本シリーズで以前に書いた短編(https://syosetu.org/novel/271719/39.html)と内容は同じですが、文字数制限に合わせて、かつ読み切りとしてわかりやすいように若干の調整を行ってあります!
6974文字です。
それは、冬のある日の事。
朝から家に業者の点検が入っていたので、私は寝室に引きこもって、魔法使いの
ヨルくんは、私だけに見える私専属の天使で、魔法使いの男の子。
人間界の小学校に通っていたんだけど、色々と馴染めなかったみたいで、今は少しお休みして私の家で一緒に暮らしている。
「ねえ。こんなところに、箱ってあったっけ」
ふと顔を上げた私は、ヨルくんに問いかけた。
私の隣で本を読んでいたヨルくんは、心当たりなさそうに、不思議そうな顔で首を振る。
ストーブがついているのに、なんとなく肌寒い。温度を少し上げてから、私は座敷部屋の襖の前に置いてある、暗い赤色の箱へ再び視線を投げた。
やはりある。幻覚ではないらしい。
「業者さんが、サキに置いていったとか……?」
「まさかぁ。今日はじめましてなのに?」
それにしても、襖を開けられたらいくらなんでも気付くはずだ。
部屋の外は、しんと静まり返っている。さきほど何度か廊下に顔を出してみたけど、工事道具がまだ床に置いてあったので、物を運ぶために出入りをしているだけで作業は終わっていないのだろう、と思っていたのだが。
「その時に、私が床に置いてあった箱を蹴飛ばしちゃったのかなあ」
箱には、リボンが掛かっているのが見える。
ぱっと見は、チョコレートの箱みたいだ。業者さんから誰かへの、贈り物だろうか。それとも、本当に顧客サービスでこの家に持って来たとか?
そう思って、何気なくそれを手に取った時だった。
「それ開けちゃダメッッッ!」
凄まじい制止の叫び声と共に、寝室のガラスが割れた。
夜羽くんと同じ魔法使いで、悪魔でもある双子の弟——
「え、え!? エリくん、今日はまだ学校じゃないの!?」
どういう状況?とポカンとしたのも一瞬の事だった。
ぎっ、と指が食い込みそうな力で手を掴まれて、痛みと寒気に息を飲んだ。頭のてっぺんから爪先まで、真っ黒な髪で覆われた女の子がいる。しかも、どっからどう見てもただの人間じゃなく——肌色も悪ければ目の剥き方もヤバい、いわゆる幽霊、みたいな。
「ぎゃああああああっ!?!?」
いわゆらなくても幽霊だそれは! とセルフツッコミを入れるより前に、私はその子から距離を取ろうとした。
だけど、できない。指が……女の子の爪の長い指が、箱ごと私の手の肉をぶっすり貫通している。痛みは感じない。ただ寒くて、体中の力が抜けるようで。
「このっ……!」
間に割って入ったヨルくんが、思いっきり私の体を掴んで後ろに引っ張った瞬間、ぶちっという音と共に青ざめるのがわかった。
それもそのはず、女の子の皺だらけの青い手が、私の手と持った箱に食い込んだまま、手首から千切れて引っ付いて来たからだ。どんなスプラッタホラーだよ。
女の子の乾いた唇が、長い髪の下で言葉を紡いだ。
「にがさない。受け取ったでしょう。ねえ。わたしとけいやくしてよ。ねえ。つれてって。つれてってつれてってつれてってつれてってつれてってつれてってつれてってつれてってつれてってつれてって」
壊れたテープのような言葉に後ずさる私を庇うように、夜羽くんと恵李朱くんが立ちはだかる。
けれど、二人ともすぐにすってんと転んでしまった。
真っ黒な海のようなものに飲まれて、その表情が見えなくなる。
(なに、これ……髪の毛?)
真昼間なのに、カーテンに閉ざされたみたいにして部屋が暗い。
髪の毛は、箱の隙間から次から次へと溢れてくる。もじゃもじゃの感触が気持ち悪い。
血と黒い藻のような毛が溢れる、赤い箱。蓋が、リボンを破ろうとするかのようにカタカタ揺れる。でも、なんとなくわかる。これ以上は絶対に開けちゃいけない。
開けようにも、女の手が指ごと私の手と箱を串刺しにしているせいで、びくともしないだろうけど。私は泣きそうになりながら、なんとか手と箱を分離しようと奮闘しつつ、二人の名前を呼んだ。
「ヨルくん! エリくん!」
その時。目を焼くような閃光がカッと部屋に走り、次の瞬間、私たちは黒色の呪縛から解放されていた。ぽいと私の手から離れた箱が、軽い音を立てて畳の上に放り出される。
畳の上で苦しそうに咳き込むヨルくんの肩を、私は思わず抱き抱えた。
「ヨルくん! ヨルくん、大丈夫……!?」
「うん……」
「あーあ……夜羽もおねーさんもぼーっとしてるから、変な奴からバレンタインチョコ受け取らないでねって言おうと思って自主早退して来たのに。まさかこんなに早くヤバそうな奴に絡まれてるなんてさ」
「自主早退って……けほっ……サボりでしょ……」
「そんだけ喋れる元気があるなら、大丈夫そうだな」
そう言って朱色のマントを払い除けた恵李朱くんが、前方に吹っ飛んだ箱を睨む。さっきの光は、恵李朱くんが出してくれたらしい。
暗闇は晴れたけれど、相変わらず女の幽霊はそこに立っていて、足元の箱から次々と、溢れる影のように髪の毛が這い出している。太い束のようになったそれが、にゅるりと私の足首を掴んで引き摺り出した。
「ムラサキ!」
慌ててヨルくんが私の体に縋ったけれど、子供の力でどうこうなるはずもなく、それどころか髪の毛はヨルくんの足腰までがっちり絡め取り、引き摺って行こうとする。まるで、養分を吸い取ろうとする蔦みたいに。
「何これえぇぇっ」
「くっそ、魔法陣を展開しようにもここじゃ狭すぎて……っ、やっぱりあの箱を何とかするしかないか」
どういう訳か一人だけ襲われていない恵李朱くんが、そう呟きながら、異様な空間と化した寝室内を見回し歯噛みするのが見えた。
ふと見つめ合った瞳が、不思議な色に輝く。
次の瞬間。見上げていた先にあった顔が消えたと思ったら、私は足元からずるずる引き摺られたその格好のまま、恵李朱くんに背後から押し倒されていた。
「え……っ」
「おねーさん。ごめんね。痛くないから、ちょっとだけ我慢してて」
化け物に食われるか食われないかという瀬戸際なのに、甘い声音が耳元で囁いている。ぞっとするくらい、優しい声。
「待って、このままじゃ二人とも……っ」
どうして押し倒されたのか全然分からないけど、このままじゃ全員髪の毛に飲まれてしまう。
絶対にマズい。
それなのに、首の後ろに当たる舌の柔らかい感触が、どうにも艶かしくて感情とちぐはぐだ。
畳や布団に手当たり次第爪を突き立てるのも虚しく、引き摺られて焦る私にはお構いなしに、恵李朱くんは優しく肩を押さえてふぅっと息を吸うと——がぶり、と私の首筋に噛み付いた。
背筋が震えるほど、甘い感触が走った。
恐怖や痛みではなく……この瞬間、私は化け物に襲われていることも、全員が絶体絶命のピンチにあることも忘れて、突然訪れた痺れそうな快感にぎゅっと掌を握り締めた。
「恵李朱、くん……?」
「大丈夫。起き上がらなくていい。ゆっくり息をして。……あとはボクがやる」
喉をこくりと鳴らしながら、立ち上がった恵李朱くんが手の甲で唇を拭う動作を見て、私は初めて吸血されていたことを知る。
起き上がろうにも、顔を上げるのも億劫なくらい、全身が熱くてじんじんする。倒れている私とヨルくんの前で、恵李朱くんは——ギラリと威嚇するように炎の色を宿した瞳を光らせ、どすっと太い毛の束を踏みつけた。
「おい化け物。二人を下品な手練手管で襲っておいて、ボクのことはシカトか? 同じ魔族だからって無視してんじゃねえよ」
私とヨルくんを襖の方へ引き摺る、髪の毛の動きが止まった。
うねうねと動く巨大な大木の根のような相手に、恵李朱くんは怯む気配もない。
妨害してくる対象と見たのか、その針のような切っ先が恵李朱くんの方へ全方位から集中する。けれど彼は、楽しそうに笑った。瞬き一つしない、興奮と憎悪にかっ開いた目で、口の端から炎を吐き出しながら。
「人の獲物に、勝手に手を出すな。——ボクの
ぼっ、ぼっ、と部屋の四方八方に明るい炎が灯る。
耳まで裂けたその口の、恐ろしい事といったら。
恐ろしいのに、火花が飛び散りそうなオレンジの瞳と、渦巻く炎に金の髪を煌めかせて好戦的に相手を凄むその姿が美しすぎて、思わず見惚れてしまった。
ぶわりと朱色のマントが威嚇するライオンの立髪のように広がり、針金みたいな幽霊の髪が四方八方から襲い掛かるのを跳ね返す。丸太ぐらいの束になった髪の毛が、食虫植物さながら牙のついた口をがっぱり開けると、恵李朱くんは迷わず口から炎を吐き出した。
サーカスの人がやるみたいな……それより遥かに高威力の火炎放射器並の炎が、ごうごう音を立て髪の毛を押し戻していく。最後に箱まで焼き尽くすと、化け物の成れの果ては焦げ臭い煙を上げながら、バチバチと音を立てて消えていった。
「す……すご……」
ようやく、私は畳から身を起こした。
魔法の炎だからか、全棟全焼しそうな炎だったのに、部屋には焦げ跡も何もない。私の隣でただ見ているしかなかったヨルくんは、髪の毛から自由になった体で、ぺたんと座りながら恵李朱くんを見上げていた。ぽかんとしたヨルくんと目が合った恵李朱くんが、呆れたように言う。
「なんだよ。夜羽も退治したかったの?」
その瞳は元のハシバミ色に戻っていて、すっかりいつもの恵李朱くんだった。
*****
その後、いつも通りの風景を取り戻したリビングで、私たちは恵李朱くんの話を聞いた。
「バレンタインデーは人間界から逆輸入されてきた文化だから、魔界ではこっちほど一般的じゃない。それを逆手に取って、この時期人間界で悪さしようとするヤツがいる。だから二人に気をつけてねって言おうとしたんだ」
あったかいお茶の前で、そわそわと身を揺すりながら恵李朱くんが言った。
じっとしているのがヨルくんほど得意じゃないみたいだ。
ふーふーマグカップを冷まして、ヨルくんが言う。
「悪さって、さっきみたいな?」
「そ。呪い菓子を家や路上に放置して、それを拾った奴とは契約してもいいっていう、妙なゲームが魔界で流行ってる。大概は低俗な魔族や死霊みたいな、手段を選ばない精力を吸い尽くしたいだけの奴らが、あわよくば精神で配り歩いてるから、受け取るとロクなことにならない」
「し、知らなかった……」
「ま、天界にはどうでもいいっていうか、縁のない情報だろうからね」
とりあえず無事でよかった、と淡々と言って、恵李朱くんはお茶を口に運ぶ。
かなりすごいというか命の危機を救ってくれたと思うんだけど、それを鼻にもかけない平然とした様子に、私とヨルくんは顔を見合わせた。そんな私たちを見て、まだピンときていないと勘違いしたのか、恵李朱くんが首を傾げる。
「人間界でも、恋愛成就のために血とか髪の毛をお菓子に入れるって話、聞いたことない?」
「あ、それはあるよ。典型的な呪いの手段だよね。一人かくれんぼだって、爪とか使うし」
「だからさっきの箱、中から髪の毛が出てきたのか」
他のものだったらどんなお化けだったんだろう……とヨルくんが寒そうに肩をさする。
確かに、あまり想像したくない。
ふと思い出して、私はため息をついた。
「呪い菓子……なんかそれ、
「なあに、それ」
「中華圏にある風習。
「どうして?」
「中に、死んだ人の写真とか髪の毛が入ってるのよ。拾うとどこからともなく、その
ぞわ、という表情でヨルくんが身を引いた。怖い話が苦手なヨルくんには、酷だったかもしれない。
かたや恵李朱くんは興味深そうな顔で、へえ、と相槌を打った。
「人間界にも、そういう風習残ってるんだ。でも、現代じゃそういうの、みんな信じないし廃れがちなんじゃないの?」
「そう思ったんだけど、大学の中に
迷信甚だしいように見えて、ガチで信じている人は一定層いるらしい。面白がった誰かの悪戯か、本気なのかわからないが、どちらにしろあまり関わり合いたくない話だ。
「まあ、今回はそれの魔界バージョンだったって感じね……」
「そうだね。
「でも、心配してこっちまで来てくれたんだよね。ありがと、エリくん」
おかげで、私も夜羽くんも命拾いした。
感謝されて何やらむず痒そうな顔をしている恵李朱くんの前で、改めてヨルくんと安堵の息を吐いているうちに、私はふと思い出す。
「……ん? ちょっと待って。恵李朱くん、そういえばさっき私の血、吸わなかった?」
「うん。人体の一部が強い力を持つのは本当だけど、それはこっちだって同じことだから」
「えっと……恵李朱くんは悪魔であって、吸血鬼じゃないよね」
「それ、地域とかによるけど、こっちの界隈ではあんまり境目がはっきりしてないんだ。悪魔の技能の一つに、吸血行為も入る。あくまで技能だから、できる奴もいるしできない奴もいる。主に吸血をアイデンティティとして、コミュニティを形成してる奴らを吸血鬼って呼んでる感じ」
「でも今まで恵李朱は、ボクやムラサキの血を吸った事なかったよね?」
ヨルくんの問い掛けに、恵李朱くんはこくりと頷いた。
「必要なかったから。あんたとボクがムラサキの傍にいたり、そもそも主従契約っていう臍の緒みたいな繋がりを持ってる時点で、普通に生きていくのに必要な精力は、十分補充できるでしょ。でも、さっきはいつもの魔力を総動員するだけじゃ足りないくらいの、緊急事態だったからね。契約主から直接貰う肉体は、普段吸い取る精力より何倍も力を秘めてるから。一時的に出すには十分な火力だったよ」
涼しそうな顔で言う恵李朱くんの説明を、へえ……とただ聞いているしかない私達。
でも、それだけじゃどうしてもわからなかったことを、私は思い切って聞いてみることにした。
「あの……恵李朱くん。どうしても、一個気になることがあるんだけど」
「何?」
「その……血を吸われた時に、気持ち良くなる人っている?」
おずおずと尋ねると、ヨルくんがびっくりした顔をする。そりゃそうだ。襲われてる時は、私の反応を伺ってる余裕なんてなかったもんね。
対する恵李朱くんは、こちらも驚いたようにぱちぱち目を瞬かせたけど、すぐに何故かにこにこの笑顔になった。
「なんだ。あの時何か聞こえた気がしたけど、おねーさん、ボクに血を吸われて気持ち良かったんだね。思わず声が出ちゃうくらい」
「いや、ちょ、その言い方は色々と誤解を」
「安心していいよ。魔族に吸血されて気持ちがいいのは、身体の相性バッチリっていう証拠だから」
「そうなの!?」
思わず私は大声を出してしまった。
夜羽くんや恵李朱くんは人外なので、外見と魂の年齢は一致しないのだけど、仮にも見た目が小学生に言わせていい言葉ではないような気がする。
ほら、ヨルくんなんかたちまち猫みたいな顔になって、こっちを睨んでるじゃない。
恵李朱くんはそんなヨルくんの目を気にするでもなく、人差し指を顎に当てながら、ぴかぴか瞳を光らせている。
「そっか〜、気持ちよかったんだ。道理でムラサキの血、美味しい味がすると思った。相性最高ってことは、吸血する側にも最高の味がするってことだからね。ボクだって悪魔なんだから血ぐらい飲んだことあるけど、今まで飲んできた中で一番美味しかったんだよ」
「そ、そう……? 嬉しいけど、そこ褒められて喜んでいいのかどうか……」
「思い出したら飲みたくなってきちゃった。ね、もう一回ちょうだい? 一口だけでいいから」
「え、ええっ?」
別に吸われた後で体調に異常はないし、血をあげるくらいいいけれど、あの醜態をもう一度晒すのは……と悩んでいたら。私が口を開くより早く、間髪入れぬ勢いで、夜羽くんが割り込みながら両手でバッテンを作った。
「ダメーーーーーーーーーーッ!!」
「なんで夜羽が返事するんだよ。ムラサキに聞いてるんだけど」
「ダメったらダメっ! そもそも、もう敵は倒したんだからこれ以上力を補充する必要ないだろ!」
「いーじゃん、減るもんじゃなし」
「減るのっ! サキが貧血になったらどーすんだよッ!」
「ならないよ。献血じゃあるまいし、ほんの一口もらえば十分だもん。ね?」
「 一口たりともダメ! 絶対にダメだからねっ!」
おやつやご飯を前にした時のように、うっとりした顔でじゅるじゅる涎を啜る恵李朱くんと、それをムキになって止めている夜羽くん。
……可愛い絵面だけど、要求されている内容はなかなかの気がする。
とりあえず折衷案でおやつのチョコレートを食べてもらうことにして、私は苦笑いで二人を宥めた。