ChapterⅥ【文那幸恵・夢の終わり】
「――ぁ」
一直線に走った痛みに目を覚ます。
「ここ、は」
「……
呼びかけてきた看護師の声に、ここが自分の病室だと思い出した。
なんだかとても永く、優しく、恐ろしい夢を見ていたような気がする。
「よかった、目を覚まされたんですね」
安堵する声には驚きの色が混ざっていた。どうやら二度と目を覚まさないと思われていたらしい。それもそうだろう。だって私の体はいつ死んでもおかしくない。長い眠りについてしまえば、とうとう病が脳にまで回ったと認識されてるのは当然だ。
果たして自分はどれだけ眠っていただろうか。ここには時計もカレンダーもないけど、きっと何日も経っているのは間違いない。
「ちょっと待っててください。今、先生をお呼びします」
看護師が病室から出ていくのを見届けてから、私は現状を確認する。
周囲を見回せば、そこは自分ひとりだけの病室。
身の着は病人服。周りには医療用の電子機器。私を縛る棺桶は何一つ変わっていない。どうやら眠り続けていた間も、世界は通常通りに回っていたらしい。
はたして自分は何の夢を見ていたのだろうと思い返して――背筋に悪寒が走り、脳が軋んだ。
身を焦がし尽くすような熱。迫り来る刃。青白く光る死神の眼。
身体には傷跡一つない。けれどあれは現実だった。
「あ、あ、ぁぁ……!」
身体から暖かさが抜け落ち、がくがくと振るえ始める。
怯えながらも受け入れていたはずの死が、あんなに恐ろしいものだったとは。
「わたし、生き、てる……?」
精一杯の力を込めて、空いていた手を胸の前に動かす。
そうして微かな鼓動を感じ取り、まだ自分が生きていることをようやく実感する。
「なんだったの、あれは」
どうやってあの子たちは私の夢に入り込んできたのか。どうやって起きたまま空を飛んでいたのか。どうやって私とウワサを殺したのか。
訳のわからないことばかりで、たった一つ分かること。
私は現実に戻ってきた。戻ってきてしまった。
あれだけ望んでいた夢は、あっけなく醒めてしまった。
もう空に飛び立つことは叶わない。縛られた自由を謳歌することはできない。
それでも、不思議と惜しむ気持ちは湧かなかった。
「……ええ、これで良かったのよ」
最初から、叶えるべきじゃなかったのだ。
多くの人を誘い、果てには死に惑わせてしまうような夢なんて。
◇
「失礼する」
二日後。ガラリとドアを引いて現れたのは、看護師でも院長でもない、彼女の見知らぬ人物だった。
「
肩口まで伸びた髪を一つ結びにした眼鏡の男性。無地のワイシャツとスラックス。そこそこに整った顔立ちが、知性的な印象を与える。幸恵の好みではないが、それなりにモテるタイプの人間だとは思った。
しかし、それが正体ではないだろう、とも思っていた。
夢で相対したあの死神。それに似た同質の闇を彼女はこの男の底に感じていた。曲がりなりにも自分もそういった存在になっていたからこそ、この男の異端さを無意識のうちに読み取ることができた。人のガワを被ってはいるけど、きっと相応の化け物に違いない。
「あなたは、誰ですか?」
「琴織渡。魔術師だ」
何事もないように彼はそう言った。
――魔法少女の次は魔術師。
どうやら自分はつくづく奇妙な連中と縁を持ったらしい。
「その魔術師さんが何の用?」
「うちの娘が世話になったからね、挨拶回りと事実確認に。ああ、娘は君に止めを刺した子だよ」
「……ああ、あの子ね」
合点がいって、つい失笑が零れた。
怪物の娘は怪物。当たり前の話だった。
「……首から下は完全にやられているな。文那幸恵、形式上は神浜大学付属学校の元生徒。元々何度か入退院を繰り返していたが、両親は二年前に中央区で起こった交通事故で他界。それに前後する形でいくつかの疾患を併発し完全入院。費用は遺産と保険から払われ、残った親族は最低限の手続きのみ。事実上の天涯孤独というわけか」
憐れむような口ぶりとは裏腹の無表情で、渡は幸恵の身の上を述べる。
なんともまあ綺麗なまでに、彼は幸恵の過去を探り当てていた。
「詳しいわね」
「ああ。昨日、ウワサから魂がこちらの方角に逃れていったと娘から聞いて、患者の情報を集めておいた。その中で外見情報が合致したのが君だったから確かめに来たら、案の定というわけさ」
「ああ、そういうこと」
「いたましいものだな。頼れる者がおらず、自分ひとりで生きていくことすらままならない。だというのに、世界は君を生かし続けてしまう。それが正常なシステムではあるのだが、こうまでして生きているだけというのにジレンマを覚えざるをえんのは人情だな」
「その通りよ。私は生きながらに死んでいる。唯一の希望も、あなたの娘さんが奪っていったわ」
「それについては間が悪かったとしか。しかしあれだな、君が核になっていたのならもう少し手心を加えることはできなかったのか」
「私だって落ちていく人を眺めるのは嫌だった。でも無理だったわ。そういう存在として定義づけられていた以上、あの私は夢に誘う以外のことを許されていなかった。私にできたのは、空から街を見下ろすことだけ。結局私は、空を飛べてなんていなかったのよ」
飛行とは行き先が定めて飛び立つ行為であり、浮遊とは行き先もなく風に流れる行為だ。
そうあれかしと定められた器に納められ、あてもなく彷徨っていた彼女は、当然――。
「なるほど、はじめから物語ありきで動く存在。いや、物語とは概ね結論ありきなのは当然といえば当然なのだが。となればやはりウワサの作成そのもの以上の意図があるか。数多の物語を紡ぎ束ねた先に何を――と、流石にそれは性急か」
頬に添えていた手を戻し、渡は疑問を口にした。
「さて、本人の確証が取れたところで質問だ。結局のところ、どうやって君はそのウワサになっていた? 君がそういう芸当をできるとは思えん。何者かがあの身体を与えた、というのが妥当な線ではあるが」
「その通りよ。私はずっとここから外の世界を眺めて、憎んで、求めていた。いつか外の世界を自由に歩ける日が来ることを望みながら、そんな日はこないと諦めていた。そこにあの子たちがやってきて、私は――っ」
人と会話らしい会話をするのも久しぶりで、幸恵はつい饒舌になった。
あまりにも語ろうとするせいで咳き込んでしまい、掲げられた手によって言葉の続きは制止された。
「……ま、予想はしていたがやはり魔法少女の仕業だったか。その魔法少女は誰だ?」
「悪い、けど、そこまでは、教えられないわ」
彼女たちは友人であり恩人だ。
いかに命を投げやっているとはいえ、目の前の男に情報を売るというのは気が引ける。もしこの魔術師を名乗った人が無理やり情報を聞き出そうとしてきたらどうしようかしら、なんて思いながらも幸恵は渡の言葉を跳ねのけた。
「そうか。それなら別にいい。その話は別に当たろう」
「……いいの?」
「もののついで程度だったからね。飽くまで私の役目は後始末だ」
渡としても、情報を求めてきたわけではない。
ウワサを滅ぼしたことで何かしらの悪影響が起こっていた場合、その問題を解決するために彼はここを訪れていた。
その心配も杞憂だった以上、ここに長居する理由もない。
いくつかの疑問は残るが、さりとてそれは彼女からしか聞き出せないわけでもなし。
「邪魔をした。とはいえこれも一つの縁だ。もし君がまだ外を望むのなら、いくらかおせっかいを焼いてもいい。これでも足長おじさんには慣れている」
「いらないわ、そんなもの。私に余計な夢なんて、あったところで仕方がない」
「ふむ、責任を感じているのならそれは的外れだと言わせてもらおう。あれは事故のようなもの。現実と夢を混同して飛べると勘違いした奴が勝手にくたばっただけだ。依り代として据えられただけの君が必要以上に気に病む必要はないよ」
「そうかもね。でもいいのよ。あれだけ望んでいたものを手に入れておきながら、自分から手放した方が良かったなんて思っている罰当たりには、ね」
「……なるほど。確かに最後ぐらいは、自分に誠実であらなければ人間としても終われないか」
「でも、そうね。だったら一つお願いをしていいかしら」
「何だね?」
「あの子たちに、伝えて。
――ありがとう、って。私は、あの子たちのおかげで、ささやかな夢を見れたから」
「承ろう」
◇
そうして男と女は別れた。二度と会うこともない。
彼女がこれ以上の救済を拒んだ以上、彼にできることはない。
罪ではない、と彼は言った。
確かにその通り。人々が落ちたのはウワサの性質が原因であり、それも本来想定されてはずのもの。本当の飛び方を知らない人たちが、勝手に勘違いして落ちていっただけとも言える。
そこに私の介在の余地はない以上、そこに誰かの死が含まれていたとしても責任を問うことはできないのだろう。
けれど、自分が知らなくてもいいことを教えたことで、彼女たちの未来を奪ったこともまた事実。
ならば、けじめをつけなくてはいけない。
叶わない
だから、私はあの場所へ向かった。
始まりの風景。健やかだった時からの思い出だったあの景色。
最後に残された力でそこまでたどり着いて、改めて私は眼下の街並みを見下ろした。
数年の間見なかっただけで、この街は随分と様変わりした。
ただでさえ発展が盛んな中央。見覚えのある店、真新しいビル。さびれてしまった裏通り。
それらすべてをこの目に焼き付けてから、空を見上げる。
空を覆う灰色の雲。夏の湿り気と、それを吹き流す涼風。
この脆い身体では毒にしかならないそれらを全身に浴びて、つい笑みがこぼれた。
嗚呼、私はこんなにも生きていた。
そうして。
俯瞰する世界から、私は墜落する。
それが彼女たちの下へ届けられる、たった一つの贖いだった。
◇
ChapterⅦ【バードアイ・ビューイング】
その日の帰りは、彼女を家の近くまで送り届けることにした。
朝の天気予報ではこれから荒れるらしい。アナウンサーの土御門元春の読みは正確。しかし八雲嬢の折り畳み傘ではすこし心許ないと思った次第だった。
中央区へと立ち入ってしばらく歩いていると、にわかに大通りが騒がしい。
少し顔を出してみれば、むせかえる鉄の匂いと広がる朱色。潰れた貌と折り曲がった細い手足。
ふと視線を上げて、そこが件の霧谷ビルであることに気が付いた。
驚きはない。
果てを目指して飛んだ以上、夢から降りるということは能わず。
結果は着地か墜落によって示される以上、こうなるのは必然だった。
踵を返して元の帰路へ戻る最中、八雲嬢が口を開く。
「自殺だったわね」
「ああ」
「魔女の仕業……じゃないみたいね」
「そのようだな」
曖昧に返事をしておく。これ以上を語るのは無粋だからだ。
勿論、たった今飛び降りたのが誰なのかは八雲嬢も知っている。そのうえで、彼女は答えのない問いを口にする。
「分からないわね。呪われたわけでもないのに、どうして人は自分から死んでいくのかしら」
「人間、一度くらいそういう事もあるだろう。キミとて、ふと自分の命を絶ってみたらどうなるか、なんて禁忌思考がよぎったことはあるはずだ」
「無いわよ。お生憎様、私は憎しみのほうが強かったもの」
「そうか。悪いことを聞いたな」
「ええ。デリカシーもモラルもないわね」
「言い過ぎだろう……まあ、なんだ」
「今までずっと空を飛び続けていたんだ。たまには落ちてみたくなったんだろう」
再び曇り空を見上げる。
ひゅるりと燕が急降下し、また空に昇って行った。
〇あとがき
言わなくても分かるだろうけど『空の境界』が元ネタ。
というか要素をこちら側に変えただけで大筋は大体同じです……はい。
・つばめにウワサを調査させる。
・つばめがドッペルを認識する。
・この作品には超能力もあるよ。
今回の提示要素のうち上二つがあれば導入にはなんでもできる。そのうえで趣味に走りました。
〇
ゲスト枠。里見メディカルセンターに入院する患者。余命いくばくもなく、生に絶望しながら死に怯えていたところをウワサの依り代に選ばれた。霧谷ビルは幸恵の元住まいであり、心象として焼き付いた高層階から眺める神浜の風景がウワサとリンクし、夜以外も結界内部に入り込める中心地になっていた。
里見灯花、柊ねむ、■■■とは時折会話をする間柄であり、ウワサの憑依も純粋な善意で行われたこと。勿論いくらかの打算や思惑があったものの、彼女を選んだのはその境遇を憐れんでのことである。
いうまでもなく元ネタは巫条霧絵。
〇空飛び姫のウワサ
このウワサに入る条件は【神浜市内で夕方以降、一定高度以上の場所でジャンプすること】のみ。
この緩い条件によって多くの人間が立ち入り、毎晩飛行の夢に浮かれながら、辛く沈む現実へ目覚めた時の落胆の感情エネルギーを回収していた。その性質上、一度に大きく搾取するのではなく、コンスタントに繰り返す形でエネルギーを生む比較的優しい性質のウワサ。仮に魔法少女が乗り込んできても同様に夢に沈めれば問題なく、もし正気に戻っても追い出すか落下させるかで対処可能というセキュリティも万全。両方にメタを張れる琴織親子がいなければ……。
ちなみに他には由良蛍や入名クシュ、そして梓みふゆが夢空間で自由に動けるので対処可能。
死人が出たのは規模がデカくなりすぎて無自覚な夢飛行能力者まで呼び込んでしまったから。
それでは次回。
【Interlude】
「――ッ!?」
ガチャリと音を立ててティーカップが傾き、テーブルクロスを白から赤茶に染め上げる。
眼鏡をかけた魔法少女――柊ねむは弾かれたように椅子から飛び上がって離れていた。
自分の持っていた本――魔法の媒体でもある誌編がひとりでにめくれ上がり、そのうちの一ページが燃え上がったからだ。
「ねむ!?」
「ねむ様!」
茶髪の少女――里見灯花がその様子に驚き、彼女の後ろに控えていた黒髪の女性が慌てて駆け寄る。
「ご無事ですか?」
「僕は大丈夫。それよりも――」
ねむと呼ばれた少女は炭と化していく頁を見つめる。他の項には僅かとて損傷は見られず、ただその一枚のみが跡形もなく焦げて宙に解け消える。
文字通り自分の血肉を分け与えたに等しいそれの末路を見て、彼女は何が起こったのかを理解した。
「ウワサが消えた……それも、根本から……!!」
「えーっ!?」
「なんと……」
告げた事実に信じられないとばかりに少女は声をあげ、女性は感嘆したように声を漏らす。
自分が紡ぎあげた物語は、例え実体化した化身が倒されようとも残り続ける。現にこれまで何体かのウワサは倒されていたものの、自分の持つ本の中にその存在は戻ってきていた。
だから、戻ってきたウワサが頁ごと燃え尽きるというのはこれまでに見たことのない現象だった。
それはつまり、存在の根幹ごと破壊されたということ。原本であるこの本にまで波及する破滅を齎す存在がこの神浜にいる。知らず、ねむの指に震えが走った。
「信じがたいことだけど、事実だ。もう僕の本の中に空飛び姫のウワサはいない」
「うにゃー、あのウワサは一人あたりの効率は低いけど、その分いっぱい人を集められてたのにー」
「あのウワサは色々と実験的な要素も多かったし、元より半ば彼女に寄稿したウワサだ。エネルギー回収という面では重要度の低いウワサだったのは幸いだったけど、それが失われたのは遺憾の極みだ」
「あー……お姉さんは大丈夫なのかな?」
「ウワサごと消える可能性は低いね。あれは飽くまで魂の容れ物をウワサに変えただけだ。ウワサが消えたなら元の体に戻っていくはずだよ」
「それなら心配はいらないかなー……元の病室に戻っちゃうのは、ちょっと悲しいと思うけど」
「そうだね。とはいえ、それもまた結末の一つだろう。……しかし、こんなことが起こったのは予想外だ。まさか、魔法の本質を捉えて破壊するなんて真似ができるなんてね。間違いなく、魔法の原理に詳しい者か特殊な固有魔法の使い手の仕業だろう」
「もしかして例の七海やちよ?」
第一に容疑として挙げられたのは、神浜の西のリーダー。
彼女はウワサが出現して間もなくの頃からその兆候を察知し嗅ぎまわっている。その嗅覚は正しく、現にウワサを一つ消されてしまっている。
「いえ。みふゆの話ではそのような魔法は持っていないと聞いています」
「じゃあ一体……」
「まさか、彼女か――?」
「……『鉄の英雄』……」
この街にて闊歩する実力者たちの中でも、最も警戒対象に挙げている『英雄』が頭によぎる。
穢れを浄化する聖堂騎士ならば、ウワサという魔法で生み出された生命を消し去ることもできなくはないだろう。
粛清機関が早くも自分たちの存在に気がつき、手を打ってきたというのか。
「とはいえ、決めつけも良くない。まずはウワサを倒した魔法少女を調べよう。ウズメ、あのウワサに配備していた羽根を集めてほしい」
ねむの下した指示に対して黒髪の女性――ウズメは頭を振った。
「それなのですが、実は人目のつきやすさとウワサの特殊性から監視の羽根を充てられておらず……ご期待に沿えず申し訳ありません」
「む……仕方がない。こちらの設計ミスであって君の責任じゃないよ」
「でもー、羽根たちからの情報があてにならないなら、どうやって調べるのー?」
「みふゆに当たらせましょう。ウワサを打倒した以上はある程度名の売れた実力者。であれば彼女が知っている可能性は高いでしょう」
ウズメは懐から携帯端末を取り出し、己の部下である魔法少女へと連絡を取りはじめた。