コツコツと革靴の音がだだっ広い廊下に鳴り響く。
もう座学の授業は終わっている時間だし、生徒達は既に屋外へ出てトレーニングといった所だろうか、すれ違ったウマ娘は片手で数えられるほどだった。
「...」
俺は歩きながらもう一度たづなから渡された紙に目を向ける。
俺の名前も載っているし、差し出し間違いではないのは確かだ。しかし――
『君と話がしたい シンボリルドルフ』と一瞬印刷された文字かと疑う程に綺麗な字が直筆で書かれているソレは頭を抱えるには十分すぎる要因だった。
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私の名はシンボリルドルフ。
皆が知る『皇帝』であり、『絶対』など無いと思われていた世界で『絶対』がある事を証明してみせた事もあったが、今となっては遠い過去のように思える。
私はトレセン学園で生徒会長の席に腰を下ろし、日々学友とも言える生徒達が不満なく円満な学生生活が送れるように、トレーニングに励めるように、夢を掴むために全力を出せる環境にするために、生徒会メンバーや職員達を巻き込むのも厭わずに全力で取り組んできたつもりだ。
だが、ふと自分が進んできた道を振り返った時、何かが見当たらなかった。物なのか人なのか、想いなのか願いなのか。形は分からなかったが、私は確かにナニカが足りない、忘れていると直感した。
私は元来物覚えもいいし、人の顔だって一眼見れば記憶する。そんな私が忘れているモノ…そう思索に耽っている時だった。
彼だ。彼――緑川隼人が現れたんだ。彼の顔を見た瞬間、カチッとピースが私のナカで埋まるのを幻視した。そうだ、彼がいたではないか。
そう認識した瞬間、彼と過ごしていた時の記憶が洪水のように溢れ出てきた。
あれは私がまだ小学生だった頃の事だ。その時から既に「誰もを導く頂点となり、皆を導くウマ娘で有りたい」という想いはあったが、たかが小学生だ。いくら頭では理解していても体が完成していなければ理想を体現する事は不可能だった。そこで私は両親に頼み込み、そこそこ評判のいいトレーニングスクールに通わせて貰える事になった。そこに当時アルバイトに来ていたのが緑川コーチだった。
無論、コーチと呼んではいるが彼にはトレーナー資格などなかったし、やっていたことは熟練トレーナーの補佐や私達生徒の補助程度であったが...私にとってはそれで十分だった。あの生き生きとした、純粋に私達の夢や目標を疑わず、必ず叶うと力強く訴えてくる目をしていた彼にサポートしてもらえて私は嬉しかったのだ。
しかし、彼は途中で姿を見せなくなってしまった。聞けばアルバイトをやめてしまったらしい。...それが無性に悔しかった。でも私もその後すぐに小学校を卒業し、今いるトレセン学園へ進学した事もあり、数多の濃厚な出来事に上書きされ、原点とも言える大切な事を頭の片隅に追いやってしまっていたらしい...。私としたことになんて恩知らずな奴なんだ。
ひとまず彼が私の知る緑川コーチだとして、彼は私を覚えてくれているのだろうか?一生徒でしかなかった事もあり覚えていなくても無理はないが...それはそれで悲しいものだな。だがおかしい。彼の夢はトレーナーになる事だったはずだ。当時も彼は笑いながら「友人に唆されて片足を突っ込んだ」と言っていたが...何かあったのだろうか。それに彼の目が変わってしまっている。私は人違いの可能性も頭の片隅で考えはしたが、どうしても生で見た身体的特徴は私の記憶と差異はなかった。
そう結論つけてからの行動は我ながら迅速果敢であった。日頃世間話をする仲のいい事務員に彼の事をそれとなく聞き出したり、たづなさんに色々と便宜まで測って貰った。後は...彼がこの生徒会室に来るのを座して待つのみ。
あぁ...なぜ貴方はあの時私に何も言ってくれなかったんだい?公私混同と言われてしまえばそれまでだが、流石に何も無いのは傷ついたよ。...それとも私の様に忘れてしまっているのだろうか?
まぁいい。恐らく彼なら来てくれる。その時に改めて問いてみるとしよう。
「あぁ...楽しみだ」
そうシンボリルドルフは柔らかく笑い、一緒に作業していた役員の娘は急に笑い出したシンボリルドルフにギョッとした。
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「...ふぅ」
ついに生徒会室に到着した。と言っても何度も中に入った事はあるが、あの『皇帝』シンボリルドルフからの直々のご指名とあっちゃタダではいられない。...生憎、俺には当て嵌まらないが。
でも俺は緊張しているようで、手に汗が滲んでいた。......正直言えば俺はシンボリルドルフが苦手だ。本当であれば彼女とは特に接点なく、最低限の事務的なコミュニケーションで済むのならそれで良かった。...俺は遠目で彼女達を眺められればそれで良かった。
だが現実は違った。彼女は俺の事を...覚えている。最悪だ。今の俺にとって一番会いたくないタイプと言っても過言じゃない。
現実の直視もできなければ完璧な現実逃避もできない半端者。その俺が当時を知っている彼女に会ったら...彼女は何て言ってくるだろうか、なんて考えなくてもわかりきってるか。
しかしここでドタキャンしても後がない。あの皇帝様から逃げたとあれば俺はこの職場を辞めなければならなくなる。彼女自身そんなつもりは無いだろうが、『皇帝』という箔は彼女自身が思う以上に重いのだ。
そういう所はまだ子供...というのは失礼か。
さ、覚悟決めろ俺。まだここを離れたくない。
「失礼します。緑川です」
中に入ると正面にシンボリルドルフが机に肘をつきながら両手を組み、顎を乗せていた。他には...誰もいない。席を外しているらしい。
「待っていたよ緑川さん。...あぁ書記の子には早めに切り上げて帰って貰ったよ」
俺の挙動からなんて事無いように思っていた事を教えてくれる。誰もいないならそれはそれで好都合だ。
「たづなさんから封筒を頂きましたが...これはどういう事でしょうか?」
取り敢えず事務員としての対応をしてみるが、まぁ意味はない。見透かしたようにクスクスと笑っている。...やり辛いったらありゃしない。
「それに書いてある事まんまだよ。君と話がしたいんだ...緑川さん。いや...コーチ?」
「...何のことでしょうか?」
「おや、惚けるのかい?ちゃんと話しやすい様に私達だけにしたというのに」
「...はぁ」
こうなったらダメだ。彼女は絶対に引かない。むしろ年齢を重ねた分御膳立てまで上手になっちゃって。
「...わかった。降参だ降参」
ひらひらと両手を上げ、はぐらかす意思がない事を示す。お手上げだ。
「それで?...何のつもりだシンボリルドルフ」
「つれないね、昔はルドルフと呼んでくれてたじゃないか」
「昔は昔、今は今だ。...用件は?」
「取り敢えず座ってくれ、そうだな...そこでいいから」
そう指差されたのはルドルフの斜め前、副会長の使っている席だった。...使っていいのだろうか?座るだけとはいえ、副会長に良いイメージはあまりない。
「安心してくれ。私が座って良いと言ったんだ。彼女は何も言わないし、言わせないよ」
「......」
...なるようになるさ。
そう心の中で呟きながら恐る恐る椅子に座る。するとルドルフは気がついたら俺の目の前に椅子を移動させて向かい合うような形で座っていた。
「それにしても久しぶりだねコーチ。元気にしてた?」
「...なぁ喋り方おかしくないか?」
さっきまでの、もとい皇帝としての喋り方というよりは、心なしか年相応といった感じに柔らかい印象を受けたが、間違ってはいなかったらしい。ルドルフは目を丸くし、笑いながらさも当然のように俺の足に手を置いてくる。...ボディタッチする意味ある?
「コーチの前ぐらいいいじゃないか。小さい頃のことも知られてるんだから。それよりもコーチ、何で私になんの反応もしてくれなかったんだい?」
「…今はもうコーチじゃないからな。それに君は学生で俺は事務員、それだけだ」
「公私混同ね...貴方ならそう言うと思っていたよ」
左手を顎の前に持っていきながらふふっと懐かしそうに笑うルドルフ。成長し、女性として美しくなって様々な仕草がサマになっているルドルフに俺は時の流れを再認識させられる。
「コーチはいつからここに?」
「...大学卒業してすぐだ。ちょっとしたツテがあってな」
「そうだったのか...私は嬉しいよ、また貴方に会えて。...とは言ったものの、あの時顔を合わせるまで貴方の事は忘れてしまっていたが」
当たり前だ。たかが雑用係一人の事まで鮮明に覚えていたらそれはそれで怖いというものだ。それと、
「コーチもやめにしないか?もう俺はコーチじゃないし、そもそもコーチらしい事もしたことないだろ?」
「...そんな事はない。貴方にとってはたかがアルバイトの雑用だったかもしれないが、私にとっては当時とても助かっていたんだ。あれほど私達の夢を純粋に応援してくれていたのは両親を除けば貴方ぐらいのものだった...貴方がいたから、私は自分の夢をただの理想で終わらせない覚悟をすることができたんだ」
「...それで俺を忘れてたのか?」
「...耳が痛いね。なんと言ってくれても構わない。幻滅しただろうが...これは本心だよ」
声が震えている。忘れていた罪悪感を感じてくれているのだろうか?彼女のそういう所は変わっていないらしい。先程から置かれている右手を軽く握る。当時もやっていたことだ。深い意味はない。
「ありがとう」
「ねぇコーチ。どうしてトレー「シンボリルドルフ」...なんだい?」
「それは駄目だ...聞くな」
半ば強引に遮ってしまったが、後悔はない。絶対に聞いてくるとは思っていた。しかし、今ココでその事を聞かれたら、自分が惨めで惨めで仕方なくなる。...それこそ俺の居場所がなくなってしまう。――いや、既にもう遅いか。現にもう、俺は彼女の目を見て話せなくなっている。
「...そうか。軽率だった、ごめんなさい」
「いや、気にしないでくれ」
俺の様子が普通では無いことに流石に気がついたのだろう。それ以上追求する気はないようだった。
「...いけないな。つい貴方と話せるとなると嬉しくて、色々と聞いてしまう」
「大丈夫だ。別にトレーナー試験に落ちたとかじゃない」
「...ウマ娘が嫌いになった訳でもない?」
「嫌いだったらこんな所に就職してないさ」
「...そうか。うん、よかった」
なぜこうも彼女は俺を気にかけるのだろうか?俺自身彼女にこんなに気に入られる程の事をした覚えはないが、こうも耳を垂らし、しおれているのは予想外だ。いつもテレビや記事で見る威風堂々とした彼女の風貌からはかけ離れている。
「なぁ...貴方はこれk「カイチョーッ!!!」っ!?」
ルドルフが何かを言いかけた所でバンッと大きな音を立てて生徒会室の扉が乱暴に開かれた。咄嗟に音のした方を向くと、ルドルフの小さい頃によく似ている元気なウマ娘が立っていた。
「今日もあそっ!...びに...へ?」
満面の笑みで入ってきたと思ったらタチマチ顔を赤くしていくルドルフに似たウマ娘。不思議に思いルドルフと自分を改めて見ると...あぁ、なるほど。
「か、かかかカイチョー!その人だれ!?」
「テイオー...」
俺とルドルフは向かい合って座っているし、何なら俺がルドルフの手を握っているぐらいには距離も近い。加えてルドルフに覇気がなく、ただの女の子になってるときた。こりゃ参った。
俺はルドルフの手を離し、未だあわあわとしているテイオーと呼ばれた子の方へ向き直った時、
「こら!テイオー!会長の邪魔...を...」
「あ」
おそらくテイオーを追ってきたのだろう。今俺が座っている椅子の本当の主、副会長のエアグルーヴが飛んできたように現れ、俺とルドルフを交互に見て表情を変えた。
「...貴様。会長に何をした?」
これだから副会長サマは嫌いだ。ルドルフの事になるとすぐに沸点が低くなる。今にも視線だけで殺されそうだ。どうしたものかと考えていると、俺の横から声がした。
「やめるんだ、エアグルーヴ」
「会長...ですが!」
「聞こえなかったか?やめるんだ」
「...わかりました」
威圧の効いたいつもの聞き慣れたルドルフの声に振り向くと、そこにはさっきまでの弱々しいルドルフはいなかった。...切り替えの速さは流石である。
雄気堂々な生徒会長としてのモードになったルドルフにエアグルーヴは強気には出れなかった。
「カイチョー...?」
「テイオー。いつも言っているだろう?入室する時はノックをしろと」
「...ごめんなさい」
「話はすぐ終わる。...もう少しだけ席を外してくれ」
「...わかりました。行くぞテイオー」
「...すまないね」
「いや、まぁ...ね」
話の腰を折られてしまい、なんとも言えない空気が広がるが、ルドルフが先に切り出してきた。いつの間にか彼女の手にはメモ紙のようなものが握られている。
「これを...受け取っては貰えないだろうか?」
「これは?」
「私のアドレスと番号だよ。...ほら、毎回貴方をここに呼ぶわけにもいかないだろう?」
「そんなに俺と話す事があるのか?」
「あるとも...貴方が今まで何をしていたのか、とか。貴方が辞めてしまった後の話とか」
「...そうか」
俺は受け取るのを断ろうと思った。ここで彼女を受け入れれば、ズカズカと俺の知られたくない事情にまですぐに足を踏み入れるだろう。それはなんとしても避けたい。だが...
『私、がんばるっ!』
「っ」
不意にフラッシュバックした当時のルドルフ...あの時はたしか、トレーニング中に怪我をしてしまった彼女の手当をしていたような...そんな記憶がある。あの時彼女は泣きじゃくっていた。周りの重圧や己の中で様々なモノを溜め込んでいたのだろう。それが軽い怪我であっても、彼女の心のダムを決壊させるキッカケになるのは容易であった。そして俺は――――
「...そうか」
「コーチ?」
挙動不審な俺を不思議に思ったのだろう。ルドルフが心配そうに俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。...やめてくれ。これじゃ、あの時と逆みたいじゃないか。
当時の俺はルドルフに向けこう言った、
『君の夢はとても壮大で、俺なんかが軽々しくできるなんて事は言えない。でも、君が諦めない限り道は続いているし、僕みたいに周りには助けてくれる人がいるんだ。だから頼って欲しい。僕は君の味方だよ』
...今でも覚えている。最初はなんて無茶な夢を語る子なんだ、と思っていたが、次第に彼女は結果で答えようと必死に努力し、俺を始めとした周りに否が応でも納得させた。だから俺はバイトを辞めた後もルドルフの事は覚えていた。
そんな子に逆に心配され、手を差し伸べられているのはなんとも数奇なものだが、...俺は夢を諦めた身だ。諦めた者が、達成者の邪魔を...波風を立ててはいけない。俺は流される事を選ぶ。
「...わかった。だが、俺には話したくないことが五万とある。それでもいいか?」
「っ!あぁ!ありがとう...感謝する」
心底ホッとしたように肩を下ろすルドルフに名状しがたい感情を抱きながらも、俺はメモを受け取り、ポケットに入れた。先程から廊下でギャイギャイと二人が言い争っている声が聞こえる。もう出たほうがいいだろう。
「...っ、コーチ」
「ん?」
「これからまた...よろしくお願いします」
「俺にできることは何もないよ。強いて言うなら事務方の仕事の融通ぐらいだ」
「...今はソレでいいさ」
「?」
最後のは言っている意味がよくわからないが、取り敢えず俺は外の二人に何を言われるかを思い受けべながらドアノブをひねった。
今はこれでいい。まだ時間はたくさんある。
貴方は隠したい事が多いみたいだけど、それでもいい。過去じゃなく、これから新しく作っていければいい。そしていつか――――
『私の隣に立って、私の行く末を見ていてくれればそれでいい』
彼のいなくなった扉を眺めながら、ルドルフは彼に握って貰っていた右手を反対の左手で優しく包み込むように大事に握りしめた。
重くはならないと思います。さっぱりよ、さっぱり。