「―――――そうか」
分かってはいた。
王として、選ぶべきもの、切り捨てるべきものがあるのだと。
ただ愛する者と添い遂げたいという想いが、子を、そして妻をも苦しめてしまうかもしれないと、分かっていながら選んだ。
王とは、血筋によって成る。
その理由は単純で、魔法が遺伝するからである。一人に一つだけ与えられる魔法、それが強いものが貴族となり国を興した。
そして古より時間をかけて練磨され続けた魔法は、人間の生活圏を広げ、魔獣を駆逐し、大陸の多くの地域を人々が行き交うようになった。同時に貴族の魔法は強力になり、かつて火を起こす程度だった魔法が今では山を吹き飛ばす程にもなっている。
だから、血を練磨することは貴族の義務である。
よりよい魔法を、より強い魔法を。それを以て国を守護することこそが貴族の、その頂点に立つ王に求められるもの。
だが。
どうしても手放したくなかった。
自分を癒やし、諭してくれた女性を。
側妃などに押し込めたくなかった。
半平民などと揶揄される男爵令嬢を正妻とする。臣下の大反対を押しのけ、その正しさを証明するべく必死に働いてきた。
その結果が、就任前と比べてもそれなりに豊かになりつつある自国と。妻の男爵令嬢らしい『触れた相手を治癒する魔法』を明確に引き継いだ長男の『己を治癒する魔法』であった。
弱い魔法では国は守れない。内憂外患を誘発し、臣下も国民も納得はしないだろう。
まだ王が若いために時間はあるが、長男を後継者候補から外すしかない。二つ年下の次男も駄目ならば、側妃を娶るしかない。
「私は――――結局、何の罪もない息子と妻に負債を押し付けねばならんのか」
長男は、物覚えも良く将来を嘱望されていた。
大体の子どもが魔法を使えるようになる10歳を過ぎても魔法がなかなか発現しないこと、そして妻の血筋が不安視こそされていたが、書に優れ、剣を振るい、魔法さえマトモなら一廉の王になるだろうと言われていた。今では、過去の話だが。
「いかが致しますか。四大公爵のうちアグリアを除く三家には年頃の娘もおりますが……」
言いにくそうに切り出すのは、先代から仕える宰相であり―――国のため、確実性を取るのなら側妃を娶れという催促だった。あるいは彼からでなければ、こんな状況でなければ、激怒していたかもしれない。
かつて竜の血を受けたとされる王家の者、その王家の血を分けた高位貴族は不思議と愛が重い、というか配偶者を殊更大切にする傾向があった。王に言わせれば歴代の王より自分の方が妻を愛している、と大声で宣言するが。
「………まだ、決まったわけではあるまい」
「遅ければ遅いほどに、傷は深くなります」
「だが、傷など無いに越したことはない」
「分の悪い賭けですな。………では、あらかじめ条件を決めておきましょう」
この王のことである、念書でも書いておかなければあれやこれやと理由をつけて後回しにしかねない。三度目の出産からは子の魔力が減衰する傾向があることから、王に近い魔法が遺伝するまで王妃と子作りするのも現実的ではない。
「レオン殿下の魔法が王に相応しいものでなかったのなら―――側妃を娶っていただきます」
「……ぐぬぬ」
「嫌そうなお顔をされようとも、これ以上はどうにもなりませんぞ。むしろ、臣下からは今すぐ娶れとせっつかれるでしょうに――――理はあちらにあるのですぞ?」
「…………ぐぬぬぬぬぬ」
今にも駄々をこねそうな王に、冷たい視線を向ける宰相だが事実としてかなり譲歩している、というか王のために臣下を説得するつもりであるので王も何も言えず。
がっくりと項垂れた王は、ぽつりと呟いた。
「……私は、情けない父だな」
「…………陛下」
「根拠もなく、愛さえあればなんとかなると、してみせると思っていたのだ。だが、愛する妻の血を引く息子に王位を渡せず、王族でありながら男爵並の魔法しか使えぬあの子は苦しむだろう」
貴族社会というのは、暗闘が絶えない魔窟であり厳格な血統社会だ。
あるいは先祖返りでその子どもであれば王に近しい魔法を発現するかもしれない息子だが、それでも上位貴族には敬遠されるだろう。かといって下級貴族にも相応しくない。
魔法も、人も、権力も与えることができない。
なら、何をしてやれるのだろう。
「………せめて。あの子が望むものがあれば」
――――――――――――――――――
―――――俺は恵まれている。
十年来の平穏を謳歌し、繁栄するラグノリア王国に生まれ、賢王と讃えられる父、優しい母、可愛い弟がいる。
平民のように日々の糧に悩まされることはなく、他国のように戦に怯えることもなく、不作もここ数年は起こっていない。
――――――俺は恵まれている。
剣も、勉学も、努力しただけの力が身についた。
そして何より、努力するだけの環境と余裕があった。
――――――――俺は、恵まれていた。
例え、母の血筋を蔑む奴がいても。俺が努力して、“王の素質”とやらを見せてやれば黙らせることができた。
騎士の家系にも勝る剣技を、文官の家系にも劣らぬ知識を。
誰よりも努力すれば、誰にも負けはしないのだと。
無邪気にそう信じていた。
ある日、剣の修練中に怪我をした。
それなりに大きな怪我であり――――だが、止血しているうちに塞がった。
母の回復魔法を見ていたのだがら、すぐに分かる。回復系統の魔法が発現している。
これがもし仮に、高位貴族らしく周囲の人間も回復できるのならば何の問題もなかった。が、回復できるのは自分だけ。
爵位が大きいほどより広範囲に作用する魔法が求められる貴族としては最低限の、それこそ母の出身である男爵家並の魔法だった。
それまで周囲にいた人間は、皆居なくなった。
分かっている、つもりだった。
俺が時期国王候補だから、取り入ろうとする人間がいる。それが男爵家並の魔法だなんて良い笑い話だろう。絶対に後継者には、王にはなりえない。
一気に静かになった周囲に、聞こえるのは哀れみの声くらいだ。
『ああ、お可哀想に。だから、男爵家の血筋なんて相応しくないと言ったのに』
『魔法さえマトモなら、立派な王になられたでしょうに』
『まあ、これでこんどはちゃんとした令嬢が選ばれるだろう』
―――――俺は。
俺が、王に相応しい魔法を受け継げていれば。
母さんを苦しめることもなかったのだろう。
母さんは臥せっていることが増えた。隠れて泣いていることも。
父さんは申し訳無さそうにしながら「好きなようにしていい」と言うが、なまじ王になろうと努力していたせいで趣味も何もない。剣の師匠に頼んで本格的に修行を受けてみたりもしたが、結局のところ王の息子という血筋があるために迂闊に戦場に出ることも、旅をすることも望ましくない。それが分かる程度には政治を学んでいる。
俺は、どうすればいいんだろう。
剣で身を立てることはできない。
勉学で身を立てるには、血筋が邪魔をする。あまりにも弱い魔法と、王族という国で一番の血筋という不一致は国内の貴族のパワーバランス的にも腫れ物扱いだろう。
何もできない。
俺は、俺が学んできたことは何の役にも立ちはしない。
何もしなければいい。何も。邪魔にならないように、ただ息を潜めて。教会にでも入って、祈りを捧げる。そんなところが似合いだろう。
『不貞の子だから魔法が弱いのではないか』
『王を誑かしただけあって、見目だけは悪くない』
『なぜ新しい王妃を、側室でもいいのに娶らないのか』
優しい母さんなんだ。
いつも穏やかで、怒ると怖いけれど。
父さんのために必死になってマナーを学んで、相応しくなろうと努力したのだとメイド長が言っていた。
父さんも、母さんのために必死に王としての器量を示そうと戦場でも政治でも活躍したと、普段は厳格な執事が誇らしそうに言っていた。
―――――俺は、どうすればいいんだ。
何もできない。
国のために貴族が、王がいるのだから相応しくない者は王になるべきではない。
勉学にも剣技にも身が入らず、それでも良いと休みを与えられて。
何にもなれない俺は、何を目指せばいい。
俺は、何のために―――――。
――――――――――――――――――――――――
風の強い日だった。
雲が川のように流れていき、木々の揺れる音が耳に響く。
誰もいない王城の庭の隅で、空を眺めていた。
あるいは自害でもすれば悩むこともないのかもしれないが、そんなことをすれば母さんはより一層自分を責めるだろう。
何も望まれない。
何もできはしない。
なら、何をすればいい。
何のために頑張ればいい。何ならしてもいい。何を、していればいいんだ。
「俺は、どうすればいいんだ」
思わず溢れた弱音に、自嘲の笑みを浮かべる。
王に相応しくなろうと、弱音を見せないように生きてきた。けれど王になれなくなったら、このザマだ。結局のところ、王の器ではなかったのか―――。
「こんにちは」
穏やかな声がした。
鈴でも鳴らしたような、ひどく綺麗な声だった。
陽の光を浴びて輝く色素の薄い髪に、宝石のように輝く瞳。
小柄な、とはいえ自分よりは幾らか年上なのだろう少女は見覚えのない意匠の礼服を纏い、こちらを見下ろしていて。
「………弟のレオンなら此処には居ないぞ」
「いいえ。ただ、元気がなさそうだったので」
元気?
こんな状態で元気があるなら、それこそ器だけは王様級かただの底抜けの馬鹿だろう。
高い魔力で薄く輝く瞳。明らかに高位貴族だろう少女の目的を考えようとして、馬鹿らしくなる。
「悪いが、他人に構う余裕がない。放っておいてくれ」
「そうですか」
もしかしたら、善意だったかもしれない。
だが、こんな出来損ないの王子に構って何の得がある。善人なら相手が傷つき、悪人なら俺が傷つく。
黙って目をつぶると、少女はどこかにいなくなり。ほんのわずかな寂しさと感傷とともに、ただ流れていく雲を眺めて――――。
「――――というわけで、アップルパイを焼きました」
「は」
湯気の出るアップルパイを皿に載せて、無駄に笑顔で少女は戻ってきた。
それを胡乱な目で見返すが、なぜか少女は嬉しそうにしたまま、「どうぞ」と皿を差し出してくる。ご丁寧にフォークも添えて。
「……放っておいてくれと言ったはずだが?」
「私、そうですかとしか言っていません」
にこにこと、こちらの無愛想な態度など気にも留めていないのか堂々とした態度に何故か納得させられそうになる。いやまあ、仮にも王族に対してこんな態度を取って許される令嬢がいるのかというと果てしなく疑問だが。とはいえ自分はこのザマなので王族失格な自覚はあるし。悪意で貶してくるのならまだしも、これでは怒る気にもならない。
「悪いが、何が入ってるか分からないものは―――」
「リンゴですが?」
ご丁寧に自分で一切れ食べて見せた少女は、毒が入っていないことを証明し。そのまま違う一切れを押し付けてきた。
「はい、あーん」
「………お前、強引すぎないか」
すると、少女はどこか懐かしむように目を細め――――とても幸せそうに笑った。透き通るような、綺麗な笑みだった。
「時には、その方が良いことを知っていますから」
「………なんだそれ」
思わず見惚れてしまったのを誤魔化すように目をそらして。そうしている間にほとんど口元に押し付けられたフォークからは無駄にいい匂いがする。どうせ王もなれないのだし、毒ならある程度魔法が効くだろうと半ばヤケクソで口に運び――――。
サクサクとしたパイ生地に、中はふんわりと。甘いシロップで仕上げたリンゴが口の中に染み渡る。出来たてだったのか、熱くて少し火傷しかけたが。
「………うまい」
つい呟いてから、なんとなく負けたような気がして悔しくなり。
花が咲いたように、本当に嬉しそうに微笑む少女にそんな気持ちも吹き飛ばされた。
「本当ですか! 良かった、自信作なんです。でも、その……まだ、食べてもらったことが無かったので」
本当は、ちょっとだけ心配でした。なんて言いながら本当に嬉しそうな少女は、先程までの令嬢らしい毅然とした雰囲気から一転してただの少女のようで。
「そうかよ。良かったな、多分大体の奴は喜ぶだろ」
「?」
「だから、味の感想が聞きたかったんだろう?」
それでこんなところで転がってる暇人に食わせてみたんだろう。
そうでもなければ、こんな役に立たない、政治的爆弾になんて関わっても仕方がない。
そう思っていたのだが。
少女は割と不満そうな――――というか思い切りジト目で見つめてきた。
「私は、“貴方を”喜ばせたかったんです」
「はあ。それで、何の得があるんだ?」
弟でも紹介してほしいのか、と言いかけたが本気で不服そうな少女の圧に負けて口をつぐむ。そして少女はちょっと考えた後、自信アリげに言い放った。
「――――私が満足します」
「…………」
と、少女は「これは受け売りですが」と一言前置きしてから言った。
「『眼の前で辛気臭い顔をされてるより、笑顔の方が気分がいい。理由なんてそれだけでいい。笑顔にできるなら、報酬なんてそれだけでいい』」
「……そんなのができるのは、よっぽど恵まれた暇人くらいだろ」
綺麗事だ、と言外に切り捨てた。
少女は気分を害するかと思いきや、何か懐かしいものでも見るかのように笑みを浮かべて。
「そうですね、そして私は恵まれた暇人なのです」
怒るでもなく、不満そうにするでもなく。
ただ幸せそうな少女に言い返せる言葉もなく。
ただ、少し。その在り方が眩しく見えた。
「でも、人を笑顔にすることはすごいことですよ?」
「そうかよ」
もう何も言うまい。
不貞寝の構えを取ったところで、少女はちょっと拗ねたような声を出した。
「……ここは『俺もやってみようかな』というところでは?」
「なんでだよ。俺は――――」
そんなことをする暇はない、と言おうとして果てしなく暇をしていたことを思い出した。
が、澄まし顔でこちらを見ている少女に頷いてやるのは認めがたい。よって、無視することにした。
「……ところで、私のお父様ってどんな人だと思いますか?」
「はぁ?」
無視するには、あまりにも話題が唐突すぎた。
こんな変わり者、何の役にも立たない王子にアップルパイを焼く令嬢の父親なんだから、さぞ……お人好しな………。
「…………お前」
「令嬢の嗜み、です」
理由はどうあれ、助けられた側の印象は一つだ。
何の得もない――――そう、何の得もないはずだった。が、現に自分は今「話くらい聞いてやるか」という気分にさせられている。ついでに、コイツの父親とやらも悪人ではないのだろうと思ってしまった。
なら、俺もそれをやれば?
何の役にも立たない王子の母親と、人助けして回る変人王子の母親なら、印象はどう違う?
面倒極まりない上に、何の得もない。
うまくいくとも限らないし、失敗すれば逆に評判を下げかねない。
けれど、このまま腐っているよりは、まだ――――。
「――――まだ、礼は言わないからな」
「お礼なんて要りませんよ? ――――だって、私は」
何かを懐かしむように、少女は空を見上げながら何かをつぶやいて。
風に流されたその言葉を、俺は結局知ることはなかった。