ChapterⅢ【白昼夢】
「本当に浮いていたんですか?」
「ええ。私と五十鈴さんの二人が目撃したから間違いないですよ」
怪訝な顔のななかちゃんに説明し、れんちゃんも同意と頷く。
霧谷ビルのエレベーターは稼働しておらず、私たちは非常階段を昇る羽目になった。二十階もの高さを昇るのは魔法少女とはいえ普通に徒労だ。
後から知ったことではあるのだが、このビルはオーナーが事故で亡くなったことで宙ぶらりんになった権利関係のあれこれが色々あって完全に手付かず状態。テナントはガラガラ、上階部のマンションに住む人も失せてしまった結果、老朽化も相まって一旦取り壊しが決まっているという。
朽ちた屋上に足を踏み入れれば、視界いっぱいに飛び込む街並み。流石に高さ60メートル以上から眺める景色は壮観である。
「うん、やっぱりいますね」
その女性は相も変わらず浮かんでいるが、こちらに何かしてくる気配はない。
「……やはり見えませんね」
「ふーむ。となるとやっぱり幽霊か何かですかね?」
むむ、と目を凝らすななかちゃんだが、どうやら何も感じられなかったようだ。
魂を見る眼を持つ私や『成仏』の魔法を持つれんちゃんのように、霊魂に関する魔法を持った魔法少女とそうでない魔法少女の間には認識できるものに差がある。代表的なのが死霊であったり、実体のないエレメントなどだ。魔女は呪いが物理的な肉体を生み出すほどに凝縮された存在であるため、魔力の感知ができる者なら認識できるが、そうでない希薄な霊魂は専用のスキルが必要になる。やちよさん達の周りでうろちょろしていたかなえさんを誰も視れていなかったのはそういうこと。というか最近あの人を見かけないんだけど、成仏したのだろうか。
私たちが認識できて、ななかちゃんが視えていない理由はそれぐらいしか思いつかない。
「話しかけてみますか。おーい、あなた死んでますかー?」
「それ、話しかけ方としていいんでしょうか……?」
ななかちゃんのツッコミも虚しく、幽霊からの反応はない。
「……聞こえなかった、のでしょうか」
「いや、どちらかというと最初から声が届いていないっぽいですね。そんなに期待はしていませんでしたが、これも雑霊の類ですかね。ななかちゃんセンサーはどうです?」
「何ですかその名称は……特に反応はないですよ。そもそも認識できてない以上は反応のしようがないのでしょう。成仏とかさせられないのですか?」
「私のこれって力ずくで追い払ってるだけなので、あんまりむやみやたらに祓う気はないですね……」
他人に害を成す悪霊でもない限り霊魂は祓わない。それが私のスタンス。
普通の雑霊は何もせずとも放っておけばいずれ霧散する。できるからと言ってむやみやたらと力を濫用すれば、どこかで面倒ごとが起きるのだと父は言っていた。私もそれに倣い、自分にとって必要でない限り、死者への余計な干渉は控えている。
だからこの幽霊が今回の事件の被害者であったとしても、私がどうこうするつもりはないわけで……。
「――ん?」
そこで、気づく。
「どうかしましたか?」
「ああ。いえ、よく考えてみればちょっとおかしい気がして」
「おかしい、とは?」
「なんでこの人、宙に浮いているんでしょうかね。飛び降りて死んだなら、ここか下にいる筈なのに」
幽霊とは残留思念という性質上、基本的に死んだ場所あるいは生前の思い入れが深い場所に出没する。だからこの屋上か、死亡地点であるビルの地上部分にいるのは何らおかしくない。
だがこの幽霊は屋上から少し離れた空中に存在している。屋上の淵から思いっきりジャンプすればどうにか届くかもしれないという場所。自殺に来る人間がそんな高く跳びあがるだろうか。
「ふむ、私からは見えないので何とも言えませんが、れんさんはどう思いますか?」
「えっと……多分つばめさんの言う通りだと思います……はい」
「なるほど。では、その幽霊とやらが今回の事件の原因でしょうか」
「それを調べる必要があるのでしょう。まあ、こういう訳の分からないやつは夜になると正体を現すのがお約束です。ここでもうちょっと待ってみましょう」
恐らく夜。
時刻は17時半……もう少し待てば18時。即ち逢魔が時。昼と夜の境は、他界と現世を繋ぐ境目。魔に逢う時刻は、怪異と最も出会いやすい時間帯だ。そしてそれは迷信ではなく、実際に魔女もこの頃からこちら側への行動を活発化させる。
ならばここに何かが潜んでいた場合もまた何かしらの変化が起こるのではないだろうか。新たな犠牲者がここに現れる可能性もあるのだから、屋上に潜んで見張っておくのが吉だと考える。というかもう一度ここまで上りたくない。
「わかりました。れんさんのほうは大丈夫ですか?」
「はい……」
「それじゃ、待機っと」
そうして、日が沈むまでの少しの間。
それとなく周囲に気を配りながら、私はこの屋上からの光景を眺めていた。
使い魔を通じた鳥の視点。俯瞰の視座を知る私だが、それでもこうして街並みを見下ろすことには心を躍らせる。
高いところから望む街というのは、それだけで人を圧倒する。
以前に大東団地から見た光景は穏やかで柔らかいものだったが、ここからの眺めはそれとは真逆。四方八方から流れ込んでくる情報は、抗えない暴力のように心を殴りつけてくる。
ここからなら参京区が見える。あのあたりが水徳商店街なら、私の家は大体あのあたりか。
不思議なものだ。日々を過ごし、歩きなれたはずの街並みが、ただ角度と距離を変えただけでここまで別物に見えてしまう。
これは私たちが暮らす街だ。それでもこれは違うものだ。
それは空を見上げるのと何が違うだろうか。海を見渡すのと何が違うだろうか。
自分の手が届かない眺め。常識が通用しない世界。
雄大なものへの憧憬と畏れは、自分の意識すら遠くへと運んでいくようで。
そっと床を蹴れば、そのまま体は重力の軛から解き放たれて空へと吸い込まれていく。
ふわふわ。ぷかぷか。
私の体は、プールに潜った時のようにゆっくりと動きながら空中に留まる。しかし纏わりつくような感覚はなく、ただ自分にかかる圧力がないという現状はまるで浅い微睡みの中にいるような心地よさがあった。
眼下には摩天楼。
見慣れた形状の展望台が、ここが神浜の街であると主張する。
街並みを上から一望しつつ、ゆらゆらと漂うのは甘美でとろけるような気持ちよさだ。
なんともいえぬ色彩の空もまた、幻想的な気分に浸らせてくれる。
周りを見れば、いつの間にいたのやら多くの人たちが気持ちよさそうに浮かんでいる。どうやら、翼がなくても人は飛べたらしい。
ななかちゃんもれんちゃんも、ゆったりと空を飛んでいる。
嗚呼、これはなんてすばらしい夢のような体験だろうか……。
……。
………。
…………夢?
「あ、これ夢だわ」
◆
「ぶへっ」
気が付けば、そこは元の屋上だった。
仰向けに寝っ転がった私たちを、三日月が笑うように見下ろしている。
「えぇ……」
どうやら見事に取り込まれていたらしい。
くそっ、何たる失態だ。
屋上の外側に目を向ければ、そこには月を背にして浮かぶ女の人。
昼間よりもはっきりとその姿を捉えられるその人は、空中からふわふわと物憂げそうに私たちを見下ろしている。今はそれが無性に腹立たしい。
「こんにゃろっ」
羽根を魔弾に変えて射撃してみるが、弾丸は半透明な体をすり抜けて空の彼方へと飛んで行った。
幽界眼でも完全に捉えられていないからやはりと思っていたが、どうやらあの空間でないとあちら側に干渉できないらしい。
攻撃を仕掛けられた向こうはというと、何もせずただこちらを見つめて続けている。
「うーん、どうしたものやら……とりあえず二人を起こしますかぁ」
二人の体を揺すったり、頬っぺたをぷにぷにしてみたりしてみる。あらやだ、れんちゃんの頬っぺためっちゃやわこぃ……。
「つばめさん……これは……」
「ぁ、ぅうん……」
「おはようございます。まあ夜なんですが」
二人とも周囲を見渡し、自分たちがどうなっていたのかを理解したらしい。
「……どうやら、してやられたみたいですね……」
「ええ。三人仲良く夢の中でスカイウォークでしたよ。私が居ながらまんまと引っかかってしまい、面目ありません」
「そうですか……彼女は、今もそこにいるのですか?」
「ええ。でも攻撃とかはダメ。すり抜けて効果がなかったですね」
「なるほど……あちらからは何もないようですね。どうしますか?」
「見逃してくれるっていうなら一度退きましょう。正直、今の私たちじゃどうしようもない」
あと地味に魔力がごっそり持ってかれている。だから戦闘する余力も正直もうない。
私はともかく、お二人はソウルジェムの穢れを気にする必要がある。ここでこれ以上の消耗は避けたいところだった。
「しかし……この女性。魔女とは少し異なる存在のようですね。つばめさんは何かご存じですか?」
「さて。恐らく力を増した怨霊に近い存在だとは思いますが……独自の結界まで持っているというのはちょっと経験がないですね」
「未知の存在ということですか」
「ぁの、つばめさん……」
「ん? どうしました五十鈴さん」
れんちゃんは少し言いよどんだ後、ある事実を口にした。
「……あの人、幽霊でも魔女でもなかった。あの人、まだ生きている人です……」
「なんだって?」
◇
ChapterⅣ【明晰夢】
「――そういうわけで、彼女たちは最初の調査ではまんまと相手の術中に嵌り、私に助けを求めてきたわけだ。中々賢明な判断ができる子だろう?」
渡は愉快そうに笑い、ぐいっと二杯目の珈琲を飲み干す。
つばめ達の苦境を愉しんでいる……のではない。単に娘に頼られたことが嬉しいだけである。
「空を飛ぶ夢を見せる怪異か……」
「七海先輩の言っていたことは本当だったんですねぇ」
「その通り。あのビルの上に浮かぶのは幽霊ではなく、生霊を依り代とした魔法生命。彼女は一人神浜の空を漂い、夢の飛行に望む者を毎夜のように自らの裡に引きずり込んでいたんだ」
「じゃあ、自殺した人たちはその犠牲者だったってわけか」
「事実としてはそうなる。とはいえ、本来ならここまでの惨事にならなかった筈ではあるけどね」
「どういうことですか? 夢を見せて捉えられた人が、自殺者として扱われているんじゃないですか」
「まさにそこなのだよ。今回の事件の趣向はね」
首を傾げた二人に、いきいきとして種明かしを始めようとする渡。気分を変えよう、と空になったカップを脇に避け、代わりに小さな香炉を取り出す。たちまちのうちに甘味の混じった爽やかな匂いが立ち込め、まさに怪しげな話をするという雰囲気を形づくる。
そんな彼の様子にみたまは微笑みを浮かべつつ、その口から繰り出される言葉の一言一句に注意深く耳を傾けている。
「さて。件の怪異、すなわちウワサについてだが。噂の内容をそのままに解釈するならばそれ自体に害は少ない。例えばおまじないをした結果、その通りのものが夢に出るようなものだね。これは単なる自己暗示なのだが、実際に人の意識は浮きやすくなっていたりする。空を飛ぶ夢や落下する夢を見たことはないかい?」
「まあ、少しぐらいなら」
「あれのいくらかは実際に意識が外に飛んでいることで幻視するものなんだけどね。ウワサの原理も同じだよ。条件を満たした人間に催眠をかけ、そのまま意識を介して肉体ごと自分の領域に引きずり込んでわずかに活力を奪う。目が覚めれば軽い倦怠感が残る以外は概ね異常なし。本来なら放っておいても問題のないささやかなものであったはずだ。それにしては規模や出力が頭抜けていたがね。恐らく活動時間を限定することで文脈としての強度と既存の伝承との照合を図ったのだろう」
類感魔術としては常套手段だな。とは言うが、ももこには何が何やらさっぱり分からない。対してメルはしきりにふむふむと頷いている。彼女は渡が何かしら魔術についての知識を披露するたびに彼女は興味津々で食いついている。恐らくは自分の用いる占いのメソッドに応用できるものがないかと考えているのだろう。その様子に満更でもなくなった渡がさらに蘊蓄を垂れ流し、いつの間にか話が明後日の方向に飛んでいるというのが割といつもの展開ではある。
「ささやかって……もう六人も犠牲者が出てるんだろ? それにそのウワサの中にはもっと人が捕まってたんじゃないのか?」
「そこだよ。それだけ多くの人間が誘われておきながら、表沙汰になった自殺者は僅かに六人。これが積極的に人を喰らう怪異なら、もっと多くの死体が上がっているほうが自然だと思わないか?」
「……まあ、確かに」
これが魔女ならばとっくの前に人間を喰らい、多くの犠牲者が出ていたであろう。
しかし今回は数えられる程度の犠牲者しか出ていない。それがこの件の違和感であり、事件の真相に近づく点なのだと渡は指摘する。
「引き込まれるトリガーは夕方以降、一定以上の高度にある屋上に立っていること。抜け出すのは目が覚めること。この場合、つばめは精神攻撃への耐性を用意していたから自力で抜け出せたわけだ。そうでなければ朝まで夢の中で浮かんでいた。そんなほぼ入れ食い状態で実際に犠牲となった者が少ないのは何故か。考えられる理由としては、その目的が人間を殺すことではないから。夢に招いた人間から精神のエネルギーを持続的に搾り取るのが目的なら、自分からリピーターを減らす真似はしないだろうね」
生かさず殺さず。夢と現実の狭間に揺れ動く人間の感情エネルギーを搾取する。その中にいる間は決して抵抗されず、万が一目を覚ましてしまえば自動的に追放する。まるで、何者かがそのように意図して生み出したような機能を持ったその
勿論、そこには思いもよらぬ落とし穴があったわけだが。
「ではなぜ死人が出てしまったか? 私に言わせれば、これは事件ではなく事故だよ。本来ならば夢を見せるだけのものが、あろうことか死を誘発してしまったのだ」
「つまり原因はウワサじゃなくて、死んだ人たちのほうにあるってこと?」
みたまの言葉は一見すれば的外れもいいところだったが、渡はその通りだと頷いた。
根本的な問題は被害者のほうにあり、ウワサはそれを表面化させただけに過ぎないのだと。
「最も、当人たちも死ぬつもりは無かっただろうけどね。ただ彼らは
「飛べる? それって夢の中でですよね」
「いやいや。彼らは紛れもなく現実でも飛行する力があった。超能力だよ。知っているだろう?」
「そりゃあ知ってるよ。でもそんなの本当に……っているんだろうな。アタシ達だって
「人間社会で生きるならば明確な異常、あるいは負荷としかならない特異性を持って生まれた個体。超能力者は結構な割合で発生するものだが、その実そこまで表沙汰になることはない。何故かと言えば、本人自体もその異常性に気が付いていないパターンがほとんどだからだ。発揮される能力も微弱、あるいは限定的であるため、自他共に知られることなくその生涯を終えることも少なくはない。そして自覚している者は大体が社会に溶け込む術を所持しているからちょっとやそっとじゃ見つかることはない」
「じゃあ、今回の犠牲者は全員超能力者だってことか?」
「そうだ。意識を遠くに飛ばす、というのはごくごくありふれた超能力だ。ぶっちゃけ千人に一人ぐらいには発現しているかなりポピュラーな部類だ。夢を介して意識を飛ばすというのは魔術においても普遍的な概念なほどに、古来からヒトは自らの意識を別の場所へと送るような力を信仰してきている」
千里眼。幽体離脱。霊界体験。夢歩き。
肉体を脱し、別の場所、別の世界を垣間見ようと試みる儀式は数多く存在する。
そしてそれらの信仰性を裏付けとなるのが魔法であり、あるいは超能力であった。
「飛ぶことのできない者はただそういう不思議な夢を見た、程度のものだろう。現実で目覚めればその落差に落ち込みはするが、決して自殺を行うほどの絶望でもない。だが、元から飛べる資質を持っていたものは話が別だ。あの空間が紛れもなく現実だとするならば、そこに迷い込んだことで彼らは一時的に意識下での飛行を体験してしまう。するとどうだ。彼らは自分が空を飛べるのだと知ってしまった。それが特殊な空間内でのみ実現できたことであるとしても、重力から解き放たれるという体験を肉体は覚えているし、経験を経た精神は自分の中に眠る力を教えてくれる。これの皮肉なところは、意識しての飛行はその空間の中でしかできないということだった」
「でも、彼らはそれを知らない。だから日常に戻った後も、いつものように飛ぼうとして――」
「当たり前のように落ちた。あの噂とやらは絶望ではなく希望を与えてしまったことで、人を死に誘ってしまった。まさに魔女とは真逆だな」
製作者ですら意図しなかったであろう欠陥。考慮するにはあまりにも荒唐無稽で、しかしいつかは発覚したであろう致命的な落とし穴。
それが今回の事件の原因であった。
「別にそういう事情はいいけどさ。どっちにしろそれで被害が出てるんだろ。結局つばめはどうやってそのウワサに対抗したんだ?」
「なあに、単純な話だよ」
それっぽく締めくくられはしたが、結局何も事件が解決していないことに気が付いたももこが結論を急く。
渡は肩を竦めてから言った。
「その空間が夢に沈む者以外を拒むのであれば対処は簡単、夢の中で自由に動けるようになればいいだけさ」
〇超能力者
今回の被害者たち。とはいえ、超と言うほどでもなく、精々が微能力者程度。空を幻視したことで墜落した者たち。
「そんなのが引っかかるとか想定してない」とは製作者の談。
ぶっちゃけ超能力もあるという世界観の前振りである。