「理事長、お話とはなんでしょうか?」
「む!シンボリルドルフ、待っていたぞ!」
とある日、ルドルフはたづな経由で理事長室へと呼ばれていた。
理事長室に入ると座るように促され、目の前のテーブルにたづながティーカップを音なく置く。その後彼女は一礼しすぐ退出してしまった。
二人っきりになったルドルフは目線を理事長に戻し、頭の中で切り出されるであろう話題について予想する。季節は夏直前。夏合宿も控えているこの時期の呼び出しならば振られる話題などそう多くはないはず。合宿の事、定期試験の事、はたまた関係のない雑務...しかし、理事長から言い渡されたのは全くの予想外のモノであった。
「本題ッ!そろそろ今年のトレーナー資格取得試験の受験申請の時期になる。そこで日々生徒達を見ている君の意見が聞きたい。...今のトレセン学園は盤石か?」
ルドルフは驚いた。まさか自分にこのような話がくるとは、と。
トレーナー。それはウマ娘を鍛え上げ、頂点を目指す彼女達の杖となり支える必要不可欠な存在。
しかし、『中央』と呼ばれるここトレセン学園においては、長年解消されていない重大な問題としてトレーナーの慢性的な不足が喫緊の課題となっていた。
それを一学生に過ぎない自分に振られるとは正直考えてもいなかった。それだけトレセン学園内で『皇帝』という肩書が大きくなっている事に少し自戒を込めながらルドルフは自身なりに考えていた事を打ち明ける。
「唐突ですね...率直に言えば、肯定はできません。トレーナーの不足による一部チームの定員の超過問題、監督不届きによる自主練での故障問題、担当との関係悪化による退職。それに加え...規約違反した者達を掬い上げてトレーニングをしている者もいます」
「シリウスシンボリか...」
シリウスシンボリ。日本ダービー優勝後、ヨーロッパへ渡った実力あるウマ娘であり、ルドルフの幼馴染。帰国後は、違反や諸事情であぶれた娘達をかき集めてはトレーニングをさせているお山の大将、というのが一般生徒の認識だろう。
ルドルフは彼女の主張も一理あると思ってはいるため、今の所は勝手なトレーニング行為を黙認で通しているが、これもいつまで通じるかは不透明だ。
「彼女の件に関しては何かしら問題がある生徒を監督している受け皿ですから、本題に直接関係はないでしょう。ですがトレーナー不足というのは見過ごせない問題でしょう」
「そうだな...うーん。チーム制にしてもダメなのか...」
『難題』と書かれた扇子をバシッと拡げ、落胆する理事長。扇子を開くたびに変わる文字がどのような手品で行われているのか気になるが、直ぐに切り替える。
「もっと生徒達の能力を発揮させる場を増やせられればとも考えてはいますが中々...。進退両難、有望な原石も多いですが、トレーナー側も両手で抱えられるモノには限りがありますから」
どんなにスカウトや分析の機会を増やしたところでトレーナーにもそれぞれのキャパシティがある。1人につきっきりで能力を発揮できる者、数人を満遍なく指導し安定した結果を残せる者。それは様々だ。
「うむ。無理に担当を増やして悲惨な結果になった事もある。慎重にならざるを得ないのはわかるが...」
どうにも歯切れの悪い理事長にルドルフは怪訝な表情をしながら出された紅茶の淹れられたティーカップを持つ。
「外部からの引き抜きを強化しますか?」
「...うーむ」
外部からの引き抜き。即ち、地方のトレセン学園や個人のトレーナー資格を持つ優秀なトレーナーをヘッドハンティングする。『中央』である以上、各地方で開花した優秀なトレーナーやウマ娘はルドルフの様な生徒会や一部のトレーナーが視察し本人達の希望に添えるように調整をし、迎い入れる。決して珍しい事ではないが、理事長の反応は芳しくない。しかしその反応にはルドルフも思う所があった。
「バッシングが強いですか?」
「無念...。彼らの言うことも理解できるからな」
ヘッドハンティングもやりすぎれば悪目立ちをする。『中央』にトレーナー、ウマ娘共に引き抜いてしまえば、残るのは痩せ細った出し殻だけ。各々が『中央』を志している内はいいが、引き抜かれて残された者や、夢破れた者にとっては憎いだけの組織になる。心象悪い者が出るのもおかしい話じゃない。
それに加え引き抜いた後に様々な事情で退学、退職するのだ。端から見たら遣い潰しているようにしか見えないだろう。しかしここは生易しいお遊戯会をする場所じゃない。食うか食われるかの殺伐とした戦場だ。表向きは皆明るく振る舞っているが、その裏では各々が闘志を燃やしている。毎日必死なのだ。
「背景は凡そ理解しました。それで外部から無理なら内部から、ですか」
「そうだ。キャリアアップという建前にもなるからな。勿論本人達が希望すれば、だが」
トレーナー業の過酷さを近くで見ている彼らが自分から手を挙げるとは思えないが...ルドルフはふと一人の顔が浮かび上がった。それは勿論―――
「...緑川さん。緑川隼人さんはどうでしょうか?」
「ッ!彼か...」
「ご存知なのですか?」
「まぁ...な」
含みのある間にもどかしくなるルドルフ。なぜ彼個人の事を知っているかの様な反応なのかも気になってしまうが、次に理事長が発した言葉に危うく持っていたティーカップを落としそうになる。
「彼は...彼
「...説明を求めます」
ルドルフは意識的に指に力を入れて平静に努めつつあらゆる可能性を探る。素行が悪い?大きな失敗をした?...しかしそんな事をしたのならトレセン学園に残っていられるというのも不思議だ。ここはそれだけ内外共に気を遣っている場所だ。少しでも不安材料があれば排除する。それも変えが効く事務員となれば尚更。
そう長考していると、理事長が察したのか慌てるように首を横に振りながら身を乗り出してきた。
「彼が何かした訳じゃないぞ!ただ...彼がここにいる理由が特殊すぎるだけなんだ」
「特殊、ですか」
「彼は普通の職員とは違う。彼は...推薦されてウチに来ている」
推薦。これには流石のルドルフも驚きを隠せない。別に推薦枠というのは、ない訳ではない。体裁を気にするが故に見知らぬ人材を採るよりもある程度勝手を知っている方を選考に混ぜるというだけで、結局個人の能力次第である。...これでも贔屓だろうが、問題を起こす可能性を極力排除したいだけだ。
もっとも、推薦を受けるということは、する者がいる。ここを目指す時点で大体は身内繋がりか師弟関係の延長だが...彼もその一人だったという訳か。
「そうなると推薦人は青山さんですか?」
「知っているのか?」
「私はトレセン学園の門を跨ぐよりずっと前に緑川さんと青山さんにコーチとして指導を受けていました。...といっても緑川さんはほぼ青山さんの付き人のようなものでしたが」
ルドルフは自分の中でのつっかかりが少し取れた気がした。あの日、食い気味に彼に遮られた時からあった違和感はこれだったのかもしれない。確かに、推薦となればあまり言いふらしたくはないだろう。
だが、それにしては彼の様子がおかしい。ただ推薦されたのを隠すにしては拒絶が強かった。加えて先程理事長は特殊
「そうか...君は青山の教え子だったか」
「大勢いる中の一人ですよ。個人的には緑川さんの方に恩を感じています」
「それなら...君ならいいかもしれないな」
「はい?」
理事長は徐ろに立ち上がると真っ直ぐにたづなが出ていった扉を開け、外に待機しているたづなを部屋の中へと促す。ルドルフは何がなんだかわからず、呆然とするしかない。
「どうされました?」
「たづな、彼女は青山と緑川君の教え子だそうだ」
「ッ!そうだったんですね」
「あの...話が見えませんが」
「あ、申し訳ありません!実は―――」
彼女の口から出た話はルドルフにとっては聞かないほうが幸せだったかもしれない物語だった。
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夏前だというのに日が傾き、空が朱色から暗闇へと移り変わる頃。今日は少しの残業を行い、やっと開放された俺は帰り支度をしながら飲みかけのコーヒーを飲み干した時、ジャケットの内ポケットに入れていたスマホが震えたのに気がついた。
「ん?」
差出人を見るとルドルフ...先日貰った連絡先からのショートメールだった。
内容としては噴水前に来て欲しいとの事。あそこは確か...三女神の像がある所だったか。
「お疲れ様でーす」
俺はとりあえず歩く方向を変え、ルドルフに呼ばれた噴水のある広場へと向かう。こうやって彼女から連絡が来るとは思っていなかったから、変に緊張してしまうが...なるようになるさ。
「ルドルフ」
「...あぁ、すまない。こんな時間に」
広場に行くとルドルフがポツンと噴水近くのベンチに腰掛けていて、それ以外に人影らしい姿は周りになかった。流石にこの時間になると全員トレーニングも切り上げて寮へと帰っているらしく、風が揺らす木々の音と水の流れる音だけが響いている。
俺はここに来る途中にカップ型の自販機で買ったアイスコーヒーをルドルフに渡し、彼女の隣に座る。それにルドルフは少し目を見開くも、ぎこちなく笑いながらコーヒーを両手で受け取り口に含む。
「あ、ありがとう...気を遣わせてしまったかな」
「態々会って話すぐらいだ。ただの世間話って訳でもないんだろ?」
「ふふっ...そのとおりだ」
俺も新しく買ったコーヒーを飲みながら横目でルドルフを見る。なんてこと無い様に取り繕ってはいるが、耳は垂れているし、いつも凛としてる彼女とは違いずっとうつむいてもいる。
「どうした?学園で問題でも起きたか?」
「問題...か。そうだな、大きな問題だ」
「...なに?」
冗談半分で言ったが本当に問題が起きていたとは。だがそれらしい話があれば我々にも通達なりが来るはずだが、それはない。となると生徒関係...?
「コーチは知ってるだろうか。ここではトレーナーが不足している事を」
「知ってる。けどそれが?」
「...先程、私は理事長室に呼ばれてね。紆余曲折あるが、成り行きでトレーナー資格の取得に意欲ある職員を紹介してくれと言われてね」
その瞬間、彼女の言わんとしている事を理解した俺は心臓を直接掴まれたかのような感覚に陥り、思わず呼吸を忘れるぐらいに体を強張らせた。それを彼女が見逃す事もなく、心底申し訳無さそうにこちらに頭を下げてきた。
「すまない。私は貴方の境遇を知らずに、推薦してしまった。...過去の、私の思い出をまた形にしたいがために」
「...」
どれだけ経ったかわからない。しかし自分の体が酸素を欲して生存本能が強制的に呼吸を再開させた事により我に帰る。
「待ってくれ...。俺の境遇と言ったか?まさか理事長は話したのか?俺の事を」
理事長達は俺がここに就職する時に包み隠さずに白状している。だからこそ、たづなが同情も込めて俺の事を気にかけてくれているのも自覚している。だが...なぜ彼女にそれを話したのか?
「私は...皇帝だからな。この学園を引っ張っている一人として、そして教え子として貴方の現状を理解して欲しいとして教えられたよ」
「そんな...」
「謝っても許されないとは理解している。人のプライベートを一方的に聞いたんだ。しかも君が話したがらなかったモノを」
「...」
俺は言葉が出なかった。
知られてしまった。よりにもよってあのルドルフに...後ろめたい、情けない過去に。
「...本当にごめんなさい。...それじゃ、私はこれで。...また、改めて謝罪させてもらうよ。コーヒー、ありがとう」
終始としてこちらの目を見ないルドルフ。これではあの時と逆ではないか...彼女は何も悪くないというのに。
「ルドルフ...」
「さよなら」
「...待てっ!」
逃げるように立ち上がるとすぐに背を向けるルドルフ。一瞬しか見えなかったが、座っている俺が下から彼女の顔を見上げる形になったから初めてわかった。彼女は泣いている。...なぜだ?
情けないと笑うなり、幻滅するであるなら理解できる。しかし、今目の前にいる彼女の行動が理解できない俺は反射的に彼女の肩を強く掴む。
「っ。...なんだいコーチ。殴らないと気が済まないかい?それなら...場所を変えてほしいかな」
「ルドルフ、正直俺は君がわからない。君が涙を流している理由も、俺から逃げようとしている理由も」
こんな事、俺に態々謝るような事じゃない。例え聞いたとしてもそのまま俺に知らせずに日常を過ごせばそれでいいのだ。でも彼女はそれをしなかった。
「教えてくれルドルフ。なぜ俺にこの事を打ち明けた?」
彼女がここまで自虐的になりながらも俺に謝ってきた理由を、俺は知らなければならない気がした。
「私が私を許せないからだよ。...ほんの出来心だったんだ」
「なに?」
「理事長は『皇帝』としての意見を求めた。しかし私は皇帝でもなく、生徒会長としてでもなく...ただのシンボリルドルフとして貴方を推薦した。私の残り少ない学園生活の中で、貴方との時間が作れたらどんなに素晴らしいかと想像して...ね」
俺がトレーナーになって、俺との時間…?それではまるで、
「それじゃ俺がルドルフを担当するみたいな話じゃないか。今の君のトレーナーはどうなる?」
「そうだとも...君がもしトレーナーになったら、私は迷わず君のチームに移籍する」
「なっ...」
俺は言葉を失う。意味がわからない。百歩譲って俺がトレーナーになったとしても、今のルドルフの担当はあの『皇帝』を『皇帝』たらしめた実力ある名トレーナーだ。それを蹴って俺に移籍...?正気の沙汰じゃない。しかしルドルフの目は力強く俺を射抜いてくる。これは...本気だ。
俺はコーヒーのカップをベンチに置いて強引にルドルフの両肩を掴んで真正面から向き合う形でルドルフの目を見えるように腰を屈めて言い聞かせる。
「バカ言うんじゃない!ずっとおかしいと思ってたんだ。君は俺を買い被りすぎている。落ち着いて考え直すんだ。俺なんかより―――」
「嫌だっ!!」
「っ」
「嫌だ...コーチは分かっていない。青山さんでもない、コーチ...貴方がいたから私は今ここにいる!」
「ルドルフ...?」
あまりのルドルフの気迫に俺はたじろぎ肩を掴む力が緩む。その隙にルドルフは俺の腕を払うと同時に強く掴み、手を震わせている。...彼女の泣き顔も相まり、まるで捨てられるのを恐れる子供のように見える。
「私の夢を笑わなかったのは家族以外で貴方が初めてだった!あの時から私は...家族が応援してくれてるのは身内だからだとわかっていた。だから、他人である貴方に背中を押された時!私は初めて認められた気がしたっ!」
たしかに俺は彼女の夢を応援した。実現は難しいだろうと思ったが、今こうして生徒会長として生徒の事を想い行動に移しているのだから大したものだと思う。俺とは何もかも違う別次元の娘、それが俺のシンボリルドルフについての印象。その娘が俺を慕い、あわよくば移籍すると豪語するのだからなんて言えばいいのかわからない。
そんな俺の戸惑いなどお構いなしにルドルフの声は段々と大きく力強いものになっていく。
「私は嬉しかった!貴方に肯定してもらえて...自分の考えはおかしくないと腹を括れた。でも貴方は途中で居なくなってしまった。...だから私は一人でずっと貴方の言葉を胸に突き進んできた!それで...それでっ!私は...また、貴方の下にいられるならって!自分の成果を見てもらおうって...」
「だが俺は...」
「関係ない!私にとっては唯一無二なんだ...コーチは貴方だけなんだ」
...彼女にかける言葉が思いつかない。日頃の皇帝とは似つかないぐらいに泣きじゃくり、弱々しく嗚咽する彼女を見て―――彼女の心の内を知っても尚言葉が出ない。
おそらく彼女はずっと一人だったんだろう。皆が皆知らずの内に『皇帝』を望み、ルドルフもそれに応えてしまう。だから気がついた頃には本当の彼女に寄り添える様な娘が周りに出来なかったのかもしれない。だからこそ息をつく間がなくなり、無意識の内に視野が狭くなった。俺がここに勤務している事さえ気が付かなかったのもそのせいだろう。...そう考えると彼女には知らず内に負担を掛けていたんだな。ここまで余裕がないルドルフは初めて見た。
「うぐっ...っ...」
もう声すら出せず、泣くことしか出来なくなっている彼女の頭を出来る限り優しく撫でる。
俺自身、彼女の吐露した事が信じられず、未だに頭の中の整理はできていない。でも、彼女の気持ちは受け取ったつもりだ。
「ありがとう...ルドルフ」
今の俺に言えるのは感謝だけだ。