それは3年の節目を終えたある日のこと

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社畜に精神を蝕まれ、もう筆は握れないと思っていたんだがな


天才の苦悩

「飯」

「遂に要求が一文字になったか⋯⋯」

 

 クーラーが効き過ぎた部屋。ソファで猫のように溶けているウマ娘が一人、不機嫌に言葉を漏らす。

 

「⋯⋯理数系に頭の容量吸われて、語彙力退化してないか?」

「これは進化だよ、トレーナー君。ほら、早くしたまえ。それとも言葉の意味が伝わっていなかったかい?」

「いやいや、充分すぎるくらいに伝わってますよ。それはもう何を要求されて、どういう状況かまで」

 

 昔は昼飯を早く作ってくれよーだとか、はやくーとか、言葉の端々に可愛げがあったのが最近は遂にこれだ。まるで長年連れ添い関係が冷え込んだ夫婦か何かの様に見えてしまう。

 

「まったく、世の中何かが出来るようになることを進化と言いたがるが、本当に頭の良いヒトやウマ娘なら全てをより簡単に、明快にしていくものさ。それを大体、頭の悪い人間ほど日常的に長々と文句を垂れて、儀式的な慣習を続けようとする」

「さては遠回しに馬鹿で話の長い老害とディスられてるな俺?」

「さあさあ、分かったなら今日も早く食事を作ってくれたまえ。今日はイマイチインスピレーションが湧かない物でね。良質な糖分を早く頭に入れたい」

 

 いつもはトレーニングをしたり、彼女の実験に付き合わされたりと、なんだかんだ色々と忙しい毎日を送っている。だが、今日の彼女は珍しく朝からまったくやる気を見せないのだ。もしかして夏バテか? もしくは、これ自体が新しい実験か何かで俺は試されている? 

 

「大体、暇なら自分で作れば良いじゃないか。研究やトレーニングで忙しいならまだしも」

「私は考えるのに忙しいんだ。それともなんだい? 君が私の代わりに、私が考えていることを、私の様に考えてくれるとでも?」

「そんな体たらくで今までどうやって何食って生きてたんだ⋯⋯」

「チョコレートバー、大豆由来のバー、コーンフレークバー、フルーツチップバー、エトセトラ、エトセトラ⋯⋯」

「バーしかねぇじゃねぇか」

「時間短縮だよ時間短縮、先程私が言っていた言葉を聞いていたかい?」

 

 もう彼女のダメ亭主⋯⋯ダメ女房?っぷりには慣れきっているが、流石にこんな生活態度を見せられて、このような発言を聞かせられたら、普段の生活がどんな有り様か心配になってくる。

 

「そもそも、学園に来る前や俺が食事を作り始める前はどうしてたんだ? 昔からそんなものばかり食べていた訳ではないだろ。それに、自分で料理をしたりはしないのか?」

「そんな物とは、近代栄養学の結晶に対してなんと失礼な!! ⋯⋯と、それは置いておくとして、確かに君の言う通り、私にも両親が居たからね」

「⋯⋯ということはまさか、自分から料理とかをしたことがないのか⋯⋯?」

「歳頃のウマ娘にだいぶ失礼な事を言うねぇ君」

「人をモルモット呼ばわりする奴に言われたくないやい!!」

 

 お互いに特大ブーメランのドッチボール大会が始まる。奴め、理数系の癖にいちいち言葉の引き出しも多いからな。

 

「私だって料理くらいするさ。少なくとも、寮生活をしている今は一人暮らしだ。君と出会う前は私なりに、献立や毎日の栄養には気を使って暮らしていた。そもそも、この健康体がそれの証拠さ」

「具体的には」

「ミキサー、あれは良い物だ。実に知的で、常に時間に追われる私の様なウマ娘にとって――」

「ミキサー禁止!!」

 

 望んでいた、望んでいた? いや良くないが、やっぱり想像していた通りの答えが返ってきてむしろ安心感を覚えた。そうだよ、これこそタキオンだ。

 

「何故? 理解に苦しむ。もしや君は、ミキサーに両親を殺害されたとか? 確かに、モルモットをミキサーに入れるのは流石の私でも理解に苦しむが」

「俺の両親は普通に人間だしそもそも俺もモルモットだけど人間だし、ああもうこれどっからツッコんだ方がいいんだこれ」

「私の話にツッコみ所は無かったはずだが?」

 

 素で言っているのか理解して言っているのかによって解釈が分かれる発言だ。この科学者は一体何を言っているんだ。

 

「一応聞いとくが、ミキサーに何入れるつもりだ? まさかまたバーをミキシングするとか言い始めないよな?」

「君は一体私をなんだと思っているのかね。ちゃんと入れるのは自前のフルーツや野菜類だよ」

「むしろ普通すぎて驚いてるわ俺」

「さっきから人のことを料理と実験の区別もつかないヤバい奴扱いするが、そんなにミキサーに入りたいのかい? 人をネタにするのも大概にしたまえよ」

「大丈夫か? ス〇ッカーズ食うか?」

「アグネスタキオンはお腹が空くと狂気のワガマママッドサイエンティストに⋯⋯ってやかましいわ! 大体いつのCMだいそれ」

 

 腹が減ると本当に機嫌が悪くなるということについては黙っておくとしよう。前に偶然昼の弁当を作り忘れた時、怪しげな色に光る試験管の中身を五本も注ぎ込まれて、危うくウマ娘にされかけたことがある。

 

「いやでも、本当にそれだけタキオンが料理をする姿ってのが想像しにくいというか、普段から爆発と発光のイメージが強くて、まともに料理をしている姿がな⋯⋯」

「流石にバイアスが『掛かり気味』だ。いい加減にしたまえよ」

 

 ソファで寝転がっていたタキオンは、ゆっくりと立ち上がる。そして、壁際に寄ると寄りかかると、腕を組みながらこちらを睨んでくる。

 

「あー⋯⋯悪い、今から昼飯作るよ」

「⋯⋯」

 

 機嫌を取ろうと謝るが、時既に遅し。タキオンは一切返事をしない。尻尾はまるでムチか何かのようにしなっており、機嫌が随分と悪くなってしまったように見える。

 

「⋯⋯タキオン?」

「モルモットの反抗期か⋯⋯」

 

 と、タキオンは急に小声でブツブツと独り言を始める。

 

「⋯⋯まあ確かに、私は彼を実験の被検体として利用こそしていたが、こちらから褒美を与えたことは無かったな。知らない内にフラストレーションが溜まっていたか。このまま他所に脱走されても困るし、たまには餌付けの意味も込めて私が作るのも⋯⋯」

 

 そしてひとしきり独り言を言い終わると、今度は何やら小さく頷き始める。

 

「⋯⋯ふぅン、君がそこまで言うならしょうがないねぇ。わざわざ調理をするなど時間の無駄でしかないが、少しは見せてあげるとするか」

「⋯⋯へ?」

 

 おもむろに冷蔵庫の方に歩いていくタキオン。突然のその反応に、思わず聞き返して固まってしまう俺。

 

「目当ての物は⋯⋯っと。相変わらず、冷凍食品のパッケージと清涼飲料水、コーヒー缶のラベル以外に彩りが無く、視覚に寂しい冷蔵庫だ」

「タキオン⋯⋯タキオンさん?」

 

 冷蔵庫の中身を物色し始めるタキオン。まるで、今からモルモット君のためにあり物で最高級の飯を作ってやるか、とでも言い出しそうな雰囲気を醸し出す。

 

「あのー⋯⋯タキオンさん? アグネスタキオンさん?」

「はいはいその通り大正解、私はアグネスタキオンだよ。少し黙っていてくれ。私は今構想を練り上げている段階なんだ」

「おいおいおいおいおいおいおい、いきなり料理できるような雰囲気を出してきやがったぞ」

 

 いや待て、もしかしてこれは古くよりアニメやゲームでよくある、エプロン姿の可愛い女の子に料理を作ってもらう『あの』シチュエーションが来るのか? この頭の中研究詰めのマッドサイエンティストから、そんな変化球が飛んでくると?

 

「⋯⋯なあモルモット君、エプロンなどはあるかい? あまり服などは汚したくないのだが」

「確定演出」

 

 そのあまりにも突然の流れに酷く動揺する。少々ネタにし過ぎたか? いくら彼女が日夜実験の被験者を探し、半ば強引に薬品を流し込み、他人をまるで〇ィズニーランドのパレードか〇ウステンボスのイルミネーションの様に光らせる、狂気の厶ァッドスァイエンティストゥだとしても、それ以外は年頃の女の子なのだ。普段の食事から力を入れることは無かったとしても『いざ』という時のために心得ていてもおかしくない。ましてや、薬品などで調味料などの配分には慣れていそうだからな。有り得ない話ではない。

 

「なぁ、張り切ってるところ悪いんだが、見ての通り冷蔵庫には大したものは入っていなかったと思うぞ? もし本格的に料理をする気なら、調理室を借りた方が――」

 

 しかし、そこまで言いかけた俺の言葉をタキオンは遮る。

 

「科学者はいついかなる場所、いかなる状況だとしても、決意を持って行動に移すならそこが研究室(ラボ)だ。あり物で計算し、最大の結果を出してこそ、私の悲願は、夢は、達成に近づく」

 

 タキオンは冷蔵庫の中身をじっと眺めながら、何かを考え込むように声を漏らす。

 

「それに、調理室を借りるのは色々と許可が必要だったりと、時間や手順が煩わしい。まあ、材料になりそうなものが無かったら無かったで買ってくれば良い。ここは熱帯雨林(アマゾン)の奥地でもないのだからね。いやむしろ、熱帯雨林(Amaz〇n)が頼めばなんでも配達してくれる時代か」

「上手いこと言ったつもりだろうが、出前じゃないからなAmaz〇nは」

「安心したまえ、UmerEATSやウ前館の頼み方くらい分かる」

 

 するとタキオンはこれと決めたのか、冷蔵庫から数点の何かを取り出す。

 

「お湯は⋯⋯セッティングしてあるな。流石に本格的な調理器具や、それになりそうなものは無いが⋯⋯」

 

 手際よく何かのセッティングを始めると、電気ケトルの近くでモゾモゾと何かをし始める。

 

「まあなんだ、そこに座っていたまえ。特別に君の食事を作ってあげているんだ。モルモットも生き物だからね。定期的に食事を与えてあげなければ、餓死してしまう」

 

バリッ

 

ピッ

 

ジャー

 

「このまま蓋を閉じ⋯⋯」

 

 キッチン台の方に体を向けていたタキオンはこちらに振り返る。そして見慣れない笑顔をしながら、何やら大小二つの筒状の物を持ちこちらに歩いてきた。

 

「ほら、できたよトレーナー君。三分待ってから食べてくれたまえ」

「⋯⋯なあ、これカ「カップラーメンだ。文明の利器だよ」

食い気味に言葉を遮られる。

「これ――」

「カップラーメンだ。食べたことないのかい? 美味しいぞ? ん、こっちのかい? 缶コーヒーだよ、これも時代が生み出した発明品さ。プルタブを引くだけで何と、まるでプロが挽いたかのような本格的なコーヒーを楽しめる素晴らしい物だ」

「いや、流石に見てわかるが⋯⋯」

「そりゃ失敬。てっきりバーやミキサーの良さを理解していない反文明人な君のことだから、カップラーメンや缶コーヒーの良さを理解していない物かと」

 

 そう言い、俺のデスクにカップ麺を置くと、食べろと言わんばかりにこちらに押してくる。

 

「⋯⋯もしかして、まだ少し怒ってる?」

「いいや? 全然」

 

 タキオンは表情を変えず、笑顔のまま毅然とした口調で答える。

 

「⋯⋯あのな、料理ってのは「じゃあまず料理の定義について教えてもらおうか。具体的に何を材料に使い、どういう調理方法をして、どれだけ作ったら」

「すまない」

 

 淡い期待は砕かれた。彼女はそれなりに(実験に関すること以外は)できた人間だ。少しはキュンと、ドキッとさせて貰えると思ったのだが。

 

「まず、どの料理も調理過程という物が多過ぎるし、長過ぎる。精々インスタントラーメンの作り方が覚えていられる限度だ。大体少々、とか小さじ、とかなんだいあれは。実験だったらそんな大雑把な計量はたちまち爆発案件だよ」

「いや無駄に長い化学式やよく分からん薬品の方がわかんねぇよ」

「よく分からんとは何だい! 私の数式から導き出された薬は、常にしっかりと効果が出ているじゃないか!」

「大体俺が光るか倒れるか鼻血出すか、足が制御不能になって地の果てまで走っていくかしかないけどな!」

「鼻血を出したのはマチカネタンホイザ君だよ!!」

「俺だって出しとるわ!! それも虹色に光る特別性のな!!」

 

 よくわからん言い争いが続く。

 

「⋯⋯ともかく、科学式やら料理やら、そんなのはぶっちゃけどうでもいい。俺と出会うまで、本当にプロテインバーやミキサー生活だったのか? 体調とかは? 崩したりしなかったのか?」

「要らぬ心配をするねぇ君も。私とてその辺はちゃんと考えているさ」

 

 するとタキオンは淡々と早口で語り始める。

 

「身体は資本だ。健康なことに越したことはない。いかなる研究も、いかなる競技も、まず体調が優れていなければ上手くいかない。よく研究者は研究に没頭するあまり、不規則な生活をしているような印象を持たれるが、アレは偏見もいい所だ。第一、自分の頭脳に代わりは存在しない。例えばいくら聡明叡智な数学者が、これまでにない数式を思いついた所でその数式を形にできなければ⋯⋯」

「わかったわかった本当にすまん、バカにした俺が悪かった」

 

 タキオンは俺に料理についてバカにされたのが癪に触ったのか、いつにも増して早口でまくし立てるかのように持論を並べる。日頃から気にしていたのだろうか、どうやら知らない内に彼女の地雷を踏み抜いてしまっていたようだ。

 

「とにかく、一日の三食なんてものは別に味気なくたっていい。料理ができなくたって結果的にバランスが取れていれば、料理の形や形式などどうでもいい。飽きが来たならまた、ラインナップを変えて計算すれば良いだけの話だ」

「⋯⋯そりゃ、そう言われてしまうとごもっともだが⋯⋯」

「事実、私の栄養管理は完璧だ。すぐに腹を下す君と違って、君と出会うまでの数ヶ月間体調を崩したりはしなかった。むしろ冷蔵庫に缶コーヒーと栄養ドリンク、カップ麺とインスタント白米を詰め込んでいる君よりも、自分の体調には気を使っていると思うが」

 

 俺はタキオンに丸め込まれてしまう。確かに、偉そうにあれこれ言っている俺も、あまり良い生活をしているとは言えない。

 

「それに私の足は特別製(ガラスの脚)なんだ。無理をさせたり、体調管理を怠ればすぐにダメになる。君だって十分に理解しているつもりだろう?」

「つもりじゃなくて、それに関しては十分に理解してる」

 

 彼女の言う通り、彼女の足はまるでガラス細工の様に非常に繊細なバランスの上に成り立っている。今でこそ鍛えられて多少は無理が効くようにはなったが、当初は常に負傷と引退という文字に付きまとわれていた。

 

「別に私は意地悪で君に朝昼晩食事を作らせているんじゃない。科学の知識と走ることがウマ娘たる私の専門分野なら、トレーナーである君の専門分野は、徹底された体調管理とスケジューリング、ワガママに耐える根性ではないかね?」

「確かに、な。言ってることに間違いはない」

 

 事実、そんな彼女の圧倒的速さと脆さを掛け合わせた足は、俺たち二人の知識と意見を極限まで擦り合わせてようやく、更なるステージにへとたどり着けた。彼女は天才ではあるが、万能ではない。決して自画自賛ができるほど優れたトレーナーだとは自分のことを思ってはいないが、それでも俺のトレーナーとしての目線や意見、スケジューリングも確かに効果が合ったと思っている。

 

「私は日常的に実験とトレーニングで忙しい。それならば、食事の献立を考えることに関しては私と同じか、それ以上の知識がある君に任せるのは自然な道理だと思うが。すると必然的に、複雑な料理過程などを覚える必要性が無くなってくる」

 

 するとタキオンは俺の方を強く指さす。

 

「と・に・か・く、私の日常生活や体調の管理に穴が有るというなら、君が埋めれば良いだけの話。食事に関してなんか

、君に三食全て頼りっきりな今となっては特に言うことも無い。少なくとも、私はここに在籍しているうちはこの考え方を改める気は無い。以上!!」

 

「⋯⋯やっぱり、料理のこと指摘されたりバーやミキサーバカにされてちょっと怒ってる?」

「いいや? 全ッ然!!」

 

 気のせいか、いつもより語尾が強いように感じる。

 

「⋯⋯まあ別に、俺の方は料理を作るのは特に嫌なわけでも苦でもない。頼って貰えることがあるならこれからもいくらでも頼ってくれ」

「それで良い。最初からそう素直にしてくれたら説明も省けて楽だったのだが」

 

 タキオンは深呼吸をして狂ったテンションを落ち着かせると、いつも通りの調子に戻り話を続ける。

 

「先程はああも強く言ってしまったが、裏返せば、君に任せておけば全てが上手くいくということだ。これも一種の信頼だよ。君のスケジューリング能力に、献立を立てる知識、それに実験に耐える肉体の耐久性は、悔しいが完璧だ。私は君のことを買っている」

「そりゃ、なんというか⋯⋯いきなり褒めてもらってなんかありがとよ。⋯⋯一部引っかかる言葉があったし、なんだか無理やり丸め込まれている感があるけど」

「別に私も、君が嫌いで雑用や食事の準備を押し付けている訳では無い」

 

 そう言うとタキオンは目を閉じて「フフッ」と小さく笑う。そして俺の目の前に差し出されたカップ麺に手を伸ばし、上に置かれた割り箸を手に持った。

 

「食べないようなら貰うよ」

「ちょっ、食わないとは――」

 

 そして割り箸を割ると、今度は再びカップ麺に手を伸ばし麺をすすり始めた。

 

「ズズズッ⋯⋯真面目な話、私は天才だ。繰り返すようだが、君と出会う前から自分の体調管理だって人一倍にしてきた。自分のことは自分が一番理解している。事実、私は風邪をひいたこともほとんど無い」

 

 カップ麺をすすりながら彼女は話を続ける。

 

「ただ、それで『完成』してしまっていたのだろう。少なくとも、私の世界ではね。だから私は、君と出会うまで想定していたデータを取ることすら叶わなかった」

「完成?」

「ズズッ⋯⋯ズズズッ⋯⋯そうだ」

 

 タキオンは麺を啜りながら話を続けていく。

 

「籠の中の鳥は外の世界を知らない。当たり前で単純なことだが、私はその通り自分の世界という籠に囚われていた」

「籠? 世界?」

「自分の導き出した結論の中でいくら完璧であっても、それがあらゆることに通用するとは限らない。宇宙が複数(マルチバースで)ある様に、人の数だけその人間の世界は存在する。そして、その世界は自分と他人という大きな壁で阻まれており、他人の世界を知るには自ら足を踏み出し、根気強く理解しようとしなければならない。しかしながら、それだけ苦労して知った他の世界には、私の知らない未知が星数のように存在する」

「難しいからバカにでも分かるように短く簡単に説明してくれ」

「わかった気になっていたんだよ、私は。自分の知識だけで、世界を。だから君という存在と出会ったことにより、世界は広がったんだ」

 

 タキオンは長々と説明をしながら麺をこれでもかと啜っていく。余程お腹が空いていたんだろう。話したいという欲と食べたいという欲がせめぎ合っているのがよくわかる。

 

「まだわからないのかい? つまり、あの日君と出会った時から、変化は加速度的に増して行ったということさ」

「つまり、俺が色々手伝ったり色々考えて提案したことが、とても役に立っている、と?」

「それまで完璧だと思っていた私の計画、行動に初めてケチを付けたのが君だ。普通なら、私の反論を予想して黙る人間が多いというのにね」

 

 そう言うとタキオンは、少し何かを懐かしむかのような顔をしながら、麺を掴む箸の手を止めた。

 

「知識の量で言ったら間違いなく私の方が上だ。下手なことを口走れば完膚なきまでに、化学式の羅列でねじ伏せられるだろう。だが君は、それでも臆することなく先程の様に意見し続ける」

「⋯⋯当たり前だろう。お前は賢く建設的な様に見えて、変な所で熱くなる。というか、いつも研究を言い訳にして走らないことが多い癖に、一度目を離すと今度はどこまでも突っ走っちまう。それも、無理や限界を承知で。まったく、その脚は特別性なんじゃないのか?」

「日夜実験とトレーニングに明け暮れる私を止めるどころか、むしろその特別性の脚を私の想定以上に仕上げて、今や学園の『皇帝』や、数多の『怪物』と並ぶ金剛石(ダイヤモンド)の脚に仕上げたのは、一体誰なのかね?」

 

 それは賞賛とも、皮肉とも取れる一言だった。

 

「そうさ、君は常に『小言は言うが否定はしない』。実験だって素直に受けてくれる。否定するならちゃんと理論だてて、価値ある議論にしてくれる。君は私にとって、最善の選択肢を選び続けられる様に尽力してくれた」

 

 そうだ、タキオンの脚が故障と隣り合わせなことを知って、それでも可能性を信じ、鍛え上げ、彼女を走らせ続けたのは他でもない俺である。普通のトレーナーならまず、彼女を走り続けさせようとは思えないだろう。だが、俺は決してその走る脚を止めては行けないと理解していた。

 

「⋯⋯その執念と諦めの悪さが、お前の一番の武器だからな」

「モルモットのくせに、分かったような口をきくじゃないか」

 

 視線を落とし、思い出話に耽けるかの様に言葉を続けていくタキオンは、突然沈黙した。そして突然の沈黙を不思議に思った俺は、声をかけようとする。するとタキオンはそれを静止するように手を伸ばし、こう続けた。

 

「⋯⋯これでも私は、君に感謝をしているんだ」

「感謝?」

「気味が悪いかい? 私がこんなことを口にするのは」

「⋯⋯ああ、普段の傍若無人で、有無を言わさず薬品を口に流し込む態度からしたら、今俺は衝撃で卒倒しそうだ」

 

 正直いきなり何を語り始めるのかと思ったら、割とストレートに感謝の念を語られているのだと気が付いて、内心本当に同様している。いつもの彼女なら、実験に関しても、毎日の俺の手料理にしても、全てにおいてトレーナーでありモルモットなんだから当然だろ、という態度をされてきたからだ。気味が悪い、とまでは言わないが、彼女がこんな風に感謝を口にすることは滅多に⋯⋯いや、もしかしたら一切なかったかもしれない。何故今? 俺の頭には疑問符が浮かぶ。まさか、新手のドッキリか? 最近の彼女が執心中の『精神』と『肉体』の関係性の実験? 

 

「君はモルモットで有りながら私に対して不快感を持ち、距離を置くどころか、むしろ尽力してくれている。君ほどトレーナーとしても、モルモットとしても優秀な存在は、世の中に二人として居ないだろう。私はそう断言できる」

「モルモットとして優秀なトレーナーがそうそう居てたまるかよ」

「だからこそ、君との出会いが私にとって大きな物になったと言っているんだろう。神などという非科学的な物は信じたくないが、運命に関しては一部肯定したい」

 

 そう言うと、タキオンは止めていた手を動かし、再びカップ麺を食べ始める。

 

「ズズズ⋯⋯科学的な言い方をすれば、科学式は文字ひとつではただの原子、ただの粒だ。外からの刺激が入り、多くのものがあわさり分子となり、やがて更に大きな物を作り上げていく。そして運命という物で説明をすれば、本に挟む付箋の誕生経緯もそれは一瞬の偶然の積み重ねだ。その偶然がSerendipity(セレンディピティ)となり、日常生活に大きな変化をもたらした」

 

 タキオンは中身が残り僅かになったカップ麺を持ち上げると、中身を一気に口の中に流し込む。

 

「⋯⋯私にとって君という存在は、まさにそれだ」

 空になったカップ麺の中に箸を入れ、再び俺のデスクの上に置く。

「⋯⋯つまり?」

「つまり、そういうことだ」

「そういうこと、とは?」

「⋯⋯ッ! そういうこ! と!!」

 

 タキオンが再び表情と語気を強める。

 

「悪い悪い、つい急に熱弁し始めたから意地悪したくなっちまった。ありがとよ、いきなり感謝の気持ちなんか伝えてくれてよ」

「⋯⋯こういうのは私のガラには合わないんだ。二度は言わないぞ」

 

 タキオンはそうやりづらそうにしながら、顔を背けてそう呟いた。

 

「⋯⋯君との偶然の出会いが運命だった、なんてな」

「⋯⋯ん?」

「独り言だ、今のは。一々私の言葉に聞き耳を立てるんじゃないよ」

 

 タキオンは急に熱弁し始めたと思ったら、今度は何やら熱が冷めてしまったかのように静かになってしまった。

 

「⋯⋯まっ、飯についての心配も無駄だったな」

「⋯⋯無駄?」

「だって、これからも俺がタキオンの飯を作り続けていけばいいだけの話じゃないか」

 

 問題の根本的な解決にはなってないが、とりあえず俺が彼女のそばにいる間だけでも、飯を作り続けてあげればいいんだ。別に作ることは苦では無い。お陰で最近フライ返しができるようにもなったしな。

 

「気が付けば俺、いつの間にかタキオンの飯を三食全部作ってんだもんな」

 

 最初はちょっとした弁当の話から始まった、タキオンとの食事の縁。昼食の準備を忘れた彼女に、弁当を作ってこいといわれたことから全ては始まった。それが月日が流れ日常に定着し、最終的に彼女の三食の管理をするまでに至った。彼女との仲は最初から決して悪い物ではなかったが、特に彼女との距離を縮めるきっかけになったのは間違いなく、あの弁当がきっかけだっただろうな。

 

「しかしそもそも、トレーナーに三食全て作って貰ってるウマ娘なんて他に居るのか?」

 

「そんなこと、本来なら頭熱々な同棲しているカップルでもない限り⋯⋯」

 

 タキオンは何かを言おうとして言葉を詰まらせる。

 

「⋯⋯何を口走っているんだ、私は?」

「⋯⋯どうした?」

「どっ、どうもしてない!!」

 

 珍しく声を荒らげるタキオン。だが、数秒後に小さく咳払いをすると、小声で話を続けていく。

 

「⋯⋯まっ、まあなんだ、今日は君にとことんダメ出しをされたし、その内手料理の一つでも振る舞えるようできる範囲で尽力しよう。無論、私が料理を作った時は必ず君に真っ先に試食をしてもらうからな」

「実験よりは幾分安心できそうで、俺は内心安心しているよ」

「別に私は君に嫌がらせをするために実験を押し付けているんじゃない。だから料理を振る舞う時位は、君には満足して欲しい」

 

 そしてこう言葉を続ける。

 

「何度でも言うが、私は君が『嫌いじゃない」

 

 そう言いタキオンはわざとらしく欠伸と伸びをする。

 

「⋯⋯少し熱心に語り過ぎた。なんだか顔が熱い」

「コーヒー、飲まないのか?」

「生憎、君も知っての通り私は紅茶派だ。それに、肺と頭に新鮮な酸素を取り入れたい」

「ちょっと、食後の散歩に行くか?」

「実を言うと、昔話ばかりしていたら、少し行きたい場所ができた。時間があるなら付き合ってくれ」

 

 

 




大変申し訳ないんだが⋯⋯

長過ぎて二部構成ですこれ。

色々書きたいことはあるが次は秋のG1でも見ながら待て
(戻ってこなかったら責任をもってウチのブルボンが代わりに踊ります)

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