タルラが見ている夢、彼女が再び意志を取り戻した理由とは。

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タルラがんばえー


産まれよ我が炎、と闘士は言った

 水面にゴムで出来た大きなボールが浮かんでいるとしよう。ボールは魂だ。龍門で生まれたドラコの魂は絶えず丈夫な肉体と剛健な精神と類稀なるアーツによって構成されていた。黒い蛇に少しずつ蝕まれながらも、雪原の厳しさに襲われようが人々の無理解に脅かされようがボールは高潔な浮力によって課せられた枷に抗ってきた。

 

 けれど、その場所に投げ捨てられた時点で運命など決まっているのだ。鉱石病という汚れが付いたボールなど誰も触りなどすまい?もちろん、彼女が完全に沈み込むまでは時間がかかる。その前に奇特な子供たちが拾おうと動くこともあるだろう。雪原の悪魔。盾の巨人。屍の歌い手。影の狙撃手。赤い暗殺者。覆面の兄妹。嗤う傭兵。

 

 ある種の子供にとってはそういうボールはずいぶんと魅力的に思えるのだ。玩具でしかないくせに、彼らを理想に溺れさせ命を奪うとは始末に負えない。だが、その性質を理解していればボールの扱い方・拾い方は変わるとは思わないか?気丈な魂であればあるほど、より遠くへ飛んでゆき羽虫のような愚者を集められる。

 

 暗い水底に沈み地獄を見てきたボールが再度浮上してきたとき、前と少しばかり言動が変わっていたとしてもけして不審ではない。前とは違う魂が成り代わっていたと誰が疑うだろう?時間が経てば少しずつ空気が抜けていくのは当然のことだ。投げ心地が違うからと言って、それはボールの中身が変わっているからだと悟れと子供たちを叱るのはあまりに大人げない。老いさらばえた智者の餌食になるのは千年経てども無垢な子供たちだと決まっているのは悲しい現実だ。

 

 そういうわけで、炎の闘士はもはや死んだも同然である。黒い蛇に呑まれ、その双眸はひたすら水底に向かっている。あり得べからざる現在を思い浮かべ、心地の良い夢を見ている彼女にかつての面影は無い。すべての命を奪うウルサスの雪原には安住の地が無いという事実は、烈火の如し闘士でさえも変わらないのだ。

 

 …………おや、諸君は気付いてしまったのかね?そもそもボールを水面に投げつけたのは私であることを。優しい家族から引き剥がし、愚劣な貴族の汚い顔を見せつけ、命を奪う抵抗感を彼女から拭い去り、高邁な魂に少しでも傷を与えようとした黒い蛇とはまさしく、私のことではないかと。

 

 その指摘に関しては、そうであるとも言えるしそうでないとも言える。私が黒い蛇であることに間違いはないが、黒い蛇は私ではない。まぁ、その件については本題と逸れてしまうので言及は避けよう。いま重要なのは闘士が見ている夢について。彼女が受け入れがたい人生の苛烈さに溺れている間、何を見ていたのか。諸君は知りたくはないだろうか?

 

 今回はそれを見るとしようじゃないか。なに、上級作戦記録もいついかなる状況で撮られたのか分からないように、現在の時間軸も不定なものだ。諸君が観測したときがいつだってこの世界が在る時間だとも。さぁ、赤濁した炎の予熱でボールが焼き切れてしまう前に旅立とう。

 

 

 タルラは遥かなる蒼空を見上げている。側頭部に生えた漆黒の角から緩やかに落ちる銀髪はウルサスの雪原を思わせ、水晶の如き輝きを放つ瞳は隔たる冬の海を感じさせた。待ち合わせ場所として賑わう時計の下に彼女は立っている。

 

 黒いダメージジーンズはすらっとした脚を際立たせ、白いノースリーブはタルラが持つ雪のような肌にマッチしていた。上から羽織る薄赤いジャケットの背中の部分には最近チェルノボーグで流行っている双頭の鷲が刺繍されていた。コンクリートの大地を踏み締める編み込みブーツと合わせて見ても彼女のファッションはずいぶんと若者に寄ったものだった。そのためか、周囲の人々も少し遠巻きにしている。皺の寄った厳しい表情も関係しているのかもしれないが。

 

「お待たせー!」

 

 その快活な声に顔を綻ばせるタルラは走り寄るアリーナを見てホッとしたようなため息を漏らす。少し離れた町で小学校の教師を務めている彼女は濃い青のワンピースを着ている。その清楚な雰囲気はこの辺りの街に合っていると言えよう。異なるファッションの方向性だが、薄い鼠色の髪は太陽光の元ではタルラとほぼ同じように見え、まるで姉妹のようだった。

 

「お疲れ、アリーナ」

 

「ごめんなさい、タルラ。遅れちゃって」

 

「別に構わないさ。私はなかなかに自由な身の上だが、おまえは忙しい仕事をしているのだし。さぁ、目的のレストランに行こうじゃないか」

 

 ふたりは互いの近況を話しながら、レストランへ歩く。ソーシャルネットワーキングサービスが発達したとは言え、アリーナはそういう現代の機械技術を使った連絡手段が苦手だった。今回タルラと遊ぶ約束をしたときでさえ、彼女の実家に電話を掛けて妹のフェイゼを通して予定を決めたくらいだ。

 

 タルラは仕事のためにTwitter・Facebook・Instagram・LINEを駆使しているため、友人に教えるのも吝かではなかったのだが、仮にも教師である彼女に何かを教えるということに抵抗があった。アリーナはタルラのコーチングが拙かったとしても万に一つも笑いはしないだろう。けれど、タルラは最近部下に迎えたサルカズの女にことあるごとに嘲笑されたため、ダメージを負っていたのだ。

 

「教え子図鑑は順調か?」

 

「なあに、その言い方。イーノとサーシャのこと?あの子たちは確かに自分のお友達を紹介してくれるけど、放課後にわざわざ勉強するような子供は滅多にいないからね」

 

「まぁ、私たちも小学生だったときは宿題すらもしない有り様だったしな。懐かしい。私とアリーナはよくエレーナの家でテスト勉強をした。覚えているか?彼女が大切にしていたウサギのぬいぐるみを破ってしまって……」

 

「あはは、そうそう。ボジョカスティさんにしこたま怒られたよね。あのときのタルラ、漏らしてなかったっけ?」

 

「むぅ、まだ覚えていたのか。だが、それが原因で私を哀れに思ったボジョカスティさんに許してもらえたのだぞ。アリーナはもっと感謝してもいいくらいだ」

 

「あーそれはあるかも。そこで和解出来てなかったら、ボジョカスティさんに理科を教えてもらうことが出来なくてぺテルハイム高校落ちてた可能性が濃厚。あれがなかったら、わたしも今頃何やってたか分かんないものね」

 

「人生とは分からないものだ。臆病で雷にすら怯えていたフェイゼが今や警察官をやっているくらいだし。まさか私も企業を立ち上げることになるとは、小学生だったときには予想もつかなかった。……その企業も波乱続きで果たして来年まで存続しているのかどうかも怪しいが」

 

「フェイゼちゃんから聞いているよ。いつも夜遅くに帰ってきたかと思えば、ジャガイモのスープに塩を追加して会社に行く迷惑ビジネスマンだって!あなたはしょっぱいスープが好きなのかもしれないけど、お爺さんとお婆さんはもうお年なんだし、そっちに合わせないとダメでしょ」

 

「ずいぶんとピンポイントな文句だ。フェイゼは何故かジャガイモの冷製スープにしたがるんだ。そのせいで味の付け足し方が分からん。だが、追加の塩は爺さんにも好評だぞ?」

 

「あー、昔からそうだよね。ヴィシソワーズだっけ。今は春だからいいけど、冬に突入すると温かいスープが欲しくなる。でも、ヤコヴレヴィチのソーセージにマッチするのはコーンスープだと思うな。濃厚な甘味で多幸感を味わえるよ」

 

「さて、どんなディナーが出てくるか楽しみだな。エレーナの行きつけらしいが、実は私はあまり期待していない。硬いパンでなければいいさ」

 

「もー、そうやってハードルを低くして予防線を張るくせ辞めた方がいいよ。自分になら出来る!これから待っているのは絶対美味しいもの!胸を張って行動しなきゃ夢は掴めない」

 

 ……私の夢って何だっけ?ふと気が遠くなる。レストランに入る直前、蛇のように巻き付く視線に舐め回された気分がした。黒いロングコート、こちらを品定めしているような怜悧な男。もし彼が商売相手であったら、戦わずに逃げることが最善手になるかもしれない。そういった手合いだった。

 

 店の中に入り、彼の視線を切る。うっすらと背中に湧く汗が猛烈な冷房に冷やされてゆく。フォーマルな服装の客がとても多く、タルラだけ少し浮いているようだった。

 

 最初に出てきたのは丸々と太ったエビと新鮮な野菜が使われたサラダだった。ドレッシングは甘酸っぱく、瑞々しいセロリと共にタルラの胃の中に収まった。こんなマトモな食事をしたのは久しぶりである。

 

「タルラの仕事はどう?ぺテルハイム受けずに準備してきた成果、出てきつつあるかな」

 

「レユニオン・ムーブメント。高い能力を保持しながら、これまで冷遇に追いやられてきた人たちを救う団体。これだけ見れば怪しい集まりだが、ビジネス自体は上手く回っている。エレーナとボジョカスティも雇ったんだが、昔を思い出して楽しい」

 

 次に出てきたの長いパン。シエスタで話題になったもっちりとした感触とふわふわした質感がとても良い。アリーナはイチゴジャムを塗っていたが、私はマーガリンの方が好みだ。

 

 そして目の前に置かれたのは黄金に輝くとまでは言わないが鮮烈な黄色さのあるコーンスープだ。ほかほかと湯気が立っているスープを見るのは何年振りだろうか。柔らかいパンを齧り、温かな甘いスープを飲む。幸せだ。けれど、タルラには予感があった。背筋を震わせるような悪徳が次に現れることが分かっていた。

 

 メィンデッシュの“肉”と目が合う。コシチェイの首だった。何やら喋ろうとした彼の口をナイフで繋ぎ合わせる。目の前の異常事態にアリーナは何も気が付いていない。見えないのではなく、見ようとしていなかったのは私だった。テーブルにかけられた白い布に赤黒い液体が侵蝕され、染まってゆく。落ち窪んだ目を力なくこちらに向けたアリーナの服はさっきとさ打って変わってボロ雑巾のような有様だった。賑やかな店内は静まりかえっている。ウルサスの農民たちがテーブルのあちこちで伏している。私が殺した。

 

《私を食べなさい。お前はやってみせたじゃないか。下等民族の肉を切り分けることがお前のやりたかったことだろう?》

 

「違う」

 

《おまえは賭けに負けたのだ。おぉ、我が娘よ。いまのおまえは自らの行いを無に帰した恥辱によって沈殿した意識の残滓に過ぎない。このまま小汚いチェルノボーグで果てるつもりか?それがおまえの望みだったのか?》

 

「違う」

 

 烈火、業火、猛火、ありとあらゆる炎が充満し先ほどまで平和であった街を蹂躙してゆく。阿鼻叫喚に次ぐ絶叫。発狂してしまった警備兵。待ち合わせの時計台を無惨に折られ、暴動を起こす若者たち。彼らは次々に断末魔をあげる。呪いの声を、救いの祈りを、親たちの挺身を、腹をすかせた炎は貪り尽くした。そしてまだ足りぬとばかりにレストランを覗き込む。

 

《おまえの炎はすべてを焼き尽くすが、ウルサスを救う矛にもなれる。父親と手を繋ぐ幼き子を殺せ。不安定な命をその身に宿した母親を殺せ。感染者であろうが、そうでなかろうが、いずれおまえに牙を剥くすべての者を殺せ。さぁ、炎を以て恵まれた境遇をかなぐり捨てた妹を殺せ。ずっと、そうしたかったのだろう?》

 

「……違う!」

 

 アリーナが薄く微笑み、ナイフとフォークをコシチェイの首に突き刺し、そのまま投げ捨てた。浅く速い呼吸を繰り返すだけのタルラは立ち上がり、机に手を突く。レストランの中は蛇のような劫火が蠢き、熱されていた。農民の死体からはぐねぐねとした煙が立ち、黒い蛇に変わる。このテーブルだけが安全地帯だった。

 

「タルラ。あなたは諦めてしまったのかしら」

 

「諦めるものか……私には共に立ってくれる仲間がいる。パトリオットが時間を稼ぐ。フロストノヴァの意志を継いでくれる。壊れかかっているが、メフィストがいれば敵は壊乱するはずだ。ファウストの正確無比な狙撃があれば、敵の司令官など容易い」

 

「ええ、そうね。わたしたちレユニオンなら、感染者の世界を救う道しるべになるのよ」

 

「あぁ!さぁ、アリーナ。きみも行こうじゃないか。みんなが待っている。きみにも何かカッコイイコードネームが必要だな。エレーナと共に考えれば、良い案が思い付くはずさ!」

 

「それは無理」

 

「なせだ……なぜだ………なぜ、死んだ!?アリーナ!!お前は私の親友だったはずだ。こんなところで、道半ばで倒れていい命ではない」

 

 アリーナは静かに微笑んでいる。彼女の圧力に負けてタルラは再び腰を下ろす。熱された天井が昏い太陽のような光を放つ。こうやって見ればふたりの髪色はずいぶんと印象が違う。アリーナは白金に似た神々しさがあり、それでいて子供たちに好かれる気安さを秘めている。シエスタの海のように暖かな風が髪を揺らす。

 

 タルラの銀髪は美しい。だが、レム・ビリトンの海を思わせるほど強く傷んでいた。血液の匂いが立ち込めて口の中から鉄錆が湧き出すが如く。ふたりの姿は移り変わり、寂れた農村で暮らしていたときの服になる。

 

「まだ、デザートが残っているでしょう?」

 

「……楽しみだな。私はアイスを所望する。冷たいのはウルサスの雪原を思い出してしまうものだが、私はそこに心臓を置いてきたのかもしれない。さっきから胸が冷たいままだ」

 

「わたしはね、季節のフルーツがいいな」

 

 会話を交わすと次の瞬間には料理が現れた。遅まきながらタルラは自分が夢を見ていることに気付いた。何度も何度も繰り返されるうちに夢のディティールは凝っていった。残酷なことだ。もし、この世界に鉱石病なんてものが無ければと、どんなに思ったか分からない。

 

 苦いチョコレートケーキを切り崩しながら、そんな意味の無いイフについて考えている。タルラが見ている夢であるのにデザートすら彼女の自由にはならない。レユニオンのリーダーとして曲者たちを引っ張ってきた、カリスマと手腕を持つタルラ。けれど、もはや最後の晩餐のメニューすら思い通りにならない。肉体から自らの意志が消滅しようとしていた。

 

 この辺りで辞めておくのが一番良いのかもしれなかった。唾棄すべき弱者に裏切られ、同胞たちは助けを求めながら餓死した。罪のある者たちを根こそぎ焼き尽くした。あのときの激情が未だにタルラの胸の奥を燻っている。だが、真なる憤怒の炎は振るうことすら許されなかった。目の前の少女がそれを留めたからだ。良かれと思い成されたその行為は未だにタルラに種火を撒き続けている。

 

「アリーナ、私の親友。私を殺してくれ」

 

「出来ないわ」

 

「パトリオット……多くの兵を薙ぎ払って来たあなたなら炎を縫って私を殺せる。そうだろう?フロストノヴァ……この夢を壊せ。諾々と広がるウルサスの雪原で塗り潰してくれ。ファウスト……今すぐ私の頭を撃ち抜け。そうでなければ、タルラはテラに滅びを齎す。早く、早く、早く。もはや、感染者のことなど考えたくない……私は……闘士タルラとして死にたい」

 

 頭の中は既に不死の毒蛇に蝕まれている。死を望むのは彼女に残された抵抗手段だった。けれど、炎は徐々に勢いを増す。破壊衝動が黒煙の如く立ち込め、タルラの意志すら変えようとしている。

 

「ボジョカスティさんも死んじゃったみたい。エレーナさんも死んで、ファウストくんも。昔から知っている子を失うと辛いよね。でも、諦めてはダメよ、タルラ」

 

「……何故?こんな世界、破壊してやりたい。もう私は完膚なきまでに諦めている。いま夢を見ている私の代わりにコシチェイは私の体を使って良からぬことをしようとしている。……だから、何だと言うんだ?私の思う世界はとうに崩れてしまったように。感染者への差別・迫害が止まることは二度とない。どうやっても抗えない。……それが人生だ」

 

 うっすらと涙を浮かべるタルラは店の外にフェイゼがいるのが分かった。そして、その横には見知らぬコータスの少女。ふたりは振るわれる赫熱の剣を引きながら防ぎ、豪炎に立ち向かっていた。無駄なことをしている。ありとあらゆる物を喰うのがこの炎。憎悪・憤怒・絶望・悲嘆は何者も抗えない。内なる感情に一度でも刺激されたら、呑まれてしまう。

 

「悔しくないの?」

 

「何がだ」

 

「炎のアーツはタルラのものじゃない。これまで大きな罪を犯して来た汚れた輝きなのかもしれない。それでも、私はタルラの炎好きだよ」

 

「今さら……どうしようもできないさ」

 

「出来るよ!あのコータスの女の子とフェイゼちゃんに協力するの。彼女の呼びかけにただ答えてやればいい。それだけで、あなたはふたりを助けることが出来る」

 

 背中に手を置かれた。そこに立っていたのは血塗れで自らの顔を覆い隠した面でさえも砕け散っているボジョカスティだった。満身創痍な姿から考えると、彼は既に死んでいる。魂のままここへやって来たのだ。

 

「濁った炎がどうなろうと澄んだ炎がどうなろうと、進むのを止めるとなれば、これまで散っていた仲間たちがあまりにも浮かばれない」

 

 手元のコーヒーを飲み、そのあまりの苦さに顔を強張らせる。ボジョカスティは店内を闊歩し、農民の死体を踏み潰す。カウンターの部分に腰を掛けた彼の足元は灰に塗れていた。

 

「何を迷っているかと思えば、その程度のことか」

 

「エレーナ!?」

 

「くだらぬ。おまえの意志がまだ定まっていないとは言わせない。その女が死んだときから、おまえはずっと本心を噛み殺して邁進してきた。それを、こんなところで砕くつもりか」

 

「私はどうすればいいというんだ」

 

「戦おうよ、タルラ」

 

「戦え、我が王」

 

「戦え。おまえが無様な死を遂げたとしても、誰も笑わない。おまえが何故こうなってしまったのか。その責任は私たちにある」

 

「償いなんて……ただ私はみんなともう一度」

 

「おまえの脳が勝手に作り出した街で偽りの日々を過ごしたかったらそうすればいい。けれど、違うだろう?闘士タルラ!まだ、まだ、まだ!レユニオンは終わっていない……!」

 

 ふらふらと熱に浮かされたように立ち上がったタルラだが、徐々に力強い歩みに変わった。レストランの入り口付近まで来て、もはや振り向くことはない。ボジョカスティもエレーナもアリーナもタルラの高潔な同志であった。負け続けてきた彼女が唯一誇れるものだ。ここまで彼らに叱咤されて黙っていられるほど、胸の内は冷たくはなっていなかった。ウルサスの雪原に置いて来たはずの心臓を彼女は取り戻していた。

 

 焦げ臭い香り。焦土と化したチェルノボーグの中でもひときわ熱い空間にタルラはコシチェイに意識を乗っ取られた状態で立っていた。成長したフェイゼの姿を見て懐かしさに胸が潰れそうな感情を抑制……いや、炎に変えてゆく。黒い蛇を焼き尽くす澄んだ魂の熾火に。

 

 彼女の瞳に光が戻った瞬間だった。燃え盛る炎を写したその瞳は赤く染まっていた。折れた心は折れたままに逃げるのを辞めた、タルラは闘士として生き直すことを決めた。その前に、まずはフェイゼと戦う。すべての澱を焼き尽くすために。

 

 

 これが、彼女が見ていた夢ならびに解放されたときの記憶だよ。長く眠っていただけはあって、夢の世界はよく出来ている。もし世界に鉱石病が無ければ、このようなふたりの逢瀬も叶っただろう。ウルサスの未来を嘆く者としてはこのような平和な日常が繰り返されるようになるまで、あと何千年かかるか。途方もなく先の話になるだろう。

 

 子供たちがボールの周りにいたんだが、大人げないケルシーが全部持って行ってしまった。ロドスアイランドほど偽善と偽悪に塗れた集団はこの世に無い。大国ウルサスと戦争をするような余裕はないのかもしれないが、今からでも火種を撒いておくのが老獪な蛇のやり口さ。

 

 諸君は見ただろう。哀れな女闘士、レユニオンのリーダー、平和に過ごすタルラ、困難に立ち向かう彼女。どれも同じに見えたかい。それとも、別人のように思えたかな?彼女は黒い蛇を受け継ぐ素質があった。黒い蛇になるにはいくつもの仮面を持ち合わせていかないといけない。

 

 沈んだボールもけして悪くない経験はしただろう。元々の計画ではボールに穴を開けてそこからすべてを乗っ取るつもりだったんだが、まさか魔王が出て来るとは。やはりそうは上手くいかない。まぁ、いい。黒い蛇はこんな失敗くらい何度だってしているんだ。タルラに食べて貰えなかったのは残念だが、次の機会があるだろう。

 さらばだ、諸君。せいぜい、良い夢を見たまえ。



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