これは、「私」の体験談と考えたこと。

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いただき様

 私の昔の話をしてみていいかな? 

 

 いただき様って神様の話。ちょっと長い話の割にそんなに怖くも無いかもしれないんだけどね。

 

 いただき様。

 

 これは私の父方の祖父の住んでたN県の山里で祀られてた神様の話。正式名称があるのかは知らないんだけど、村では「いただき様」って呼ばれている神様が信仰されていたの。小さなお山のてっぺんにお社があって、そこに祀られてたのさ。

 

 なにぶん最後にその村行ったのが中1の夏なんでうろ覚えではあるんだけどさ。毎年秋頃(10月くらい?)にそこに行くと、ちょうどその村で収穫祭みたいな小さなお祭りをしているのよ。いただき様にその年採れた畑の作物をお供えするってお祭り。その時期になるとお呼ばれされるって理由で学校を1週間くらいお休みできるから、当時の私には変な優越感があって嬉しいお呼ばれだった。

 

 で、私もお手伝いでおじいちゃんと母ちゃんと山にお供え物を持って行ったんだけどさ、まぁ何せ、田舎の山道なもんだから道は狭いわ舗装はされてないわで最初は凄い疲れたのをよく覚えてる。その道すがら、お母さんから、「いただき様っていうのはねー、お山のてっぺんに住んでるからいただき様なのよー」って説明を受けた。山頂の頂がいただきって読むってことはその時覚えた。

 

 それで、お山のてっぺんに小さな鳥居のついたボロっちい小さなお社があって、その中にある御本尊様みたいな神棚的なやつの前に収穫物やその収穫物を使った料理(お米とか煮物とか揚げ物とか漬物とか色々)をお供えするんだよね。で、ひとしきりお祈りしたあと、山を下ってご近所さんで料理を出し合ってちょっとした宴会を開くって寸法よ。

 

 中学上がってすぐにおじいちゃんが死んじゃってからはお呼ばれすることも無くなったんだけど、それまでは毎年秋になるとその収穫祭に呼ばれてお母さんと一緒に里山に行ってたわけ。

 

 お社で豊作祈願のお祈りをしている時、当時小学生だった私は難しい祝詞とかは全く分からないから聞き流して忘れちゃってるんだけど、最後の方で村の地主さんが言ってた「いただき様、どうかもらってください」って台詞が妙に頭に残っていた。そんで、小学生の私はよくその言葉を繰り返し使っていた。

 

 収穫祭の手順は、まずお山の社にお供え物をして、その後3日間宴会をして、3日目にお供えした食べ物とかを、社の前で火で焚いて燃やすって感じなんだけど(その後どうすんのかは知らない)、別にそんなに畏まった儀式をしなくても、「いただき様」に「もらってもらう」儀式ってのは、常日頃何時でもしていいっておじいちゃんに言われてた。だから私もお遊び感覚で、おじいちゃんのうちにあった神棚(分霊ってやつ?)に向かって、適当な綺麗な石とかおもちゃとかお菓子とかを並べては、「いただき様いただき様、どうかもらってください」って言って遊んでたの。ただその時唯一おじいちゃんがきつく止めたことがあって、なんでもお供えしてもいいけれど、自分の大切なものはお供えしちゃダメだよ。そして間違っても、「自分」とか「他の人」とかをお供えしちゃいけないよって言われてた。神様に取られたら困るでしょって。普段明るくて優しいおじいちゃんがこの時はちょっと険しい顔をしてたから、私も緊張してこくこく頷いてたのを覚えてる。

 

 ただ、そうは言っても好奇心旺盛なお年頃なんで、私はある時(小4くらい?)実験的に、おじいちゃんの家で飼ってた3匹の金魚のうちの1匹、ガラスの小鉢で1匹だけだったくろでめちゃん(黒のデメキン)をこっそりお供えしてみたのね。「いただき様いただき様、このくろでめちゃんを、どうかもらってください」って。

 

 そしたら、4日後にそのくろでめちゃんは死んじゃってた。

 

 偶然かもしれないし、くろでめちゃんをお供えしたことは怖くて誰にも言えなかったから、それが本当にいただき様に「お供え」された結果なのかはついぞ分からなかったけど、生き物が死ぬってのはやっぱり衝撃的で怖いことだった。それ以来私はいただき様に生きてるものをお供えするのはやめようと思った。とは言えもうその頃には口癖みたいになってたから、いただき様へのお供え自体を止めようとは不思議と思わなかった。それからもおじいちゃん家に行くたびにお供え自体は続けてたんだけど、小5から小6にかけて行った「お供え実験」の結果はこんな感じだった。

 

 ・石ころのお供えは何も変わらない。

 

 ・おもちゃ(トミカやライダー人形や着せ替え人形)は心なし壊れるのが早かった気がする。(乱暴に扱ってたせいかも)

 

 ・食べ物のお供え物はちょっと判断が付きにくいけど、お供えしてから5日目に食べたおせんべいはしけってた。(再現実験をしてないからやっぱりなんとも言えない)

 

 ・引っこ抜いた花や雑草は直ぐに枯れた。(当然か)

 

 結局小学生の行う実験なんかに大した意味は無かったわけだけど。まぁ、毎年秋にはそんなこともしながら専らおじいちゃんの家で漫画を読みながら過ごしていた。3日間は確実に宴会で美味しい料理が出るから(田舎料理だけど)楽しみにしていたのも変わらなかった。

 

 でも、中学一年の夏頃におじいちゃんが死んじゃって、そのお葬式に呼ばれて以来その田舎に行くことも無くなってしまった。おばあちゃんは私が産まれる前に亡くなっていたし、ほかの親戚はちょっと遠くなっちゃうしで本当に縁が切れたって感じ。お母さんもおじいちゃんが居ないのにわざわざ田舎まで帰るのも面倒くさいって感じだった。だけど、その最後のお葬式の時に、ちょっと疑わしい会話があった。

 

 おじいちゃんのお葬式は普通にお線香上げてお経を唱えるタイプの仏教系のお葬式だった。私はお葬式なんて初めてだったから、お葬式が終わった後、何となくでそこそこ話したことのあった近所のおじさんに、おじいちゃんはいただき様にお供えしないの? って聞いた。そしたらおじさんは笑いながら、「そんなんお供えするわけねぇさ」って軽く答えた。私はそういうものなのかと思って特にその後質問することもなかった。

 

 その後、村の近所の人達の会話を何となく聞いてると、「今年はどうも悪いことが続くなー」みたいな会話がされていた。よく話を聞くと、数日前の大雨やら大風やらで農作物がやられて今年は不作になりそうだと嘆いてた所におじいちゃんが死んじゃって、近所の人達が落ち込んでるみたいな話の流れだった。毎年ちゃんと収穫祭をしてるし、私は参加してないけど、春頃に祈年祭みたいなこともしてるらしい。なのに、いただき様は助けてくれないんだなーみたいなのを私がちょっと愚痴ったら、おじさんおばさん達は、

 

「まぁ、大雨やらなんやらは、いただき様のせいではないし仕方ねぇ」

 

 って言って苦笑いしてた。

 

 その時は特に何も思わなくて、そんなもんかって思ったけど。さて、今思い返すとこれはちょっとおかしいのでは? と、気付いた。

 

 いただき様の効能(権能?)が自然災害に敵わないとかだったら、まぁ、所詮迷信だし、伝統だし、みたいな感じで片がつく。

 

 だけど、大雨やらなんやらがいただき様のせいでは無いって言い方は、ちょっとおかしいのではと最近になって思った。

 

 だってそうでしょう? いただき様が豊穣の神様なんだったら、村の天候やその他の災害の排除まで合わせていただき様の仕事ってことになる。だけど、村が不作になっても、村の人はその不作はいただき様のせいではないという。

 

 不作になってもいただき様に関係がないならいただき様を祈年祭やら収穫祭やらで祀る意味が分かない。

 

 で、先日お母さんに聞いたら、まぁ、伝統なんてそんなもんでしょ。と、大して気にする様子もなかった。というか、お母さんはいただき様についてほとんど何にも知らなかった。

 

 仕方ないので私はお母さんから村の知り合いの電話番号を聞き出して、唯一おかあさんが知ってた、今おじいちゃんの家の管理をしている隣の山田さん(仮)の家に電話をしてみた。我ながら大した行動力だと自画自賛している。

 

 その結果分かったことは、「いただき様」がいわゆる祟り神ってやつだったってことだった。

 

 山田のおばさんが言うことには、

 

 ・いただき様は昔、里山のものを片っ端から強奪していく妖怪変化みたいなものだったという文献が残っている。

 

 ・村のご先祖さま達がお坊さんを呼んで、その妖怪変化と交渉を試みたところ、村の人達が捧げられるものを捧げてくれれば悪さはしないという方向で話がまとまった。くれるものが豪華なら他の悪いものから村を守ってやるとも。

 

 ・そして、当時その妖怪が巣食っていたお山のてっぺんにお社を立て、「いただき様」として妖怪を祀ることにした。いただき様にお供えをしているうちは平穏な年が続いたので、次第にいただき様は神様として扱われるようになった。

 

 そんな話を聞いて、私は感心した。なるほどいただき様は本当に、ただ貰うだけの神様だったんだなって。そうしてみると、いただき様の名前も、山の頂って意味も勿論あるんだろうけど、それよりかは物を頂くって意味の方が強いんじゃないかなって思った。思ったので、その名推理を山田のおばさんに突き付けてみた。そしたらおばさんは、「そうかもねぇ」って曖昧に笑った。ダメだ。あんまり決まらなかった。年取った大人はあんまり話に乗ってくれない。

 

 そんなこんなで、今更知った知識を踏まえて小学生の頃の思い出を振り返ると、私の行った儀式の数々は、神とは名ばかりの妖怪変化に自分のおもちゃやお菓子やガラクタを捧げまくった日々だったんだなぁと何だか微笑ましいような怖いようなイラつくようなよく分からない感情が浮かんでくる。

 

 さて、現在私は大学生、未だ悪ガキ根性の抜けない私は、思いついた。

 

「いただき様」の儀式は、一応呪い避けとか豊作祈願としても成り立つけど、それはそれとしてやっぱり呪いなのでは? 

 

 オカルト板でたまに見る怖いやつと同じだ。

 

 お供えしたら悪いものから守ってくれる。でもお供えするのはなんでもいいっていうのは、あまりにも無条件すぎる。おじいちゃんの注告に従えば、人間だっていただき様は頂いてしまうんだろうから。

 

 YouTubeで見るオカルト板の話を見てつくづく思うのは、よくもまあうちの村はそんな神様相手にしてて人身御供的な物騒な考えに至らなかったもんだってことだ。妖怪側も農作物ちょっと恵んだだけで済ませてくれるとか優しすぎか? まあ、いいんだけどね? 

 

 悪ガキ的には話がもうちょっとスリリングでもいいかなーとか思ってしまう。それとも調べたら何か陰惨な記録でも出てくるんだろうか? 興味があるのでいつか再び村に行ってみようと思う。

 

 話は取り敢えずこれで終わりなんだけど、最後のついでに思うのは、「いただき様」の効果範囲ってどこまでなんだろうってことだ。

 

 お社とか神棚の前じゃないとダメなのだろうか? それとも村の全域? でめちゃんの例で考えると、供えたときは神棚の前だったけど、死んだ時は居間の棚の上だったからちょっとよく分からない。

 

 ここからでも行けるのだろうか? そう考えると何かの生き物で試してみたくなる。

 

 祝詞は簡単。

 

「いただき様いただき様、××××を、どうかもらってください」

 

 良ければみんなも試してみる?




信じるか信じないかはあなた次第。これ言うと途端に胡散臭くなるのよね。


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