タイムパラドクスなんて、ゴーストライターなんて知らない。
もしもの佐々木鉄平はただ、気づいただけだ。

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口を開けて、息を吸って――

「――出来た」

 

 デスクの上に完成した《ホワイトナイト》の原稿を眺めながら、俺は一人、はち切れんばかりにバクバクと鳴り続ける心臓の鼓動に耳を澄ませ、達成感に天井を仰いでいた。

 

 ――俺は佐々木哲平、24歳。漫画家志望の実質無職。

 

 少年漫画雑誌の金字塔、天下のジャンプで新人賞を取ったはいいものの、以降は連載を勝ち取れず、ずっと担当編集に駄目だしされ続けてきた、そんな情けない人間だ。

 

 ……沢山の人を、楽しませられたら。

 

 その想いで数年間、突き進んできたんだ。

 

 何度面白くないって言われても、個性がなくて空っぽだと酷評されても。

 

 それでも、一度掲げた夢をどうしても諦められなくて。

 

 ひたすら突き進んできて……心が折れかけた二日前。

 

 俺に、奇跡が舞い降りた。

 

「ははっ……俺だって、やればできるんだなぁ」

 

 全身を満たす絶頂感と共に思い出すのは、落雷を受けて融解した電子レンジの中から出現した、2030年の発行日が載った未来の週刊少年ジャンプ。

 

 もちろんタイムマシンなんて現実には存在しないし、たった十年でそこまで技術が進歩する訳がない。

 

 ってことはつまり、未来のジャンプの皮を被ったあれは俺の脳味噌が捻り出した妄想に違いない。

 

 いつの間にか夢の中でネームを切れるようになっていたなんて、今思い返しても馬鹿げた話だと思う。

 

 だけど、それ以外に理由が考えられるか?

 

 まさかこんな形で隠された才能が明らかになるなんて、それこそジャンプの主人公にでもなった気分だ。

 

「さて、と」

 

 未来のジャンプに掲載されていた神作、《ホワイトナイト》。

 

 俺の絶え間ない漫画への想いが生み出した、俺の最高傑作に違いないであろうそれ(・・)

 

 何故か連載版で出力されていた第一話を、俺は今日の掲載会議に合わせてなんとか読み切り版に圧縮した。

 

 後はこれを菊瀬さんのところに持って行って、見てもらおう。

 

 締め切りはとっくに過ぎているけれど、見てさえもらえればなんとかなるはずなんだ。

 

「でも、その前に……」

 

 せっかくの神作なんだ。

 

 第一話の時点で泣けるような漫画なんて、俺にとっては初めてだった。

 

 それを人目に晒すのに、誤字脱字やベタの入れ忘れなんてみっともないミスで評価を下げられたくはない。

 

「読み直そう。それに、色々キャラや設定を削っちゃったりしたから、そこで整合性が取れなくなってたりするかもしれないし! 俺の頭から出てきたものだからそこまで変にはなっていないと思うけど……」

 

 素晴らしい漫画を書き上げたという達成感のまま、完成した原稿に指で触れる。

 

 この二日間で何度も修正を繰り返したんだから、そんなに致命的な問題は残ってないはずだ。

 

 残ってるとしても、それこそさっき考えたような小さなミスくらいだろう。

 

 ――そんな軽い気持ちで、俺は自分が作り上げた《ホワイトナイト》を読み始めた。

 

 

 ■■■

 

 

 ……数分と経たず、俺は自分の《ホワイトナイト》を読み終えた。

 

 ――いや、違う。

 

「なんだよ、これ……」

 

 顔が急速に青褪めていくのを感じる。

 

 先ほどまでの高揚はどこへ行ったのか、全身が凍てつくように冷たくなっていく。

 

「……なんなんだよ、これ」

 

 《ホワイトナイト》に触れていた指が、かじかむように震える。

 

 ――痛い。

 

 ――胸が、心臓が。どうしようもなく、痛い。

 

「――なんなんだよ、お前っ……!」

 

 まごうことなく、目の前に鎮座してるのは《ホワイトナイト》の原稿だ。

 

 きっと、こいつなら連載を取れる……その確信が消えたわけじゃない。

 

 だけど、どうしてだろう。

 

 何故か、俺の頬を涙が伝わない。

 

 一度は読んで絶叫するほどに感動した漫画が、今はありきたりの平凡な、それなりにウケるであろう王道漫画にしか見えない。

 

 書いてる時は物凄く面白い作品に見えたのに。

 

 いざ書き上げたのを読み返してみると――胸のワクワクが、なに一つとして湧いてこない。

 

「面白い、面白いはずなのに……!」

 

 きっと友人も母さんも、菊瀬さんも面白いって言ってくれるはずだ。

 

 それだけじゃない。老若男女問わず、誰もが面白いって口を揃えて言うだろう。

 

 間違いなく俺の書いた《ホワイトナイト》は面白い、とは思う。

 

 ――だけど、あのたった一回読んだだけで設定からキャラクターまで魂の深くに刻まれた、未来のジャンプの《ホワイトナイト》にはまったく及ばない。

 

 そう、俺の漫画家としての魂が、叫んでるんだ。

 

「……こんなのが《ホワイトナイト》のはずがない!」

 

 キャラも設定もストーリーも、間違いなく面白いままのはずなのに。

 

 俺にはどうしたって、あの連載版から劣化しているようにしか見えなかった。

 

「なんで!? なんでなんだよ! 俺が考えた、俺の作品のハズなのに――っ!」

 

 なにかが、違う。

 

 連載版と読み切り版、そのページ数の多寡に関係なく、もっと決定的ななにかが違うように思えてならない。

 

 ――なにが違ってる?

 

 この漫画とあの《ホワイトナイト》、なにが違うって言うんだ――!

 

「くそっ……!」

 

 これでも連載会議は通せるに違いない。

 

 だけど、この根拠の分からないむしゃくしゃした想いを抱えたまま、俺は《ホワイトナイト》というこれまでに読んだ中で最高の作品を人様に見せたくなかった。

 

 焦るように飛びついて、もう一度原稿を食い入るように見直す。

 

「どこだ……どこなんだ!」

 

 記憶の中の《ホワイトナイト》と照らし合わせて、なにがおかしいのかを洗い出す。

 

 王道的で、天才的で、感動的で……そう思わせるような要素はきちんと抜き出したつもりだ。

 

 ――終わりなき夜という、絶対的な脅威に晒された舞台。

 

 ――誰からも好かれるような性格で、だけど不幸な過去を背負ってる主人公。

 

 ――起承転結、伏線、人間ドラマ。

 

 自分が面白いと思った友情、努力、そして勝利は余す事ことなくこの原稿に写し取った。

 

 だけど、そこに何かが足りないような気がするんだ。

 

 胸を熱くさせるような、読者の心を燃やすようななにか。

 

 それって、なんだ?

 

 なにがあのジャンプの《ホワイトナイト》にあって、俺の《ホワイトナイト》にない?

 

「うぐっ……」

 

 頭が割れそうなくらい、奥からズキズキと痛む。

 

 そんな中で、一つの言葉が蘇ってきた。

 

 ――なにかないの? 佐々木君の伝えたいメッセージとか。

 

 ――自分にしか描けないと思えるようなもの。

 

 誰だっけ、言ってたの……そうだ、菊瀬さんだ。

 

 俺はそれに対して、こう答えた――僕はただ、沢山の人を楽しませられればそれで……良いんだ、って。

 

 確かにこいつは沢山の人を楽しませられるだろう。

 

「だけど……この作品に俺が込めるメッセージって、なんだ……?」

 

 その言葉を口にした途端、愕然とする。

 

 ふとした思いつき、俺の中から出た妄想……それがこの、《ホワイトナイト》のはずだ。

 

 だったらその中にはなにかしらの、俺の無意識の想いが込められてるはずだ。

 

 だけど、俺はただ記憶の《ホワイトナイト》をコピーして――読み切り用に圧縮しただけで、そこに何の熱意も込めちゃいない。

 

 ただ二日後の締め切りに間に合わせたい、その一心であの《ホワイトナイト》を写し取った。

 

「俺は……俺は……どうしてこの作品を描きたいって思えたんだ?」

 

 やかましいくらいに騒ぎ立てる心臓の上に手を当てて、考える。

 

 俺が《ホワイトナイト》を書く上で込める、想い。

 

 それが絶対にあるはずなのに……どうしてか、影も形も浮かび上がってこない。

 

 シンプルかつ斬新な設定、それを思いつくだけの下地となる記憶すら、生まれてから今までを振り返ってみても何処にも見当たらない。

 

「……こいつ、本当に俺が描きたい作品なのか?」

 

 確かに《ホワイトナイト》は、俺の目指すべき作品像だ。

 

 でも、俺の描きたい……描けるような作品には、不思議と思えなかった。

 

「――ああ、そうだ」

 

 その考えが、やけにすんなりと受け入れられる。

 

「《ホワイトナイト》って素晴らしい作品は、俺が描けるようなもんじゃない……のか?」

 

 そうは言ったって、だったらあの未来のジャンプはどっから出てきたって話になる。

 

 まさか本当にタイムマシンが、今からたったの十年後に完成してるわけじゃあるまいし。

 

「……」

 

 だけど、それが真実だとしたら?

 

 未来の俺が……いや俺じゃないかもしれないけれど、誰かが何らかの意図を込めてあのジャンプを送りつけてきたとしたら?

 

「……なーんて。二徹で本当に頭がイカレたかな?」

 

 そうは思いつつも、俺の身体はふらりと電子レンジの方へと歩いていた。

 

 そのままぺたぺたと、レンジの乗った冷蔵庫を触ってみる。

 

「乗せたと思ったところにはなくても、案外隙間に落ちてたり……」

 

 した。

 

 あった。

 

「――は?」

 

 なくしものは数日したら、ふとした折に見つけるものだと言うけれど。

 

「うっそだろ……!?」

 

 一見して分からないような物陰に、それは落ちていた。

 

「2030年のジャンプ……!」

 

 手を伸ばして、拾って中を捲ってみる。

 

 確かにそこには、記憶に相違ない《ホワイトナイト》が載っていた。

 

「本物だ。この質感、手触り……俺の妄想なんかじゃない」

 

 試しに頬を抓ってみたり、足の小指を思いっきり真ん前の冷蔵庫の角っこにぶつけてみる。

 

(いった)ぁ!? うぐぐ……っ。やっぱりこいつは、俺の夢とか妄想とかなんかじゃないっ……! マジでマジもんのジャンプなんだ!」

 

 もう一度、掲載されている《ホワイトナイト》を読み直す。

 

 それはやっぱり面白くて、一度読んだ内容でも鼻腔の奥がぎゅっと熱くなる。

 

 それでもって、改めて読み返した今だからこそ言える――これは、俺がつい先ほど完成させたものとは天と地ほどの差がある。

 

 漫画に込める熱意、想いって奴がこれでもかってほど伝わってくる。

 

 上辺だけこそげとったような俺の《ホワイトナイト》とは違う、アイノイツキの《ホワイトナイト》。

 

 ――熱い。

 

 胸の中心が、煮え滾るかのように熱い。

 

「そうだ……これが《ホワイトナイト》……!」

 

 見た目だけ真似て取り繕ってみても、全く違う。

 

 信念の篭ってる目の前のこれと、俺の机に置いてあるヤツはまったく違う。

 

 俺が書いた《ホワイトナイト》の薄っぺらさの正体が、ようやく見えた……そんな気がした。

 

「ただ面白い。百万回見たような漫画。それが俺の《ホワイトナイト》で、これが真の《ホワイトナイト》……ははっ、ははははっ……。なんだよそれ……」

 

 膝から力が抜ける。

 

 そのまま床にへたり込むと、肌に触れた冷たい感触が俺を嘲笑ってきた。

 

「俺が描いた作品じゃないんだから、魂を込めるもなにもあったもんじゃないよなあ……」

 

 きっと、これこそが俺の《ホワイトナイト》に足りないもの。

 

 俺には描くことのできない、《ホワイトナイト》へ懸ける情熱にして漫画家の魂。

 

 それが俺には欠落している。

 

 だから、俺の《ホワイトナイト》は不完全なんだ。

 

「……それだけじゃない」

 

 もしタイムマシンがあったとしても、未来の俺がここに載ってるアイノイツキってペンネームを使ってるとは思えない。

 

 それだけじゃなくて、未来の俺がこんな立派な作品を描けるわけがない――そんな予感がうっすらと俺の中で形を成す。

 

 なにせこの《ホワイトナイト》には、俺と言う人間の主張がまったく見られない。

 

 今後の十年間で車に引かれて記憶でも失うとか、それくらい劇的な変化がない限り、(過去)の延長線上にある未来の佐々木哲平にこの作品は描けないだろう。

 

 その可能性よりも高いのは……。

 

「《ホワイトナイト》は俺が描いた漫画じゃない……だったら俺は、この作品を盗作したってことになるかもしれない」

 

 ――どきんっ、と心臓が大きく跳ねる。

 

 盗作。

 

 誰かの作品を盗んで、さも自分が考えたかのように騙ること。

 

 それは創作に携わる者にとっては、一番の禁じ手だ。

 

「想いも努力も重ねないで、上辺だけせせこましく掠め取ろうとして……」

 

 ――だけど、誰もを楽しませられるだろう?

 

 もしこれが本当に未来のジャンプだとしても、そんなことは誰も知らない。

 

 このまま出してしまえば、皆が()の作品で楽しんでくれるんだ。

 

 そんな悪魔の囁きが聞こえてくる。

 

 そいつは嘘じゃない――でも。

 

「俺は……俺はっ。俺は、漫画家なんだっ……! 一人の漫画家として、この《ホワイトナイト》はこのアイノイツキこそが描くべきなんだってのは分かるっ!」

 

 アイノイツキがもし未来の俺だとしても。

 

 それは未来の俺が描くべきで、今の俺が盗作したってそこそこの名作にしかできない。

 

 菊瀬さんの言葉が、何度もリフレインする。

 

 ああ、そうさ。

 

 今の俺が《ホワイトナイト》の面白さをパクって成功したとしても、それは既視感のあるありきたりな漫画にしかならない。

 

 きっと、信念の込められた本物の《ホワイトナイト》の方が、よっぽど多くの人を楽しませられるに違いない。

 

 俺の――そうとは思わなかったとはいえ、既に盗作をしてしまった薄汚い魂でも、それくらいは直感的に分かる。

 

「……よし」

 

 ふぅ、と重い息を吐いて、頬を勢いよく引っ叩く。

 

 ――ただそれが面白いからってだけで、俺は平然となんの想いもなく俺のではない作品を盗み取ってしまった。

 

 ――それだけじゃない。そこに込められた想い……数々の設定やキャラを好き勝手に切り貼りして、弄んでしまった。

 

「そんなことをしでかしたクズ野郎には、取らなければならない責任って奴がある……」

 

 腰を上げ、俺は自分の机へと向かう。

 

 そこに置かれている俺の《ホワイトナイト》を掴み上げて、ついでに傍にほったらかされていたペンも手に取った。

 

 そのまま俺はキッチンへと向かい、コンロの上に原稿を乗せる。

 

「……お前にも、長い間世話になったよな」

 

 手汗とインクの染みた、漫画家の相棒でありもう一つの命とも呼べるペン。

 

 だけど、一番やってはいけないことをやってしまった俺にそれを握り続ける資格はない。

 

 ――パキッ。

 

 くの字に折れ曲がったそれを原稿の上に据えて、俺は下にあるツマミに手を添えた。

 

「……今ならまだ、間に合うよな」

 

 未練がましく時計をちらりと見れば、時間はまだ十時だった。

 

 今からこれを集英社までもっていけば、菊瀬さんにもギリギリ見てもらえるだろう。

 

「ははっ……長い間迷惑をかけちゃったのに、今度はこんな空っぽな作品を見せるのか? ふざけるなよ、俺」

 

 ――チキチキチキ……がちゃん。

 

 ぼうっ、とコンロから勢いよく強火が噴き出る。

 

 それは瞬く間に原稿を、ペンを侵食していく。

 

 俺の《ホワイトナイト》が、消えていく。

 

 俺の未練が、換気扇の向こうへ吸い込まれていく。

 

 ――佐々木哲平の漫画家としての魂が、跡形もなく燃え尽きていく。

 

「……うぐっ、ぐすっ……ずずずっ……」

 

 あれ、おかしいな。

 

 俺はなんで、泣いているんだろう?

 

 漫画家としてやっちゃいけないことをやったんだから、こうするのは当たり前だってのに。

 

 なんで――どうして、ここまで悲しいんだ?

 

「ごめんなさい……師匠。ごめんなさい……菊瀬さん。ごめんなさい……母さん。ごめん……岡野」

 

 そうだ。

 

 皆を楽しませられなくて。

 

 散々苦労させて、期待させておいて、こんな馬鹿げたことで裏切ってしまって。

 

 俺は結局、皆を楽しませられなかったよ。

 

 それがとてつもなく申し訳なくて、悔しいんだ。

 

 ――そして。

 

「ごめんなさい……アイノイツキ」

 

 君の《ホワイトナイト》を一瞬でも自分の手柄にしてしまおうとしたことに。

 

 なんの考えもなしに貴方の作品を写し取った自分の考えの浅さを、これで償い切れるかは分からないけれど。

 

「俺は……」

 

 口を開けて。

 

 息を吸って。

 

「――やめよう」

 

 もう二度と、漫画を描かない。

 




佐々木鉄平の夢は破れた。
されど彼の、漫画家としての最後の誇りだけは破れなかった。
これはそんな、ちっぽけでつまらないIFの物語。

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