ボクは目の前の光景が幻じゃないかと疑った。
あのかっこいいカイチョーが知らない男の人と手を握り合っている。
「か、かかかカイチョー! その人だれ!?」
カイチョーのトレーナーならこの状況もまだ理解できる。カイチョー達が人バ一体で邁進してきたのをずっと見てきたボクからすれば親しい関係になるのもおかしくはないかも、とどこかで思っていたから。でもそうじゃない。
そもそも彼はトレーナーじゃない。トレーナーは胸元に指定のバッジをつける事が義務付けられているけど、パッとしない彼を見てもそんな物を付けている様子はない。代わりに彼の顔写真と一緒に緑川と書かれた名札が首から掛けられていた。...ということはこの学園の職員...?なんで職員がカイチョーと...。
その後、一人生徒会室から出てきた緑川に対しボクとエアグルーヴはカイチョーについて聞こうとしたが、仮面のような笑顔を張り付けて軽くあしらわれてしまった。カイチョーもボク達に彼の事を話してくれるような感じじゃないし、あの緑川の雰囲気...失礼かもしれないけど気に入らなかった。
翌日、ボクはカイチョーとどんな関係なのかが気になり、彼を観察する事にした。本当はまだ入学したてだから、これから入るであろうチームの偵察や吟味をしなくちゃいけないけど、まだ余裕...なはずだから大丈夫だよね?なんたってこのテイオー様だもん。引く手数多だよ。
そんなこんなで始まった緑川観察タイム。しかし...
「ふ、普通すぎる...」
かれこれ数日が経ったというのに、何の変哲もない事にボクは立膝をついて唖然としていた。何か特ダネでもあればカイチョーにバラしてやろうとか思ってたのになんだこれ。折角ワガハイの貴重な時間を使ってるというのに、これじゃただのサラリーマンじゃんか。もっとこう...カイチョーとお昼を一緒に食べるとか?甘々な事無い訳?...ま、だから今まで彼とカイチョーが仲良しなの知らなかったというのもあるのかな。
ただ気になる事が全く無い訳ではない。生徒会室から出た時に見せたあの仮面。あれをいっときも崩していない。ボクが観察してるのが外にいる時だけだから、外用の顔なのかもしれないけどね。...まるでカイチョーみたい。大人って皆そうなのかな?―――だったら。
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放課後。今日もいつもの様に彼がいそうな場所を探すが中々見つからない。流石に帰るには早いだろうから残りは...いた、彼だ。でも今日は珍しいな、練習用コースに来てるなんて。ウマ娘が走るのに興味あるのかな?
...もういいや、訳わかんない。直接ワガハイが問いただしてしんぜよう!!
「何してるの?」
「っ。...君はたしか」
「A組、トウカイテイオー」
後ろから声を掛けたのはちょっと意地悪だったかな。ビクッと肩を震わせてた。今朝のマックイーンの時といい、不意に弱いのかな。
「トウカイテイオーね。どうしました?私に声なんか掛けて。私の監視はもう終わりですか?」
「えぇ?!バレてたの!!」
「ウマ娘が後ろにいたら目立って嫌でもわかりますよ」
「えー?街中とかいっぱいいるじゃんウマ娘ぐらい」
なーんだ、バレてたのか。
よいしょっ、と呟きながらボクは練習コースの観戦エリアに設けられているベンチに腰掛ける。
「同じ子にピッタリと後ろを歩かれる事はそうそうありません。次からはもっと変装したりする事を勧めますよ」
「...怒ったりしないんだ?」
「シンボリルドルフに相談しようと思ってた所ではありますよ。君の後輩が監視してくるって」
「別に監視だなんて思ってない。ただカイチョーと仲良くしてたのが気になっただけ」
「...そうですか」
なんとも違和感のある間のある受け答え。それじゃナニカありますって白状してるようなものなんだけど。
ベンチに座っちゃったボクからだと、転落防止用の柵に肘を置き前かがみにもたれ掛かってる彼の背中しか見えないけれど、心なしか背が一回り小さくなったような気がした。
「カイチョーとはどんな関係なの?」
「言えませんよ。私に聞いてくるという事は、彼女が教えなかったという事でしょう?」
「むぅ...じゃぁここで何してるの?」
「...外の空気を吸いに来ただけですよ。ずっと屋内で事務仕事というのも結構窮屈なんですよ?」
「あっそれわかる!ボクもずーっと練習してたいんだよね!勉強なんてやりたくない」
「ダメですよ」
「...わかってるよ。カイチョーがいつも言ってるもん、文武両道って」
勉強が大事なのも頭ではわかってる。だから成績だって決して悪くないし、うまく両立はできている方だと思う。けどだからといって乗り気でやってるかと言えばそれは違う。イヤイヤやってる様なもの。
「君は座学が何のためにあると思います?」
「え、何?お説教?」
「違いますよ。ウマ娘にとって座学はとても重要なものです。でも君はまだそれに気がつけていない。そんな気がしたので」
「ふーん...わかんない」
どうせ在り来たりな事を言うつもりだろう。そう思って彼を冷めた目で見てると、予想外な切り出しをしてきた。
「コースの特徴把握、身体構造の把握、脚質別の特性把握...レース場で走る時に何も知らないで走るよりは、自分の強みを理解している方が精神の安定度は高い。まぁ一般科目も中にはありますが、それらは卒業後に活かされます。...端的に言えば座学は精神の安定剤。知っていれば知っているほど、土壇場で自分の背中を押してくれる心強い要素です」
「へぇ...」
少し彼の事をバカにしすぎていたかもしれない。頭ごなしに押し付けず、且つ、
「意外だなぁ。随分ウマ娘の視点で言ってくれるよね?」
「...さぁ?そうでしょうか」
「おかしいと思ったんだ。カイチョーと親しいし?今だってずーっと走ってる子達の事見てるじゃん。ボクの事なんて話しかけた時だけなんだけど、その後一度もこっち見てくれてないよね?」
「...」
黙っちゃった。まぁいいさ。ボクが監視してたって言ってたし、そりゃいい印象とかはないだろうけどさ。もうちょっと見てくれたっていいじゃん。...それならこっちにも考えがあるもんね。
「ねぇ、マックイーンとも朝なにか話してたよね?」
「...そういえばその時も後ろにいましたっけ」
「すっごいマックイーン笑顔だったけどどんな関係?教室でもあんな笑ってるの見たことないよ」
今朝は驚いた。
トレセン学園に入学して初めて実技のタイム測定があったその時から、ボクがライバルとして認めたあのメジロマックイーンと彼が知り合いだったなんて。それも終始上機嫌で、尻尾なんてブンブン振っちゃってさ。明らかに普通じゃないもん。
「彼女とは数年前から交流があっただけですよ」
「メジロのお嬢様と?職員の君がぁ?」
「...」
あぁ、やっとこっちを向いてくれた。
「何が言いたいんですか?」
「君はなんなの?ボクの憧れてるカイチョーも、ライバルのマックイーンも、どっちも君と繋がりがある」
「だからなんだと言うんですか」
「君は本当に職員?実はトレーナーでしたーって言われた方が納得するよ」
「...違いますよ。バッジなんてどこにも付けていないでしょう?」
ため息まじりにそう言うと彼はまたコースで走っている子達の方へ向き直ってしまった。...わからないなぁ。
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そうだ。俺はトレーナーなんかじゃない、ただの事務員だ。
トウカイテイオーの言葉は俺の急所を的確に抉ってくる。俺はあの日に心が完全に折れてしまった。トレーナーとしての道を潰され―――いいや違うか。自分で潰した。
キッカケが親父達の行動なのは間違いないし、心が折れたのも事実。それをマックイーンに救ってもらわなければ恐らく来世に希望を抱いて旅立っていたかもしれない。
しかしその後で俺は理解してしまった。マックイーンの手を取り、緑川家との縁は切れたも同然になったというのに...求めていた自由の身になったというのに、俺はトレーナーを目指していない。
与えられた事務員という席に甘んじ、何の責任も発生しない外野からウマ娘達を眺めながらトレーナーの真似事を空想する。結局俺はトレーナーという華やかな部分にだけ憧れていただけで、彼女達を頂点へ押し上げる、なんて覚悟は全く出来ていなかった。...でも仕方じゃないじゃないか。視えてしまうんだから。
トレセン学園に就職が決まった時から、俺はウマ娘を指導する立場に一生ならないと心に決めたつもりだった。それは心が一回折れたというのもあったが、マックイーン達に恩返しをする為に何が何でも『もう心配ないぞ』という姿を見せたかったのだ。
けれどそんな考えは甘かった。最初は淡々と仕事を熟しているだけで問題はなかったが、ある程度仕事に慣れ、休憩時間など業務上余裕が生まれて不意に事務室から窓の外に目をやった時だった。
その瞬間、俺は大きな間違いを犯してしまった事に気がついたがもう遅い。窓の外でキラキラと輝きながら走る彼女達を視てしまった。
彼女達を視た瞬間。視界に入っている彼女達のコンディションや体の具合、重心がズレている子、体力が怪しい子、負荷のかかり具合...様々なものが瞬時に頭の中に展開され、彼女達の成長が手にとるように理解ってしまう。無意識にイメージが頭の中に書き出されていく。
これが青山さんに買われた俺の『才能』であり、足枷だった。
これを才能といっていいのかわからないが、この力は本当に迷惑極まりない。トレーナーにとっては成長度合いがわかるのはいいのかもしれない。しかしこれは...そんないいものではない。
「きゃっ!?」
「っ」
―――あぁ、視えるというのは本当に無慈悲なものだ。
一人のウマ娘が前のめりに倒れるのと同時に聞こえた悲鳴に俺は思わず顔をしかめた。
俺は元々あまりウマ娘の練習風景を眺めることはしない。トレーナーでもないのに頭に浮かぶ様々な情報を基に彼女達の事を考えた所で、親切に伝える程のお人好しでも勘違い野郎でもないからだ。ただ今日は偶々書類を別の課に提出した帰りに練習コースに向かっていた彼女達とすれ違い、妙な胸騒ぎがした。
幸い今日はもうノルマは終わっているし、上司に許可をとり観戦エリアで彼女達一人一人を視ながら不安材料の洗い出しを行った。...そして俺は緋色の長い髪を2束に別けツインテールにしているウマ娘のコンディションが最悪である事がわかった。なぜこんな体調の悪い中練習を行っているかは甚だ疑問だが、一緒に練習している娘達と話している所を見ると表面上は取り繕って誤魔化しているし、自覚はあるようだった。
「あれは...スカーレット?」
「知り合いですか?」
「同じクラスだからね...それよりいいの?」
いいの?とは恐らく救護しなくていいのか?ということだろう。しかし彼女達がトレーニングしているならトレーナーが近くに...いない?
そこで俺はハッとする。
「...トウカイテイオー。君はさっきA組と言いましたか?」
「...?うん」
A組ということは普通科でいう1年...それならまだチームには所属していないはず。ということはこれは自主練であり、彼女の監督者はこの場にいない...?
「トウカイテイオー!保健室に行って担架と氷袋を至急お願いします!私は彼女達に指示を!」
「えっ?!わかった!」
俺の声を聞いて一緒に練習をしていた娘達が揃って俺の方に顔を向けるが、一向に倒れた彼女の介抱はせず、おろおろとしている。彼女達が使いものにならないと判断した俺は観戦エリアの安全柵を飛び越えてコースへと降り、彼女達の元へ走る。なぁにたかが高さ1mちょっとだ、なるようになる。
「君達!ちょっと離れなさい!」
とりあえず倒れた娘の状態を確認しなければならない。俺は倒れてうずくまっている娘に近寄り、肩を抱きながらゆっくり仰向けにさせる。
「足が痛むでしょう...他に痛い所はありますか?」
「う、腕も少し...腕で庇うように転んじゃったので...」
「そうですか...今担架を運んでくる様に頼んでいますから安心してください」
「ありがとうございます...」
耳も垂れ、先程までハツラツとしていた面影はどこへやら。彼女は痛みのせいか顔を歪ませながら拳を強く握りしめていた。