アタッカーウィッチーズ:Pokryshkin's Report of 301JGAS   作:下竹くみん

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Report.2 アンジェリーカ『ジェーリャ』・イェゴロフ(前)

一九四五年三月一日 オラーシャ帝国ペテルブルグ県上空 〇六〇〇

 

 太陽の光が東の空に灯る前、雪はありとあらゆる音を閉じ込めている。小川の水音も、風にそよぐ木々のざわめきも、放し飼いの馬たちのいななきも、全てが深い眠りについている。その静寂を破り、夜明けの予感を感じさせるのがルリビタキのかすかな地鳴きだ。どんな鳥、カラスやニワトリよりも早く耳に入る、断続的なこの声が、太陽を目覚めさせ、やがて空全体が、世界が染まっていく。始めは濃いラズベリージュースのような色に、次にはるか南の国で育つ柑橘類を思わせる色へと。

 

 サーシャは誰にも見られないように、ペテルブルグ要塞を朝四時に飛び立った。なんとなく後ろ髪を引かれるものがあったからだ。もちろん、ラル隊長は彼女の『人材交流』を許可した――意外なことに。ウィッチ確保に奔走する彼女が、一時的にとはいえこんなにもあっさり自分を手放してくれるとは思いもしないことだった。ジューコフ元帥から隊長のあいだで、『なにか』が動いたか、あるいは『なんらかの圧力』がかかったのか、と訝しみたくもなる。とはいえ、喜び勇んで送り出されたい気分でもなかった。自分がずっと五〇二に尽くしてきたから、とも言えるし、自分がいないとどうなるかわからないようなウィッチたち、例えばニパ、管野、それにクルピンスキーがいるから、ということもある。

 サーシャは上空一千メートルを南へ飛行しつつ、そんな気持ちを抱えて煩悶していた。心配はいつの間にか、ペテルブルグへの、そして五〇二の仲間たちへの恋しさへも変わっていく。この思いは、一月の間に自分の中でどう変わっていくだろうか? より恋しさが強くなるかもしれない。彼女は潤んだ目で、ふと振り向く。だがそこには、沈黙した古い巨大都市が、灰色の帳に覆われて横たわるだけだ。問うても、何も答えてはくれない。ペテルブルグは泣き言を聞いてくれない*1のだから。

 そして彼女は改めて思い出す――自分は五〇二の戦闘隊長でもあるが、それ以上にオラーシャのウィッチなのだということを。だから元帥も私を抜擢したのかもしれない。とにかく、ここ一ヶ月間はブレイブウィッチーズのことは忘れよう。そして、どんなウィッチに新しく会えるのか、それだけに期待しておこう。朝日を浴びながら、サーシャはそう誓うのだった。

 向かっているのは、ペテルブルグの南東一五〇キロメートルにあるクレチェヴィツィ空軍基地。ここに駐留する三〇一統合地上攻撃航空隊(301st Joint Ground Attack Squadron)が、しばらく彼女の家となる。

 

同日 ノヴゴロド県 クレチェヴィツィ 〇八〇〇

 

 クレチェヴィツィの飛行場の滑走路は一五〇〇メートルほどだろうか。サーシャには、単発機やストライカーが飛び立つには十分すぎるように思える。これだけ長ければ、四発エンジンの重爆撃機も十分に離着陸できるだろうか。彼女は田舎のちょっとした臨時飛行場のようなものを想像していたのだが、期待以上の光景に彼女の胸は高鳴っていく。そういえば、三〇一航空隊にはオラーシャウィッチが五人いる、とは聞いたがカールスラントとオストマルクのウィッチの人数までは聞かなかった。五〇二並み、いやそれ以上の大所帯を想像して、彼女は唾を飲みながら、溶けかけの雪を突き固めた滑走路にタッチダウンする。MiG i225の先に伸びたスピナーが水滴を、雪氷を跳ね上げ、水溜りにギリシャ文字の書かれた水色の魔法陣がはっきりと反射する。

 減速とともに、ミクーリン・エンジンはその無遠慮な爆音を自重して、低空に浮遊しながらサーシャを格納庫へ運んでいく。と、そこで誘導路わきに建っている丸太小屋(イズバー)の扉が開いた。サーシャはタキシングしながら、自分を眺める人影をよく観察する。まず服装は彼女と同じような黒いオーバーズボンに、灰色の毛皮がついた黒いダブルのムートンジャケット*2、と黒尽くめだ。体格はすらりとして、身長はクルピンスキーより少し低いくらいだろうか? だがそれらよりも特徴的なのはさらりと風にそよぐ、赤銅色のロングヘアだ。彼女のスタイルの良い体によく似合い、サーシャは少し羨ましいなと思ってしまった。

「君が五〇二統合戦闘航空団の、アレクサンドラ・イヴァノーヴナ・ポクルイーシキン大尉だね?」

 格納庫でストライカーを外すと、そのウィッチがサーシャに声をかけた。若干低い声で、見た目に反して雄々しく感じる。きっと性格も、口調もいつもこんな感じなのだろう。

「はい、サーシャで大丈夫です!あなたがアンジェリーカ・ミハイロヴナ・イェゴロフ少佐ですか?」

 と、心なしか上ずった声で敬礼しながらサーシャは答えた。

「そうだ、ジェーリャでいい。一ヶ月間よろしく頼むぞ」

 ジェーリャは敬礼を返し、そしてサーシャの手を嬉しそうに強く握った。

「ようこそ、アタッカーウィッチーズへ」

 

 丸太小屋の中は思ったよりも広く、遠くウラルから吹いてくる乾いた風の代わりに真ん中で湧いているサモワールからの程よい湿気が満ちている。ここはウィッチの待機所としても使用されているのだろうか、そこら中に普段遣いの雑貨や外套が散らばり、椅子はあっちを向いたり、こっちを向いたり、倒れたりしている。

「すまないが、皆今日は他の任務に出払っていてな……とりあえず、パンと塩、もしくは紅茶でも」

「なら、紅茶を頂きましょうか」

 お客を迎えるには少し残念な一日かもしれないが、サーシャとしては嬉しくはなくても、少なくとも想定の範囲内だった。喜び勇んで送り出されたい気分でもなかったのだから、熱烈に歓迎されたい気分にもならなかった。他のウィッチになら、今日の夜か明日紹介してもらえるのかもしれないし。そう思いながら、ゆったりと腰掛けて紅茶を啜る。

 一方のジェーリャは、ムートンジャケットを脱いで椅子にかけ、そこにどっかと座る。露わになったのは打撃師団*3の、これまた真っ黒で白い縁取りが縫い付けられたルバーシカ*4だ。左腕に縫い付けられた部隊パッチまで、全くそのままの。サーシャにとっては馴染みの服装だ。幼い頃、どこにでも貼ってあった「陸軍に入隊して祖国の先鋭に!」というポスターには、必ず描かれていた黒服の兵士、そのままの格好だからだ。彼女も、ジェーリャも陸軍航空隊の所属なのに、なぜ彼女は打撃師団の軍服を着ているのだろう?そう考えているうちに、ジェーリャが口火を切った。

「とりあえず、私が戦闘隊長だが……隊長はカールスラント空軍のデルフェル中佐、今日は事務手続きのためにペテルブルグに出向いている。それから上空前線航空統制官のドーリン少佐――彼女は地上部隊との打ち合わせ中だ。それからオラーシャ軍のエメリャネンコ中尉、ビゲルディノフ少尉、ベレゴボイ少尉、カールスラント空軍のボイス曹長、それからオストマルク軍のランゲ大尉がいるんだが、この五人は攻撃訓練中だ。私含めて八人。これがアタッカーウィッチーズの全員だな」

「思ったより……いますね」

 とっさに『少ないですね』と言おうとしたのを飲み込み、せめてものお世辞で取り繕った。同時に、もうちょっとなにか言いようがあったわね、と思いながら、頭のシロクマ耳が出る辺りを掻いた。

君のところ(五〇二)よりは少ないよ。ついでに言うと、『アタッカーウィッチーズ』というのもまだ非公式の通称だ。何かの形で、公式になればいいと思っているけれども」

 多分ジェーリャ少佐は自分の派遣が部隊の地位を高めるきっかけになるように、と願っているんだ――サーシャはそう悟った。いろいろな方面から期待をかけられるのは、程々なら嬉しいが、多すぎると負担に感じられて仕方がない。強いて言えば、ラル隊長から何も頼まれごとをされていないのが、救いであるが。しかしこの一ヶ月間、サーシャのやることは地上攻撃中の上空援護と、ジューコフ元帥に提出するレポートの作成だからきっと気楽だろう。しばらく骨休めのつもりで……と、考えていたその時だった。

「しかし今日は出撃の予定は特にないし……そこでだ」

 サーシャは自分の耳が、ぴんとなるのを感じた。なぜか? 最後の四文字が、なぜかものすごく嫌な予感を掻き立てるからだ。しかも『うわっ』と言いたくなるほどに。そして、彼女は、それを聞いたことがある。だいたい、一週間前に。

「上空援護ばかりだと感覚もつかめないだろう。イリューヒンIl-2を履いたことは?」

「……まだありません、スペックは知っていますが」

「どうだ、これからひとっ飛びしてみるっていうのは」

 どうやら、骨休めというのは幻想に過ぎなかったようである。ひょっとしたら、五〇二に配属されてからこのかた、そんなものは一度たりともなかったかもしれない。それは今、一時的に離れても変わりはしないようだ。

 

同日 クレチェヴィツィ空軍基地 格納庫内 〇八三〇

 

 この部隊でオラーシャウィッチが使用しているイリューヒンIl-2は、地上ネウロイを空から攻撃するための『地上攻撃機(シュトゥルモヴィーク)』に分類されるストライカーだ。これまでに生産された数は飛行機型、ストライカー型を累計して三万六千機。二位のメッサーシャルフBf109を二千機引き離して、堂々の世界生産数第一位を誇っている。因みに、大量生産発祥の地であるリベリオンのP-51はわずかに一万五千機と、意外に少ない。

 さまざまなストライカーのカタログスペックを把握しているサーシャに、今更この量産記録について説明するというのは卵に鶏を教えるようなもの*5だが、ジェーリャに連れられてきた格納庫で、サーシャは改めてその数に驚くことになった。ここにあるストライカーはIl-2と、MiG i225の二機のはずなのだが……。

「よ、予備機がある!?」

 サーシャは驚きのあまり――いや感動と言っていいかもしれない、ついそう口に出してしまった。しかも一機だけではない、二機も格納庫の隅に、一切マーキングされていないIl-2が立て掛けてある。五〇二では、機種が多すぎ、しかも予算が限られていて導入できなかった予備のストライカーが、ここには二機もある。これも量産の成果なのだろうか。皇帝陛下がセルゲイ・イリューヒン直々に『帝国軍には黒パンや空気以上にIl-2が必要なのだ』と言って量産させた、という噂まで広がっているほどだが、これは真偽定かでない。

 驚くべきなのは数だけではない。敵、特に装甲を持ったネウロイに対する有効性から、この機体は『空中装甲歩兵』とまで言われているのだ。その特徴はまず『重装甲』なところにある。

 サーシャにとってはその特徴に、かねてから興味を持っていた。重装甲と言ってもどれくらいなのだろう、と。そう考えながら、彼女は立て掛けられた予備機の表面をまじまじと眺める。素材は何?留める手段は溶接、それともリベット? いろいろと考えていると、ジェーリャがやってきて表面をコツコツ、と叩いた。高張力鋼板独特の、鈍い音だ。

「この足の付根の部分、ここは6ミリメートルだ」

 そしてさらに、先の部分を叩く。

「ここがエンジンの入っている部分。装甲厚は4ミリメートル、素材には魔力強化高張力鋼を使っている。薄いと思うかもしれないが、胴体自体が流線型だからそれでも攻撃を弾くことができる。銃弾、爆発の破片は言うまでもない、場合によっては細いビームを弾くこともあるくらいだ」

 立て板に水で、あちこちを叩いたり、指差したりしながらジェーリャはIl-2の装甲について説明した。一方サーシャは、真剣な面持ちでそれに聞き入った。いつも触れているのとは違うメカニクスの話を聞くのはなんとも新鮮な気持ちだ。実は、彼女の関心は航空機だけにとどまらない。詳しく話してくれるならば、銃や大砲にも、あるいは自動車や機関車にだって、興味を抱くだろう。そして、このメカニクスについて尋ねる中で、さらに尋ねたいことが増えていく。

「ビームまで、弾くんですか。しかし、私達ウィッチはシールドを張れるのにどうして物理装甲が必要なんですか?」

「シールドは一方向に、平面的にしか張れない。側面を突かれると弱くなるからな。それに備えるのが、物理装甲だ」

 ジェーリャはそう言うと、信頼を示すかのように、機体をひと撫でしたのだった。

 

 次に、Il-2の特徴は『重武装』であるところだ。23ミリメートル VYa-23機関砲ポッドを基本として、37ミリメートル NS-37機関砲ポッド、手のひらサイズのものから両手で抱えるものまで各種の爆弾とその投下器具、対装甲ロケットを発射できる多連装ロケットランチャー、などさまざまな重い武装を持つ事ができる、少なくとも、それだけ力が強化されるということだ。

「ジェーリャ少佐、これって実戦じゃないですよね?」

 さて、サーシャは一連の説明を受け、いよいよ体験飛行ということで魔力を解放、そしてIl-2を履く。しかし、予想だにしないことに彼女の分の機関砲、それからしっかり小型爆弾十発が取り付けられた箱型の投下器具まで用意されており、すっかり面食らった。持ってみると、使い魔であるシロクマの助けがあっても非常に重い。通常飛行時は機関砲を背中に背負い、ショルダーバッグのように左肩から爆弾の投下器具を提げるのだが、そんなにあれこれ持っていては操縦性能に響いてしまうのではないだろうか? それに、空力も大きく損ないそうだ……。

「もちろん、ただ飛ぶだけだが」

 サーシャが、だったらこんな重たい爆弾とか機関砲は必要ないですよね、と抗議しようとしたとき、隙なく答えが帰ってきた。簡明かつ、少し理不尽な。

「シュトゥルモヴィークで飛ぶ感覚を掴みたいんだろ? だったら、装備を持って飛んだほうが得られるものも多いはずだ。大丈夫だ、すぐ慣れる!」

 そう答え、そして「行くぞ」と一言、ジェーリャはミクーリン・エンジンの軽やかな音を響かせ、タキシングを開始する。ツンドラオオカミの尾が朝の風になびき、速度が上がっていく。

「待ってくださいよ、少佐~~!!」

 一方サーシャは、その後ろでオラーシャのトップエースとは言い難い悲鳴を挙げるのだった。

 

 時はまさに3月。太陽はより高く登り始め、小川の水音も少しずつ聞こえ始める頃だ。ウラルからの寒い風は、まもなく和らいでいくことだろう。このうららかな日の、サーシャと少し変わった地上攻撃ウィッチとの出会いは、まだ始まったばかりなのである。

*1
オラーシャのことわざで『泣いたところで誰も助けてはくれないものだ』という意味。地域によっては『モスクワは涙を信じない』と続く。

*2
べケーシャ(Bekesha)とも。史実では帝政時代に騎兵の間で冬用防寒着に使用されていた。

*3
創設者の名を取って『コルニーロフ師団』とも。原語ではUdarnaya Diviziya と呼ばれ、未だに定まった和訳はないが、同じ単語を使う『打撃軍(Udarnaya Armiya)』の和訳に準じてここでは『打撃師団』と訳した。

*4
Rubashka。ブラウスないしスモック風のプルオーバータイプのシャツ・上着で、オラーシャの民族衣装だったが近代からは軍服としても採用されている。サーシャも黒いジャケットの下に青いルバーシカを着用している。

*5
オラーシャのことわざで『自分より優れた人間に教えるな』という意味。釈迦に説法。


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