなくそこにあったという。
『サンジェニュインは馬が苦手だというんですけど、ディープインパクトは逆に人にも馬にも物怖じしなくて。そして多分、サンジェニュインのことが殊更好きだったと思うんですよ。ずっと一緒に走ってきましたから。もう仲間とでも思っていたのか、とにかく、好きだったんです』
隣り合った放牧地でディープインパクトは毎日のようにサンジェニュインを眺めていた。
友愛の滲む目は、人間には計り知れない、馬の叡智を感じたという。
〜 中略 〜
『確か、マカヒキが凱旋門賞で負けた時かな。ものすごく悔しくて、悔しくて……。国内のレースは勝ち慣れている私ですが、海外となるとどうにも上手くいかず。今更になってディープインパクトが勝ちきれなかったあの凱旋門賞を思い出してしまって、ああ、やっぱり勝ちたいなあと思ったんです』
その為には血がいると思った。金城オーナーの静かな声があたりに溶け出す。
『サンジェニュインの血を取り込む必要があるな、と。ディープインパクトの直仔とじゃ血が近すぎるので、今回のマカヒキと合わせる下地を求めてサントゥナイトを ── 当時カレンチャンの21と呼ばれていた馬を購入したわけです』
勝てなくてももとより種牡馬にする予定だった馬は、しかし金城オーナーの計画に反してすこぶる上手く走った。
オーナーに、この馬でこのまま凱旋門賞に行ってしまおう、と決意させるほどに。
2歳の栄光、3歳の挫折、そして4歳。
あれほど誰もが欲していた2頭目の凱旋門賞覇者に、サントゥナイトは君臨した。
『2頭のライバル関係から始まり、私と本原先生の交流に発展し、そしてナイトの躍進に繋がった。人の、馬の縁というのはすごいものです』
今回の西スポサクセスストーリーズは、史上2頭目の白毛凱旋門賞覇者・サントゥナイトの勝利までの道のりをお送りします。
「 ── これでヨシ、っと」
毎週更新しているウェブ記事を書き終えて、原稿を校正するレビュアーチームへと送る。
日本中が、というと大袈裟かもしれないが、少なくとも競馬関係者のほとんど全てが盛り上がった凱旋門賞から早2日。
時間というのは待ってくれないもので、余韻もそこそこに関連記事を公開するので大忙しだ。
各メディアがいろんな方向でサントゥナイトとその陣営を取り上げていて、各種SNSのトレンド上位には馬名もレース名も長らく君臨している。
競馬に興味があるユーザーという名のパイ取りゲームは日を追うごとに加速し、私もパイを奪われないようにコンテンツ作りに必死なわけだ。
今回はサントゥナイトの馬主である金城誠オーナーにスポットライトを当て、勝利の舞台裏を意識して書く事にした。
毎週更新で全4回の予定だから、向こう1ヶ月はこの話題で持ちきりになるだろう。
初回の記事を書き終え、さあディナー休憩だとオフィスを出ようとしたところで、とても大きな声が私の名前を呼んだ。
「先輩! 帰んないでください!! 特報です!!」
入社10年目の私に付いた初めての部下。
3年目の若手ながら大変優秀な青年がそう言って引き留めてきた。
右手に持ったスマホは耳に当てられたまま、何事かを先方と頷き合って切られる。
「どうしたの、向こうで……社来の方で何かあったの」
私が勤める西スポ ──
その中にもさらなる区分けがあって、繁殖部内でも種牡馬か牝馬か、もしくは特定の牧場かを担当することになっていた。
入社当初は繁殖部の先輩の下で資料整理や原稿書き起こしなどをしていたが、ここ数年は自分で実際に取材しに行くことが多い。
そんな私が担当しているのは、繁殖部の中でも人気のある国内最大手の種牡馬繫養施設・社来スタリオンステーション。
ここではさらに細かく、通常厩舎と太陽御殿の2グループに分かれて担当する。
通常厩舎というのは、社来スタリオンステーションで運用されることが決まった種牡馬たちのための厩舎。
過去にサンデーサイレンスやフジキセキ、キングカメハメハにディープインパクトと言った名だたる名馬たちが暮らしていた。
一方の太陽御殿は通常厩舎から少し離れた位置に建てられた、合計で8頭まで使える比較的築浅な厩舎だった。
御殿、とついているが馬のための厩舎であることに変わりはない。
ただ、使用しているのがサンジェニュインとその子供たちや関係馬であることから、太陽御殿と呼ばれていた。
あとは眉唾物の話だけど、この厩舎を建てるのにさるアラブの大富豪が莫大な寄付をしたとかどうとか。
ともかく。
特定の種牡馬に配慮された厩舎なんて通常はありえないのだが、サンジェニュインはそうせざるを得ない特殊な事情があった。
その事情というのが、かの馬が筆舌に尽くし難いほど同性の馬にモテる、というものだ。
どういう仕組みかはわからないが、サンジェニュインという馬は著しく同性の、つまり牡馬にモテる牡馬なのだという。
初めて聞いた時は何かの冗談だと思ったけれど、現役時代のレース風景や実際の様子を見て受け入れた。
放牧地の前を通るだけで全牡馬がその後について行こうとするのだ。
サンジェニュインは他馬に絡まれるのが苦手な性質らしく、これでは一般厩舎に入れたらストレスで早逝するかもしれない、と危惧されて専用の厩舎が建ったのだと聞いた。
前まで、この太陽御殿を担当していたのは笹島さんという西スポのベテラン記者だった。
昭和の終わり頃には競馬界でも名の知られた記者になっていて、さまざまなスポーツメディアを渡り歩いたらしい。
平成に移り変わったタイミングで西スポの大阪支社に中途採用で入り、会社の編成を経て2001年からは本社である西スポへ異動。
以降はサンジェニュインやその産駒に精通しているおもしろ記者として、一般人にも名が知られるようになった。
笹島さんの特に有名な実績といえば、未勝利時代からサンジェニュインの記事を書いていたことだろう。
当時はただ毛色が物珍しいだけの馬だと思われていたサンジェニュインを、有望な若駒の1頭としてヴァーミリアンと共に取り上げたあの回は、競馬を知らない一般人や、競馬ハマりたての女性 ── 今でいうUMAJOに大変人気を博したらしい。
先見の明があるとして笹島さんも臨時ボーナスが支給されたんだぞ、というのを本人が自慢げに話していた。
『ま、実際に先見の明があるかないかはどうでもいい。新馬戦のサンジェを見て「ただ毛色が珍しいだけ」と思い込む方の目が曇ってるだけなんだよ。ちょっとでもちゃんと競馬をわかってたら、あの馬が凡夫なんてことあり得ないってすぐわかるんだから』
絡まりの全くない尾っぽ。
引き絞られることなく前を向いた両耳。
カチャつくことのない脚元。
風に揺れる鬣の綺麗さと、厩務員に寄り添って歩く姿でわかる。
人を観察する事に慣れた馬だ。
好悪を判断し、寄り添う者を選択でき、また、人の機微に敏い。
『そういう馬の本性がどういうものか。答えはふたつにひとつ。怖がりすぎて神経質になっているだけか、 ── 過ぎるほど賢いか』
サンジェニュインという馬は後者に当たる、としながら、笹島さんは続けて言った。
それをメイクデビューで確認できた、と。
だから追いかけた。
近年稀に見るほど度胸があって賢くって愛嬌もあって。
その馬がどこまでいくのかを見届けたかった。
そうしてとうとう、彼が種牡馬入りした後も追いかける事にした。
時間はあっという間に過ぎ、70歳になった笹島さんは体力の限界を感じて一線を退くことに。
その後釜として担当を引き継いだのが私だった。
初めて太陽御殿を見に行ったのは2015年の夏のこと。
笹島さんに連れられ、顔見せも兼ねてのスタリオン入り。
物珍しさにあちこちを見て回っていた私は、突如目の前に現れた、厩舎とは思えないくらい豪奢な建物に目を奪われた。
流石に馬たちが住む家ということで目に痛いほど華美ではなかったが、それでも建物全体に飾り彫のような装飾が施されている。
収容頭数は一般厩舎の1棟あたりの頭数よりも少ないからか、大きさだけでいえば一般厩舎の方が大きいだろうか。
スタッフに中を案内してもらい、馬1頭1頭を間近で見せていただいた。
どれもが大レースで活躍したG1馬だというから緊張したことを覚えている。
サンジェニュインとその産駒が中心になって収容されている影響で、厩舎内のほとんど全ての馬が白毛だったのも印象的だ。
けれどその中に1頭だけ、栗毛の馬が交じっていたことも思い出した。
名前は確か ── そう、カネヒキリだ。
笹島さんが言うには、その馬はサンジェニュインの親友なのだそうだ。
元は一般厩舎にいたのを、サンジェニュインが寂しそうにしていたため太陽御殿に移動する事になった。
それ以降、2頭は同じ放牧地をシェアするくらい仲良しらしい。
初めて見る人間に驚いたのか、ほとんどの馬が馬房の奥に引っ込む中、1頭だけが力強く首を伸ばしてこちらを見た。
真っ白い毛並みは他の馬と同じだったけれど、暗闇の中でもキラキラと光る青い瞳が眩しかった。
ブルブル、と短い音を鳴らすその馬を見て、笹島さんは顔を綻ばせた。
『サンジェニュイン、元気にしてたか!?』
ぽんぽんと鼻先を撫でてやる笹島さんに馬も嬉しそうに見えた。
そうか、この馬がサンジェニュインか、と写真以外で初めて見た姿に見惚れた。
確かに、いろんな雑誌や記者や関係者らが口を揃えて『美貌の馬』と言うのも納得できる。
長いまつげに縁取りされた真っ青な目の美しさや、笑っているようにしか見えない表情の全部が整っていた。
しばらくすると、サンジェニュインの隣馬房から栗毛の馬が顔を見せた。
小さな流星がきらりと額で光る。
その馬、カネヒキリは、何やら笹島さんを観察しているようだった。
あまりにもじっくりと見られて気まずくなったのか、笹島さんは苦笑いを浮かべてカネヒキリの鼻を撫でる。
『お前から盗ったりなんかしねえさ』
大好きな友達だもんな、と掠れた声がいう。
馬が苦手なサンジェニュインの唯一の友達というのがこのカネヒキリらしい。
この厩舎がまだ2頭っぽっちだった頃から互いを励まし合いながら暮らしてきたのだ。
カネヒキリは小さく鼻を鳴らすと、また馬房の奥に引っ込んでいった。
『こんなふうに、馬って生き物は案外人間の考えてることがわかる。思ったことはなんでも口にするな。思ったことはなんでも
特にサンジェニュインは敏感だ。
誠実に対応しろよ、相手は人間だと思うくらいに。
本当に言葉がわかっていなくても、馬は相手が誠実かどうか、自分のために言ってくれているのかどうかの区別くらい付く。
特にこの太陽御殿にいる馬のほとんどが感情に敏感だ。
だから心を尽くせ、と笹島さんは言う。
『それが、ここで長く取材するコツだ!』
その初対面以降、私は太陽御殿にいく際は必ずサンジェニュインに頭を下げて挨拶をした。
サンジェニュインは心得ているかのように、その度にひとつ頷き、ブモルン、と鳴き声を上げた。
それを合図に馬房に引っ込んでいた馬たちが続々と顔を出す。
そのど迫力にはいまだに慣れないが、おかげで毎回写真が撮りやすくてサンジェニュインには感謝しかなかった。
笹島さんが引退して1年後の2016年6月中旬。
カネヒキリが種付中の事故による怪我の影響で安楽死に処された。
これが、西スポに入ってから私が書いた、初めての訃報記事だった。
空っぽになった馬房の写真を撮り、それの虚空を眺めるサンジェニュインの横顔も撮った。
痛々しいほどに美しい横顔が記事の最後を飾る。
唯一の友を失ったサンジェニュインの背中は、最初に見た時よりも細く見えた。
出会って2年目の春。2017年。
私から太陽御殿の責任者、および社来スタリオンステーションに企画を持っていって、サンジェニュインの写真を出した。
現役時代から人気の馬だったから、過去に何度も写真の題材になったことがある。
でも今回はただの写真じゃない。
四季折々のサンジェニュインの横顔を詰めた、題して「春夏秋冬 きみの隣から」と言ったところか。
そう、コンセプトはカネヒキリから見たサンジェニュインだった。
空馬房となったカネヒキリの部屋を借り、カネヒキリが見ていた角度でサンジェニュインの横顔を撮った。
季節ごとに20枚ずつ、合計80枚の写真集は発売当日から売れきれ。
何度も重版を重ねたそれは、購入したファンから「まるで自分が隣の馬房にいるみたい」と大変好評だった。
それからは2年間隔で写真集を作っている。
瞬きする合間に時間は過ぎて、サンジェニュインと出会ってから8年以上の年月が過ぎていた。
ある時太陽御殿の責任者から電話があった。
サンジェニュインが体調を崩したのだ、と。
慌てて北海道まで駆けつけた。
最悪看取ることも考えて、飛行機の中で覚悟を決めてみたりもした。
馬は人間より長生きできない。
それは仕方ないことだし、何よりその当時で23歳のサンジェニュインは長生きの部類。
仲の良かった馬のほとんどが20も超えぬまま早逝していったことを考えると、よく保っている方だと言える。
けれど、私がそう思えるのは、私とサンジェニュインがいうほど近い関係性ではないからだろうか?
私は笹島さんや他の関係者よりも圧倒的にサンジェニュインとの関係性は薄い。
絆だって及ばないだろう。
けど、サンジェニュインという馬をファインダー越しに見つめ、その記事を書き、たった数年とはいえともに歩んできた。
彼に対する愛着は十分なほどあったと、私自身が思っている。
だから。
だから本当は足がすくんでいた。
いつまで経っても豪奢な作りの太陽御殿を前に、その先にぴくりとも動かないサンジェニュインがいるのではないかと思うと、体が震えて仕方がない。
けれども、記者として見に行かないわけにはいかないと、わかっていた。
意を決して開いた先には大勢の関係者がいて、馬房の中を覗き込んでいた。
キュ、と鳩尾が痛むような気がしながら、太陽御殿の責任者に声をかける。
すると彼はほっとしたような笑みを浮かべながら、自力でどうにかなりました、と言った。
『立ち上がれてなかったんですけどね、さっきまで。でも急にグアーっと起き上がったかと思ったら、何事もなかったように振る舞い出したんですよ』
つまり、命の危機は脱したということだろうか。
ほっとしたように息を吐いた私に、今度は社来スタリオンステーションの別のスタッフが声をかけてくれた。
『ひとまずのところはどうにかなりました。……ただまあ、歳が歳ですから。いつどうなったっておかしくはないです。種牡馬は、うん、引退すると思います。あとで正式に文章にして公表しますので、記事にするのはその後にしてください』
数日後、サンジェニュインの種牡馬引退が正式に発表された。
その年の種付完了分を最後にして、体調が整い次第、生まれ故郷である社来ファーム・陽来へ帰ることも合わせて発表されている。
誰かが一つの時代の終わりだと言った。
平成中期を盛り上げた立役者がまたひとり、生産の舞台から降りる。
その血のいく先を後継に託して。
── ── ──
「……ぱい、先輩!」
私を呼ぶ後輩の声で、思考が戻ってきた。
ハッと目を見開いて後輩を見ると、困ったような顔をしていた。
「これ号外ですかね、ウェブ記事だけで大丈夫ですか?」
「何が……」
「何がって……先輩俺の話聞いてなかったんですか……!?」
「ごめん! 本当にごめん!」
手をついて謝ると、後輩は深くため息をついてから答えた。
「たった今、社来スタリオンから電話があったんですけど」
── サンジェニュイン、死んだみたいです。
ヒュ、と変な音が喉から漏れ出た気がした。
この後輩はなんと言っただろう、死んだ、誰が。
誰が。
サンジェニュインが?
ついさっきまで頭の中で回想していた全部が激情になって流れ込んでくる。
いつ何があったっておかしくない。
その通りだ。
わかっていたじゃないか、馬は人より長生きできないんだから、なおさら……!
それでも。
それでも、と願ってしまう。
サンジェニュインという馬には長生きをして欲しかった。
馬の平均寿命なんかぶち抜いて、世界最高齢のサラブレッドです、って。
そんな記事を書くのをいつか夢見ていた。
それはもう、叶わないのか。
「先輩!?」
「……うん」
「いや相槌は良いんでどうしましょかってこれ。先輩の凱旋門賞レポもまだ未発表なのに」
「出すよ」
「えっ?」
驚いたように目を見開いた後輩に視線を合わせる。
「私の観戦レポは後回し。まず、サンジェニュインの記事を作る。速報性の高い物を1件、長く掘り下げたのを1件ずつ」
深呼吸をした。
誰かが喫煙所の扉を開けっぱなしにしたのか煙くさい。
それも肺いっぱいに満たして、この絶望を、文字で昇華する。
サンジェニュイン、私、あなたは最期、大勢の人に身体をさすられながら幸せにまどろんで死ぬもんだと、そう思っていた。
だからお別れはその時にしようって思って、いつも、写真を撮り終わった後はいつも「またね」と言ったんだ。
さよならなんかじゃなくて。
でも言えずじまいになってしまった。
いう機会なんていくらでもあったはずなのにね。
ねえ、サンジェニュイン。
こんな突然に死んじゃったらさ。
さよならだっていえないよ。
特別に開かれたサンジェニュインの通夜には大勢の関係者が集まり始めている。
所有者だったクラブ法人もそうだし、厩舎関係者や騎手だって中にいた。
会場の外を取り囲むように鎮座する同業他社にイラつきながらも、私は遠くに見えた中を観察しながら手を握っていた。
続々と会場から出てくる関係者たちに記者たちが一斉に群がる。
私はそれには関わることなく、あるひとりだけを待っていた。
「芝木騎手だ……!」
誰かがあげたその言葉に、私は跳ねるように顔をあげた。
真っ黒な喪服。
目の下にできた大きな隈。
今にもくたばりそうな陰湿な雰囲気の中に、けれど、潰えることのない光を見た。
明らかに疲れ切っている人間相手に容赦ない追求で、何かしらの言葉をもぎ取ろうとする記者には辟易する。
どけ、お前ら。
私の質問ができないだろう!
そう怒鳴りたいのを我慢して、揉み合いになっている記者たちの隙間を縫って前に躍り出た。
踵を返して消えていく芝木騎手の背中に、どうしても聞きたかったこと叫ぶ。
「芝木騎手!」
音が割れるような、必死すぎる呼びかけだったと我ながら思う。
それを失笑している暇などない!
「芝木騎手! もし、もしひとつだけサンジェニュイン号に伝えられるなら、何を……!?」
私はきっと、「さよなら」だって言いたい。
いまだに押し潰してくるおじさん記者たちを跳ね返して、私は眼前をじっと見た。
逡巡の間、背中を向けていた芝木騎手が、ゆっくりと、けれど確かに振り向いて、口を開いた。
「ずっとすきでいる」
くしゃくしゃになってどうしようもないって、そんな表情の隙間から感情が溢れている。
ああ、好きなんだな、本当に、大好きなんだな。
身体全体、ほとんど全部、大好きなんだな、ってそんなオーラで満ちてる。
声だけが強く輪郭を持って発せられ、それが強い力になってあたりに響いた。
またゆっくり、けれど着実に歩みを進める彼の背中に、誰も声を投げない。
いいや、投げられなかった。
ほんものを識る者の言葉は強く、その8文字がどれほど強いのか、身を持って知ったからだ。
いえないさよならを、芝木騎手は、ずっとすきでいるって普遍で、ありきたりで、けれどとびきりの愛で。
応えたんだ、きっと。
明日も投稿あります
第◇回サンジェニュインのお嫁さんレース(敬称略)
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エアグルーヴ
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ハルウララ
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ウオッカ
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カレンチャン
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海外牝馬組