アタッカーウィッチーズ:Pokryshkin's Report of 301JGAS 作:下竹くみん
一九四五年二月二十二日 ペテルブルク、ペトログラツキー区 ペテルブルグ要塞 一二〇〇
極寒のオラーシャ帝都ペテルブルグに、今日もストリボーグ寺院から鐘の音が響く。その音色は聴く者の耳を楽しませ、初めて訪れた者の興味を惹き、かねてよりこの町に暮らしてきた臣民にとっては明日を生き抜こう、戦時下で戦い抜こうという心を掻き立てる。
一九三九年にネウロイとの戦争が始まって以来、こうして鐘の音を聞き続けられているのは、まさに奇跡としか言いようがない! ペテルブルグは幾度となくその大攻勢に耐え、この地を守らんとする気概に燃えたカールスラント軍、オラーシャ軍、スオムス軍による攻防の末、まだこうして人類の手に残り続けている。これはひとえに人類の抵抗の象徴である、といえよう。
しかし、未だ
上空に魔導エンジンが響く。今日もまた、「その日まで」モスクワ上空を守り続けてくれるのだろうか。
さて、このペテルブルグ要塞の中心に所在する統合軍東方総軍総司令部の中で、とある名司令官、そしてエースウィッチがランチのテーブルを囲んでいた。一人は最高司令官補佐である、ゴリグリー・ジューコフ元帥。もうひとりは同じくこの要塞に駐屯する第五〇二統合戦闘航空団の、アレクサンドラ『サーシャ』・ポクルイーシキン大尉。彼女は今日ネウロイの巣『グリゴーリ』撃破の栄誉で、三級ゲオルギー勲章を授与されたばかりだ。最新鋭のセントラル・ヒーティングシステムで温められた総司令部の一室は、食器の触れあう音と時たまの声以外、実に静かだ。鐘の音もここではほとんど聞こえない。窓の外の白で塗りたくった街並みが見える二重の窓ガラスが、寒さとついでに良い音まで遮ってしまっているのだ。ジューコフ元帥は若干四十九歳と実際、各国司令官の中では一段と若いのであるが、
「まあ、固くならないでさぁ。どんどん食べて飲もうよ、サーシャくん」
そんな口調と健啖に杯を煽る姿も、彼のそんな印象に拍車をかける。彼は四一年の全軍が危機的な状況にあった時にはさすがに緊張のあまり禁酒していたそうだが、今は血色もよく、自信に満ち溢れている。翻ってサーシャ大尉は小さく縮こまり、遠慮がちに
「本日のスープをお持ちしました。川魚ブイヨン入り
と、サーシャの中でうごめいていた不満も、司令部付き下士官が給仕したこの料理に目が釘付けになり、一気に吹き飛んだ。ベルーガのフィレが、皮も残った姿煮のままできれいに盛り付けられている。普段五〇二で食するシチーやボルシチ、それに時々下原が作ってくれる扶桑の大豆スープとはおよそ雰囲気の異なるものだ。ベルーガなどいつ食べたことがあるだろうか? オビ川沿いのノヴォニコラエフスク*4に育ったサーシャの口にも、せいぜい入る魚といえばサケかカワカマスくらいのものだったのだから。しかも、その下にはオラーシャのスープの伝統を守って、ニンジン、キャベツ、ジャガイモがていねいに層をなしている。ある作家が語った通り、「西欧ではスープの中に野菜が泳いでいるが、オラーシャでは野菜の中にスープがある」のだ。ガリア人などが見たら、「まあ、卑しくて田舎臭い(ですわ)!」などと言うのが容易に想像が付くが。
このウハーというスープを作るには、まことデリケートで複雑な工程を要する。①川で取れた②新鮮な③小魚――を用意し、しかも水だけで煮るわけではない、タマネギやセロリなどの香味野菜、それにベイリーフやディル、パセリ、ペッパーグレーンなどのスパイス・ハーブ類とじっくりと煮込まなければならない。これを怠ると「魚の味がするスープ」ではなく「魚屋の匂い
ウハーの皿にフォークを伸ばし、サーシャはベルーガの身を一切れ一切れ口に運ぶ。一方で、ジューコフはその身をスプーンで崩してスープの中に浸してしまう。
「俺も卑しんぼうなのかなあ。こういう料理が出ると、つい崩して汁といっしょに食いたくなるんだよな」
高級魚を崩す姿に驚いたサーシャに向かって、照れくさげに苦笑いしながら語る。
「いや、私も初めて食べるもので。どうやって食べるのか正式なのか、よくわからなくて……でも新鮮なお魚ですね」
「本当は全然新鮮じゃないんだよな、これ。一週間前に捕ったベルーガなんだが、リベリオンの開発した『冷凍保存』とかいうやつのおかげでここに持ってこれたんだ。まるで収穫するのを忘れて畑に残したビーツみたいにカチカチにしてな!」
「『冷凍保存』ですか。確か化学物質が入った器械で冷気を作り出して物を凍らせる技術でしたよね。五〇二でも基地に欲しいのですが」
それは手配しておこう、とばかりにジューコフは大きくうなずいた。
「しかし、リベリオンは兵器以上に後方関係が充実していますよね。輸送、保存、管理とか」
「そのとおりだな」
とジューコフは、スプーンをテーブルに一回置き、そして指を組んで答えた。そして続けた。
「そしてそのことこそ、オラーシャが戦っていく上での最大の問題だな。後方の設備、技術とも未整備で、さらに戦争で大きくインフラが傷付けられているという」
ジューコフはふと、目線をウハーから窓の外の白い町並みへと移す。
「この国は一七年以来、何度も変わるチャンスがあった……だがそれをせずに、痛みを伴う変化を引き延ばしに延ばして現在に至っている。こうなったのはどうしてだろうな?」
「私は年若いもので、まだそうした意見は持ち合わせていません。ですから、ぜひとも閣下のお考えをお聞きしたいものです」
「いいだろう」
サーシャがスプーンを置き、体を乗り出すのに合わせて、彼も話を続ける。
「変化や改革を唱える者がいても、柔軟性を持った適切な統制がないために実行に移せない。柔軟性のない通り一遍の統制が続き失敗を繰り返す――そうしているうちに誰も手を付けなくなり変化も、進歩もなくなる。もし一七年以来のどこかのタイミングで適切な改革と進歩がなされていたならばオラーシャが、この大戦でこれだけ多くの領土を失うこともなかっただろう」
「わかります。ところで、閣下のいう『柔軟性』とはどういったものですか?何か法則があるんですか?」
「そうだな、たとえば畑ならその土に合った作物や品種を植える、工場なら最も効率の良い製品を生産する、統治ならその土地が一番安定するようなシステムを選択する……といったところだろうな。それを臨機応変に合わせていく。戦術と同じだ。同じ戦闘も、同じ時代も、必ずない」
サーシャは無言で、深くうなずいた。
「だから俺はーー」
ジューコフはそう言うと、ウハーを一口すすり、話を続けた。
「この戦争、お偉方は勿体ぶって『大祖国戦争』と呼んだりしているそうだが、俺からしてみればこれまで何もして来なかったこの国に対する荒療治だろう。『大瀉血戦争』といってもおかしくないだろうな」
「『瀉血』、ですか」
「昔の治療法だ。良い血を作り出すために、悪い血を体から抜いてしまう、そうすると何故か病気が治り体もスッキリするーーというやつだな。今じゃ迷信って事になってるが。多分病気が治ったというのも、単なる気の持ちようだろう」
そして、満足そうなため息をついて、彼は続けた。
「だがね、長い人生、気の持ちようの方が大事ってこともあるんだよね」
次の一皿は衣をつけて揚げ焼きした肉、オラーシャでいうコトレートィだ。この料理は仔牛の肉を柔らかく叩いて小麦粉をまぶし、溶かしたバターで揚げるのがもっとも高級な調理法と言われている。これは高名なオラーシャの将軍の名前がつけられていて、軍の公式な饗応では定番のメニューだ。だが、仔牛肉を戦時中に手に入れよう、というのは針の穴に122ミリ榴弾を通すよりも難しい。ということで、今日は代わりに豚肉をできるだけ柔らかくなるよう、下ごしらえと火を通す時間を工夫して調理してある。
「そういえば、ある作家が『料理をすることは世界の無秩序と戦う兵士の一人になることだ』……みたいな言葉を言っていたな」
ジューコフは一口味わうと、感慨深げにフォークの先のコトレートィを凝視しながらそう語り始めた。サーシャもこれに答える。
「いい言葉だと思います。食事も日々の戦いの一部ですから」
「だと思うか?俺はその作家が本当は料理をしたことがなかったか、従軍経験がまったくないか、そのどちらかだと思うな」
どうしてですか、と訝しがるサーシャを見つめながら、彼はニヤリと笑った。
「まずひとつ、俺の一兵卒としての経験からすれば、前線はそんなに秩序立ってない。だからいくら取り組んでも上手くいかないこともあれば、ほとんど何もしてないのに突然うまくいく物事もある。それに、敵は敵であり、無秩序ではない――10万人の軍勢に勝つために10万人を皆殺しにする必要はないだろ? それより塹壕では丸木組みが崩れないようにしたり、できるだけ多くのシラミを取ることに集中すべきだ。そうすればいざという時に少ない銃弾と少ない犠牲で完勝を得られる。料理もそうだな。要所要所を抑えておけば、ちょっと分量が適当でも、材料がひとつ手に入らなくても、旨い料理を作ることができる」
「最低限の材料は必要になりますけれどね。それと、最低限レシピを守ること」
「そうだな、俺たちはヴォーロス*5のように井戸からキセーリを汲み上げる奇跡は起こせないから……まあ要は妥協だな。あるいは要領だ。兵隊も料理も」
「このスコベレフ風コトレートィが牛肉じゃなくて豚肉なのも、そういう妥協ってことですね」
「そういうことだな。その上、この豚はオラーシャの農村で放し飼いになっていたものとは違い、新大陸の狭い豚舎で、半ば工業的に生産されたやつだ。そして、俺たちばかりでなく前線の兵士も、同じ豚を缶詰にして食べている」
サーシャはそれを聞いて、顔を曇らせた。それは決して豚の運命に同情してのものではないだろう。
「トラックや弾薬、大砲、輸送機、爆撃機、機関車――私もリベリオン製のストライカーを使ったことがあります。やはり、私たちの国は遅れているのでしょうか」
「数字だけ見ればそうだろうな」
そして一杯開けた後に、彼は続けた。
「だがひとつ、我々オラーシャも負けていない部分がある。それは国土と国民の多様性だ。都市や農村、ツンドラ、タイガ、それに砂漠。そして今もいろいろな民族の人々がオラーシャの旗の下で戦っている。この多様性が柔軟性と結び付けば、とても大きな力になるだろう。それはもう、大尉も実感しているんじゃないかな」
「私たち、統合戦闘航空団のことですか?」
察しがいいね、とばかりに無言の笑顔でジューコフはサーシャを指差した。
「その通りだ。さらに統合軍ではこうした国際統合の動きを、広く応用していくことを考えている。五〇二は新たな前例になった、五〇三もまた然りだ――だが、この恩恵を戦闘ウィッチだけが独占していていいとは、思っていないというわけだよ。そこでだ」
熱っぽく語るジューコフを見つめるサーシャの胸中は複雑だ。五〇二が『多様性』を持っていることの利点と引き換えの欠点、例えば煩雑な事務仕事や規格も設計も違うストライカーの修理、よく言えば個性豊かな隊員たちの日々起こすトラブルの処理を、全て彼女が負っているから、としか言いようがない。その上、これからさらに面倒事が増えるとでも? 一言で、気が気でない。
「地上攻撃ウィッチで今、オラーシャとカールスラント中心に統合部隊を試験運用中なんだ。人材交流ってことでひと月くらいそれを見学しに行かないか? 春からはその部隊と、共同作戦をする予定もあるからな」
ジューコフ元帥の目前、頭を抱えたりは出来なかったが、心のなかではこう呟いていたに違いない――ああ、やっぱり、面倒事だ。
「私たちも柔軟性を学ばなければならないしな。そのためには、手始めに君たちのような国の未来を担う世代が身につけるべきだろうし、な」
ここまで言われては、断るのは無理だろう。もうサーシャは顔を覆いたい気持ちだった。ラル隊長が溜め込んだ書類も終わってないし、ニパさんがまた壊したストライカーも治りきってないのに! と、嘆きたいことが山ほどある。
食後の紅茶が出され、(悲)劇的なランチが終わりを迎えようとしている。その前に、サーシャはひとつのささいな質問を尋ねた。
「ところで閣下。かなりウォトカを飲まれたようですが、まったく酔ったようには見えませんね」
「ウォトカだって?」
すると彼は腹を抱えて笑い出した。
「違う違う、これはリベリオンの『コーラ』って飲み物だ。本当は紅茶のような色をしているんだが、それじゃ体裁が悪いからなぁ。だから透明にしたやつを向こうのアイゼンハワー元帥のつてで作ってもらってるんだよ」
サーシャはあいた口がふさがらなかった。つまりジューコフ元帥はずっとしらふで彼女と話していたということだ。さっきの提案を酔った勢いのせいにするのも、どうやら無理らしい。
だが悪い話ばかりではない。久々に、オラーシャの同胞の中で過ごすことができるのだ。聞いた話だと、オラーシャ軍ウィッチでもオラーシャ人のほかキエフ人、ザポロージェ・カザーク*6、それにエフタル人*7のウィッチもいるらしい。今は戦争のため出来ないオラーシャ国内旅行のようだ! もしかしたら、自分と同じ南シベリア出身のウィッチもいるかもしれない。そう考えると、胸の高まりも抑えられなくなるようにも感じたのだった。