プロローグ&トレーラー
日本 N県七枝市
どの県にも存在する規模の、小さくはないが取り立てて大きくもない街の総合病院。この街にてここを凌ぐ設備を備えた病院は存在せず、大勢の住人が日夜出入りするこの健康と生命の重要拠点は、当然の事ながら予期せぬ客が多く、今日もその中の一人が今まさに運び込まれようとしていた。
「患者は自動車と接触! 全身を打撲して骨折箇所多数、意識不明の重体です!」
清潔感の保たれた通路を複数の人間が走る。その中の救急隊員たちは一つの担架を支えており、そこには一人の男性が見るに堪えぬ有様で横たわっていた。
両開きの扉がその手を広げ、今日の患者を迎え入れる。ガタンと重い音を鳴らして扉が閉じ、「手術中」と赤いランプが点灯する。
救急隊員や通りがかった看護師たちがその様子を見守っていると、ロビーの方向から慌ただしい足音が近づいてくるのが耳に届く。
「……ん、……さん、父さん!」
悲痛な叫びを繰り返しながら走ってきたのは、十代半ばに届こうかという見た目の少女。少女が着用しているのは七枝市の住人なら一度は目にする市立七枝中学校のもの。年齢の判別は難しくはなく、その慌てようから、先ほど担ぎ込まれた重体患者の親族であろうと全員が判断し、悲痛な表情でその様子を見届ける。その少女は集中治療室の前にたどり着き、今まさに父親が入っていった場所を呆然と見つめる。その様子を見かねた救急隊員の男が少女に話しかける。
「
「……父は」
「ただいま治療中です。その、かなりの重体ですが、必ず助けます」
「そう、ですか」
励ましの言葉をかけるも、少女は反射的な受け答えしかできない。
無理もない、と男は思った。彼の記憶の限りでは、この少女は搬送された男性、琴織渡の唯一の親族だ。母親は物心つく前に逝去し、男手一人で育てられたのが目の前の琴織つばめという少女。
そんな誰よりも親密だった肉親が生死の瀬戸際を彷徨っている。その事実を目の当たりにした少女の心を推し量ることなど誰にもできない。多くの患者とその親族を見てきた男には、それが良く分かっていた。
故に自分にできることは彼女を平静にするべく励ます事のみ。
分かっている。ここでかける言葉が気休めにしかならないことも、目の前の少女を安心させる何の助けにもならないことも。
……そして、彼女の父親が助かる可能性が限りなく低いと言う事も。彼の経験は告げてしまっていた。
◇
父親の治療が始まって、もう数時間も経つ。
「……つばめ!」
今度はロビーの方向から少女の名前を呼ぶ声が響く、同じように七枝中学の制服を着た少女が駆け込んできた。大人しい印象を与えるつばめとは対照的に、活発的な雰囲気だ。
「……美緒」
「ニュースで見た。つばめのお父さんは……」
普段ならば軽い調子でつばめを元気づける彼女だが、この時ばかりはかける言葉が見当たらないのだろう、しりすぼみに話しかけることしかできない。
「だいじょうぶ。大丈夫です。私の父さんは、きっと」
「つばめ……」
自分に言い聞かせるように言葉を発するつばめの顔は憔悴しきっており、そんなつばめを美緒は見たことが無かった。諸事情により数日前にも疲れ果てた彼女を見たことはあるが、今の彼女はそれとはまったく異なる、希望を断たれた絶望の表情だ。
「手術中」のランプが消灯し、扉が開いて一人の医師が出てきた。その口は堅く結ばれ、決断的な光をその目に宿している。つばめはたまらず駆け寄って、容態を問うた。
「先生! 父さんは……!?」
「──出来る限りは尽くしました」
無念を押し殺そうとする沈痛な表情から告げられた、簡潔な結末。
医師は語った。彼女の父親は目覚めない。一命はとりとめたが、神経系の損傷が激しく、意識の回復を望むことができない。それこそ、
「そ、んな……」
その瞳から一筋の涙がこぼれ、茫然自失で立ち尽くす。医師もその様子に自分の未熟を悔いるが、このようなことは何度だってある。目の前の少女には酷だが、なにより彼女のこれからのために必要なことをしなければならない。医師は感情と理性を切り離して、すぐに今後の手続きについて切り出そうとした。
……途端、何かに弾かれるようにつばめは踵を返して走りだした。
「琴織さん!?」
「つばめ、まさか!?」
突然走り出したつばめに医師は困惑する。
対照的に美緒はその行動の意図を理解したのか、慌てて彼女の後を追う。
病院の外、既に日が落ち周囲は暗い。
誰もいない虚空に目を向けて、つばめは声を張り上げた。
「──
すがるように何者かの名前を叫ぶ。
──奇跡でも起きない限り。
医師の男のその通りだ。
専門職が言う『奇跡』など、まず起こり得ないと言うのと同義。「そんなものはあるはずもないが」という前置きの下に語られる、現実逃避の夢物語に他ならない。
だが、それが決して夢ではないとしたら?
己の運命を差し出すことで、願いを叶えることができるのだとすれば。
これからの生を、命を懸けた戦いに投じることを対価とすれば。
きっと、奇跡と呼ぶだけの結果を手繰り寄せることができるはずだ。
(できる、できる。できるはずだ。私には素質がある。
血眼になって周囲に視線を巡らせる。
端から見れば肉親の不幸に錯乱しているようにしか見えない。だがその瞳には確信があった。それが唯一の方法なのだと己の知識は導き出した。
そう、琴織つばめは知っている。
奇跡を叶える方法を。
人智を越える力を持って、現実を書き換える手段があることを。
──琴織つばめは知っている。
数日前までは知る由もなかった、魔法というものの存在を。
「ボクを呼んだかい? 琴織つば──」
どこからともなく、猫ともウサギとも呼べない見た目の奇妙な白い生物が現れる。
その生物が言葉を言い切る前に、琴織つばめは自らの要求を叩きつけた。
「父さんを……『
嗚咽まじりに懇願、あるいは脅迫めいた少女の叫びが夜の闇に木霊する。
彼女の父親は生きている。だがその意識がどこかへ行ってしまい目覚めることができない。ならばそれを
それはただの言葉遊び。
それらしいと考えただけの『恰好付け』。
迷走した思考によって選ぶ単語が異なったロジックエラー。
願いの結果には何の差異も無い筈のとんちにすぎない。
だが、
──その表現の差が、今後の彼女の運命を決定づけることとなる。
「──つばめ! どこにい、くの……」
一足遅れて、美緒が外に現れる。
彼女は友人が今何をしているのかを視認し、
「……駄目。つばめ、駄目ぇぇぇ!」
「──いいだろう。君の願いは叶えられる」
友の叫びも虚しく、
抑揚のない声が、その願いを祝福する。
「さあ、受け取るといい。これが君の、魂の輝きだ」
光が溢れ、少女の手の中には卵型の宝玉が一つ。
これこそがソウルジェム。
奇跡を願い、
今この時、新たなる魔法少女が誕生した。
世界の闇に紛れ、人の世を脅かす怪物たる魔女との戦いに身を投じる戦士。
絶望を打ち破り、世界に希望を齎すための少女たち。
それが、琴織つばめという少女に課せられた、新たなる運命だった。
◇
発端は、微かな違和感だった。
「なんといいますか、現実味がないのに恐怖を感じるんですよ。人間の仕業でも動物の仕業でもないような……」
連続する不審死事件。
「大丈夫、つばめの方は安全だから」
「あんな路地裏に、どうして美緒が……」
どこか怪しいものを感じる、友人の言葉。
浮かび上がる不穏の種に好奇心に駆られて、日常の裏に潜む脅威を少女は覗き込んでしまった。
「何ですか、ここは……!?」
そうして少女は、非日常へと引き込まれる。
「つばめ! 大丈夫!?」
「私の名は
「初めまして琴織つばめ。ボクの名前はキュウべえ。ボクと契約して、魔法少女になってほしいんだ」
繰り広げられる、魔法少女と魔女の戦い。
「……あそこに何かが見えます。これが私の魔法?」
「ふむ、魔女の口づけや人間の魂を視認できる、というわけですか」
「うりゃあ! ……結構あっけなく倒せますね」
「あれが魔女です。貴方が魔法少女となった以上、決して避けては通れぬ相手ですよ」
「ちょっとちょっと! 私を助けてー!!」
順調に進んでいく非日常。
だが、違和感は着実に現実を蝕んでいた。
「ちょっとちょっと、魔女を倒しているのになんで犠牲者が増えているの!?」
「あれ? 父さんはあんなものを持っていましたっけ……?」
「おかしいな。この町の魔法少女は始末した筈なんだけどなあ」
そして明らかになる、非日常のさらなる裏側。
「魔法少女が、殺人事件の犯人ですって!?」
「実は、私がこの町に来た理由は魔女を狩るためではなく、ある魔法少女を追ってきたのです」
「
現れる魔法少女。
立ち塞がるのは、人の悪意。
「これで私のサヨナラ勝ちだぁ!」
「私の娘に手を出そうとするとは、少々お仕置きが必要だね?」
「貴方は、父さんなんですか……?」
「その通りだつばめ、私の娘よ。私は何も変わらない。ただ、少しばかり思い出しただけなんだ」
秘められた真実は明らかとなり、少女の魂は絶望に呑み込まれる。
「そうだよ。私たちはこんなちっぽけな石ころに魂を変えられて、最終的に魔女になる運命なんだよ!」
「さあ、琴織つばめ。君の因果を回収する時だ」
「くっ……、浄化が間に合わない! 私は、また守れないのか……!」
「つばめ、つばめ! お願い、戻ってきて!」
そうして少女は、己の魔法の真の力を知る。
「どういうことだ……!? 彼女は確かに魔女になったはず! 何か魔法を使ったところで、魔女化を覆すことなんて……!!」
「何ということもあるまい。魔女になるから魔法少女なのではない。いずれ絶望を踏破するからこそ、彼女たちが魔法少女と呼ばれる所以なのだ。お前たちはその在り方を、誰よりもよく知っているはずだろうインキュベーター」
「──私、は」
病院の一角。明かりの落ちた治療室にて。
施術台の上で、一人の男が目を開けた。
薄らと開かれたその瞳は金色に染まり、やがて黒に戻る。
男は震える手で頭に手を伸ばし、己の存在を確かめる。
「──何が起きたのかはわからないが。まだ、眠い、な」
愛しい娘の顔を思い浮かべながら、その男は再び目を閉じた。
第一部のプロローグとトレーラーです。
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