「あと二周! フォーム乱れてるよ! 頑張って!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛!」
夕焼け空の下、練習用コースには騒がしく並走する二つの影があった。
一人は現役としてトレーニング中のウマ娘、もう一人はトレーナーとして付き添うウマ娘だ。
「トレーナートレーナー! もう限界! もう限界だって!?」
「大丈夫大丈夫。フォーム崩さないのが一番速くなってて楽にもなるんだから。それを自然体で出来るようになれば平気になるって」
「でも〜!」
「それに走りながら喋れてるうちはまだまだ余裕だよね? もう三周いっとく?」
「謹んでお断りしますッ!!」
「なら最後まで頑張る。ほら、言ってる間に残り一周。最後は残り四百でラストスパートいくよ!」
「ハィィヒー!?」
適時その場で走りながらフォームの乱れを指摘されつつ、なんとかゴール板を越えた現役ウマ娘はその場に倒れ込みそうになるが、
「おっと。駄目だよすぐに止まっちゃ。クールダウンしてからじゃないと身体に悪いよ?」
自身のトレーナーに支えられ、息を整えながら歩き出す。
「はいこれ」
差し出されたスポーツドリンクを受け取り、喉を鳴らしながら飲み干した。
「プハァ! ハァハァ……。ありがとう、ございます」
「どういたしまして。よく頑張ったね。最初の頃と比べたら見違えるようね」
褒められた現役ウマ娘はまだちゃんと返す余裕がないのか、コクコクと頭を上下に降る。
「私が同じ時期に走ってた頃と比べれば大分マシだよ。この分で行けばその内GⅠに出しても良いかもね」
「じ、GⅠ!? え、アタシが? 本気で言ってます?」
「勿論。あなたには可能性がある。少なくも私はそう思っているよ」
ええ〜、ホントかなぁ? と懐疑的な目をトレーナーに向ける現役ウマ娘。
自分のトレーナーは過去、トゥインクルシリーズを駆け抜けたとはいえ、既に第一線からは身を引いている。それなのに現役である自分が追い付けていないのは今しがた終えたトレーニングの様子からもよく分かる。
そんな自分がGⅠ? どんな冗談なのだろう? と思う現役ウマ娘であった。
……そりゃ、出れるならアタシだって出たいけどさ。
少なくとも、今の実力では出走すら出来ないのは分かる。
なにせ、一年間選抜レースに出てもスカウトの声を掛けてもらえない。
デビューしても勝てず、今はまだ力を蓄える時期だったとトレーナーに頭を下げさせる始末。
今はもう未勝利戦も何とか勝ててそれなりの戦績ではあるが、逆を言えばそれなり止まり。
そんな自分がGⅠ、それは夢のまた夢にしか思えなかった。
「トレーナー」
「うん? どうしたの」
なので、ストレッチを手伝ってもらいながら、現役ウマ娘は聞いてみた。
「どうしてアタシがGⅠに出られるって思うの?」
と。
それに対し、トレーナーは少しだけ懐かしむような顔をして答えた。
「……昔、あなたより酷い境遇と成績の子がいてね。その子と比べたら全然チャンスはあると思っちゃうのよ」
「それって、トレーナーの事?」
「さあ、どうかしらねぇ」
「えー? そこまで言ったんなら最後まで教えてよ!?」
「ははは、いつかちゃんとGⅠに出られたら教えてあげる」
「もう〜!」
それはいつかの誰かが望んだ風景。
それをまだ、現役ウマ娘が知る事はなかった。
とあるGⅠレース後。レース場から近いの総合病院の一室に、二人のウマ娘がいた。
一人は患者として。もう一人はその付き添いとして。
患者である現役ウマ娘はベッドで眠っている。そして付き添いの担当トレーナーは寝ているウマ娘の手を握っていた。
トレーナーは祈るように目を閉じていて、微動だにしない。
静寂。
しかしそれは心休まるような優しいものではなかった。
緊張や焦燥、そういったものが漂う雰囲気だった。
そしてこの病室に来て幾らかの時が過ぎた後、ゆっくりと現役ウマ娘は目を覚ました。
「ん、……あ、おはようトレーナー」
若干寝ぼけながらではあるが、いつもの調子で現役ウマ娘は自身のトレーナーに声を掛けた。
「もう! バカ! 心配したんだから!」
「あ、ハハハ……。ごめんなさい」
一瞬なんの事かと思うがすぐに思い出した。
レース中に転倒事故が起きたのだ。
最終コーナーを曲がる最中、目の前を走るウマ娘が自分の速度に耐えきれずバランスを崩したのだ。
速度が乗っていて、何人ものウマ娘がポジション争いを繰り広げる中、前の方で走るウマ娘が転倒したらどうなるか。後ろを走る者達を巻き込んでの大惨事である。
血の気が引いた。それこそ自分だけではなく、周りでその光景を目撃したウマ娘達も同様だ。
その中で、事故を防ぐ為、否、なにもかもを考える前に、現役ウマ娘の身体は動いた。
遠心力で外側に倒れそうなウマ娘の横にまで加速。姿勢を低くして下から身体全体で、半分持ち上げるにようにして支える。
「そのまま走って!!」
転倒はもとより、急な減速すら密集しているこの状況では危険だ。
なのでこのまま走り続けてもらうのが最善だ。
簡潔な指示が良かった――咄嗟にそれ以上言葉が出なかったのもある――のか、倒れそうだったウマ娘はなんとか体勢を持ち直しレースに復帰した。
だが、その代わりとでも言うように、無理な姿勢の所為で今度は現役ウマ娘が堪えきれずに転倒し、コース外側に転がっていった。
「あー、皆無事でした?」
「ええ、最初に倒れそうだった子も含めて皆無事よ。後ろの子達も間や横を縫って回避。結局怪我したのはあなただけよ」
「は〜〜、良かった」
「あのね、軽症だったから良かったものの、下手したら大怪我だったのは分かってる?」
「……はい。承知して、おります」
トレーナーの目が笑っていないのを見て、あ、これガチの奴だ、と察する現役ウマ娘。
実際、時速六十キロを超えるスピードで投げ出されて、全身打ち身と擦過傷で済んだのは僥倖だったという以外何物でもない。
その事実を改めて実感した彼女は、若干青ざめつつ、身体を震わせるのであった。
そんな現役ウマ娘の様子を見て、一応反省しているだろうと判断したトレーナーは、
「ま、これ以上言っても仕方無いか。なんにしても無事で良かったわ」
と、納得して話を締めるのであった。
その後、医者がやってきたので軽い検査をして貰い、念の為に今晩だけ検査入院という事になった。
検査中、トレーナーはといえば関係各所に連絡を入れ忙しそうにしていた。
そうして色々雑事を終わらせて暫く。
「ねえねえトレーナー、そういえば覚えてる?」
「なんの事?」
「ほら、GⅠに出れたらアタシより境遇と戦績が悪かった子の話をしてくれるっていうの」
「…………? あ、ああ! その話? よく覚えていたわね」
トレーナーは暫く考える素振りをした後、
「その話はまた今度、退院して落ち着いた後にしましょ。すぐに済む話でもないしね」
「えー? でも仕方ないか。もうすぐ面会時間も終わっちゃうし。でも今度必ず話してね!」
「ええ、必ず」
翌日、トレセン学園に戻った二人は、学園側に報告や諸々の雑務処理にレースの反省会、更に転倒しかけた子とそのトレーナーの謝罪への対応等で忙殺された。
なので漸く時間が取れたのは更に一日経過してからの事だった。
現役ウマ娘は既に興味津々で、今かいまか今かと待ちきれず尻尾を激しく振っていた。
その様子にトレーナーも思わず苦笑し、
「……なにから話したものかしらね。あまり面白くないわよ?」
「良いんです。それでも聞きたいんです」
と、語り始めるのはトレーナーが学園の生徒として、そしてアスリートとして歩んだ三年間の思い出だ。
流石に当時の担当トレーナーの暴言等、伏せるべき事は伏せて大体のところを彼女は語ってくれた。
話が進むにつれ、現役ウマ娘の目から光が失われていき、尻尾の揺れも徐々に収まり、耳も力無く垂れて、全身で萎えているのを表していた。
そうしてトレーナーの話を聞き終えて、内容を咀嚼し、考えて最初に出たのが、
「え、じゃあ三年間一度も指導してもらえなかったんですか?」
という当然の質問である。
「そういう事になるわね」
「ソイツちょっとぶっ飛ばしにいきますねアタシ」
「どうどう、落ち着いて」
現役ウマ娘はトレーナーのトレーナーに対し憤るが、当の本人がそれを嗜めた。
「どうして止めるのトレーナー! ソイツの所為で!」
「そうやって騒ぐから止めるし、他の人にも言わないの。名義を貸してくれただけで御の字だったしね。それに昔の事だし、一応私達の間では終わった事になっているのよ」
「でも!」
「でもじゃありませーん。それ以上は私も怒るよ?」
「うぅ……」
そう言われたら、当時なんの関わりの無かった身としては、押し黙るしか無かった。
「そんな顔しないで。自分で考えて鍛えるのは充足感があって楽しかったし、辛い事ばかりでもなかったのよ」
「え?」
「そうねえ……。例えば、私がトレーナーを目指す切っ掛けがあったのもその時期だし」
「おお!? なにそれ聞きたい!」
数秒前とは打って変わり、思わぬ話題に現役ウマ娘は飛びついた。
大好きなトレーナーがその道を目指す事になった原点。それを聞けるのだから興奮しない訳がなかったのだ。
「半分は今言ったように、考えて鍛えるのが楽しかったから。自分でトレーニングメニューを作るのも良い刺激になるわよ? 今度やってみましょ」
「ええー、いいよそんなの。折角その道のプロがいるんだからお任せします」
「そんな事言ってもさせますからね。要は意識して鍛える事によって……」
「トレーナー、ストップ! いきなり話が逸れてるから!」
「……まあ良いでしょう。それでもう一つというのが、後輩の面倒を見た事があってね」
「後輩?」
「そ。当時私がまだクラシックて走っていた頃かしら。偶々図書室でその子が課題相手に頭を抱えていたのを助けたのが切っ掛けでね。とても感謝されて、その後も度々勉強や走りを暇な時に見てあげたのよ」
楽しい思い出を懐かしむように、トレーナーは言葉を紡ぐ。
「そうしたらすぐに懐かれちゃってねぇ。学生時代は地元の親友を除けばあの子が一番仲が良かったかな……。その時期の経験がこの道を進む切っ掛けに……、ってどうしたのそんなやらかした、みたいな顔をして?」
「いや、その……、その人に投げキッスとかしませんでした?」
瞬間、トレーナーの耳と尻尾が跳ね上がった。
「な、なんでそれを!? ……もしかして知り合い?」
「知っているも何も、それ、姉です」
「え゛」
目に見えて動揺するトレーナー。
「ああ、やっぱりか。これはアタシも悪いな……。前にアタシに姉がいるというのは言ってましたよね?」
「ええ、聞いてるわ。歳が離れてて姉妹で私を応援してくれてたとか」
「名前、教えてましたっけ?」
「そういえば聞いてないわね。え、でも本当?」
頷く現役ウマ娘。論より証拠とばかりに、自分のウマホ内にある、姉から貰ったトレーナー(当時)の投げキッス画像を見せた。
「なんであなたがこれを持っているの!?」
青ざめながら叫ぶ人って初めて見たなぁ、と現役ウマ娘は感慨にふけた。
「一応、絶対に公開するなと念押しはされてますので……」
青い顔から羞恥心で赤くなったトレーナーの顔を見て、現役ウマ娘は信号機みたいだな、と思った。
……あっ、顔を両手で覆って、ゆっくり床に倒れて縮こまっちゃった。かわいそー。
その後、復活したトレーナーが現役ウマ娘の姉であり自分の元後輩に、クレームの電話を入れたのは言うまでも無い。
後輩ちゃん「動画もあるよ!」